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礼9624行動日誌その2

2010~2024年

米山ハイツ

福岡県行橋市の居宅より南大分中津市方面を望む。

1・東北地方
宮城県白石城古城の葉桜の下主婦六人が酒の宴少し騒がしい
津波の痕の仙台沖野の田圃の畦道に咲いた一輪の蒲公英
木洩れ日の愛島実方中将の墓に供えられている一輪の紫花
名取川河口の貞山堀に一群浮いている枯草の塊
2・季節春
消えかかった踏み跡の森の小径笹竹を手折りながら歩く
森の小径に山吹の新芽が吹き出している
応募中につき一時不掲載花筏森のせせらぎ流れ来てこの上流に桜あるらし
拾い来し桜の枝から出てきた花の蕾
3・季節夏
猛暑なれば片肌脱ぎし幼女コンチワと言い階段を降りぬ
衣替えの朝おかっぱの少女二人笑い声が野辺に響く
応募中につき一時不掲載夏の朝今川右岸河川敷自転車十四女生徒の列
日曜日駅への坂道ペダル漕ぐ帽子押さえて女生徒の夏
4・季節秋
窓を開けると部屋の青い畳に差し込む白い月の光
曼珠沙華群れて咲くのが常なるを野に一輪が凛として秋
5・季節冬
雪が降って来たひとり囲炉裏に薪をくべる
厳寒に友逝きし朝東雲にひときわ朱く朝日が昇る
雪溶けのなか友の死を知る黙々と畑を耕しはるを待つ
6・旅
深夜着く鳥取砂丘針槐の花の下で眠る
城下町松江赤い車の窓から出ている一筋の髪
応募中につき一時不掲載貧なれば見舞いの花は蓮華草忘我の叔父を香春に訪ぬ
耶馬溪の紅葉前に主婦六人酒の宴張る少し騒がし
7・故郷
夏の雨上がりの道場寺側溝に雨の匂いが流れる
小森山夜半の風でトタン屋根にタンタンと音をたて椎の実が落ちる
蓑島にようやく着いたこの山陰を過ぎれば母の故里
龍宮浜を照らす月明かり父の形見の爪切りで足の爪切る
深夜の龍宮浜周防灘に赤い月が出ている
月下の龍宮浜を散歩する風が出てきた庵へ戻ろう
寝袋にくるまって夜明けの龍宮浜を見ている
周防灘打ち寄す波は違わねどふるさとの浜の波が好き
この舗道は老母が自転車で畑に通う道、朝日を浴びて小石を取り払う
新田原カトリック教会朝靄立ち込む果樹園に教会の鐘優しく響く
静寂破りて貨物列車が疾走す深夜の酪農踏切クワンクワンと鳴る
故郷の山にひたすら公孫樹植ゆいつの日か全山黄金に燃ゆべし
菜の花の咲く今川の土手河川敷に蝙蝠傘の二人連れ
犀川続命院の坂ペダル踏み君が通ったこの坂を半世紀して車で登る
形見なる叔父の作業着袖口に油シミあり在りし日を偲ぶ。追憶の日々
大正の生まれなれども叔母をキミと呼び続けた九十の叔父逝く
何かしら楽しきことのあるらしきスキップをするおさげの少女
犬連れし少年通りすがりの他家の庭金柑ちぎりて口に放りぬ
山裾に家々の居て田も緑ここぞ里山白川の村
こどもより登りし山を今聞けば卑弥呼の祈る神万歳山
8・畑作業
定年で始めた畑の春豌豆結ぶこの紐は亡き父の丹前の柄
先祖伝えし幾星霜の畑鍬に当たりし小石を吾も亦放る
9・文
皆の「どうでもいいこと」が、私には「重要なこと」である。「どうして?」という。悪いけどあなたにはとても理解できないだろう。
今更ながら、「行動する人間は失敗もする。失敗をしないのは何もやらない者だけだ」
君らには暇そうに見えるだろうが実は忙しいのだよ。君らにはぼんやりしているように見えるだろうが
実は考えているのだよ。そして、君らには老人に見えるだろうが実は私は少年なのだよ。
フランツ・グリルパルツァー言う「生きることがなんといっても人生の最大目標である」。また言う「子ども達に囲まれて人生の最期を迎える人を私は幸せだと思う」。ところでグリルパルツァーは生涯独身。
例えば、通路に落ちていて皆の邪魔になっている空き缶を、他人が見ていようといまいと、少しも躊躇せず通路の隅に移すような、例えば、店先に空のレジ袋が落ちていて、これから100人の人が「袋が落ちている」と思いながら通り過ぎるだろうなと思える時に、迷うことなく拾い上げて近くのゴミ箱に捨てるような「そんなことをして、あなたが何か得することがあるの?」というようなことを常にやりたい。それは私の「主義」である。
世の中の幸せを願わないで、どこにこの時代に自分が生きている価値があるのか?
「こうして生まれてきたのだから、今の自分のこのすべての状態も悪くない」
思い出というものはそんなにたくさんなくてもいいんじゃないか?
<そうか、こいつは俺とは関係のない存在であるな>
野菜作りをしていて、人にあげる気持ちがなくなる3つのケース。1、「野菜、何でもいいから頂戴」、<あげたい気持ちがなくなる、感謝の雰囲気が感じられない>。2、あげるたびに何でも「これ大好物」という。<大好物なら自分で買えよ、と思う>。3、「いらないなら貰ってあげようか」<あげるこちらがお礼を言わねばならないのか?>。
10・文2
悪いことをすると、その悪行にとどまらず、悪行をした瞬間、あるいは知らず知らずのうちにおのれの心が悪に染まって仕舞うのだ。
人生は長さではない。どう生きたか、である。
人間は苦難を分かち合うことを出来ても権力を分かち合うことは出来ない 。
杉良太郎氏が2024年1月の能登半島大地震でも被災者の支援をした。「売名行為だ」という奴もいたが、杉氏は「そうですが、あなたもおやりになるといい」と返した。東日本大震災の時も同じことを言われて「えぇ売名行為ですが、それがなにか?」と大人の対応をしていた。もっとも「売名行為だ」という非難は決して被災者の側からは出てこない。
無人販売所で万引きをするあなたへ。 なぜ人を殺したり、人のものを盗んではならないのでしょうか?己の欲せざることを人に施す勿れ。あなたも自分の白い乗用車を窃盗されることを望まないでしょう。竹林の切れ間から偶々作業の間に500円分の商品を手に入れて、5円玉のみを投じたあなたを見た。2023年もまた盗み続けるのですか?
©reiji-matsumoto