[2011.3.11東日本大震災・被災50日前の気仙沼と、400日後の三陸海岸、470日後の名取市閖上、600日後の三陸海岸被災地画像、640日後の南三陸町復興画像]
東日本大震災50日前の2011年1月21〜22日の気仙沼の市街地と、2012年4月28日の南三陸、陸中海岸、2012年6月27日の名取市閖上地区、2012年11月3〜4日の塩竃・陸中海岸、2013年1月2日の南三陸町さんさん商店街の様子です。
![]() 気仙沼線南気仙沼駅の西側、大川を挟んだ対岸にある南気仙沼小学校です。 |
![]() 見送り岸壁です。この沖を大島への汽船も通過します。対岸は大浦・浪板方面。 |
![]() 漁師の人たちの職場でもあります。ふだんから魚釣りの人もいます。 |
![]() 集魚灯の大きな電球を装備したイカ釣り船です。左手はエースポート。向こうに安波山が見えています。 |
![]() 大島への汽船の発着所です。 |
![]() エースポートの敷地内にある「港町ブルース」(作詞 深津武志 補作 なかにし礼 作曲 猪俣公章 唄 森 進一)の歌碑です。その2番に「宮古、釜石、気仙沼」と歌われています。 |
![]() エースポートのすぐ北側にある魚町は屋号看板の見られる通りです。 |
![]() 屋号看板の見られる通り。 |
![]() 屋号看板の見られる通り。 |
![]() 屋号看板の見られる通り。 |
![]() 屋号看板の見られる通り。ここは角地にあります。 |
![]() 情緒ある石造りの蔵と看板。 |
![]() 八日町の町並みです。 |
![]() 気仙沼市の中心部八日町にある気仙沼市役所です。道路から少し坂を上る高台に位置しています。 |
![]() 気仙沼市役所の近くにあるなまこ壁の風情ある蔵です。 |
![]() なまこ蔵のそばにあった空き地の囲いに使われている魚網。海の町では使用後の網がこのように活用されています。。 |
![]() 高台になっている笹が陣地区にある気仙沼小学校です。 |
![]() 気仙沼小学校のそばにある市立図書館です。 |
全国的なニュースになった南三陸町志津川の防災庁舎です。 |
南三陸町志津川の海岸部にあった志津川病院です。 |
気仙沼市鹿折に打ち上げられた漁船です。気仙沼湾に押し寄せた波が直接この地区を襲いました |
気仙沼魚市場前の風景です。周囲は強烈な魚の腐臭が漂っています。 |
気仙沼魚市場の嵩上げ工事の様子です。この高さが鉄板で嵩上げされました。 |
陸前高田市の国道45号線にある道の駅です。 |
陸前高田市の道の駅内部の様子です。ここにはけんか七夕の山車が展示されていました。 |
道の駅から西方向の様子です。 |
釜石市の海岸部にあるガソリンスタンドです。いまだ手つかずの状態です。 |
釜石市の海岸部にある釜石警察署1階の様子です。 |
宮古市の北、田老地区の防潮堤です。ここは海からの高さ10m、道路から7.4mの高さがあります。 |
宮古市の北、田老地区の防潮堤です。堤防にあがる際の鉄製の手すりが津波のよって曲げられています。 宮城県名取市閖上地区にある日和山です。平坦地である閖上にある唯一の高台です。頂上には慰霊の木柱などが立てられています。 名取市閖上地区の中を走る堀にかかる橋梁です。欄干や歩道も壊れています。 |
名取市閖上にある蒲鉾加工業佐々直の建物です。海に近い場所で残っているのはこのようないくつかの鉄筋の建物だけです。 |
名取市閖上の住宅地です。自動二輪車がまだ打ち捨てられたままです。土台しか残らない住宅地には緑が芽生え始めています。 |
名取市閖上の東禅寺本堂と墓地です。墓はすべて破壊されました。本堂の前に首のもがれた地蔵などが置かれていて悲惨さを物語っています。 |
塩竃市の塩釜港岸壁の様子です。 |
気仙沼市の汽船乗り場付近です。 |
気仙沼市の汽船乗り場付近です。 |
気仙沼市の汽船乗り場付近です。 |
気仙沼市弁天町の中央公民館付近の車窓風景です。 |
気仙沼市鹿折の街中に打ち上げられた船の前です。 |
気仙沼市鹿折に咲くコスモスです。([撮影者=沖縄県読谷村・仲松庸次氏]) |
陸前高田市の高田松原です。左手の三角の建物は国道45号線にある道の駅、右側の建物は海岸にリゾートホテルの建物です。([撮影者=沖縄県読谷村・仲松庸次氏]) |
陸前高田市の街中の瓦礫置き場です。([撮影者=沖縄県読谷村・仲松庸次氏]) |
南三陸町志津川のさんさん商店街です。 |
南三陸町志津川のさんさん商店街です。 |