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礼9624行動日誌その1

1970年代~2009年


米山ハイツ

福岡県行橋市の居宅より南方向を望む。

1・東北地方
宮城県白石城古城の葉桜の下主婦六人が酒の宴少し騒がしい
津波の痕の仙台沖野の田圃の畦道に咲いた一輪の蒲公英
木洩れ日の愛島実方中将の墓に供えられている一輪の紫花
名取川河口の貞山堀に一群浮いている枯草の塊
2・季節春
消えかかった踏み跡の森の小径笹竹を手折りながら歩く
森の小径に山吹の新芽が吹き出している
応募中につき一時不掲載「今川右岸」の歌
拾い来し桜の枝から出てきた花の蕾
3・季節夏
猛暑なれば片肌脱ぎし幼女コンチワと言い階段を降りぬ
衣替えの朝おかっぱの少女二人笑い声が野辺に響く
応募中につき一時不掲載「今川右岸」の歌
日曜日駅への坂道ペダル漕ぐ帽子押さえて女生徒の夏
4・季節秋
窓を開けると部屋の青い畳に差し込む白い月の光
曼珠沙華群れて咲くのが常なるを野に一輪が凛として秋
5・季節冬
雪が降って来たひとり囲炉裏に薪をくべる
厳寒に友逝きし朝東雲にひときわ朱く朝日が昇る
雪溶けのなか友の死を知る黙々と畑を耕しはるを待つ
6・旅
深夜着く鳥取砂丘針槐の花の下で眠る
城下町松江赤い車の窓から出ている一筋の髪
応募中
耶馬溪の紅葉前に主婦六人酒の宴張る少し騒がし
7・故郷
夏の雨上がりの道場寺側溝に雨の匂いが流れる
小森山夜半の風でトタン屋根にタンタンと音をたて椎の実が落ちる
蓑島にようやく着いたこの山陰を過ぎれば母の故里
龍宮浜を照らす月明かり父の形見の爪切りで足の爪切る
深夜の龍宮浜周防灘に赤い月が出ている
月下の龍宮浜を散歩する風が出てきた庵へ戻ろう
寝袋にくるまって夜明けの龍宮浜を見ている
周防灘打ち寄す波は違わねどふるさとの浜の波が好き
この舗道は老母が自転車で畑に通う道、朝日を浴びて小石を取り払う
新田原カトリック教会朝靄立ち込む果樹園に教会の鐘優しく響く
静寂破りて貨物列車が疾走す深夜の酪農踏切クワンクワンと鳴る
故郷の山にひたすら公孫樹植ゆいつの日か全山黄金に燃ゆべし
菜の花の咲く今川の土手河川敷に蝙蝠傘の二人連れ
犀川続命院の坂ペダル踏み君が通ったこの坂を半世紀して車で登る
形見なる叔父の作業着袖口に油シミあり在りし日を偲ぶ。追憶の日々
大正の生まれなれども叔母をキミと呼び続けた九十の叔父逝く
何かしら楽しきことのあるらしきスキップをするおさげの少女
犬連れし少年通りすがりの他家の庭金柑ちぎりて口に放りぬ
山裾に家々の居て田も緑ここぞ里山白川の村
8・畑作業
定年で始めた畑の秋エンドウ結ぶこの紐は亡き父の丹前の柄
先祖伝えし幾星霜の畑鍬に当たりし小石を吾も亦放る
9・文
皆の「どうでもいいこと」が、私には「重要なこと」である。「どうして?」という。悪いけどあなたにはとても理解できないだろう。
君らには暇そうに見えるだろうが実は忙しいのだよ。君らにはぼんやりしているように見えるだろうが
実は考えているのだよ。そして、君らには老人に見えるだろうが実は私は少年なのだよ。
フランツ・グリルパルツァー言う「生きることがなんといっても人生の最大目標である」。また言う「子ども達に囲まれて人生の最期を迎える人を私は幸せだと思う」。ところでグリルパルツァーは生涯独身。
例えば、通路に落ちていて皆の邪魔になっている空き缶を、他人が見ていようといまいと、少しも躊躇せず通路の隅に移すような、例えば、店先に空のレジ袋が落ちていて、これから100人の人が「袋が落ちている」と思いながら通り過ぎるだろうなと思える時に、迷うことなく拾い上げて近くのゴミ箱に捨てるような「そんなことをして、あなたが何か得することがあるの?」というようなことを常にやりたい。それは私の「主義」である。
世の中の幸せを願わないで、どこにこの時代に自分が生きている価値があるのか? 「こうして生まれてきたのだから、今の自分のこのすべての状態も悪くない」
思い出というものはそんなにたくさんなくてもいいんじゃないか?
<そうか、こいつは俺とは関係のない存在であるな>
野菜作りをしていて、人にあげる場合にガクッとくる3つのケース。1、「野菜、何でもいいから頂戴」、<あげたい気持ちがなくなる、感謝の雰囲気が感じられない>。2、あげるたびに何でも「これ大好物」という。<大好物なら自分で買えよ、と思う>。3、「いらないなら貰ってあげようか」<あげるこちらがお礼を言わねばならないのかい?>。
10・文2
悪いことをすると、それと同時に心も染まって仕舞う。
©reiji-matsumoto