礼9624行動日誌その1
1970年代~2009年 ![]() 宮城県白石城古城の葉桜の下主婦六人が酒の宴少し騒がしい 津波の痕の仙台沖野の田圃の畦道に咲いた一輪の蒲公英 木洩れ日の愛島実方中将の墓に供えられている一輪の紫花 名取川河口の貞山堀に一群浮いている枯草の塊 2・季節春 消えかかった踏み跡の森の小径笹竹を手折りながら歩く 森の小径に山吹の新芽が吹き出している 拾い来し桜の枝から出てきた花の蕾 3・季節夏 猛暑なれば片肌脱ぎし幼女コンチワと言い階段を降りぬ 衣替えの朝おかっぱの少女二人笑い声が野辺に響く 日曜日駅への坂道ペダル漕ぐ帽子押さえて女生徒の夏 4・季節秋 窓を開けると部屋の青い畳に差し込む白い月の光 曼珠沙華群れて咲くのが常なるを野に一輪が凛として秋 5・季節冬 雪が降って来たひとり囲炉裏に薪をくべる 厳寒に友逝きし朝東雲にひときわ朱く朝日が昇る 雪溶けのなか友の死を知る黙々と畑を耕しはるを待つ 6・旅 深夜着く鳥取砂丘針槐の花の下で眠る 城下町松江赤い車の窓から出ている一筋の髪 応募中 耶馬溪の紅葉前に主婦六人酒の宴張る少し騒がし 7・故郷 夏の雨上がりの道場寺側溝に雨の匂いが流れる 小森山夜半の風でトタン屋根にタンタンと音をたて椎の実が落ちる 蓑島にようやく着いたこの山陰を過ぎれば母の故里 龍宮浜を照らす月明かり父の形見の爪切りで足の爪切る 深夜の龍宮浜周防灘に赤い月が出ている 月下の龍宮浜を散歩する風が出てきた庵へ戻ろう 寝袋にくるまって夜明けの龍宮浜を見ている 周防灘打ち寄す波は違わねどふるさとの浜の波が好き この舗道は老母が自転車で畑に通う道、朝日を浴びて小石を取り払う 新田原カトリック教会朝靄立ち込む果樹園に教会の鐘優しく響く 静寂破りて貨物列車が疾走す深夜の酪農踏切クワンクワンと鳴る 故郷の山にひたすら公孫樹植ゆいつの日か全山黄金に燃ゆべし 菜の花の咲く今川の土手河川敷に蝙蝠傘の二人連れ 犀川続命院の坂ペダル踏み君が通ったこの坂を半世紀して車で登る 形見なる叔父の作業着袖口に油シミあり在りし日を偲ぶ。追憶の日々 大正の生まれなれども叔母をキミと呼び続けた九十の叔父逝く 何かしら楽しきことのあるらしきスキップをするおさげの少女 犬連れし少年通りすがりの他家の庭金柑ちぎりて口に放りぬ 山裾に家々の居て田も緑ここぞ里山白川の村 8・畑作業 定年で始めた畑の秋エンドウ結ぶこの紐は亡き父の丹前の柄 先祖伝えし幾星霜の畑鍬に当たりし小石を吾も亦放る 9・文 皆の「どうでもいいこと」が、私には「重要なこと」である。「どうして?」という。悪いけどあなたにはとても理解できないだろう。 君らには暇そうに見えるだろうが実は忙しいのだよ。君らにはぼんやりしているように見えるだろうが 実は考えているのだよ。そして、君らには老人に見えるだろうが実は私は少年なのだよ。 フランツ・グリルパルツァー言う「生きることがなんといっても人生の最大目標である」。また言う「子ども達に囲まれて人生の最期を迎える人を私は幸せだと思う」。ところでグリルパルツァーは生涯独身。 例えば、通路に落ちていて皆の邪魔になっている空き缶を、他人が見ていようといまいと、少しも躊躇せず通路の隅に移すような、例えば、店先に空のレジ袋が落ちていて、これから100人の人が「袋が落ちている」と思いながら通り過ぎるだろうなと思える時に、迷うことなく拾い上げて近くのゴミ箱に捨てるような「そんなことをして、あなたが何か得することがあるの?」というようなことを常にやりたい。それは私の「主義」である。 世の中の幸せを願わないで、どこにこの時代に自分が生きている価値があるのか? 「こうして生まれてきたのだから、今の自分のこのすべての状態も悪くない」 思い出というものはそんなにたくさんなくてもいいんじゃないか? <そうか、こいつは俺とは関係のない存在であるな> 野菜作りをしていて、人にあげる場合にガクッとくる3つのケース。1、「野菜、何でもいいから頂戴」、<あげたい気持ちがなくなる、感謝の雰囲気が感じられない>。2、あげるたびに何でも「これ大好物」という。<大好物なら自分で買えよ、と思う>。3、「いらないなら貰ってあげようか」<あげるこちらがお礼を言わねばならないのかい?>。 10・文2 悪いことをすると、それと同時に心も染まって仕舞う。 ©reiji-matsumoto |
●1日、HMR社~12/30まで。
●4日、ヒッチハイクをしている人がいると、つい乗せてあげたくなりますよね。
しかし、いつも助手席が一杯の状態だから、よほど片付けをしないとすぐには、乗せてあげるのは無理ということになります。
また先を急ぐ場合もあり、「すみませ~ん!」と手を挙げて断りながら、通過したりしたこともある。
そうでない時は極力乗せてあげている。福岡から仙台に向かう途中のあるSAで中々車を捕まえられずにいたヒッチハイカーを小松付近まで乗せたこともある。姥湯温泉への行きで、歩いている人に声を掛けたら、「山歩きをしているんです」と断られたり、また別の時に姥湯温泉からの帰り、最寄りの峠駅に向っている人を乗せた時、そのまま南陽市の自宅まで乗せたりした。
秋保温泉の帰りにある産直所で、2人の婦人を街中まで乗せたら2000円のお礼を貰ったりということもありました。
会社から仙台駅に行く途中、小路でタクシーを取り逃がした人を見て、明らかに仙台駅に向かうであろう人を乗せたことも。
青森市の棟方志方記念館で開館を待っていて、見学したあと、青森県博物館に行ったりしたら、後で、その静岡人から、地元のお茶がお礼で送られてきたり、などありましたね。
大船渡郊外のバス停で一休みしてたら、婦人がバスを待っていて、明らかに街の中心部に行くことがわかったので、「乗っていきますか」と声をかけて、降りるときに「これあげようか」と、何か忘れたけれど、仕事の途中で日持ちのしない物だったので、丁重にお断りしたことも。 紫波町で婦人の2人連れに道を訊いたら、教えてやるからそこまで乗せて行けと乞われた場合もありますが。
高速道路の入口地点で、時々、外国人が行き先のボードを持って、ヒッチハイクをしてますよね。4~5時間も一緒にいると、結構いい英会話の勉強になるかも。女の人はちょっと怖いと思うかも。
●11日、HMR社のI女史が会社のブログhttp://www.homarefoods.jp/blog/にアップした記事。
「左から、下仁田ねぎ(群馬)・九条ねぎ(京都)・赤ねぎ(山形)」 と、ブログは写真付き。
文章は続いて、
「冬はねぎの甘みが増し、おいしくなる季節。先日の朝日新聞の記事によれば、「食べたいねぎ」第1位は「下仁田ねぎ」、そして「九条ねぎ」が第2位。写真の山形産「赤ねぎ」はランク外だったが、最近知られてきて人気がある。
確かに「下仁田ねぎ」のあの甘さと柔らかさは格別だ。近頃は本場、群馬県下仁田町以外でも「下仁田ねぎ」の栽培が盛んになってきた。記事によれば、おいしい「下仁田ねぎ」の見分け方は意外にも、「青い部分が茶色になっているもの」で、茶色くなるのは、古いからではなく、たくさん霜を吸ったから、なのだそうだ。ねぎは鍋には欠かせないし、焼いても美味しいしね。
そういえば昔、友人が「無人島に何かひとつだけ野菜を持っていけるとしたら何がいい?」の質問にしばし考えた末に「ねぎ!」と答え、大いに共感した事を思い出した」
とのこと。
朝日新聞の記事は、2009.12.9付のもので、3位以降は、3深谷葱、4博多万能葱、5青葱-大阪、6白葱-北海道、7加賀一本葱、8千寿葱-東京、9軟白葱-北海道、10白葱-干葉ということらしい。
下仁田ねぎは夏に植え代えをするそうだ。九条ねぎは長さが1mもあって高級感がある。3本400円くらいするようである。さすが気品も値段も京野菜。8位の千寿は千住のこと。宮城にも、根曲りの葱があるけどどうなの?
葱に含まれている硫化アリルというのは体によさそう。僕も、うどんやラーメン、夏にはソーメンにごっそり載せて食べている。
ところで、葱に限らず、規格外の野菜が流通するようになれば、八百屋も楽しくなるだろうに。
●14日、2009.12.14のNHKラジオ第一を聞いていたら、あるお嬢さんが「緑茶って、家で作れるの?」と驚いたそうである。
お茶は買うものであってまさか、お茶の葉から煎れることでできるものだとは想像もしなかったらしい。
家庭で親がお茶を煎れることをしたことが一度もなかったそうである。時代は変わる。
少し前までは、お茶というものがペットボトルで売られる時代が来ることのも不思議だったのに。時代は変わる。
●23日、冬至の翌日、夕方の空を見てたら、
なんとなく、日が長くなった気がした。
それが、単なる前日との天気の違いによるものだったとしても
何だか、嬉しい。
夏至の翌日は、少し悲しくなるが、
冬至の翌日は確実に嬉しさを感じるのだ。
●24日、例えば、冷凍庫体験というのも、ひとつの産業観光になる。
その問いかけ「先日、冷凍庫なるものに入ってみました。空気が乾燥しているせいか1分もしないうちに、息苦しくなりました。もちろん、寒さは普通ではなく、ここに閉じ込められたら15分もすれば死ぬだろうな、と思いました。映画「バーティカルリミット」の世界が少し分かる気がしました。冷凍庫のある港町では「冷凍庫探検ツアー」を、魚市場見学ツアーに組み入れてやってみたら?」
これに対して、
「ああ、超低温冷蔵庫、マグロとか保管しているね、私も入ったことあります。短時間。あれ、確かにいいんですけど、見ごたえ、体験しがいあると思いますが、保管している魚に悪影響があるらしいです。開けたり閉めたりするだけで、温度が上昇するらしいし、人間がまとめて入るとそれだけ温度高くなりますしね。氷の水族館で、見せるために入場料とってというのが、いいところの選択なんでしょうね。マグロ一本、普通に数十万円ですからね。うん、でも、なんか、やり方あるかもしれないな」
というのと、
「冷凍庫探検、面白そうですね。あったら参加してみたいなぁ。 <…中略…>
魚市場見学ツアーに冷凍庫探検が入っていたら、迷わず参加するでしょう。だって、面白そう。普段絶対入れないし。でも、お仕事の邪魔になったりしないのかな?」
というような意見がある。
この興味深い「冷凍庫体験ツアー」が、どうすれば実現できるかの可能性を考えてみたい。
○温度が変わっても支障のない物品の倉庫、温度の影響を受けると都合の悪いものとは、遮蔽布などで分け、影響のない場所を倉庫内の一部に作る。
○それで、冷凍の体感だけでなく、花弁を凍らせるとか、中でラーメンか何かを食べるとか、自分でやってみたいことを事前に考える。それらを纏めてみるのも面白い。
こういうのが、体験観光になる。
読田臨平氏のコメント=「
なるほど、そうか、透明な遮蔽壁(厚いガラス様のもの)で仕切って、売り物の魚はその向うに見せるだけにして、こちら側では、花を凍らせるとかですね。
うん、そういうのはありだな。
氷の水族館プロデュースの岡本製氷(気仙沼市)あたりでやってくれると良いんだろうな。
●25日、
工場直販グルメのこと。今、商品販売のあげる利益で、流通が一番儲かっているかとも思える。
まぁ、流通部門も泣く部分も多かろう。
生産現場や販売部門も奮闘しているのには違いない。
生産現場=工場で、見込み違い、キャンセルなどが不可抗力的に発生する。
こうした、カステラ、豆腐、餃子など作り過ぎの製品を格安で、工場直販しているのが話題になっているらしい。
特に、投資をして店を設けない、宣伝はしない。
これまで廃棄処分していたから、半額、6割引にして販売しても利益になるとか。
もちろん、美味しいものでなければだめだけど、こういう試みは町興こしにも
繋がりそうである。
「もったいない」ということの延長でもある。
○この「もったいない」という考え方と、「工場直販」のシステムを、フードバンク的なもので展開できないだろうか?
賞味期限の切れた本日の食べ物(仕入れ価格=ゼロ円)と、一般には敬遠されやすい消費期限間近の商品(仕入れ価格=格安)を販売する店を経営的に運営したいと思うのだが。
●29日、秋保温泉に行く。秋保温泉は、飯坂・鳴子とともに奥州三名湯のひとつでもあり、かつては兵庫の有馬温泉、愛媛の道後温泉とともに日本三名湯に数えられていた。古墳時代後期、第29代欽明天皇の頃(539~571年)開湯されたという長い歴史をもっている。当時、天皇が疱瘡を病み、治療を試みたが、効なく病床に伏していたとき、この秋保の湯を搬送し、入浴したところしばらくして快癒、天皇は喜び「覚束な雲の上まで見てしかな鳥のみゆけば跡はかなしも」と「名取の御湯」と掛け言葉の歌に詠んだといわれ、その後も1200年前後には、信濃・犬養と並び「日本三御湯」と称された。「名取」から秋保に名前が変わったのは、平安時代にこの地を治めていた「藤原秋保」という人物に因む説、秋保にある大滝の、滝・急流の意のアイヌ語の「アボ・アッポ」から変化したとう説などがある。「古今和歌集」などには既に「秋保の里」と歌われている。その後、伊達家の入湯場となり、代々の肝煎・佐藤家が湯守役を継承して、湯治に歴代の藩主が訪れていたという。源泉の数は全部で21箇所、24~60度の弱食塩泉と単純泉が湧き、一般的適応症の他、創傷・皮膚病・腰痛・貧血に効く。単純泉に名湯が多くあるが、ここも例外ではない。共同浴場が「御湯碑」のある泉明寺の隣にある。
秋保温泉は仙台の市街地からも車で30分ほどと近く、そのアクセスの良さから作並温泉とともに仙台の奥座敷的存在になっている。集客力・規模においても県内トップクラスで、首都圏にも名前を知られ、各種の会合に対応できるようにパブリック施設の充実した温泉地になっている。周囲は山に囲まれた盆地のような地形で、地内にある名取川上流部の奇岩・怪岩が続く磊々峡も見どころのひとつ。四季折々のうつろいを感じながらのんびりと過ごすことができる。近くには秋保工芸の里や秋保大滝・磐司岩といった佳景があるのも魅力。?
<pho1は篝火の宿緑水亭ですよ>。
●1日、[政治]ガソリン代金暫定税率の引き下げ政策について。
ご存知のように、ガソリン代金には揮発油税と地方道路税が1立当たり53円80銭含まれているが、このうちは暫定税率分25円10銭は暫定税率である。
民社党連合政権は暫定税率分を引き下げようとしている。僕も「暫定」というからには、基本は悪くはないと思っている。
そこで、約束通り、引き下げると同時に、地球環境税をその50%=12円55銭、新たにあてるというのはどうだろう。一旦、下げてしまえば引き上げるのは難しい。全く同時ということであれば、ドライバーも快く受け入れると思う。二酸化炭素25%削減目標の一部にもなるし。
暫定税率の引き下げを決定をする前後に、崩れ落ちる氷山なんて情緒的な映像ではなくて<どこの誰が考えたのか知らんが>、海面が上昇してなくなっていく島の危機的映像をガンガン流すことを提案する。
民主党も、あまりマニュフェスとにはこだわらず、柔軟な対応をした方がいいと思う。輿論をもっと受け入れるのがいいだろう。議員や秘書が個人的、というのではなく、政権党として体制的にテレビ、新聞、ネットを見て意見も収集すればいいと思うが。
●10日、[金華山に行く]8;40出発-産業道路で塩竈-松島。松島オルゴール博物館がベルギーオルゲールミュージアムに変わり、建物の色もこげ茶色に変更されていた-石巻日和大橋52km-牡鹿半島西海岸を急ぎ、10;45鮎川87km。
11;00の定期観光船、7人乗船で快走。正面の田代島は思ったより大きい。
金華山着11;20。金華山神社社務所のマイクロバスが神社まで走る。営業車ではないので、代金を取らずに「気持ち」を戴くとのこと。おいらは、そんなバスなんかに乗るわけにはいかないので、早速、坂道をちんたら上って行った。途中も撮影。表参道で息切れした。
境内のあちこちを撮影、絵馬堂で一休み。拝殿には参拝客が2人。本殿の脇から頂上への道があった。猿も遊んでいる。下に戻り、再び撮影。鹿寄せに薩摩芋を与える。もう芝生の上の糞は慣れた。裏参道を下る。昼から曇と予報されていた天気はいい方に転んでまったくの快晴。
13;00乗り場。鮎川-金華山航路の船会社は2社あって、それぞれ00、30分に鮎川を出航、20分で到着。帰りは30、00分に金華山を出る。船賃は片道900円で変わらないため、どちらの船でもいいのだが、帰りも自社の船に乗ってもらいたいため、往復を売りつけるというわけだ。帰りの船には最上からの小団体もいた。13;30出航-鮎川13;50。
ホエールランドを撮影。漁師のおっさんと話。コバルトラインを走って女川-石巻-帰宅全行程190km。
●11日、山形県新庄市では、とりもつラーメンが有名です。このもつは豚ではなく、鶏の内臓のことです。この地方はとりもつを食する文化が昔からありました。貧しかったのかな。
共通点は、醤油味で、麺は素麺のように柔らかめ。ただ、店によってかなり違いがあります。ラーメンにとりもつを載せているだけとかの店もあります。
市内には、梅屋、一心亭、一茶庵支店、末広、急行食堂などがあります。キャッチフレーズは、せいぜい「仲をとりもつ」くらいで、「愛をとりもつ」なんて言わなかった方がよかったかも。雰囲気が「愛」と合わない。
けれど、食べ物としての、とりもつラーメンは全般的に、美味しいです。
○好みもあるでしょうが、一番のお勧めは鉄砲町にある一茶庵支店です。ここは、麺・スープ・もつが一体になっています。スープ熱+冷たい麺加えのぬるま550円、完全冷し600円もありますが、やはり普通の温かいやつ500円が美味しい。
○末広は、もつの量が豪快-ここはスタミナラーメンという名前です。このスタミナという名称はしかし一般的ではない。タクシーの運転手にも人気。
○千門町の梅屋は、昔、市役所近くにありましたが、今は郊外に移転しました。ここはもっとも、標準的なとりもつラーメンといえるでしょう。
○急行食堂は、スープの量が多過ぎないか。
○新庄市周辺でも、金山の餃子園、最上のさざわ、舟形のとろっこ、真室川の大吉にもとりもつラーメンがある。
○なお、とりもつラーメンとは関係ないけど新庄市では国道13号線沿いにあるリーベのカムロみそラーメンがとても美味しい。本店は金山町。
代表して、・一茶庵支店は、温かいとりもつラーメン、500円、山形県新庄市鉄砲町10-3、月曜日が休業につき、注意。
<phoは、撮影拒否があって画像を得るのが難しい一茶庵支店のもつラーメン>
これに対するコメントのやりとり。
・きゃふん*「>「愛をとりもつ」なんて言わなかった方がよかったかも。
同感!
いかにも おじさんが思いつきそうなフレーズだと思ってました(≧ヘ≦) どんなに深い愛で繋がった人に奨められても、ワタクシ(♀)そのようなモノが入ったラーメンは食べる気になれません。
「愛をとりもつ」どころか、食べろ!食べない!で、関係が悪化しそうな予感さえします(^◇^;)
世の女性の嗜好がみな私と同じではないと思いますが」
・礼9624
「>きゃさま
「愛をとりもつ」と言い出した時に<こりゃだめだ>と思いました。その後、カップ麺などを出して堕落するし。
実は、こういう売り出し方をする前、うちの雑誌で「とりもつラーメンの売り出し-町興こし」の企画を市の商工会に提案したのですが、梨の飛礫でした。いい企画があったのに残念。その後、仙台から赴任していたJR駅長さん提唱で、この「愛をとりもつ」が始まったという経緯があります。
けれど、このとりもつラーメンは、美味しいですので、「ワタクシ(♀)そのようなモノが入ったラーメンは食べる気になれません」とのことですが、きゃさまにもお勧めです。一茶庵支店の「温かい(つまり普通の)とりもつラーメン」を食べてみて下さい。
スープは、魔法瓶に入れて持って帰りたいくらいだし、もつ肉は、帰り際に、頬の中に数個保存して、口もぞもぞで「ごちそうさま」と言い、車に乗り込んでから、数キロの間、まるで猿のように頬袋から1個ずつ取り出しながら走って帰るのが常でした。
一茶庵支店が開店時間前のとき、末広でまず、食べて、それから一茶庵支店に駆けつけたこともありますぜ」
・きゃふん*「その美味しさ表現に負けました(*^_^*)
いつか私もモツの味が分かるオトナになって 試してみたいような気がしてきました。
でも、積雪期には行きたくない地域ですね。尾花沢の道の駅辺りでUターンしちゃいそう^_^;」
●18日「オバマ大統領のお辞儀」が話題になっている。
当初、リアルタイムで見なかった。動画でなく静止画像で見た時に、あの角度で動作が停止していたのかと思って、うーむとは感じた。後で、動画を見ると一連の流れの中の一齣だったということが分かった。
ウェブ上での正当なる意見群では、
○アメリカ人は、誰にもお辞儀などしなくてもいい。
○10度以下の角度でお辞儀をするのならむしろ、しない方がいい。
○しかし、90度は深すぎる。「弱い大統領」という印象を世界に与える。
という一方で、
○高位の人にお辞儀をしないよりも、したほうがいい。ロンドン王室に、わずかしか頭を傾けなかったのは失礼だったとの声もある。
○そしてお辞儀をしたのなら、浅すぎるよりは深すぎる方がいい。頭を下げずに「なんだこいつ」と思われるよりは、下げておいて「はは、ちょっと変だったかしらぁ~」と反省する方がいい。
さらに、
○日本人の感覚からすれば、外国人ならではの「天皇と握手をしながら」ということを評価しよう。
○オバマ大統領は、「サウジアラビアと同じように、日本にはお辞儀の慣習があります。天皇陛下に会った時にもお辞儀をしてください」という情報を伝えられ、それを実行した。
○角度そのものについては45度くらいが適当だったろう。その適切な数値情報も伝えられるべきだったのだ。
従って、お辞儀の慣習を持たない人が行なう、最も適切な「ほのぼのとした会見風景」だったというのが私の結論。
●27日、HMR社に出社~12/30まで。
●11日、
夏だ!キャンプだ!
キャンプの楽しみは何といっても食事ですね。
ところで、ネット上にあった「バーベキューのときにグッとくる男性の行動ランキング」ですが、
(1)重たいものを持ってくれる
(2)「食べてる?」とさりげなく気をつかってくれる
(3)火起こしが簡単にできる
(4)網の片付けを率先してやる
(5)後片付けが手際よい
(6)無邪気に遊ぶ
(7)焼けた肉などをお皿に取り分けてくれる
(8)かまどを上手に作る
(9)食材を日陰に置く気遣いができる
(10)あまりもので簡単な一品を作る
(11)足りないものの買いだしに行ってくれる
(12)買い出しのセンスがいい
(13)自分だけ飲まない(運転のため)
(14)常に火のそばにいてくれる
(15)シメの焼きそばを上手に作る
(15)場所や周辺の入念な下調べをしてくれる
(17)冷えている飲みものをくれる(常温でない)
(18)率先して場所取りをする
(19)野菜を切るのがうまい
(20)フルーツをもってきてくれる(すいかなど)
ですって。
イメージが湧きますね。
●20日、朝、早めに起床して、7;40出発、国道286号-
県道31号-村田町町内と走る。前日のNHKニュースで、「村田町で恒例の玉蜀黍販売、
未来種の他、人気の白いピュアホワイト種は糖度18。
生でも食べられます」とか報道されていた。
毎年、気になっていたので訪問したのである。
少し遅くなったかなと思いながら村田町物産交流センターに8;50着。
センター内の駐車場は既に満杯で、臨時駐車場に誘導される。
敷地内には9;00販売開始を前に、行列ができていたので
最後尾に並ぶ。
後ろのオバサンたちが会話。
「何番目かしら?」
「自分の前で終わると嫌よね」
まぁ、うるさくはあるが、率直な声。
そういう声のすぐそばで、当局系おばさんが
「今日は用意した数が少ないのよね…」
などと、余計なことを呟いて通り過ぎるし。
<なきゃあ、なくていいじゃん>
こういう場合、スタッフがここ何番目とかの
案内板を持っていると安心するかも。
そうこうしている内、後ろも列がどんどんできた。
その内、男性スタッフが、茹でた玉蜀黍を
無料で配って来た。みんな受け取っている。
大きめに切られたのを咄嗟に選んで手にする。
こういうサービスは田舎ならではで、嬉しいのでは。
…食べてみた。<普通の味だ>
事前に提供されたのは嬉しいが
もっと美味しいと思っていたので、ちょっと期待はずれの気持ち。
もっとも今年は日照不足で、かつ3日ほど遅れているし、
土曜日にはもっと美味しいのが収穫されるらしい。
9時になった。
列が動き始めて、どんどん進む。1袋5本入り500円で、事前に袋に用意されている
ので、長い列も急速に短くなる。
途中、茹で玉蜀黍を食べる機会が2回もある。
レジ直前にスタッフの村上博さんに声をかけられる。久しぶりに会った。
忙しそうなので、ちょっとだけ会話。
玉蜀黍をようやく入手。
周辺を撮影していたら、この長かった列は未来種のみ販売しているのだと
気付く。
ピュアホワイト種は、これからだという。ギャフン。こちらが本命だったのに。
知らないで既に帰った人もいる。
<3+2本という風にして混ぜて販売すればいいのに>
ピュアホワイト種の販売方法は、どうも当局不親切な案内。
勝手に列を作り、並ぶ。
そして入手。
その後、センター内にある産直コーナーで
野菜を購入。レジに行くと、玉蜀黍2種とも販売している。ギャフン。
しかも、こちらの方は皮をむいていて、小型ながら量が多いし。
物産交流センターから再び村田町内を迂回して、県道25号線の峠越えで
岩沼市に出て、県道39号から、国道4号線をトラバースして、名取のイオンモール
を過ぎ、県道10号線で10;40帰着。
ピュアホワイト種を噂に従って生で食べてみる。
うん、食える。畑で盗めば、その場ですぐ食える感じ。
レンジでチンする。
玉蜀黍は1秒でも早く茹でて食べた方が美味しい。
まぁ、美味しい。半生のピュアホワイト種もほどほどの甘さ。
未来種の方がむしろ美味いか?
いずれ、食べてみたいという希望は、この日、叶ったのである。
●21日、夜、NHKの「秩父山中-花のあとさき」を見た。
秩父近くには叔母が住んでいるので、その地は身近に感じる場所。
実際、ドラマの舞台は秩父市北西部の山中である。
タイトルで山口百恵の「夢のあとさき」を思い出した。
これは秩父市吉田太田部楢尾地区に住んでいた小林公一・ムツ夫婦のお話。
「住んでいた」というのは、寡黙な夫は数年前に亡くなり、妻のムツさんもこの2009年に亡くなったからである。
山奥の地に住む跡継ぎがいなくなるため段々畑を元に戻す晩年の日々。花の咲く木を夫婦で1万本植えたそうである。草ではなくで木がいい。
桜、楓、連翹などの木が画面に出ていた手入れも必要だろうけど、もしかして実のなる植物があったほうが面白かったのでは。
夫がいない一人暮らしで「眠っていても、じいちゃんがいた時は安心だった」という言葉が、実利的に猪が恐いということではないように思えて印象的だった。
今はこの地区に住む4人がその遺志を継いでいるらしい。
番組担当者との数年に渡る交友も会話の端々にそれなりに感じられてよかった。
●25日、本年はブルーベリーは豊作だった。
6月24日から4収穫を始めた。7月25日までの1ヶ月、ほぼ毎日、穫った。
それを累積した。
その経過は、以下の通り。
2+10+5+0+18+11+0+20+9+0+20+5+0+6+6+10+7+8+22+3+10+6+5+8+10+3+3+5+3+1+2+4という感じ。
7/25までの合計218個。
前半は毎日食べたが、後半は、特に意味もなく冷凍庫に保存した。
こうしておけばブルーベリーは冬近くまでいつでも食べられる。
なお、まだ木には実が残っているので、収穫は続行する。
●1日、[観光のアイデア]「来訪者を主人公に」人は自分のことに大いに興味があるし、話題にされることが嬉しいものだ。
以下は、そのアイデアの一つ。
施設内の目立つ場所、例えば、券売り場付近に、県境の入った日本地図かあるいは都道府県のリストを掲示しておく。
そして、その掲示に、入場者が自分で、出身地の都道府県の枡の中に来訪日とイニシャルを記入してシールを貼ってもらうようにする。
これは、来訪者名簿とは別の用途になるが、来訪者に、その施設に来た人に対する興味をくすぐるものがあろうと思われる。
「自分と同じ出身地から何人この施設に来たか」はそれなりに興味あるところである。
これは、お客様を主人公にする、パフォーマンスの一つになるだろうと思う。
これは、模造紙のような大きな紙と、100円ショップで販売しているシールがあればいいのだから、すこぶる廉価でできる。
尤も、こういうことをやるためには、スタッフのやる気がなければ駄目だけど。それに、アイデアとその応用力。
もちろんこれは、全部の施設に適用されるアイデアではないことは当然である。アイデアというからには、これは、いち早く始めねばならぬ。
●4日、ところで、最近注目しているのは、NHKのニュースキャスター藤井彩子である。 画面を観察している。
1常に黒、灰、白など無彩色の上着しか着用しない。
2セーターなどをカラーコーディネートしている。
3喋りの毎に一旦口をつぐむ<少し、上の歯が出ているのを意識しているのかも知れぬ>。
4左の眼より、右目の方が黒眼の面積が大きい。
5最後に、「それでは」と言って、首を右に傾げる時がある<40歳になるのに>。ファンになったので、毎週月~金曜日の23'30~翌0'10まで視ている。
●14日、知り合いの星野さんから貰ってきた「花豆」が大きくなった。ウッドデッキに伝わらせた蔓が日に日に延びている。
雨の翌日、晴れた日は、朝から夕方にかけて6cmも延びる。
花豆は、高地性の大型の豆。磐梯高原の民宿えんどうでは、これを「花嫁ささげ」といって、缶詰にして販売している。1缶600円。すこぶる甘い。
本日、花、発見。
それから、これも星野さんからの、二度咲きの藤。挿し木が駄目だったと思っていたら、幼葉がでていた。
●25日、「卑弥呼伝説」(井沢元彦1995、実業之日本社)を読む。「卑弥呼伝説」は、基本的には推理小説だが、邪馬台国物である。
邪馬台国物のひとつとして興味深いものがあった。
その核心は、
1王の名前をそのまま言うことは当時の風習としてはありえない。卑弥呼は名前ではなくて、地名のヒミコ=ヒムカ=日向のことである。
2同様に、卑弥呼の後継者・台与は、トヨ=豊、豊前・豊後の国を指す。
3卑弥呼は日食の年=248年に、その責任をとらされて殺された。
4その後、東征をしたのが今の近畿地方の勢力である。
それにしても、昭和15年が皇紀2600年で、この年に完成したため戦闘機に零式戦闘機=ゼロ戦という名前がつけられたらしい。これは、へぇ~である。
●14日、山芋もそうだろうけど、蒟蒻芋も
素手で摺り下ろしていると痒くなるらしい。
それは蒟蒻芋に含まれている何とか何とかという物質の結晶に小さな棘があってそれが皮膚を刺激するかららしい。 春先に新芽を出した木の幼葉は最初、赤いけれど、これは日光の紫外線に 対抗して、初期段階において育つための植物の自衛措置だからだ。 これと同じくらい科学的な話だ。
●15日、任意のホームページを英文にして見ることができる。
1 「Google翻訳」のページhttp://www.google.com/intl/ja/help/faq_translation.htmlを開く。
2 左側にある「翻訳ホーム」をクリック。
3 「テキスト、またはウェブページのURLを入力」の枠内に、任意のホームページのURLを入力<従ってここでそのホームページのURLをコピーしておく必要がある>。
4 枠の下の「言語の入れ替え」を日本語→英語にする。
5 その右の「翻訳」をクリック。
●25日、渥美清の「きょうも涙の日が落ちる」を読んでいたら、何度かアフリカに行った渥美さんの知り得たことのひとつに、「キリマンジャロはジャロ山」のこと、らしい。つまり、キリマンは「山」の意味で、現地には、キリマンジゲ、キリマンピケ、キリマンガンなどあるらしい。
また、渥美清と対談をしている安岡章太郎氏の言葉。「…堺駿二というのがいたでしょう。あれなんかだって動きはこまかいですよ。それほど明るくないんだよ。渥美さんのほうがずっと明るいな。だけれども息子(堺正章)は明るいよね。あれはやっぱり生活がいいんだろうな。誰かに可愛がられていないと、あんな明るさが出ないんじゃないかね。子供のときに」
ところで関係のない雑学。 交通信号は200m手前から見えないとだめなので、カーブなどの、そのような場所には予告信号がある。
●26日、「幼稚園児の女の子のような花」の話。
○昨年、仙台市東勝山のある家の玄関口に咲いていたのを今年楽しみにしていたら、本日、中山のある家で、同じ花を見つけた。名前はまだ分からない。金平糖のような感じで、10の蕊がある。まるで、折り紙で作ったような造型をしている。「幼稚園児の女の子のような花」というしかない。なんて名前だ?
○きゃふん*もしかして、カルミアでしょうか?http://www.hana300.com/karumi.html
○>きゃさま。
すごい!そうですね。カルミアですね。すごい。
うちの妻が、「きゃふんちゃん、凄い!」って絶叫しました。
中山の持ち主も、「花の名前、分かりません」と
おっしゃっていたので、件のページをプリントして
持って行って上げます。喜ばれそう。サンクス!
○きゃふん*お役にたてて、きゃふんちゃん、嬉しゅうございます。 そんなに褒められたのは、人生(@結構長い)初かも(*^_^*)
○27日、本日、中山のおばさんにプリントアウトした
ものを持って行ってあげると、
「あぁ~、これ、これ」と言って喜びました。
それで、30分経つと、こんな難しい4文字のカタカナ、
忘れてしまうことを昨夕経験しましたので、
金平糖→[菓子つながり]→カルミン(昔あった菓子)→五十音の最後の「ン」でなく、
五十音の最初の文字「ア」→カルミ+ア=カルミア、ということで
記憶しちまいました。もう、忘れないと思う。
○[後日談]それで、数日後、東勝山の家に行って、「カルミア綺麗ですね」といったら、小母さんは、名前を知っているばかりか、真っ赤なカルミアも別に育てていた。ホームセンターで購入したという。写真を別の家で撮影したこと、実物を「妻にみせたい」ということを言って、カルミアの可愛さを誉めちぎったことが小母さんの共感を呼び、小枝を2つ貰った。
車の中で落ちた30個あまりの蕾をビニールの袋に入れて、帰宅して妻に「ほれ、金平糖」と渡した。妻は、写真だけを見ていて、もっと大きい花かと思っていたという。う~む、やはり実物をみないと駄目だね。蕾のある1本は卓上の花瓶に差した。翌日には百花繚乱(とはいわないか?)、綺麗に花開いた。もう1本の花弁のない、新芽だけがでている枝は、当日すかさず植木鉢に挿して様子をみている。いずれ、花の咲いた枝も挿し木にしてみるつもり。
○きゃふん*花瓶にカルミア オンリー という図、意外とステキですよね。実は、私 初めて見たのがその状態のものでした。挿し木、成功したという話を聞いたことがありま~す。ので、うまく行くかも知れませんね♪
●28日、確か、千島列島は、第二次世界大戦前に南樺太と正式にソ連と交換されて、全島が日本に帰属したのではなかったかしら?
そうすると、大戦後の領土不拡大の方針によれば、千島列島全島が日本に戻せと主張するのが当然ではないでしょうか。
いま、日本政府は4島全部が帰らないのなら、そのうち2島とか、2.5島とかだけでも返還をと主張していますが、それでは売国奴的立場にならないでしょうか。
ロシアの頑固な態度をみていると、千島列島全島の返還を主張してこそ、4島全部が返還される交渉が可能かもしれないと思うのですが。
以前、各党の担当者がテレビに出演して、突然司会者が、4つの島の名前を正確に言い当てるかどうかを尋ねたとき、複数の党が答えられなかった場面がありました。僕は根室に近い順に歯舞、色丹、国後、択捉と並んでいるのでハシクエ、つまり「箸食え」と覚えています。
■原爆症東京訴訟の控訴審判決が出た。
原告30人の内、14人が死亡したという。
原爆症認定を望んでいる人が8000人もいるらしい。
国よ!もういいんじゃない!
爆心地から5km以内とか…、それは「基準」というものは必要でしょ。
けど、人生を奪われて(もちろん各人は各人の「人生」を歩んできたのは確かだけど)年老いた人を、経済的に満たしてあげてもいいんじゃないかな。
毎月14万円の支給のことを考えたら、居酒屋タクシーや低額給付金なんぞで
バラまくより、これら8000人の人たちに、死ぬまでの間、支給を続けろよ、
と思う。
その「国」という内容たるや、戦争を知らない、原爆を知らない人たちが
判断をしているんだし。
以上、ちょっと感情的な感想でした。
これに対してコメントをもらう。
てら氏
突然失礼します。
この手の仕事をしているものです。
この9人は被爆者手帳保持者ですから、
数十年前から医療費、介護費、健康診断すべて無料です。
救済されていないというのはちょっと変だと思います。
さらに、月に約3万円の手当も数十年貰っています。
国の予算として、
20万人の被爆者にすでに年間1500億円払っています。
(ちなみにインフルなど含め感染症に対しては100億以下)
この手の勢いで原爆症を認めたら、
年間さらに1500億円かかります。
僕は根拠も無いのにこんなお金を出すのはいやです。
●30日、「交通違反の反則金について」交通違反の反則金は年間の収入予定は現在いくらだろう。
以前は年間600億円だった。
それで、収入の予定というものがあるためノルマが生じるのは当然のこと。
犯罪を予定して、収入予定を予算に組むのは止めたらどう?
結果的に収入になればそれはそれでいいが。
他の犯罪にも、罰金収入予定予算ってあるのか?
そういうのを追究というか、明らかにしてもらいたいな。
もちろん、交通違反はよくはないが、理不尽な取り締まりに怒る国民も
多いのじゃないかと思う。
こういうのは日本共産党として政策。方針化するのは変かな?
これについては、ずいぶん前、秋田選出の衆議院議員の中川利三郎が国会で追究したことがあったと思うが。
●3日、「東北都市観光協議会公式ホームページ」を担当している関係で仙台市国際交流課に行く。
●11日、「赤いランプの終列車」というのは、終列車の最後尾に点いている赤い尾灯だとずっと思っていた。そういう旅情を感じさせる歌なのだと信じていた。ところが、高山盛次(たぶん高名な人だと思う)の著わした「赤いランプの終列車」という本によれば、これは、都会の電車の最終の電車の印に赤色の電灯で運行されたことによるというのである。赤電車というのだそうだ。驚いた。ちなみに、最終電車のひとつ前の電車は青色の電灯だったという。こちらは青電車という。ちなみにこのことが校正の話題になったのは、青電車が始発列車という間違った脚注がされていたからだが。 この「赤いランプの終列車」という本には面白いというか、かなり深い校正の話がたくさん掲載されている。 たとえば、
○弱冠29歳(これは正しい、弱冠は29まで使用できるらしい)
○海軍大尉(この正しい読みは「かいぐんだいい」らしい)
○崖っ淵(正しくは、崖っ縁。しかし今では崖っ淵が通用)
○遠の昔(正しくは、疾うの昔)
○飲み差し(正しくは、飲み止し)
○米兵遺骨9柱(柱は神に使用する。米ではそういう思想はない)
○肝の坐った(正しくは、肝の据わった)
○鳥餅(正しくは、鳥黐)
○子どもを設ける(正しくは、子どもを儲ける)
○呑む(呑むは丸ごとのみ込む場合。液体をのむ場合は飲む)
○幼児体験(正しくは、幼時体験、但し幼児期の体験なら正)
○青踏派(正しくは、青鞜派)
○名を語る(正しくは、名を騙る)
○優なる人物(非常にすぐれた人。正しくは、尤なる人物)
○尾行を巻く(正しくは、尾行を撒く)
○冷え症(正しくは、冷え性。心配性も。病気ではないから)
○「目からうろこ」というのは、新約聖書の使徒言行録9章にある、「サウロの目からうろこ」によるとか、
○「波のまにまに」は、波の間に間にではなく、波にまかせての意味であるとか、
○「郵便配達は二度ベルを鳴らす」という洋画のタイトルはThe postman always rings twice.という洋画タイトルのそのままの訳だが、映画の中にそのような情景はない。これは英語では「二度あることは三度ある」の意味だとか、
○「殺生関白」
山田風太郎氏の作品で、殺生関白秀次(豊臣秀吉の甥)は……とある文に、編集部は校閲が見落としたと考えたのか、初校ゲラに摂政と入朱していた。殺生関白は、秀次の粗暴なる振る舞いに対してたてまつった異称で、ことばのもじりである。
再校ゲラに眼を通したヴェテランの校正者が、秀次は関白にはなったが、摂政にはなっていないと疑問を呈してきたのでことなきをえたが、もし再校ゲラで編集部が入朱したら、秀次は摂政関白の位に登りつめてしまっていた、とか、そんなこと。
2003年、新風社刊。新風社?
●19日、仙台市荒巻の野原につくしがいっぱい出ていました。
●20日、戦後、人々が本を渇望した。 物資が不足していたために8ポイント活字を使った文庫本が広がった。ところが、その後もずっとこの8ポ活字で書物が印刷されている。もう、8ポ活字はいいんじゃない?確かに家庭内の電灯も明るくなったが、文字の大きさは8ポ活字が「普通=標準」ではないのだからそろそろ5号活字=10.5ポイント活字に戻したら?大活字本を図書館から借りて来ての感想でした。
●21日、ある本によると、平家滅亡の際、平清盛の四男である知盛が、壇ノ浦で、「見るべきものは見たり」と言って海に身を投げたそうである。時代は異なるが、何を知り、何を見、何を体験すれば人はこう言って死ぬことができるであろうか?
●29日、仙台市宮城野五輪1丁目、野球場クリネックススタジアム近くにある個人宅の2色の桃の木です。 ひとつの木から延びている枝ごとに赤か白の花が咲いています。 年によって枝に咲く色が異なり、そのため比率が違うそうです。
●1日、気仙沼の「リアスさんりく気仙沼大使」を拝命していることから、先日、当局から地元の海産物産を頂戴した。「保夜物語」というホヤの燻製、「まぐろの角煮」、「サンマの昆布巻き」、「かつおパック」、「さんまパイ」といういささか美味しさに疑問のある菓子、「ふかひれ丼の具」の6点。地元の人にはかえって馴染みがないかも知れないが、土産としてどうかというのは大いに課題ではある。これまで人気のあった「さんまくん」なども悪くないと思っていたが、たくさん獲れる食材をいかに保存性があり、そして魅力のある、話題性のある、観光客が土産にしたくなるものにできるか、というのを考えていきたい。まだまだアイデアを出す余地はあるはずである。
●2日、夜、地球のそば60000kmのところ、つまり地球赤道わずか1.5周分くらいのところを、直径30-50mの小惑星が通りすぎたというではないか? 衝突しなかったことも、ちょい衝撃だが、それよりもそういうことがあったということがニュースにならなかったことの方が疑問である。 大丈夫かNASA、というか宇宙を観察している人類?
●3日、仙台港のアウトレットには以前行ったが、今回初めて泉プレミアムアウトレットを訪ねてみた。火曜日だというのに、予想に反して結構な客がいた。それなりにいっぱいの駐車場の車群の県名ナンバー傾向を観察するのを忘れたのは残念。 ここでは専用カード会員も募集している。けれど、各店舗の様子に今後、どうなっていくのだろうと思った。 エリアにちょっと楽しさが不足している気がするのは、年齢のせいか、財布のせいか分からない。全体的に複合施設的なものが何か足りない気がした。
●17日、朝、NHKラジオ第一で、視聴者の声が紹介されていた。 それによると、兵庫県かどこかの学生?が東京を目指して、ママチャリで野宿行脚をしていて、名古屋あたりのある住宅(それが投稿者)のチャイムを鳴らして「野宿できるところを教えて下さい」などと尋ねたらしい。 それでその家の人はフライドチキンを食べさせたそうであるが、何というなさけなさであろうか。 せっかく、野宿行脚をしているなら、野宿の場所くらいは自分で探せよ!と思う。
●18日、今田耕司氏がテレビで紹介していた話だが、 両方の手を差し出して、どちらか一方の拳に物を隠して、「どっちに入っている?」という遊びを皆でやっていたそうだ。その時、雨上がり決死隊の宮迫博之氏の息子の番になって、その子が手を差し出した。大人の誰かが、「こっち!」とある拳を指差したところ、その子は、両方の手を自分のうしろに回して、明らかに物を入れ換えて、再びおもむろに手を前に出して、その大人の指差した方の拳を広げて「当たり~ぃ」と言ったそうだ。
それを見ていて、今田耕司氏は涙がでそうになったそうである。ちょっといい話である。どんな風に育てると、そんな子どもになるんだろう?
ところで、ひねくれた僕は、もう一人、蛍原徹氏の息子(確か結婚していない)は、反対に、大人の誰かが、「こっち!」とある拳を指差したところ、その子は、両方の手を自分のうしろに回して、明らかに物を入れ換えて、再びおもむろに手を前に出して、その大人の指差した方の拳を広げて「外れ~」と言った場面を同時に想像した。ご無礼。
●19日、普通、温泉旅館の風呂などの湯船に身を沈める時は、溢れ出る湯が流れ落ちる場所から入ります。大体湯尻というその場所は、湯が湯船に流れ込んでくる場所(=湯口という)の反対側です。もちろん湯口が熱く、湯尻の湯温が低いので、熱さに体を慣らすために湯尻から入ること自身は理にかなってもいます。
そして、湯船に入る前、体全体、特に肛門付近を中心とする股間と足を重点的に洗い流してから入るのは入浴時のエチケットです。 いくら体を綺麗にしたからといっても、なお、最初に身を沈める場所が湯尻というのは、日本人の美徳=伝統文化です。 韓国の大衆浴場でも、若者は決して年長者の上部(=洗い湯が流れ下る方)に体を洗う位置を取りませんでした。今はそういう儒教の教えも廃れつつあるわけですけど。 さらにいえば、湯船に浸かっている時は、極力湯を汚さないために体には触らないというのも守るべきエチケットです。タオルで体を擦るなどは論外です。こうした温泉文化は守って行きたいものですね。
●1日、前日の積雪が陽に溶けまくっていた日曜の午後、岩沼市の竹駒神社と金蛇水神社にお参りに行く。
竹駒神社は、842年の創建。倉稲霊神、保食神、稚産霊神の三神を祀っている。広い境内には立派な参集殿などの建物の他、参道には向唐門、随神門が続く。
ここは、笠間稲荷神社(茨城県笠間市)、豊川稲荷神社(愛知県豊川市)、千代保稲荷(岐阜県平田町)、伏見稲荷神社(京都市)、瓢箪山稲荷神(奈良県新庄町)、最上稲荷(岡山市)、祐徳稲荷神社(佐賀県鹿島市)と並んで日本三大稲荷に数えられている。三大なのにたくさんあるのは、各社がそう主張しているから。
岩沼市の山の手にある金蛇水神社は、水速女命。金運、商売繁盛、海上安全などに御利益がある神社。本殿に向う石造りの太鼓橋の下には勢いよく疎水が流れている。写真を撮影していたら幣を持った神主さんから「ご苦労様」と言われて清々しかった。なお、真向かいにはシーズンには賑わいをみせるぼたん園がある。
●5日、朝は気付かなかったが、夕方、ゆっくり新聞を読んでいたら、「登山で滑落死」の文字。本文を読んで驚いた。学生時代の友人平田俊一君だった。蜃気楼の街・魚津出身で、70年代を一緒に生きた。ふだんから登山をやっていたという。すこぶるいい奴だった。最も真面目な奴だった。言い合いの時はいつも仲裁役だった。微笑むと鼻の下にできる斜めの皺が印象的だった。ネット上の写真を見ると当時の面影が残る。まだ57。嫌な奴は自分より1日でも早く死んで欲しいが、いい奴は、自分の後に死んでくれた方がいい。合掌。
●6日、静岡県島田市がまちおこし事業の一環として全国から募集した
「第5回愛するあなたへの悪口コンテスト」で、
「あなたって便座みたいにあったかい」が大賞に選ばれた。
ある掲示板では、
「自分の事は自分でやれ!」そう言うじいちゃん何でも「ばあちゃ~ん」
というジュニア部門賞が人気である。
僕は入賞作品のひとつ「夫とテレビはデキている」がいいと思った。
表現を変えて「うちの亭主はテレビとデキている」でもいいが、
この「デキている」という言葉は、ちょっと素敵ではないか。
これに対するきゃふん*さんのコメント=
「…デキてる」は仙台市のかたの作品でしたね。
最小限の文字数に深~い想いが込められていて、私もいいなと思いました。
「買うときは サイフに聞くな オレに聞け」なども個人的には◎でした。
●8日、日曜日なので、巻き寿司を作った。自由奔放なカッパ巻きも。
●14日、いわきへ行く。波立海岸は風が強く、青空の下、大波が打ち寄せていた。四倉から新舞子浜海岸を走り、沼之内弁財天へ。トイレが美しくなっていた。境内へのアプローチが以前来た時の記憶と全く違っていた。密蔵院賢沼寺の境内にあって大鰻が棲息する賢沼がある。沼の畔には弁天堂が鎮座する。件の大鰻は昭和14年には国の天然記念物に指定されている。思っていたより境内が広かった。
それから、塩屋埼灯台へ。この岬の真下には美空ひばりの歌碑があるのは有名な話。そのすぐ北側には悲しき口笛のひばり像ができていた。初めて灯台のある岬の上に登る。
小名浜港へ。ららミュウの海は穏やかだった。パーラーで撮影。
●16日、この日もいわきへ行く。仙台東から亘理まで仙台東部道路。そのまま国道6号、途中給油。サンシャインロードいわきバイパス走る。植田でパーラー撮影。わりとそのまま戻る。国道6号で途中、道の駅そうまに寄り、帰仙。
●23日、マリンゲート塩竈経由、雨の中、三陸道鳴瀬奥松島津山間を走る。国道45号で本吉海岸。気仙沼岩井崎プロムナードセンター。潮吹岩。煙雲館。13;00気仙沼本吉広域行政事務組合で4thリアス写真コンテストの応募作品審査。47人103作品から13点選出。
夕刻、一旦、ホテル観洋にチェックイン、宮登で夕食。その後、すぐ近くのチェリー。カラオケ3曲歌う。それなりに呑んで帰館。そのまま眠る。
●24日、7;15起床、入浴。チェックアウト。魚市場、県道経由唐桑半島の御崎神社、ビジターセンター津波体験館、国道45号に出て、早稲谷温泉。しばらく女将と話す。バイパスに戻り、郊外の店駐車場で原稿整理。13;30から写真塾。32名参加、100Things I have Learned About Photographyを題材に話をする。斎藤秀一氏の講義。いろいろ。私は、「地元の風景を撮影して残そう。ウェブに載せよう」という提案をしたが、 そのいい例が仙台市にある。 [仙台街並み写真] http://www.sendaiphoto.com/というサイトである。 こういうものを気仙沼に住んでいるmixiansに、ウェブ上に造ってもらいたい。 もちろん、一人でもいいし、グループでもいい。 参考にhttp://www.sendaiphoto.com/を見てみてちょ。
16:00終了。若い参加者と話す。防災センターを17;10出発。途中、往路で給油した志津川で再給油。サンポートで買い物。同じ道を戻り、20;10帰仙。
<phoは審査風景、写真塾>
■1日早いが、連れ合いがケーキを食うというので付き合った
●5日、[快晴]仙台市内を走る。
○青葉神社-鳥居の前に交番がある。駐車違反のまま撮影。
○輪王寺-年配の学習団体がいた。最近こういうのが多い。
○大崎八幡神社-北側にある駐車場から歩く。桃山様式の色が伊達。七五三参りが数家族。着物は綺麗だったが不細工な女の子がいた。
○三居沢電気百年館[入館無料]-日本最古の水力発電所。見学者用の専用の駐車場がある。関連資料の展示と2Fには学習コーナー、隣接の建物内の現役発電施設が見れる。受付の人が暇そうだった。
○仙台城-以前より敷地が広くなった。
○仙台城見聞館[入館無料]-異常に小さな展示施設。
○八木山ベニーランド-開園していたがやはり平日は閑散としているわけで。
○瑞鳳殿-下部にある無料駐車場は入場した人のみ用だったので引き返す。
○仙台市野草園-場所が分かりにくい。200円の入園料は払いたくない。
○榴岡公園-のんびりした空間、戦争の時代はこういう敷地がすべてに優先されて占拠されちゃうんだろうなぁ。
●6日、仙台市内を走る。
○仙台市科学館-旧館中だった。ここの駐車場に車を置き、台原森林公園に降りる。
○台原森林公園-紅葉の中、のんびり散歩をする人たちがたくさん。市営地下鉄旭が丘駅に初めて入る。
○仙台文学館-しばし新聞、雑誌を読む。
○堤人形-佐藤氏にお茶を出して戴く。江戸時代にこどもの玩具だったこと、この辺りは藩政時代足軽町だったこと、その内職に作られたこと。土はかつては台の原から入手していたが今は福島の双葉、栃木の益子、滋賀の信楽などから運んでいることなどの話を伺う。
○東照宮-夕刻近し。それでも境内にはそれなりの人がいた。
●12日、10:10出発。国道4、道の駅安達経由郡山メディカジャパンで撮影。17:10帰宅。
●13日、快晴の日、仙台を走る。
○仙台市農業園芸センター-早朝、園芸作業の人々。広々とした園内。
○仙台市歴史民俗資料館-木漏れ日から覗く歴史ある建物。
○定禅寺通-保育園児が散歩。紅葉もそれなりに美しい。
○せんだいメディアテーク-独逸人から声をかけられたが逃げた。
○晩翠草堂-土井晩翠は寝台で寝ていたことを知った。意外と大きい家屋だった。
○磊々峡-紅葉の峡谷。
○かんかね温泉-家人がのどかに清掃している。名刺を要求されちゃった。
○秋保大滝-もう紅葉の葉は落ちていた。行楽の夫婦でいっぱい。
○秋保不動尊-銀杏がとても美しい。
○仙台市秋保大滝植物園-外から見る。
○鴻ノ巣温泉-名取川を前にした2つのひなびた一軒宿。
○二口渓谷-紅葉している。
○天守閣自然公園-市太郎の湯という日帰り入浴施設もある。
○秋保温泉-最近はどうなっているんだろう。
○秋保工芸の里-すっかり人がいなくて寂しい感じ。
○秋保里センター-行楽の人のたまり場になっている。
○仙台市電展示-長崎で走っていた市電、行き先は浦上車庫。
○仙台万華鏡美術館-外観のみ撮影。
●21日、東京オリンピック招致関連「勝鬨橋観光軸ヒアリング」産業観光の観点からレクチャー(仙台市:復建技術コンサルタント)
●1日、相変わらず福島へ。 10:30仙台を出発、12:10福島市到着。こんなに近くなのにようやく福島県立美術館を見る。そのあと、御倉邸へ。ここは昭和2年に建てられた日本銀行福島支店の役員の邸宅跡。阿武隈川を見下ろす好景観地にある。 13:30福島ブックオフで撮影仕事のあと、県道3号で飯坂温泉。工事中の旧堀切邸を撮影。 すぐそばの鯖湖湯と足湯などを楽しむ人たちと話をして、退去。 そのあと林檎と柿撮影、国道4号を北上、帰仙。
●22日、11:30出発。白石南パーキングで休憩。福島ネッツトヨタ14:30。15:00終了。伊達あたりの国道筋は柿が鈴なりだった。帰宅16:50。
●24日、9:50出発、白石南パーキングで小休憩。福島10:00、二本松の鮮国市場でのしいか、10円蜜柑。郡山、向かいの漫画館、つたや+シルクで袋とボールペン。14:30郡山ネッツトヨタ。15:00出発、福島77、空港トンネル。モリヤにより買い物。帰宅。
●29日、13:00長町-14:00白石、15:00安達、16:00郡山TBKシステムエンジニアリング。郡山市街地南部にある五百淵公園は灌漑用の溜池で、江戸時代に造られたとのこと。ここは桜の名所になっている。
●31日、ずっと4号線、道の駅安達で玉羊羹購入。郡山の福島マツダの帰りに伊達市保原の高子沼へ寄った。このあたり一帯は昔、金鉱山があったらしい。伊達政宗がこの領地を失う際、この地にあった製錬所をこの沼に沈めたという。遊歩道の敷かれた沼の畔は秋の西日を受けて黄金色に輝いていた。国道4号線で沖野-21:05
●2日、12:30出発、県道10、郡山に15:30到着。ダイソーで1時間。18時、ベストファーム。18:30出立、途中寄らず。蔵王町宮の危険な木材の落下物発見110番、21:20沖野で給油。18.07立-3054円。
●3日、6:53仙台東、福島西7:53、郡山分岐8:15、猪苗代磐梯高原8:35。マコト精機。仏壇工芸。3人目シート撮影忘れる。牛乳屋食堂休業日につき、うえんででラーメン。芦の牧温泉。河東で撮影、帰り登坂車線で取締りの準備。土湯トンネルを抜ける。土湯道路の土湯側上りでも速度取締り。国道4号、愛島経由仙台17:00。
●4日、いわきから北茨城へ。
岩沼7:30から国道4、白石8:05から高速、二本松まで9::00。国道4号線、サンクスホーム10時。11:30郡山給油。国道49号線、いわき。勿来漁港、平潟漁港、五浦海岸。
ドライブ中、「さよならイエスタデイ」を何十回も流し続けた。先日のいわきから北茨城へのドライブでの車内音楽「さよならイエスタデイ」の件である。
チューブによる、この歌をご存じない方のために歌詞を紹介すると、
別れ間際には無傷じゃいられない
やるせないお互いに涙の初恋
もうすぐ私も普通に嫁いでゆくわ
今となりゃ懐かしい目眩のくちづけ
あなたの胸の中で少女を脱いで女になったあの夏
火傷しそうなほどに燃えて消えたロマンス
憎んでも恨んでもいいから忘れないで
本気だった 愛してた さよならイエスタデイ
叶わぬ約束は今でも覚えてる
少し不良のあなたの背中 タバコの 匂いがした
あれから数えきれぬ男と夜をともにしてきたけれど
愛と罪の駆け引き憶えて戻れぬ純情
ゴメンね 許さない 大嫌い でも大好きよ
矛盾だけに正直だった さよならイエスタデイ
あなたの胸の中で少女を脱いで女になったあの夏
火傷しそうなほどに燃えて消えたロマンス
憎んでも恨んでもいいから忘れないで
本気だった愛してた さよならイエスタデイ
あれから数えきれぬ男と夜をともにしてきたけれど
愛と罪の駆け引き憶えて戻れぬ純情
ゴメンね許さない 大嫌い でも大好きよ
矛盾だけに正直だった さよならOh イエスタデイ」
●26日、オイル交換して12'30出発。県道10、国道4、14:20到着。ブックオフ、文化センター、福島信用金庫訪問。16'30終了、国道4、愛島経由で仙台。
●27日、前日に引き続き福島へ。この日も県道10号を走り、岩沼で国道4号に入る。白石から福島市街地。撮影後、国道4号北上、国見から広域農道、堀江大橋を渡り、梁川中心部。国道349号に入り、架け替え中の梁川橋の横を通り、阿武隈川沿いの狭小3桁国道。少し小道を登ると廃屋があったりする。 トンネルができているところの旧道は交通量の少ない迂回路になっている。そこに住んでいるおばあさんと話す。山の中に道がたくさん走り、人家も点在しているらしい。阿武隈川がなければここは本当に山中の町だろう。 旧道でしばし休憩。通過した車は2台のみ。 丸森町の斎理屋敷に寄る。角田市経由で帰仙
●28日、朝早く出発。郡山にある須賀川信用金庫で撮影。それから、国道49号で猪苗代湖に行く。
ひたすら穏やかな水面の猪苗代湖東岸のかなり沖合で湖水浴をしている女性2人を1000mmレンズで望遠撮影。 砂浜のある舟津の海岸でYシャツを乾かしながらのんびり昼食休憩。 しばらくして俄に雨になる。 猪苗代湖西側の集落にある蕎麦の花を撮影。
国道49号に出る前に強清水に立寄り、天ぷら饅頭を買う。ここに出ている湧水もペットボトルへ詰める。 会津レクリエーション公園で休憩。
すぐそばの十六堰水門を初めて訪れる。ここには安積疎水開発をしたファンドールンの銅像がある。見覚えのある名前のペンションオーナーが、客と一緒にカヌー教室をしていた。
湖の北岸へ。雲のかかった磐梯山を蕎麦畑越しに撮影。結局、猪苗代湖を一周。
国道115号を土湯峠方面に走る。 途中、産直で桃、玉蜀黍、玉葱を購入。夏と秋の間で商品はあまり多くの種類が並んでいなかった。
土湯トンネルを抜けるといきなり濃霧。道の駅つちゆで休憩して、展望テラスに座り、カッターナイフで皮をむき、大桃を食べる。味は普通。 霧の中、市街地に下って行き、国道4号を北上、20:25帰仙。
●29日、13:35仙台南インター出発。16:30須賀川着、須賀川信用金庫。17:30須賀川出立、20:45帰仙。
●24日、長町から福島西まで走り、4号線を南下、福島市松川の北芝電機に行く。帰りも同じルート。
●30日、久しぶりに白河を訪ねる。東京理化工業所訪問。近くの境の明神を最再訪。ここには県境を挟んで2つの明神があるが、かつて訪れた時には、那須町の方の明神を認識していなかった気がする。というわけで栃木県にも足跡を印す。白河の方が規模は大きい。 白河ラーメンはいろいろ食さなければならないだろうが、その基本となる味を思い出すために火風鼎のしょうゆラーメンをもう一度食べてみる。元祖のとら食堂はどうしているだろう。夕暮れの南湖公園には、鴨の家族が泳いでいた。さらに、夕暮れの小峰城付近を散策。
●30日。福島県の大熊町に行って来た。 常磐線大野駅(駅の名前が大熊駅でないのは、この町が大野村と熊町村が合併したから)というのが町内の唯一の駅。尤も、町域は東西に長く、南北の長さわずか6キロであるから、駅がひとつでも当たり前。国道6号線も、少し走ればすぐに南の富岡町に入ってしまうのである。
町内を走ってみると、大きな敷地の農家も多く、のんびりと豊かそうに見えた。けれど町は全体的に寂れた印象。「日本の地方の町」はどうなるのかと考えさせられる。
2008年3月に国道沿いに超大型ショッピングセンターができて、平日の日中ながらそれなりに賑わっていた。かつては賑わっていたであろう大野駅前もその影響で華やかではない。
海岸部に東京電力福島第一原子力発電所があるため、1万1千人強の人口であるこの小さな町の財政はすこぶる豊か。水道代が驚く程安い。公共施設も充実。市町村合併は毛頭考えていないとのこと。 海を見に行った。 太平洋で、釣りをしている人たちがいた。
●14日、国道4を南下、飯坂温泉を経て、医王寺に行った。
医王寺は、平安時代末期の武士で奥州藤原氏の郎党である信夫庄司・佐藤一族の菩提寺。真言宗で、山号は瑠璃光山。佐藤一族の本拠は、医王寺のすぐ北にある大鳥城で、築城の際、白鳥を埋めて守護神としたことからこの名がある。現在、舘の山公園になっている。
源平合戦で源義経の身代わりとなって最期を遂げた義経の家臣・佐藤継信、忠信の墓所として知られる。奥州に逃れる途中、義経は佐藤兄弟を弔うため医王寺を訪れ、遺髪を葬り、厚く供養した。2人の墓は境内最奥、鯖野薬師堂の裏手に、父の佐藤基治、母の乙和などと並んで建っている。
元禄2年「奥のほそ道」の途中、松尾芭蕉は医王寺を訪れ、義経ファンだった芭蕉はその忠臣である佐藤兄弟を偲び「笈も太刀も五月に飾れ紙のぼり」と詠んでいる。
義経とともに逃れてきた弁慶が奉納したその笈は寺の宝物殿である瑠璃光殿に展示されている。
・源義経に従って出陣する際に、2人の息子を父基治は白河の関付近、現在の「庄司戻しの桜」の地で見送った。
【なぜ?白河の関で】白河は佐藤基治の警護地であったから。
・2人の息子を失った老母のために嫁である楓と初音が、武将の姿で慰めたとの話が残る。福島市の北にある宮城県白石市の田村神社には甲冑堂があり、武者姿をした2人の像が安置されている。
【なぜ?田村神社に】田村神社は文亀年間に佐藤継信の末裔・左衛門亮信治が建立したもの。なお楓は継信の妻で関東川越太郎の娘、初音は忠信の妻で相馬小高城主行方五郎の娘。
・【医王寺観光のお得情報】第1駐車場、第2駐車場の案内看板が200m手前にあるが、直近の門前にも駐車場があり、閑散期にはそこまで進んで駐車できる。いずれも無料。
それからフルーツラインを走り、浄楽園へ。ここは吾妻連峰を借景とする池泉廻遊式庭園。
少し小雨であったが、池を巡り、茶店でお茶を。それから菖蒲園。
しばし後、土湯温泉に向い、霧に煙る温泉街にある共同浴場の中の湯に行く。
オフシーズンのため、橋の上に駐車しても問題はなさそう。番台に人はいなかったが、200円の入浴券を購入。
浴室には先客がいたが、すぐに出たので一人になった。それにしても熱い。湯温を見ると46度。
適温は43度らしいので、「適当に水道でうめて」との表示があるにはあるが、適温にするには時間がどえらくかかりそう。それで湯船に我慢して浸かった。
土湯のあたりはガスであったが、福島市街地に下って行くと青空になった。福島タウン情報経由-国道4、15'30帰着。
●19日、再び、福島へ。駅前の花時計前では遠足の子供たちが遊んでいた
●23日、春の相馬地方を走った。
7:30出発、快晴の仙台から県道10号、38号でほぼ海沿いの道を南下。松川浦漁港から市街地方面に向うと、国道6号相馬バイパスが2008年春さらに南に延びていた。道の駅相馬に寄る。南相馬・原ノ町の製紙会社へ。
帰りは国道6号から磯部漁港に寄り、砂州の上を走り、鵜ノ尾岬へ。太平洋と松川浦を分けるこの砂州はかつては砂利道で、今のように架橋されていず、文字通り行き止まりの岬だった。ところで、この岬のある山は水茎山といったのね。夕顔観音というのがあり、幸田露伴の東北紀行「遊行雑記」に「水茎山といふ小山ありて、その上にさゝやかなる観音堂見ゆ。夕顔観音と土地の者の呼びならはせたるは、鄙びたれども流石またをかしからぬにはあらず」とあるらしい。
またその「遊行雑記」に「此浦に添へる村々は松川、尾浜を首として細田、和田、岩の子、新田、梅川、柏崎、磯部の九村なりといふ。此中松川より和田に至るの四村は北側に属し、その他は南側に属する由なるが、浦に臨める村の数少からぬに考へても浦の大さを測り知るべし」とあるから、松川はこの地の名称のひとつなのだな。
鵜ノ尾岬には、海難事故に遭ったへりおすの碑が整備されている。<以前より岬の断崖が減少しているように見えるのは気のせいか?>。
ここには鵜ノ尾岬灯台も屹立している。松川浦大橋を渡り、再び県道38号を北上、帰仙した。
ところで、相馬市の名称になった相馬氏は、源頼朝の平泉義経征伐の際活躍した相馬常胤の子・師常を初代とする。師常は恩賞として当初は小高を中心とした今の相馬地方を与えられ、以後この地を治めた。
関ヶ原の戦いの折、中立姿勢を責められ、結果、中村6万石のみを維持、現在の相馬市中村に居城した。平将門が行った軍事訓練に由来する相馬野馬追の行事で、小高神社も重要な地位を占めているのは上記によるのである。
●本文
●2月29日、それなりに早起きして、国道4号を南下、白石から東北道で二本松まで走る。長沼智恵子の生家に広がる青空は澄み切っていた。帰りは、国道をひたすら北上。
■2008.1行動日誌
●25日、珍しく仙台が大雪の翌朝、空は晴れていても道路は圧雪状態。車を置いて、仙台発8:51の快速電車南三陸号で一路気仙沼へ。雪景色の中、東北本線を北上、小牛田から気仙沼に。
10:52南気仙沼着。ぶらぶら歩き、ジャスコに寄って、気仙沼・本吉広域行政事務組合へ。13:00から第3回リアス写真コンテストの審査。
終了後、斎藤秀一氏の車でホテル観洋投宿。18:00繁華街の飲食処・宮登。街中はそれほど寒くない。21:00過ぎ、スナックAに移動。そのあともスナックFで、カラオケで盛り上がる。選曲は年相応のシブイものばかり。ホテルに戻り、そのまま眠る。
翌朝、起床、入浴。ホテル観洋は「気仙沼温泉」という温泉になっている。バイキングの朝食。10時までいて、ホテルを出て、快晴の青空の下、港岸壁で写真を撮る。市場付近をぶらぶら。書店で立ち読みしたりして、再び気仙沼・本吉広域行政事務組合。13:30からリアス写真塾。
主催者挨拶のあと、まず小生。写真は「何を理解すればいいか」できるかということから話し始める。
・英語理解は構文がわかること、麻雀の場合は点数計算、写真の本質は光、重要なのは絞りとシャッター速度の関係を理解すること。つまり、フィルム上に必要な光の量は同じ=絞りすなわち光が入ってくる窓の大きさを小さくしたら、長い時間その窓を開いておかなければならぬ。その逆にまどの大きさを大きくしたら早めに窓を閉じる、ということ。
さらに、ビリヤードで、素人はようやく当てるのみだが、プロはどうにでも当てることができる。どう当てれば、そのあとの配置がうまくなるかを考えている。どういう絞りとシャッター速度を決定するかということ。
最初に30数名の参加者に、所有のカメラを尋いたあと「麻雀をやっている人」「ビリヤードを知っている人」も訊いたのはご愛嬌(地元TVも入っていたし)。
いま、写真はオートモードでかなり不要になってきた。さらにレンズ付フィルム、デジカメで決定的に。しかし、絞りとシャッター速度の関係が分かってないと応用ができない。
・写真コンテスト入賞には秘訣がある。作品を並べると一目瞭然のものもある。選考者の好みが2~3回の入賞作品を見ていれば分かってくる。薄いセクションを狙う。こういうコンテストの場合、人情で入賞作品が1人にだぶらないようにしたいなど、裏話を少し披露。
・撮影の時の注意点。
1撮影の際、例えば祭りの由来・歴史的意味を理解していると、撮影の視点が違って来て、作品が深まる。
2写真は人の行かない場所、人が起きていない時間、厳しい撮影条件だといいショットが撮れる。
3作品は何度も見る、本物を見ると理解できてくる。
4 肖像権は2人までは問題にされる。車の場合もそうだ。
5奥入瀬渓流など難しい光の状態を撮る場合は、移動する雲の淵がその場所にかかるまで待つ、
6花の撮影の際、風に揺れる花の根元に割り箸を立て紐で結ぶ 、など撮影上の知識を幾つか喋る。
・デジカメは1200万画素という段階だが、銀塩フィルムは一説には3000万画素あるいは1億画素あるという人もいるなど、銀塩カメラとデジタルカメラの比較。
・写真を撮る人の多くが興味を持っている出版のこと。本を出すということは人に見せたい、歴史に残したいという欲求がある。しかし、自分はあまり他人の写真集を「知らない」し、「購入もしていない」つまり写真集は売れないことを自覚すること。本はいくらの予算でも造れる。
いまは記録的に数冊造ることもできる、など自費出版の話を少し。
最後に、写真をウェブ上でどう活用して行くかという話。
自分の写真をホームページなどで発表するのが有効。
さらに、ウェブ上では写真をテーマにしたホームページもそれなりに造られているが、まだまだ玉石混淆。それらを網羅することができないか?と思う。
今、写真が溢れている。
mixiでも「新・宮城県気仙沼市]のコミュニティが772人参加(もっとも写真塾参加者にmixi人はいないらしかったが)。
伊豆半島のある会社がやっているように、気仙沼・本吉地域の町、通り、建物、橋、海岸、小路。その全てを写してウェブ上で紹介する「デジタルわが町」をやらないかと提案。
私は「日本観光情報」コミュニティでやろうとしていると喋る。
時間がないと思い、後半は端折る。最後に「写真をたくさん撮る。常にカメラを持っているといい」と結ぶ。
そのあと、斎藤秀一氏の話。作品講評と実技の時、参加者を2グループに分けて、小生もレクチャー。
少し、早め15:40に終了。14:10斎藤氏の車で、三陸道の無料区間も利用せず帰仙。19:10卸町で降りて、車で帰宅。
●
●2日、朝、仙台から岩沼への県道10号線を経由、国道4号を南下、白石ICから東北道に乗る。郡山ICで降りて西へ。午後、郡山から大玉経由で岳温泉。岳温泉のニコニコ共和国はなくなったが、まだ国会議事堂は健在。道路向いには、入浴施設の岳の湯、またソースかつ丼で知られる成駒食堂がある。
岳温泉から道の駅土湯を経て、土湯温泉に下る。サンスカイつちゆのこけし湯に入浴。このこけし湯は、かつては国道115号沿いにあったが、横道トンネルができてからはわざわざ回り込まなければならなくなった。初めてこの地を訪れた人は分からないだろう。木の浴槽には熱い湯が溢れている。ちなみに大人の入浴料は250円。
土湯温泉からフルーツライン、飯坂温泉経由で桑折から国道4号。岩沼から県道10号線。今回、さらに近道を発見した。仙台16:00着。
●29日、松島に行った。双観山のある岬の道はまだ紅葉していた。
松島についてのならぬ3つ。
それにしても、松島は、遊覧船乗り場と瑞巌寺方面との間を隔てる国道を横切るということは、バイパスを造るという大工事をしなければならぬであろう。
しかし、すぐに、できる事として、まず、町営無料駐車場の不潔なトイレを改修しなければならぬだろう。
それからあの国道45号線の短い何本かの隧道内にラジオが聞こえるようにしなければならぬ。
そこに、観光行政に対する町の姿勢が見えてくる。町長、何とかせい。
●5日、朝早めに東北道で、福島市郊外の蓬莱・田沢地区へ。ここに福島県警察学校がある。田沢は田舎の風景が広がる。帰りに、船岡城址公園に寄る。山本周五郎「樅の木は残った」の舞台。樅はいまでも公園の一角にある。愛島を経由して帰仙。
●7日、岩手県北上市・金ケ崎町へ走った。帰りに七ッ森に立ち寄る。稲刈りのハサ場が並んでいた。
●16日、仙台市内駅東口でりく撮影。
●16日、仙台市内定禅寺で三井ハウス撮影。
●22日、朝、早めに起きて、国道4号を南下。白石ICから東北道へ。吾妻SAで吾妻小富士を撮影。本宮ICから、青空の下、郡山市内に突入。郡山マツダ。しばし後、国道4号を北上。船岡城址公園に寄る。その後、国道4号は、東京から青森までだが、道の駅が極めて少ないと思ったり、運転席の窓から、煙草の灰を平気で落とす父親を見て、高校生になった息子は、道を歩きながら、紙屑を平気で散らかすのだろうとか、カーナビゲーションを付けた車に対して、NHKは受信料を請求する勇気がないのだろうか?てなことを考えながら、帰仙。
●23日、晴天の下、何年振りかで、秋保大滝へ。駐車場には紅葉の季節なのだろう、観光バス客も含めて、前期高齢者がたくさんいた。
階段を下り、滝の展望台へ。まぁ、紅葉している。水の落下量もほどほど。
グループで来ていたある婦人が「旦那を突き落としてやる!」という軽口に周囲からさわやかな笑いが起っていた。
滝口への道は崩落により通行止め。この滝口へは県道を回り込めば行ける。
ところで、誰じゃ、秋保大滝を日本三大名瀑という奴は?
日本三大名瀑は、那智の滝、華厳の滝の2つは誰にも異論がない。だが、3つ目に、称名滝、安倍の大滝、静岡県の白糸の滝、岐阜県の白水の滝、そしてこの秋保大滝たちがその位置を狙っているらしい。けれど、やはりなんといっても袋田の滝ではなかろうかと思う。秋保大滝なんて袋田の滝に比べると全くたいしたことない。称名滝も凄いらしいが、残念ながら見たことがない。
ところで周辺に蕎麦店が増えて、老舗の「たまき庵」は、「間違わないでうちに来てね」というような看板を出していた。
帰りは、仙台ハイランドに抜ける山道を初めて走った。
これに対してモンブランさんのコメント「袋田の滝ってすごかったですよね~」
●前夜30日、20:35に出発。 雨の中、仙台空港の東を走る県道10号+県道38号で福島県新地町へ。相馬の松川浦の南まで延びている国道6号バイパスの途中まで完成している道から国道6号に入る。その後は、道路の路面が極めて見にくい中、ゆっくり走り、ひさしぶりのいわき市に到着。 いわき市街地には寄らず、バイパスを経由、茨城県北茨城市大津にある市営五浦無料駐車場に24:00着。179.2kmを走る。 バイクシートカバーで車内テントを作り、寝袋でぐっすり眠る。
●31日、7:30起床。すぐ横にある岡倉天心の墓に参る。
「我逝かば花な手向けそ浜千鳥 呼びかう声を印にて 落ち葉に深く埋めてよ 12万年明月の夜 弔い来ん人を松の影」 という詩にあるように、天心の遺骨の一部を埋葬した草蒸す墓。こういう墓もいいね。
海岸の早朝風景を撮影。五浦岬公園に回り込む。岬から朝日に輝く朝の六角堂を撮影し、付近を散策。
大津灯台から大津港に下り、岸壁で小休止。その後、勿来の関を経由、植田から11:20に、いわき平。このいわき駅前付近は、最近何度もやって来ていたので、とても懐かしい感じ。そして国道6号を北上。新しくできていた道の駅南相馬を見学。相馬ではバナナなどを購入して、ここから往路の道をそのまま逆に走る。途中、山元の海で遊ぶ。戻る途中、野菜も購入。仙台帰着は15:40、ほぼ380kmのドライブでした。
●3日、宮城県南の亘理町弘進ゴムに行った。曇天の下で高い波の打ち寄せる荒浜に、相変わらず釣り人は多い。太平洋側では珍しい温泉入浴施設もある鳥の海荘が現在の建物の海側に新しい建物を建築中であった。
亘理町内、常磐線逢隈駅の近くに「亀甲公園」というのがある。この名木は後三年の役の時、源義家が腰掛けたといわれている。ここでも征服者を持ち上げる相変わらずの敗北者史観である。
しかし現在の松は、その後継として1990年に補植されたものである。つまり、先代の松は、1983年12月にマツクイムシの被害で伐採されていた。
その姿は、外観がすこぶる亀の甲羅の形に酷似していたのである。
この傘松は、樹齢1000年の説があり、幹囲4.7m、樹高11.5m、枝は南西12.0m、北東11.5m。逢隈支所に根幹の衝立が保存されている。
この逢隈は、阿武隈川河口にあり、面積も広い。明治22年に高屋、鹿島、神宮寺、上郡、下郡、小山、田沢、中泉、牛袋、十文字、榎袋、鷺屋、蕨の13の村が合併して、逢隈村となり、さらに昭和30年に、亘理町、荒浜町、吉田村と合併して、亘理町になった。その時までの村役場の看板が写真3である。なお逢隈は、阿武隈と同義といわれている。
●10日、この20年間、主に東北6県を回ってきた。ほとんどの観光地、温泉、食べ物、祭りを見た。それでも、訪ね残している所がある。それらを「訪問予定」としてノートにメモしてきた。 ここに記載された場所の内、2016年4月現在で訪問を終えた所、残ってしまった所は、以下の通り。ノートに記載後、訪問を終えた所
○青森県
・濃々園・グリーンビレッジ暗門・八甲田ロープウェー・城ヶ倉渓谷遊歩道・碇ヶ関温泉郷・国道454号大鰐虹の湖間・水源地公園・鯛島・藤田記念庭園
○岩手県
・思惟大橋・馬仙峡・ふれあいゆう星館・遠野市鍋倉山
○宮城県
・追分温泉・柴田町太陽の村・さんさん館・木の家
○秋田県
・鶴ヶ池荘
○山形県
・玉簾の滝・金峯山・新潟へ抜ける朝日スーパー林道・新鶴子ダム・前森高原・上山足湯・あつみ温泉朝市・日本一の芋煮・古寺鉱泉・ナチュラリストの家・くぐり滝・大平温泉・大石田舟下り・天童温泉共同浴場・酒田北港緑地展望台・遊楽里・飯豊町白川ダム・川西ダリヤ園
○福島県
・強清水から国道294号西岸・飯坂ガラス美術館・白河街道・湯岐温泉・小良ヶ浜漁港・微温湯温泉・滝川旅館・前沢曲家集落・田島祇園会館・雄国沼・田人おふくろの宿
・残ってしまった所(2016.2現在)
○青森県
・暗門の滝・弘西林道東側・ロマントピアそうま・釜臥山展望台・みちのく深沢温泉・小川原湖マテ小屋・旧平山家・最終氷期埋没林・たけのこの里
○岩手県
・早池峰登山・えさし藤原の郷・とどヶ崎・月山展望台・藤沢の国道284号線・報恩寺
○宮城県
・かもしか温泉・田束山・徳仙丈山
○秋田県
・上畑温泉さわらび・峰浜村芹田鶴治・安の滝・荒湯・白瀑神社みこしの滝浴び
○山形県
・蟹仙洞・羽黒山杉並木登頂階段・十二滝・胴腹の滝・羽根沢温泉・大朝日岳登山・夕鶴の里・南陽市長者屋敷・野川渓谷・亀屋・一久・竹屋ホテル・飛島・笠松鉱泉
○福島県
・安達太良山登山+くろがね温泉・安達ヶ原ふるさと村・さざえ堂登段・滝沢本陣・天山の湯・美坂高原・東山グランドホテル・二本松の提灯まつり・霊山登山
この他も、ないわけではないが、ほとんどの道を走り、ほとんどの物は見たような気がする。
藤松事務所を去る。「悔いあり、東北見残しポイント」なんてことを書いたものだから、きゃふん*さんから「東北の地に見切りをつけて、拠点を移されるご予定でも…?」。それからモンブランさんから「え~~そうなの??? 移転ですか??? 車はまだ健在でしょうか??」とコメントあり。
●12日、福島県須賀川に行った。
松尾芭蕉と曽良が訪ねた乙字ヶ滝は、泥水で洪水のごとくの流れであった。最近、雨降ったっけ?河畔にある2人の像の似ていないこと!松竹の寅さんも、盛岡の宮沢賢治も、とにかく似ていないことを思い出す。「おくのほそ道」関連では、松尾芭蕉の単独の像が多いが、(新庄の本合海にもあったけど)曽良の像と並んでいるのは、珍しい。乙字ヶ滝には松尾芭蕉と曽良の顔ハメがある。 なお、芭蕉はバナナの木のことで、曽良は河合が苗字。曽良は、出身地の木曽川と長良川から採った筆名。その後、鏡石町の岩瀬牧場に行き、躑躅で知られる大桑原付近から須賀川に戻る。途中、釈迦堂川の近くの森の中にひっそりとあった「仁井田双式来迎三尊図磨崖仏」というのを見たが、それほどのものではない。朝、小雨が降っていたが、午後には青空が見え始めた。林精機に寄り、帰りは、R4をひたすら北上して、帰仙。
●30日、1年5ヶ月いた藤松を去る。「少し早くないか?」というかもしれないが、これはこれでいいよ、私の藤松時代。
●1日、快晴の午後、仙台から国道4号を南下、福島市へ。 市街地から東に向かう国道115号を走ったすぐのところにある信夫文知摺へ。源融・虎女の悲恋物語に由来し、「みちのくの忍ぶもちずり誰ゆえにみだれそめにし我ならなくに」の歌で有名。ここは昔は拝観料が無料だったと思う。入口付近に松尾芭蕉像がある。境内は緑陰濃い静かな佇まい。
それから福島市街地を見下ろす信夫山の東中腹にある岩谷観音へ。地蔵を拝む老人がいた。急な階段を下りてくる親子連れには「化石を見れるのはどこですか?」の所在を訊かれた。「いわき市かな?」と答えた。
岩谷観音は、岩屋あるいは窟観音である。この磨崖仏は、未完成の仏や、未熟な仏もあるが、もっと有名になってもよさそうなのにと思った。
丸子にあるネッツトヨタ福島に寄り、帰りの東北道で、右前輪がゆっくりパンク。最近のハンドルのブレはこれが原因か?ゆっくり走って、蔵王PAに入りスペアタイヤと交換。パンクタイヤよりスペアタイヤの方が走りやすいと至極当然のことを考えながら宵闇迫る仙台へ戻る。
●2日、割りと朝早く、国道6号を南下、南相馬の海岸で鹿島の海を眺めた。風が強く、波頭から上がる飛沫が、潮の香りを漂わせていた。この日、総走行距離293000kmを超えたオルティアを撮ってやった。この車とも間もなくお別れ。
原町では何となく設備の充実したENEOSのGSで、前日のパンクタイヤを検討。空気が少なくなってから長い距離を走ると、タイヤの弱い部分=横に負荷がかかり、集中的に痛むのだそう。確かに理屈である。若い作業スタッフは、すこぶる親切であった。 パンクしたら即刻停車、スペアタイヤに交換がよろしいようで。 それで、持ちこんだノーマルタイヤ2本を、ホイールバランス調整(1260円/本)、タイヤ組替(1050円/本)、タイヤ処分(420円/本)ということで、全てを30分で作業終了。
南相馬市原町区のネッツトヨタから引き返し、南国屋で西瓜、胡瓜、バナナを購入、途中松川浦に寄り、国道6号と並走する県道38号で北上、亘理で国道に戻り、帰仙。昼間の太陽がジリジリ照りつけ、終始暑い日であった。写真は1が島崎海岸、2は松川浦大橋。
●19日、仕事の合間に、画像の必要あって、道路資料館みちあむと、仙台武家屋敷に撮影に行って来た。 道路資料館みちあむは、東北車道仙台宮城ICの近くにある道に関する総合博物館。1階には図書室、道についての歴史コーナー、トンネルや橋梁の紹介、道の駅コーナー、道の役割コーナーの他、模擬運転システム、道路地下利用模型など、可動装置がついている展示物が多くある。特別展示室のある2階には仙台西道路の模型ジオラマ展示と、業務用の集中監視室が公開されていて、モニターでリアルタイムの仙台西道路の車の走行状態を見ることができるもの。 仙台武家屋敷は、かつて仙台周辺の村を統括していた国分家に伝わる宝物と、収集された多くのコレクションを展示している異色の博物館。その総収蔵品は1万点に及んでいる。館内には伊達政宗と国分氏初代胤道の活躍をジオラマで表した仙台武将館、価値ある刀剣などを展示した武具館、地獄と天国を人形で紹介した人間教育館、目で見る遊びの空間の七不思議館、日本画・洋画・ 陶磁器の他いろいろな収集物が見られる赤門美術館などの部門で構成されている。
仙台武家屋敷は本来撮影禁止であるが、自由に撮影させてもらった。WEB上ではいろいろ言われているが、僕は評価したい。高橋由一の「鮭」の現物もあった。「鮭」は、世の中に16枚くらいあるのかしらん。
それにしても、仙台の繁華街・国分町はこの国分氏に由来するものであったのだなぁ。
●本文
●24日、山形市街地から国道13号を南下。郡山までのルートを、国道4号か白布峠か迷ったが、久しぶりにと思い、上山バイパスから県道13号・金山峠越えのルートに入る。
この道は江戸時代の歴史街道である。羽州街道の宿場町であった楢下宿は、石橋・茅葺き屋根などの懐かしい町並みが見られる。ユニークなグルメスポットのこんにゃく番所もある。 現地に来ると、現在は、完全なバイパスができていて、楢下宿を目的地としなければ、通過するだけになっていた。
バイパスの先に、冬季通行止めのゲートになっている分岐路があり、金山峠越えは、深い木立の狭路を上り始める。もっと開けていたと思っていた道だったが、木が生い茂り、日長き夏至近くの日の夕刻なれど、一段と暗さを増す。空は明るいのにヘッドライトを照らして走る。突然路上にあった小石を朽ちた葉とも見誤って、タイヤ上にしっかり踏んだ。<明確に尖った小石であるため、後続車への危険性は大きい>。普段は、そのように認識してわざわざ片付けるのであるが、自分が「踏んでしまった」タイミングによって、そのまま通り過ぎることになった。
と、路上に1匹の大人の猿。車のスピードを落とすと、ゆうゆうと路の外に移動し、ガードレールの間からこちらを見つめる。車も、また人間も怖くないらしい。通り過ぎたカーブの先にも4匹の猿の群れ<写真を撮るべきだった>。このルートは、白布峠のように、野生の猿の棲息するところだったか?
宮城県に入る峠付近で、ようやく1台の福島ナンバーを追い抜く。峠にある湧水・鏡清水を汲みにきた模様。
ほどなく、高畠町から上って来た国道113号に合流する頃、夕焼けが最後の光を国道両脇の林を照らした。この田舎道<といっても一応国道だが>を人が歩いている。どうせ、遅い車の後ろについていた時だったのでと、停車して乗せてやろうとしたが、その通り過ぎた位置があまりに離れていた。よほど後退してやろうとも思ったが、集落もすぐそこに見える。いくら一本道の街道でもまさか、このずっと先の集落(国道113号のこの付近は幾つかの集落が連続する。それでまぁ、いわゆる「七ヶ宿」)の人ではあるまいと思い、少し迷ったが、そのまま先を急いだ。
七ヶ宿ダムのトンネルを過ぎて、名勝・材木岩方面に向い、県道46号で小坂峠を越える。標高460mの峠付近から、はるか下に国見の町が見える。この峠越えのルートは、暗い中での走行のためかもしれないが、以前の記憶とかなり違っていた。
桑折町で国道4号に出て、郡山の街中を経て、いわきに向う。延々と国道49号線を走る。ひさしぶりのいわき市街地は、初夏の夜の静寂が広がっていた。
●25日、深夜、いわきからの戻りの国道49号で、狸が轢かれていて、ずんぐりした体をちょうどタイヤの轍の位置に横たえていた。ハンドルを切ったが、あやうく左の柵にぶつかりそうになる。
先日、某氏と「夜間、道路に飛び出した動物は、大きい物以外は急ハンドルを切らないでそのまま進行した方がいいよね」などと喋ったばかりだったが…。
それでも無事に狸を避け、車を立て直したのは、運が良かったと思わねばなるまい。あの狸、今夜、何台の車に轢かれ続けるだろうか?
●3日、米沢から水沢江刺まで225km。新幹線で一関へ行き、そこから国道4号線で仙台。 夜になって、山形までバスで行く。米沢経由、喜多方道の駅、喜多方駅の2ケところで車中泊して、4日朝、会津若松。ここから電車に乗って残雪の磐梯山を車窓から見る。宇都宮市街地のデパートなどの市街地を歩く。小山市の駅東公園。引き返して夜に会津若松まで210km走る。4日深夜、国道49号線で150km先のいわきへ。いわきから郡山へ行き、福島、帰仙。
●6日、今藤氏の車で蔵王エコーライン経由上山、仙台に戻り、一関へ。初めて一関市街地にある浦島公園というのを見る。夜、花巻から秋田へ145km走り、大曲からは花巻経由仙台に戻る。
●7日、仙台から女川原発。入口の警備が厳しい。石巻に戻り、仙台へ。この日仙台空港から一度仙台に戻る。
●8日、仙台から八戸へ305kmの道のり。その後、盛岡から遠野経由大船渡へ。途中のバス停で老女を市内まで乗せてあげる。「野菜をあげる」と言われたが旅の途中なればお断りした。
●9日、山形から仙台。
●10日、山形から酒田に行く。本間美術館の庭園だけ見ようとしたが、庭園見学だけでも入場料を払わないとだめということで入るのを止めた。 その後、秋田に移動して、秋田経由で仙台に戻る。
●11日、松島に就航している龍の遊覧船が33年目にして勇退するらしい。 道の駅米山のレストランでうどんを食う。
涌谷では天平の湯の入浴券販売機の前まで行ったが、800円の料金を見てすぐに引き返す。迫町佐沼のレストランで撮影。その後、 川渡温泉では藤島旅館の湯治部見学。浴場入浴。庭園では庭師氏と話す。川渡地区はかつてすべて藤島氏の土地だったらしい。入浴料200円という料金や、庭園、これらの余裕のある佇まいはそれを証明している。
●12日、一度石巻へ行く。夜、花巻へ。そこから盛岡の半田屋で食事。道の駅石神の丘で仮眠。ここにはお茶などもあって嬉しい。
●翌日13日早朝4:40頃、二戸市にある馬仙峡展望台。三沢。そこから電車で八戸に向かう。駅にあるコインロッカーは、1日300円、4時間200円の区別がある。こういう利用のさせ方は合理的である。一律に料金を設定しないことは、「規制緩和」でないが、利用者の利便を図って各分野で実行される方が誰のためにもなる。八戸から11:10頃、蔦温泉の南側に続く新緑のブナ林。そして谷地温泉、猿倉温泉(宿の前で給水)を過ぎて、その1時間後の傘松峠付近の雪の壁。この国道103号線・八甲田越えは、しばらくは春と冬が同居する路線。青森で夕食。
●13日深夜つまり14日の2:26道の駅おがわら湖経由八戸。うどん食う。電車で下北へ。途中、大湊線の車窓から、ちょうど満開の菜の花があちこちに見える。この時期は横浜町の菜の花フェスティバルが開催されるシーズンでもある。菜の花畑のむこうに発電用風車も並んでいる。
下北駅で下車してから佐井車庫行きのバスに乗る。途中から乗車してきた3人連れの少女が斜め前の席で談笑している。その内の一人の少女は乗って来た老婦人にすかさず席を譲り、一人車内に立って連れの仲間にさかんに話しかけていた。爽やかさを感じさせた美少女は大畑の町で降りていった。
以下、コメントのやりとり。
・きゃふん*「見ず知らずの美少女にカメラを向けるとき、どのように声を掛けるのですか? 昨今、下手なこと言うとアヤシいおじさんに間違われそうな気がするのですが。 小心者の私なんぞ、同性の子にさえ、写真撮らせて なんて言えませーん。「カメラを持った不審なおばさんが出没!」などと翌日の新聞に載りそうで…(^_^;」
・礼「アップでお見せできないのがすこぶる残念な「下北半島大畑の美少女」。こういうのは自然体で写真を撮ることが肝腎なのです。僕は普段から自然体で生きてますので、バス停にいるご婦人にも声を掛けて、「○○方面なら乗っていきます?」なんて、通常からやっています。警戒心の生まれる余地のない自然さというものは習慣のように身に付くものです。こどもを見れば笑いかける、席は譲る、道に落ちている危険物は道路外に捨てる、朝の道の駅で散らかっているゴミは片付ける、公園に落ちている杭は脇に寄せるなどスッーとできることをしていれば、平気になります。 自然には自然で応えるもの、大畑の美少女は、つぶらな瞳でレンズを見つめています。そこには物語の小篇が生まれています。 きゃ様も、ぜひ、自然体を身につけて、美少年をどしどし撮ってくださいませ」
・きゃ「と言いますと、写真を撮らせてください、などとは言わないわけですね、達人は。 私ったら、直球しか知らないものですから…(^_^; 修行せねば。 いえ、別に美少年を狙ってるわけではないですが。(「美しい」より「愉快」のほうが性にあってますし)」
雲間に隠れた夕陽を見て、大間から南下。下風呂付近で、車を停めて、烏賊釣り船を撮影。ひさしぶりに太平洋岸に沿った国道338号を走り抜ける。
●大間から南下した後、15日深夜八戸から、十和田市街地を抜け、焼山・奥入瀬そして、十和田湖北部の国道102号・御鼻部山を越えて、道の駅虹の湖へ。
焼山から、虹の湖まで、行き会った車は奥入瀬渓流で1台のみ。もっともこの時間は深夜0:30というのであるから当然だけれど。
15日の早朝には、温湯温泉の鶴の名湯に入浴した。ここは4時から23時まで営業。入浴料は180円で、湯上がりのタオルは爽やかな「潮の香り」がする。弘前から高速バスで帰仙。この日の夕刻、福島往復
●16日、仙台から古川へ。
●17日、花巻からいわきまで305km走る。仙台経由国道6号を南下、いわきへの途中、2度目になるのであるが、富岡町の小良ヶ浜漁港に立ち寄る。前回は写真撮影ができなかった。今回もデジカメがなく写メールでの撮影になった。赤坂神社脇にあった案内板は無くなっていたが、観光案内板があり、それで分かった。ここは日本一小さな漁港ということで知られた地。
・説明板はあるものの、当局が閉鎖柵を2ヶ所に設けている。一部のウェブサイトには「現地にいけない」とあるが、そんなことはない。自己責任ということであれば、柵の横を抜けて5分ほど歩けば、海岸部に着く。もちろん、コンクリート舗装した道の真下がえぐれて、崩落の危険性がありそうなことも事実。以前来た時は幾人かの釣り師がいた。地形から見ると釣りの穴場なのであろう。ここは景観地でもあり、ここは桜の名所である夜の森公園で知られる富岡町のもうひとつの観光地になりうると思われるのだが。
・小良ヶ浜漁港は、明治14年に生まれた三瓶一見(父親は豊松。ちなみに一見の名はこの地は当時70戸350人の集落だったが、三瓶という家は一軒のみだったのでそのように命名したらしい。しゃれた父親であるな?子は迷惑だけど)が私費で開いたもので、「大正の青の洞門」と呼ばれている。
一見は昭和28年まで漁協組合長をしていた。昭和40年1月12日没。晩年、一見はこの漁港を飽きず眺めていたという。共感できる。
福島県民の場合、小学校の道徳の副読本に出ているらしいので意外と知られているかも知れない。全国的には昭和61年に飛鳥新社から刊行されている「ぐるっと海道3万キロ-4東北・関東扁」に紹介されている<西田禮一郎構成>。当日いわき市立図書館で見たがあまり参考にはならなかった。ヘリも飛ばすなどしてNHKでも放映されたらしい。
・折角なので、この漁港を開いた三瓶一見翁の自宅を探す。地元婦人によれば、三瓶家というのはこの地区にはいまでも1軒ないらしい。その家は絶えたらしく、廃屋が残るのみという。ではと、自動車修理工場の人に訊くと、坂道の途中、椿の林の中に旧宅があるとのこと。<そりゃぁ、見なければ>ということで、近くまで走り、至近の家で訊く。そこに、トラックの御仁が帰宅。「誰や?」といわれながら、「三瓶一見翁のことで」というと、その佐藤重利氏は、何と翁の孫なのであった。
・上がり込んで、写真・資料を見せて戴きながら、生の話を聞く。こどもが9人いたが全員女だったこと。舟を引き上げておく洞門を造るのに当時の金で3000万円ほどかかったこと。漁船を引き上げた場所は今では切り通しになっているが海側にある昔は同じ岬の一部だったこと、などなど。翁やその家族の写真を見せて戴き、写メールに収めた。
帰りに出された茹で玉子を「1個貰います」というと、「もうひとつ持って行け」という。佐藤氏に赤坂神社脇に案内板を設置して戴きたいと請うた。そうでなければ、それを活字にしたものを後で送って上げたいものだと思いながらこの地を後にした。
おっと、その前に佐藤家を辞してすぐ、正確に聞いた椿と竹林の中に眠る一見翁の旧宅を見たのだった。墓場の近く、確かに林の中に一軒の廃屋を見つけた。破れて開いている雨戸の跡の部分から薄暗い家の中に入った。もろい床を踏み抜いて居間に進むと、囲炉裏の跡があった。その大きな家は、三瓶一家の当時の生活を強く感じさせたのである
いわきからは福島。ここから国道4号線で仙台へ。
●18日、白石蔵王往復の跡、夜、郡山へ行って、ここから秋田へ向かう。古川、鳴子、角館経由で、国道46道の駅協和。ここには、夜間寝てもいいのかは知らぬが、フラットスペースがある。食事用テーブルや給水設備があり、トイレも綺麗。
●翌19日、秋田出身の作家松田解子記念館のある大盛館に立ち寄り、広域農道で秋田。鶴岡に移動。鶴岡では、金峰神社を初めて見た。ここには有名な湧水がある。一口味わう。これを美味いというのであろうか。うまいは甘いのか? 国道112号・月山越えで、河北町いろはの冷たい肉そば\600を喰らう。 仙台に戻る頃、どしゃぶりの大雨・落雷。夕方、青葉まつりのパレードを見る。街は若者や、もしかして観光客で賑わいをみせていた。這いつくばった奴隷根性のように胡散臭いと感じていた「雀踊り」もようやく見れるような気がしてきたが。
●6日、石巻の日本製紙に行く。広い構内の作業所撮影。
●9日、仙台から石巻。12:58蛇田から帰仙のち、14:30~古川~仙台。
●10日、6:17発で北仙台から県境を越えて北山形乗り換え。東根の国道287号から、国道112号でまだまだ残雪が多い月山越え。庄内空港からバスで、酒田。山居倉庫横を通過、酒田駅に立ち寄り、国道7号を北上する。途中、雨になった。秋田県に入り、13:20由利本荘市の海の見える駐車スペース親川パーキングで茹で卵を食べる。さらに北上、14:00かつて住んだ秋田市割山地内を横目に見て、土崎、金足、昭和と走り、飯田川から国道285号雨の五城目街道に入る。道の駅で小休憩。このルートは以前何度も走ったことがあり、久しぶり。当時と比べて道は新しくなったが、今でも道路改良は続いている。北秋田市鷹巣で国道7号に合流。16:15下川沿駅に立ち寄り、小林多喜二生誕碑を撮影。大館市街地に入り買い物。大館からさらに国道7号を北上。看板の新しくなった日景温泉、矢立温泉を過ぎると青森県に入る。17:25ここで碇ヶ関温泉郷のひとつ、湯の沢温泉の3つの宿を初めて立ち寄る。3つの宿ともひっそりとしていた。沢はまさしく温泉の白濁湯だった。 その先の道の駅碇ヶ関にしばらくいて、大鰐温泉の佇まいを見て、弘前バイパスを通り、青森の市街地へ。青森駅西側の国道7号沿いは賑やか。青森駅前をぐるりと回り海へ。美しくライトアップされたアスパムを撮影。久しぶりに、アスパムにあるのマルカイラーメン。駐車に快く車庫を利用させてくれたり、店の人はとってもいいのだけれど、何度挑戦しても、その醤油味が合わないな。麺もちょっとチャンポンっぽい(その麺は悪くないのだが)。大550円をようやく食べる。青森湾を臨む公園で車中泊。寒さで夜間に数度目覚めた。
●11日、朝、湾内に釣り糸を垂れる人を眺めながら背伸び。ようやく春の訪れた青森の地を後に、青空の東北道を南下、12:40帰仙。
●13日、沖野から仙台空港-郡山-新白河ホットスパーで18:10パンを買う-県道11・14古殿経由いわき泉-いわき。運動公園泊。
●14日、いわき-R49-10:22ファミマでパンを買う。郡山-R4-仙台
●18日、R6を南下、道の駅相馬に寄り、南相馬市丸三製紙経由で、富岡町の夜ノ森公園。グラウンドでは町内の生徒が大勢、花見を兼ねての遠足にきていた。花はほぼ満開。少し花弁も散り始めていた。それでも桜のトンネルは見事。ここで昼食におはぎを食べる。富岡から、県道36で川内村へ。途中ダムが建設中で、迂回道路のトンネルが快適だった。R399に合流、川内村内を北に走り、県道112で常葉町をかすめて大越町に出る。磐越東線に沿い、R288で三春町。相変わらず分かりにくい町内道路を、少し迷いながらも、滝桜の咲く丘へ。観光バス、タクシー、自家用車、徒歩などで見物客は平日にもかかわらず一杯。ちょうど満開の滝桜を通りすがり的に見る。道路を往復して、写真も撮った。三春町内には、梅の他、桜が各家々に植えられていて、町をあげての桜名所が歴史的に既にできている、という雰囲気がある。町興こしの理想型かもしれぬ。三春町からR288で郡山方面へ。北小泉から、阿武隈川沿いのマニアックな県道73を走り、二本松に出る。岳温泉の岳の湯300円に入浴。ひさしぶりの岳温泉(写真3)だが、ここの湯は、微白濁で、香りもよい。完全白濁温泉よりも上品かも知れない。
以下、小生による「岳温泉」の説明。
・岳温泉は、乳首山の別称がある安達太良山の東の中腹部・標高600mに湧く高原の出で湯で、かつては陽日温泉と呼ばれていた。歴史は古く、およそ1200年前の延暦年間に、征夷大将軍の坂上田村麻呂が東征の時に発見したと伝えられている。その後、安達太良山の噴火や戊辰の役の戦火によって4度の移転を繰り返し、今の場所に落ち着いたのは明治39年(1906)のこと。岳温泉は温泉効果の高いお湯として知られる58.0度の酸性緑礬泉の湯で、水戸黄門が難病で苦しんでいる元禄年間に、何度も足を運び、病気を癒したと記されている。源泉は10kmほど離れた、安達太良山の山頂付近にある旧火口から引湯している。湯は途中で揉まれて肌触りが優しくなる。安達太良連峰の山並みが連なる麓に湧く岳温泉は、眼下には二本松や本宮の平野が広がっている。高村光太郎の妻・智恵子の生家が二本松市の隣・安達町にあり「智恵子抄」にもある「あどけない話」にも謳われた、青い「ほんと(う)の空」がどこまでも続く抜群の自然環境にある。高原に位置するため夏でも涼しく、避暑地として利用する観光客も多い。メインストリートの「ヒマラヤ大通り」と呼ばれる坂道には、小川を挟んで道路両側に宿や土産物店が軒を連ね、華やいだ雰囲気が漂う。岳温泉のなかにはホテル・旅館が13軒、公共の宿が5軒、温泉を引いていないが、民宿が3軒、ペンションが3軒、プチホテル1軒が建つ。泉質は単純酸性泉でやけど、切り傷、リューマチ、神経痛、あせもなどに効能がある。共同浴場の「岳の湯」は5素泊まりもできる。周辺には、周囲600mの鏡が池があったりと、静かな大自然に包まれている。豊かな自然に囲まれていて、現在では保養地として、GWや夏休み、紅葉の時期はもちろん、また登山、スキーの拠点としてもシーズンを問わず賑わっている。また春はワラビ、ジダケ狩り、秋はモミジ狩り、冬はキジ、ヤマドリといった山の幸にも恵まれている。近年「岳温泉十二支めぐり」という散策路が設定された」<説明終わり>
ヒマラヤ大通り下に続く、桜並木はまだ蕾であり、この高原の標高を知らされる。入浴後、土湯方面に走ると、新しく降ったであろう雪が、この曇り空の下、道路脇と林に中に見られた。土湯温泉を経て、福島市街地に下り、R4を北上、暗くなって帰仙。
●19日、名取から国道4号線を南下、道の駅五霞で休憩、都内に入り環7から国道246号線・厚木で泊。350km。朝食はパン189円。翌20日東京都庁に初めて登頂。公園はホームレスがたくさんいた。新宿吉野家で380円の昼食。さくら交通のバスで帰仙。
●20日、一関へ。盛岡でパン417円を購入。
●21日、深夜1:50出発。道の駅石神の丘で仮眠。早朝経由二戸。馬仙峡も春はまだの様子。盛岡から国道46号線で角館<角館=桜は1分咲き>。午後、中仙町ジャスコでパン313円。道の駅湯田で仮眠~19:00。水沢-平泉-道の駅厳美渓で仮眠21:00~7:00<一関=雨の厳美渓は3分咲き>。
●22日、一関で傘購入。盛岡から青森へ。
●23日、青森から羽越線で秋田<秋田駅前のリサイクル店で井上靖のいい本見つけた>
●24日、仙台から一関。<盛岡=石割桜が満開だった>、<平泉=国道沿いの桜並木が満開>
●25日、仙台-郡山-仙台
●26日、仙台駅からJRでいわき市の泉。いわき泉-盛岡半田屋で夕食。青森空港まで走る。
●27日、青森空港-弘前、弘前駅からJRで青森。青森-サークルケー9:40野辺地橋店でパン買う。紺碧の海を眺めながら、下北半島に走った。久しぶりの国道279号。波打った砂丘上の起伏道路は、まさかり半島の取手の部分の南側のみに集中していたのだった。吹越烏帽子からの伏流水を横浜町の湧水亭で補充させてもらった。野辺地あたりから釜臥山が見えながらも、50km先、小1時間もかかってようやくむつ市に到着する。大湊新町で、初めて斗南藩士上陸の地にある碑を見た(碑石は故郷・会津若松を向いている)。会津藩23万石の藩士たち17300人は、1870年、この地に、2800戸をもって斗南藩を打ち立てたのである。この時、陸路の他、江戸と新潟から海路で移住をし、新潟からの一行はこの大湊大平浦の地に上陸している。斗南藩の領地は下北半島全域と、野辺地から横浜つまり下北半島の首根っこにあたる部分の西側、それに加え、現在の十和田市の西部、五戸、田子、三戸、金田一あたりである(間に七戸藩領があり2分されていた)。広大ながら厳しい自然が与えたのはわずか3万石。あまりの自然の厳しさと時代の変遷でわずか1年余りの治世が終了した時に、むつに残ったのは50戸ほどだったという。この斗南藩のことは1980年のNHK大河ドラマ「獅子の時代」でも放映された。むつ市には円通寺、徳玄寺などの旧跡がある。また釜臥山を、ふるさとを偲んで斗南磐梯と呼んだという。
大湊駅前からバスで柳町-むつバスターミナルからもバスで本州最北端の地碑のある大間へ。大間は丘の町である。相当に入り組んだ道筋は、一度でもいいから徹底して意識的に走り回らねば分からないだろう複雑さである。その中央部にある大型スーパーマーケットは、恐らく町じゅうの小さな食料品店に壊滅的打撃を与えたに違いないと思われた。14:39マエダストアでソーセージとパン買う。下風呂温泉の旧路を走り、漁港でイカ釣り船を撮影。井上靖の文学碑があるいさりび公園にも立ち寄る。大間を含めて、このあたりはすべて北海道と対峙している。この日は、恵山もよく見えた。北からの景色と、南からの景色を眺める心境の違いを思った。16:23むつ市スーパードラッグアサヒむつ店で薬購入。青森駅に戻り前、20:02極楽湯、21:51半田屋青森石江店で夕食。弘前早朝5:31給油。
●28日、青森-弘前。バスで仙台。バスで仙台六丁の目-福島。平野駅から福島駅。福島-仙台。
●29日~30日、29日の早朝、仙台沖野-白石蔵王-JRで北仙台へ。夕方になって、名取から厚木へ。途中、21:02道の駅安達サンクスでパン買う。五霞、庄和の道の駅で仮眠。
30日、 庄和の道の駅9:00、環7で厚木12:00。12:09相鉄ローゼン厚木林店で弁当購入。14:00過ぎ厚木駅から北千住へ。18:14ショップ墨田鐘ヶ淵店で312円分購入。19:14イイダ向島店でパン購入。GWの最中とは思われないような気分の中、意味のある道というわけではないが、北千住から東向島まで東武線沿いを4/30の午後、歩いた。北千住駅内の百貨店は賑わっていて、地方の閑散さと不景気はどこ吹く風という感じだった。牛田駅の踏切を過ぎて、綾瀬橋の手前で自転車のおじさんに東向島駅の方向を尋ねると「歩くとかなりあるよ。堀切駅がすぐそばにある」と言う。「いえ、線路沿いに歩いているんです」と答えると、「あちらの方だ」親切に道を教えてくれた。道筋には紙が散らかっている、公共物の塗装もかなり剥げている。心ある人たちが「街を美しく」と行動すればいいのにと思う。ボランティアなのに、修繕材料費がかかってはかなわないので、それらは行政などから補助することで解決すればいい。そうすると綺麗な市町村になるだろうと考えながら歩いた。堤通の交差点そばを通過する時、単独で居たホームレスの人を見かけた。うつろな目をしていたので、目があったというわけではないが、そばに回収して金にするだろうと思われるペットボトルを集めた袋が放り出して座り込んでいる。心に引っかかったが、その場は、そのまま通過した。そして、鐘ヶ淵駅方向に歩いて、踏切を渡りながら考えた。20年数前、秋田市内の銀行のキャッシュディスペンサーで、前の人が何度も操作を繰り返していた。僕も急いでもいたので、「どうしたんですか?」と声を掛けると、「金が下ろせない」と言う。一体幾らと訊くとその人の通帳残高は731円である。僕はその時、会社関係の入金で1000円の余分もなかった。もし、余裕があれば、1000円札を1枚躊躇なく差し出したであろう。それができなかったことが、これまで心に引っかかっていた。今日のことも、きっと後悔する!今、余裕のある生活をしているわけではないので、ホームレスの人に1000円を渡すことはできなかった。国道6号線への道すがら考えた。<しかし、あの人は今夜の食べ物もないかもしれぬ>。もう、1kmは過ぎた。しかし、時間はたっぷりある。そばに99円ショップがあった。店に入り、2個入りのあんぱんと、量が多い方がいいかも知れぬと味は甘くはないが、数個入ったボリュームのあるパン、それに必要なのは飲み物!紙パックの飲料もいいかも知れぬが、それでは一度で飲まねばならぬ。900mlのペットボトルのお茶を購入。わずか計312円。店を出ると、3kmほど歩いてそれなりに疲れていたが、足は軽やかだった。赤信号も無視してその場所に戻った。そして、建物の陰の同じ場所に、…居た!ペットボトルの袋を脇に寄せている。さっきより少し元気そうだ。周囲には通行人はいない。 ほんの一瞬、間があき、ちょっと大声で「あのぅ!…良かったらこれ食べてください」と袋を差し出した。彼は僕を見上げて、少しびっくりしたけれど小さな声で「すみません」と言いながら受け取った。僕は、そのまま振り向きもせずに立ち去った。鐘ヶ淵駅の踏切まで再び戻り、今度は、線路伝いに東向島駅に向かった。ホームレスは怠け者とかいう批判もあるが、目の前にいる彼の、今日の飯がないことが問題なのだと思う。僕は、金があれば、迷うことなく1万6000人のホームレスを救うだろう。我は、「ホームレスに手を差し伸べるのが美徳」という個人の行動を躊躇なく押し進め、根本的社会的救済を願うものなり。東向島駅から、両国駅に移動。駅員の説明は何となく分かった。乗り換え切符を自動販売機で購入。ホームに上がる。う~む、いまいち分からんぞ。既に向こうから電車がやってくる。そばの小学生に訊くのも癪。それで、少し離れたところに立っている若い女性に訊く。「次の曳舟駅で乗り換えですよ」。到着した電車に乗りこんだ。曳舟駅で下車。ホームの上を見るも亀戸の文字がない。先ほどの妙齢嬢も同じホームにいた。目があった。僕「ここぢゃあなさそうですね」、妙齢嬢「階段を下りて、あちら」、僕「ありがとう」 2分連絡の電車に乗れた。ちょっと妙齢嬢が女神に思えた。北に向かい、那須の7-11の駐車場で眠る。翌5月1日、345km走って仙台に戻る。
●21日、川渡温泉・藤島旅館。仙台から、R48で関山峠を越えて、東根に下り、R13を北上。村山エリアでは道路脇に積雪もあり、小雪が舞った。 秋田で所用を済ませ、再びR13を戻る。新庄でもつラーメンを食べようと市街地を走り回る。いずれも18時ながら既に閉店。3軒目の梅屋で、「ビッグコミックオリジナル」2007.1.5号を見ながら、大盛を食べた。新庄の「もつラーメン」。小生の好みは、末広、一茶庵支店、梅屋の順である。市内には他に、一心亭、一茶庵分店、おばちゃんの店、急行食堂、柴田食堂、東北園、ならま、七福がある。このエリア内では、金山の餃子園、最上町のさざわ、舟形のとろっこ、真室川の大吉でも食べることができる。満腹になって、R47を東進。鳴子温泉郷の川渡温泉・藤島旅館で入浴。常時4~5人しか入浴客はいなかった。以前の記憶が薄れていたのか、写真では深そうにみえるけど、意外にこの湯治部の浴槽は浅いものだった。 藤島旅館の表示で、説明に「源泉は放流式」と表示されていた。 源泉循環問題が起こった時、「掛け流し」という言葉が大いに取り入れられた。今でも大勢がそうである。 しかし「掛け」という言葉には、湯が浴槽に注がれるようなイメージは思い浮かばないだろう。Webで一部「垂れ流し」という言葉を使われているのは論外であるが、この「掛け流し」というのも、はなはだ疑問。「掛け」る物(=受ける板など)はなく、湯の表面に直接、ドボドボと注がれることが多いからである。「循環」に対するならば、「放流」の方がふさわしいと以前から主張していたが、日本温泉協会の表示で、この言葉を取り入れていたので嬉しかった。全国の温泉宿でもいずれ、「掛け流し」がすべて「放流式」という表示になるであろうと思われる。 この藤島旅館は、現在配布されている「フレンロード」という東日本高速道路が発行したクーポンパンフレットに収載されている。大人200円という価格そのものが安いのであるが、優待割引で200円が150円に割引される。この藤島旅館は、地域にとても好意的。きっと余裕のある経営なのだろうな。旅館の建物や内部の造り、女将を初め、宿の人が昔の温泉旅館の従業員といった風情を持っている。かつて、この浴場は24時間営業だった。心ない阿呆な若者が夜中に騒ぐため、やむなくそれをやめたのだ。しかし今でも7~23時の受け入れをしている。湯治生活を送るのもよさげ。クーポンパンフレット「フレンロード」の施設募集を画策した小生としてはぜひ、有効期限内の4/19までに一度は利用したかったのである。川渡温泉から、岩出山、色麻、大衡を経て22時、帰仙した。
●24日、村山・鳴子周遊ドライブ。国道48号を西進、大倉ダムの先にある定義如来に向い、ひさしぶりに三角油揚げを食べ、如来参拝。ダム湖畔を一周して、国道48号に戻り、春まだ来の作並温泉を経て、関山トンネルを抜けて山形県へ。天童温泉の市街を走り、ふれあい荘で入浴。熱めの透明泉は、湯上がりが気持ちいい。入浴料は100円と格安。天童バイパスで給油後、道の駅河北に向い、3階のレストラン豆福で、冷たい肉そば。最上川河川敷にはフリスビーの訓練をされる犬が走り回っていた。2階の展示フロアで雛人形を見る。東根から国道13号を北上、尾花沢市街地から銀山温泉へ。山に近づくに連れ、周囲の畑は全くの雪原になってきた。観光客で賑わう銀山温泉を少しだけ見学、県道短絡路で山刀伐トンネルを抜け、国道47号に出る。中山平温泉のしんとろの湯の前の蒸気温泉の吹き出しを見て、鳴子温泉の滝の湯共同浴場、川渡温泉の藤島旅館などを経て、あら伊達な道の駅。岩出山の店舗に立ち寄り、大衡で国道4号に合流。渋滞の仙台バイパスを南下、ダイヤモンドシティで買い物をして帰宅。
●1日、元旦につき、村田町の白鳥神社にお参り。この白鳥神社は大規模ではないが、境内の大きな藤の木が有名。源義家の伝説に由来し、奥州の蛇藤といわれる。25mほどの長さで、季節には大蛇に見えることからこの名がある。他にも、欅、公孫樹、椙の大木が屹立している。斜めに直線上に延びる松の木も参道にある。帰り際にレンタカー利用の外国人一家がいて、人形のような小姉妹の写真を撮った。蔵王連峰に向って走り、遠刈田温泉の神の湯に入浴¥300。センター浴場改築後初めて利用。前の浴場の方が格段に良かった。入浴客がいっぱいだった。ゆっくり入浴。行きは、近道をしたつもりが2時間ほどかかったけれど、帰りは1時間で帰仙。
●26日、仙台から東北道を北へ。若柳金成ICで降りて、一関、平泉経由で水沢の薬師堂温泉。露天風呂を撮影後、短絡ルートを選び水沢、黒石寺・正法寺、千厩経由気仙沼。13:00防災センター。13:00から、第2回リアス四季フォトコンテストの応募作品の審査。終了後、ホテル気仙沼プラザに投宿。休憩後、街中の食事処宮登で夕食。K新報のT記者も同席。しばし後、スナック音里優、3次会でスナック&喫茶風蘭。カラオケで尾崎紀世彦の「また逢う日まで」を歌う。23:30ホテルに戻り入浴。テレビも電灯も点けたまま就寝。
・27日、8:00起床。朝食後、ホテル関係者とロビーで少し話。話していると業務の疲れもあったのか、話が面白くなかったのか3回忍び欠伸をされた。船に乗ろうと商港岸壁へ。時間はなかったが、11:10のフェリーに乗れば、その船が復便になり、現地で20分の時間がある。焼酎を1本買い込み、商港岸壁から、大島へ。冬の海と思えないのどかな日和、穏やかな海。15分で大島の浦の浜に到着。3年ぶりにおつぎやの菊田ばっぱと再会。マツモなどをお土産に貰う。11:50のフェリーで商港に戻る。13:30から、フォトコンテスト関連行事の「写真塾」に助言者として参加。全員から写真歴、機材、興味を訊く。高校生も参加していた。全体的に充実した塾になった。
この日のことを「薪仙人のつぶやき」というブログの2006年12月22日のところで紹介している。その内容は、
「第2回リアス四季写真塾が開かれます。写真に興味のある方ならどなたでも参加できます。(参加費無料)
気仙沼本吉地域広域行政事務組合では,今年もリアス四季フォトコンテストの一環として写真塾を開催します。
講師はフォトコンテストの審査長で仙台市在住の齋藤秀一氏です。今回のテーマは「写真の原点に返る」です。持ち込み写真による指導や,フィルム・デジタル写真についての様々な悩みについてもお答えします。
日時:平成19年1月27日(土)午後1時30分~午後4時まで
会場:気仙沼・本吉地域広域行政事務組合2階視聴覚室
住所:気仙沼市赤岩五駄鱈43-2
電話:0226-22-9111
講師:宮城大学事業構想学部デザイン情報学科講師・齋藤秀一氏
講師:東北レジャー情報編集長・松本礼二氏
参加申込:参加を希望される方は1月25日(木)までに,電話又はFAXにて申し込んでください。
○気仙沼・本吉地域広域行政事務組合事務局 佐藤又は三浦まで
リアス四季フォトコンテストへの作品も募集しております。
応募締切は平成19年1月22日(月)です。皆さんの応募をお待ちします」
17:00、辞去。国道45号を南下。途中石巻フジヤで買い物して、東松島市のうまいもの屋飯場で肉野菜味噌炒定食を食べ、帰仙。
●10日、朝、松島へ。自宅至近の仙台東ICからだと、ほぼ10分で三陸自動車道松島海岸ICに到着する。なので、自宅からは25分ほどで日本三景松島ぢゃあ!この日、利府中IC点前で、オルティアが280000kmになった。走行中、その瞬間をハンドルの間に手を突っ込んで、携帯で撮影。松島は晴れていたス。
●11日、仙台は快晴。市内上杉愛宕通の公孫樹は、かなり落葉。地面はまっ黄色!これスリップするんだよね。 ちなみに、先日、秋田行の帰りに道の駅おがちで購入したギンナンを鉢植えしました。きっと芽が出るはず
●19日、作並温泉に行く。ここは仙台市郊外、青葉区作並にある仙台の奥座敷のひとつ。仙台宮城ICから国道48号で20km、30分ほどで到着する。JRだと仙台駅から仙山線で作並駅まで30分。駅からは歩けないことはないが、少し遠く、宿泊の場合は、各宿の迎えバスがある。仙台市のシンボルとして愛されている清流、広瀬川沿いにR48を関山峠方面に走る。ニッカウヰスキーの仙台工場を過ぎると、間もなく国道傍に親子3本のこけしが見えてくる。これは宮城四大こけしのひとつ、作並こけしの歓迎塔のモニュメントだ。そしてほどなく国道沿いながら深い緑の中で静かな佇まいをみせる作並温泉に到着する。
・作並温泉は養老5年(721)元正天皇の頃に、全国を行脚していた僧・行基が谷底にある源泉を発見したと伝えられている。あるいはまた文治の役(1189)の時、奥州平泉の藤原氏を討つ源頼朝が、この地を通過した際、矢で傷を負った鷹がしばし湯浴みをして飛び去ったのを見て、自らも入浴、その効能を知り、兵馬もここで休ませたのが始まりという伝説もある。いずれ作並温泉随一の老舗宿、岩松旅館の祖・岩松喜惣政が藩主伊達斉村の許可を得て寛政8年(1796)に元湯を開いたのが温泉としての歴史が始まり。その後の温泉街の発展の礎を築いた。当時、湯舟まで9折97段の石段を設けたといわれる。源泉は滝湯・鷹湯・目湯・新湯・河原湯の5つの湯口が古湯としてある。その後、安政元年(1854)に山形の僧秀泉が鶴湯・岩亀湯の2つの源泉を発見、この他、神の湯・佐倉湯を加え、現在全部で、いずれも川床に13の源泉があり、43~57度の単純泉と含食塩芒硝泉が湧出している。湯ざめしにくい肌ざわりのいい湯は貧血症・関節痛・神経痛・皮膚病・胃腸病などに効く。
現在、作並温泉の宿は10軒弱で、多くがR48沿いにある。アクセスの良さから企業関係の保養所も数軒ある。渓流の傍まで長い階段で降りていく情緒ある露天岩風呂のある岩松旅館、川沿いの風情ある露天風呂を持った一の坊、リゾートホテルであるグリーンガーデンLa楽リゾートという大型の宿3軒と、中小の和風旅館から成り、温泉街全体も、どこかのどかな雰囲気だ。共同浴場はないが、都の湯(700円)という日帰り施設がある。宿で日帰り入浴を受け付けているので利用したい。特に一の坊の、夜22時まで入浴可能な日帰りシステムは館内にある大根茶屋ともどもおすすめ。来仙し、市内のホテルに泊める場合でも、このお風呂で旧友を歓迎するというのも粋。20時に男女浴場の入れ替えがある。作並温泉地内には伝統こけしを実演販売しているこけし店もある。作並温泉付近は自然にも恵まれ、落葉する広葉樹が多く、新緑・紅葉の頃は特に美しい。広瀬川を遡れば渓流釣りが楽しめるポイントもあり、下流には鳳鳴四十八滝という大小無数の流れ落ちる滝の名所、また近くにはニッカウヰスキー仙台宮城峡工場や定義如来など観光スポットも数多い。
問合せは、作並温泉観光案内所022-395-2052。
●22日、午後、仙台市泉区の将監ふれあい市場に行った。ここは以前は公設の市場だったところ。3年前に改築されたらしい。前の方が風情があったのに。 仙台駅前の朝市は、しかし相変わらず健在。これはかつての仙台の雰囲気を残しているものと思う。ずっと続いて欲しいですネ。
●28日、ちょっと略式だけど、「SENDAI光のページェント」を見に行く。 18時過ぎ、定禅寺通を往復。141ビルあたりは、それほど寒くない週末ということもあり、人出はそれなり。全体的には、多いという感じはなかった。 19時少し前、一斉に消灯され、再度点灯するスターライトウィンクの時は、青葉通にいた。まぁこれはこれでいい。2006年は予算の関係で、100万個が70万個に減されたという電球の数字は、おおいに世相を反映しているようにも思えた。
●3日、快晴の仙台を10時に出発して、作並温泉付近のR48の紅葉を見ながらドライブ。東根でラ・フランスわけあり、牛蒡、白菜などを購入。河北町経由、R112で月山湖。ちょうど13時の正時からの噴水をラ・フランスなんぞを食べながら見る。R112を更に西へ。月山道路の紅葉も終わり気味。途中、湯殿山方面に向い旧R112を戻る。この路線もほとんど紅葉は終了していた。沿道で、湧水を給水後、月山湖に戻り、県道27をに西川町の大井沢方面に走る。ここは寒河江川沿いに紅葉の山々が続いていた。 途中、根子沢に沿った林道に分け入り、行き止まり。戻りながら紅葉観賞。 県道に戻り、大井沢トンネルを抜け、大江町の柳川温泉に入浴。300円。玄関先の温泉水を給水。夕焼けは背後に、R287に戻る途中、産直所で林檎、南瓜購入。ラ・フランスはここの方が安かった。河北町の道の駅のレストラン豆福は早仕舞いのため、すぐそばのそば吉で冷たい肉そばを食べる。相変わらず美味。ほぼ満月を正面にしてR48を戻る。途中、作並温泉先から渋滞気味だったのは、紅葉狩り客のせいであろう。鳴子峡付近のR47は同時刻、大渋滞だったそうだから。
市内に戻ってホームセンターで買い物などして帰宅。
●9日、秋田協同印刷吉川隆夫総務部長に会う。
●12日、仙台MCA会館で、上杉九条の会。宮城県学習協議会理事長の鈴木楫吉さんが「戦時中の動揺と童話」と題して話した。
●19日、午後に仙台国際センターで開催された「憲法9条を守る宮城集会2006」に参加してきた。
オープニングのハーモニー・オブ・アーティクル9は聴かなかった。塚野淳一氏のチェロは先日アエルの集いで聴いたばかり。哀愁を帯びた音色が印象的だった。11/19は独奏でなく、ピアノも加わってまた雰囲気が違ったであろうが、その時間には国際センターに着けなかった。後藤東陽氏の挨拶含め、第2会場で、小田実氏の講演を聴いた。 かつて氏のベ平連時代以前の青年時代の体験を綴った『何でも見てやろう』という氏の著作に小生、感銘を受けたことがある。そのため一時、外国語大学進学を志望したこともあったほどである。 氏は、舞台上に、まるで旅行者のように鞄を片手に現れた。軽い猫背で、白髪に変わった姿が、特別に、小生にとってもの長い歳月を目の当たりにした感じを受けた。彼は、「諸君が座って聴いているのに、私が立ったまま喋るのは不公平だ」と皆を笑わせながら、座して語り始めた。
「市民」の立場の論調、批判的精神は一貫していた。日本が、戦前の自分たちの国際社会に占めていた挑戦的な立場のことについては平気なまま、世界に非戦・平和宣言した「日本国憲法」の現代における位置、憲法9条の旬的存在を強調した。世界的にも珍しい前文、そして憲法24、25、26条をも紹介した。今、市民が立ち上がるべき時だと、柔らかながら力強く述べているようであった。 講演後、聴衆の拍手を背に受けながらも、振り返ることなく2度ほど、軽く手を挙げて、舞台の袖に戻る氏が印象的だった。
●28日~29日、秋田へ行った。恩人というか、もう一人の父親のような存在の人が亡くなったのだった。悲しみが表に現れるかと思っていたら、式場に着いて、身内の人には反応しなかったのに、彼の近所の人に挨拶に行った時、涙が出て、声が上擦った。 葬儀は人前葬で行なわれた。小生は、弔電を読んだ。数十名分の電報は重く、急いで読み上げたにもかかわらず、10分近くを要した。無神論者であることは別にしても、最後には献体をしたという彼の一生はある意味、壮絶なものだった。その存在は、千の風になって空に流れて行ったのである
●30日、石巻市の北上町に行った。北上川河口に沿って、県道が走る。初冬を迎えた河原は葦原である。葦にそよぐ風のサワサワは、「日本の音100選」のひとつでもある。 後年2011年3月11日に東日本大震災で津波に襲われた大川小学校を過ぎて長面浦というところに「のんびり村」という体験民宿がある。2度目の訪問である。ご主人が帰宅するまで、高台から浦を眺めた。浦沿いに車道の切れる場所まで走ったりしてみた。このあたりは、日本の典型的な里浜かもしれないが、なぜか、少し寂しかった。
●1日、日曜日、晴れたので松島方面に走る。双観山から七ヶ浜方面を見たあと、松島海岸の県営中娑婆へ。遊覧船の就航する桟橋付近には観光バスの団体客、個人客、外国人客などが多く歩いていた。五大堂も人気。遊覧船がひっきりなしに発着するのもこの小島から良く見えた。
・ところで松島の「日本三景」のゆえんは江戸時代、幕府の儒学者林春斎(鵞峰と号した。林羅山の子。『寛永系図』『本朝通鑑』を編纂した)が「日本国事跡考」(1643)の中で「松島、此島之外有小島若干。殆如盆池月波之景、境致之佳興丹後天橋立安芸厳島(宮島)、為三処奇観」と評したことによっている。ここでいう「三処奇観」の「奇観」の奇という字は、「足偏に奇」の文字=「あしなえ」の元になっている文字。つまり「奇」は人の体(大)が角張って(=可)曲がっているために目立っているという意味である。これは、日本全国を旅したといわれている林春斎が当時の日本の風景の中で「変わった景色の場所」として紹介したに過ぎない。「奇観」は「変わった景色の場所」であって「日本ベスト3景色の場所」ではないということも知っておくべきであろう。
鬱蒼とした杉林の瑞巌寺庭園を散策する。本堂正面から杉並木を通して山門の向こうに松島の海が見える。国宝のひとつである境内の本堂は間もなく10年程の修理に入る。
駐車場に戻る途中、松島レトロ館に立ち寄る。館長の梶山氏に久しぶりに再会。ここは秋田県秋の宮温泉郷にある秋乃宮博物館の姉妹館で、その館長である油谷氏とは、小生古くからの知り合いである。大正・昭和時代の郷愁物をわんさか保管・展示している。久慈の伊助、山形県高畠町のミニ昭和資料館などとともに、これから注目されたい存在である。
松島から、高城町を経由して、パークライン途中の、かき道楽で昼食。かきバーターラーメンを食べる。宮戸島の大浜、月浜を回り、石巻へ。先日テレビで放映していたふじやで買い物。国道45号を引き返して、曇り空になった夕刻、帰仙。帰りに塩竈の漁港で栗毛蟹、鮭などを購入して、帰仙。
●10.13~14磐梯高原方面への秋のドライブ
例年、10月10日頃が、磐梯吾妻スカイラインの紅葉最盛期である。ネットで紅葉状況を検索したが、見つからない。ほとんど情報がない!このネット時代だというのに。
13日、早暁の曇天が、6時頃には青空に変わったので、国道4号を南下した。飯坂温泉を経て、フルーツラインから磐梯吾妻スカイラインへ。高湯温泉の安達屋は改装中であった。この高湯温泉の上部に磐梯吾妻スカイラインの北側入口がある。ゲートはこの10月ならば、朝は7時までは料金の徴収をしていない。以前、深夜にここを通過、すぐ上の駐車スペースで星空を撮影したことがある。これらの有料道路は、時間外通行可なので、その月毎の営業時間の情報があれば、ある種の人たちにはいい情報になるであろう。が、この情報もほとんどない!このネット時代だというのに。
このスカイラインの沿道には、作家井上靖氏の命名である吾妻八景の景勝地である白樺の峰、つばくろ谷、天狗の庭などが続く。 紅葉は2006年は3日遅れと聞いていたが、どうもここらを見た限りでは例年通りのようであった。つまり、13日は少し遅かったのである。浄土平が近づいて、登山者が小粒に見える吾妻小富士の稜線も透き通った空気の中で美しかった。土湯峠に抜け、猪苗代町へ下る。有料道路のレークラインを迂回して、五色沼へ。ちょうど太陽が雲にかかっていたが、毘沙門沼の湖面の色はいつものように碧かった。桧原湖の東岸を北上、早稲沢の民宿えんどうの店に立ち寄る。野菜を購入。主人の遠藤栄久氏が舟を修理中とのことで湖畔に向かう。ちょうどお昼時。蕎麦をごちそうになってしまった。前日、この秋11/4放送TV特番のため保阪尚輝氏が宿泊したとのこと。磐梯山登山、桧原湖釣りが紹介されるらしい。遠藤氏はこの北塩原村の村議でもある。その遠藤氏とのつきあいは長い。民宿えんどうは、この磐梯高原早稲沢地区にある温泉宿で、高原野菜を育て、桧原湖での釣り、修学旅行生の体験学習も受け入れている。これまで幾度か泊まっている。冬期間の公魚の穴釣りも2度ほど経験した。最近は、スキー宿泊客が減少の中、公魚の穴釣りが人気でスキーとのセットでの宿泊も多くなっているという。旅行が日帰り傾向になる中、特に朝晩にこと釣果がある公魚釣りなどとの組み合わせは効果的であると思われる。 懸案の露天風呂を2005年に造ったとのこと。昼食後、撮影がてら、入浴させてもらった。2つの泉質の温泉で、露天風呂の方に湧く73度の湯はバルブ調節されていたが、男湯の方は熱く、女湯の方はぬるめであった。民宿えんどうを辞去し、西吾妻スカイバレーに向う。東鉢山の展望台から桧原湖と磐梯山を遠望した。白布峠を越えて、山形県へ。福島側と頂上付近から山形側に下ったあたりは紅葉の最盛期であった。それなりに美しく、スカイラインでと同様にカメラマンが多く見られた。道の脇に野生の猿が遊ぶ白布温泉を経て、米沢の街へ。松が岬公園にある上杉神社に立ち寄りる。国道13号を北上、高畠町から113号で七ヶ宿町を経由、いつもの県道を短絡、遠刈田温泉を経て、ここ果物を購入する。東北道村田ICから仙台東部道路長町ICまで走って帰宅。
●26日、牛乳を扱う三愛社の小田切禎三氏の「米寿を祝う集い」に参加。
●28日、秋田市民郷土史懇話会の会長になっていた渡部景俊氏に会う。
●3日、仙台市の南部に住んで、行こういこうと思っていた名取市の閖上朝市にようやく行ってきた。車で15分のところにある。7時少し前に到着したが、買い物客でかなり混み合っていた。いつの時間帯が一番混雑するのかは分からなかった。場内は、北側に野菜の他、骨董品、菓子、パン、乾物などと飲食の店のブロック、南側が魚介類のブロックで、概して廉価の印象を受けた。渡り蟹、鮪、何かの魚、蜆、胡瓜などを購入、1皿300円は2皿なら500円などということもあり、3400円で両手にいっぱいになった。相馬やいわきなどによく行っていたが、この閖上朝市も悪くなさそうであった。
●12日夕刻、「秋田県湯沢雄勝観光説明会」に参加。観光地・モデルコース・西馬音内盆踊りの紹介が、当局と、地元で選出される小町娘の説明でなされた。全国に名を知られるようになった西馬音内盆踊りを中核にして、売り込みをしようとしている。小生はかつて1度、そして2005年には2泊3日で盆踊りを撮影に行き、町内も取材で回り、現地にはとても詳しくなった。
・1市1町1村からなる秋田県湯沢雄勝地域は、取っ付きの景勝地がないため、情報誌で秋田県の観光地紹介の際はあまり取り上げられないことが多い(勿論、その県を一冊にした場合はひとつのエリアにはなるが)。しかし、秋の宮温・泥湯・小安峡温泉、稲庭うどん・冷やかけ蕎麦・拉麺などの食べ物、西馬音内盆踊り・小町まつり・犬っこまつり・七夕絵どうろうまつり・大名行列の祭り、清酒・牛肉・漆器などの産業に恵まれたところではある。
・一般に自分の地域は、観光的に物件がない!と思案される中で、この地域は温泉や食べ物の存在だけでも、再訪するに十分な可能性がある。秋田県南にあって、仙台にはもっと早くから目を向けなければならなかった。距離的に近いところほど力を入れるべきである。東北地方の自治体はよく東京方面に売り込みしているが、効果は大きくないのでほどほどで結構。宣伝活動は二等辺三角形型で行なうべきなのである。特に近隣の大都市に売り込みをすることを最初に、そして繰り返し行なわねばならぬことである(ただ、全国誌の記者を現地招待するのは有効であろう。おいそれとはこないけど)。こういう場合、話題性が必要である。小安峡温泉に峡谷を眺めながら休憩できる杖立温泉にあるような休憩施設を造るとか、小安峡に大自然バンジージャンプ設置するとか、木地山キャンプ場の露天風呂を超弩級規模にしてしまうとか、小町まつりで小町サミットを開催して生誕地争いを行なうとか、そういうようなこと。
・参加した幾人かと話をした。
・難しいかもしれぬが観光大使を置くこと。
・温泉の宿泊客、まつりの観客が、この地域に来た時にもっと他の場所に足を延ばす、また他の季節にも来るための小冊子をの作成、つまり観光手形を発行すること。
・道の駅おがちをもっと観光拠点化すること。
・夜間、早朝のイベントを企画して宿泊需要につなげること。
・雄物川水系上流部にあってここは秋田県有数の美人の産地である。美形を全面に出すと人権的に問題があるが、その雰囲気を漂わせることが印象として重要である。なんせ、ここは「世界三大美人」の小野小町の生地なのであるから、これを利用しない手はない。「日本に」でなく世界に3ヶ所なのだから(平安美人が現代美人かどうかはどうでもいい)
・その他
・新しい郷土料理の創作
・産業観光の可能性
・典型的果物狩りシステム
・稲庭うどん・冷やかけ蕎麦・ラーメンという三大麺の可能性(この地域には三大づくし=三大美人の他、稲庭うどんという三大うどん、川原毛地獄という三大霊場もある)
・秋の宮温泉郷を郷愁で飾ってしまう=秋の宮温泉郷には秋乃宮博物館という珍しいレトロ博物施設がある。館内には今流行の昭和時代の物品もたくさん展示されている。こうした施設は個人経営のとはいえ行政が後押しして力を入れる価値がある。もちろん地元では湯めぐり(1000円で3宿の入浴か圏内の数店で200円の割引利用<後者は意図不明で吝嗇臭い>)が行われている。
30年先を展望した桜並木=役内川にはほどほどの桜並木がある。ここには夏には蛍も舞う。
・犬っこまつりなんかでの犬造り大会なども考えたいところである。
・今回の説明会は在仙の旅行エージェント、マスコミが対象だが、予定されていた数に達せず、少し低調であった。特にマスコミは2社しか参加していず、仙台での秋田県に対する思いの弱さが如実に表れていたと思えた。主催者にとって、こういう大規模でない会では、参加者に意見を聴く場を遠慮なく設けるとよかったのだが。参加者もちょっと大変だが、それで鍛えられる。また当日、西馬音内盆踊りの公式ガイドブックが現地で発行されているのに参加者に配布されないのが残念であった。会場で、秋田県雄勝地域振興局石川透局長、総務企画部菅原政志地域振興監、地域企画課こまちの郷観光班振興班湯瀬芳博主査兼班長・藤原亨主査、同じく企画地域振興商工班藤原武司主事、伊藤茂樹主任、皆瀬観光協会伊藤多郎兵衛会長、秋の宮温泉郷ブラッシュアップネットワーク情報委員会菅副委員長らに会う。
●23日、仙台を8:00出発、東北道泉IC-一関IC。R342で厳美渓に立ち寄り、見学。いつくし園撮影。須川高原。10:30栗駒山荘でデジカメバッテリー充電をお願いして、入浴後、鳥海山を眺望する快晴の露天風呂を撮影。大蒜とトマトを購入。栗駒道路-R398で小安峡に下り、大噴湯を眺めおろす。湯沢から西馬音内盆踊りで知られる羽後町に立ち寄り、小太郎そばは既に店じまいのため、弥助そばで冷やかけそば、長屋であたごせんべい購入。R13に戻り、横手のかまくら館を経て、県道11号で、角館。武家屋敷と桧木内川を回り、R46、105で田沢湖に出る。たつこ姫像近くの店で20年ぶりくらいに豚まんを食べる。北岸を経由R341で玉川、夕暮れのアスピーテライン。八幡平ライジングサンホテル投宿。懇親会に参加。1:00に三次会終了後、入浴。
・24日、朝食後、8:00宿出立。松川温泉、地熱発電所、樹海ライン、藤七温泉、八幡平頂上駐車場、御在所で西洋梨を購入。アスピーテラインを下り物産館でセロリなどの野菜購入。ノスタルジックカー会場へ。焼きそばを食べたり、無料提供のオールドファッションコーラを飲みながら青空の下で見学。物産館あすぴーてにてフレンロード優待割引券でソフトクリーム購入。松尾八幡平IC前で給油。R282道の駅西根で山田生せんべい購入。R4で盛岡市街地を経て、更にR4南下、水沢で野菜などを購入、どんどん南下、18:00帰仙。総走行距離663km。
●8日、上杉コミュニティセンターで、上杉九条の会の仙台空襲を語る会。昔話を語る会主宰者早川寿さんを12:00に太白区西多賀の自宅まで迎えに行く。「21世紀に向けて何を引き継ぐか」と題して話した。終了後、早川氏を自宅まで送り、世話人会。
●9日、山形県白鷹町、昼過ぎから国道4号を南下、福島競馬場を撮影。丁度、競馬開催日で付近は大渋滞していた。国道13号で、栗子トンネルを抜けて、米沢を経由、県道239、242号と乗り継いで川西町の幸来橋で国道113号に出る。この付近はかつて地図現地調査で走り回った懐かしい場所だった。今泉で、国道287号に入り、長井市街地を抜け、白鷹町へ。産直所どりいむで、南瓜・葱・胡瓜を購入。15:25にフラワー長井線の終着駅荒砥駅に着く。丁度到着していた車両や、終着駅標のある構内、駅舎内の資料室などを撮影。駅管理受託のシルバー人材、地元の大聖院の別部清昌住職から丁寧に案内される。辞去後、国道287号から黒滝橋を渡る。ここはかつて黒滝があり、上流への船を阻んでいた場所。江戸時代京都の豪商西村久左衛門がこの地の黒滝を掘削、米沢方面への就航を果たした。その先、深山地区にあるのどか村の施設を見学。すぐ近くにある97戸ある深山地区の唯一の茅葺き屋根の横澤宅で、ご当主としばし話。種なし葡萄、キリンと契約栽培しているホップ、かつての都会への出稼ぎのことなどを聞く。「葡萄の実る頃またいらっしゃい」という声に送られる。ところで、最上川が町を貫流する白鷹町は鮎、紬、紅花、桜、蕎麦の里で、パレス松風という温泉施設もある。9代米沢藩主上杉治憲の号、鷹山の鷹はこの白鷹に由来している。また町内にはかつての鮎貝城跡に鮎貝八幡宮が鎮座する。戦国時代、長男忠旨(宗信)が最上義光と通じた際、父鮎貝盛次が伊達政宗側につき、鮎貝城落城後、次男の宗益が奉行職に就き、江戸時代を通じて伊達家上席家老の座で宮城気仙沼にあった歴史も伝わる。
横澤宅を後に、暖日山林道に入る。標高990.3mの暖日山の東側を通る、深山と朝日町太郎地区を結ぶ全長16kmの林道で、3kmほどの舗装以外の多くは砂利道。白鷹側は多くはそれほど暗くはないが対向車のためにライトを点けるほどの少し暗い林間の山道で、道路にも草が所々遮っている。途中に白鷹町境の近くに栃窪分校跡地もあった。碑は昭和57年11月の建立。眺望が開ける場所もあり景色も悪くない。中間8kmの地点に案内標識でホッとするが、えぇ~ここでまだ半分とも思わせる。車を停め、写真を撮るに、少しブレーキの焦げた匂いがする。砂利道のダートは意外に滑るため、雪道に近い感覚でないと危ないことは承知。途中には山小屋のような家屋が2ヶ所、廃車が3台あるくらい。もちろん起伏はたくさんあるし、カーブが連続するとはいえ、ほぼ等高線に沿ったといっていい平坦に近い、整備された林道で、FF車のオルティアでも不安はなかった。しかし流石に人家の見える場所に到達するとホッとした。16:15から抜けるまでの45分間、雨の日の夕方という時間的なこともあるだろうが、途中一台の車にも出会わなかった。朝日町の太郎地区から、町中心部宮宿に出て、国道287号をひたすら北上、河北町で、偶然見つけたあお木で冷たい肉そば。ちょっとお洒落な店で、豊富な鶏肉が美味だった。国道48号で関山トンネルを抜け、作並へ。サンクス駐車場で1時間ほど仮眠して、帰宅した。
●12日、仕事で仙台空港方面に走った。この秋、東北本線の名取駅に接続して、杜せきのした駅、美田園駅の2駅を経由して、仙台空港駅まで結ぶ全長7.1kmの新路線仙台空港線ができる。国道4号、4号バイパス、仙台東部道路などを高架橋で越え、空港滑走路の下をくぐる単線で、仙台駅から約23分で直結するアクセス鉄道になる。現在仙台空港までのアクセスは、仙台駅前からエアポートリムジンバスが運行されている。ずっと以前はこのバスが国道を通っていたため、渋滞により出発時刻を遅らせるということも時々あった。今は有料の仙台東部道路を使用するため、そういうこともなくなっているが、所要時間はそれでも約40分。この40分というのは、それはそれでいいのだが、道路状況でまだ不確定要素はある。少し時間的余裕を持つということが必要である。福岡市では、以前は博多駅-空港間はバで12分で、現在は地下鉄2駅、5分となっている。軌道を使用することにより、時間が読めるようになったということが重要である。仙台もそのような状況が生まれはする。しかし、この鉄道の必要性などが地元では、論議され続けた。採算性については依然、課題を残している。ともあれ、いま取りかかっている「東北の駅100選文庫」のため、先日の荒砥駅と同様、新駅である仙台空港駅を撮影に行ったのである。途中の高架の様子、そして塔屋から見た仙台空港駅のホームと、向こうに駅舎、少し分かりにくいが、駅と空港の建物を結ぶ渡り廊下。それなりのピッチで工事は進行していた。
空港周辺では、ここで土地を所有していた人たちが駐車場を経営している。今でも短期出張の場合は車利用が便利だが、この軌道ができることで、駐車場利用も少し減少するのかと思いながら、空港を後にした。まるで真夏を思わせる太陽が照りつけていた、梅雨の晴れ間が覗いたような蒸し暑い日であった。
●20日、mixi仲間というより、もっと以前からの友人であるDJ-Q氏がその友人相模原市の熱帯屋代表取締役木伏昌弘氏と一緒に仙台にやって来ていた。夕刻、電話があり、I旅館に伺った。この宿は仙台駅近くのすこぶる街中ながら廉価で利用できる穴場。さすがに旅慣れたDJ-Q氏である。3人で、週末的な人混みの中、仙台駅前付近、クリスロード、マーブルロードおおまちを歩き、国分町の韓国料理ハヌリで呑む。食事後、一旦宿に戻りかけて、DJ-Q氏の所望で、おでん三吉に行く。三吉の先代主人は、仙台秋田県人会の会長を務めた名物店主で、7年前に物故なさったとのこと(尤も小生は最近取材に来たばかりであったが)。瓜二つというと失礼だが、息子さんの仕切るカウンターで、各地のおでん屋の話なども伺いながら清酒を呑む。ビールには乾き物、濡れ物には酒が合う。少し肌寒い梅雨時であったせいもあろう、この夏の時期とは思えないほど店内はいっぱいであった。有名な干瓢で鉢巻きをした章魚、モヤシ、ツミレ、ツブ貝、空豆(これはおでんメニューでない)などを食い、3人とも玉子で締めとなった。DJ-Q氏はしきりに三吉を誉めていた。閉店になったので、辞去して、傘を差すかどうかを迷うような霧雨のわずか降り続く中、I旅館近くまで送り、小生は地下鉄勾当台公園から会社に戻ったのであった。
●29日、仙台市内の仙台市青年文化センターのコンサートホールで13:00から開催された「みやぎ憲法九条の会結成記念のつどい」に参加した。
・第一部は一橋大学大学院社会学研究科教授渡辺治氏の記念講演。途中からの参加であったが、話は理解しやすかった。盛況のため、第二会場のビデオで聞いた。ブッシュ、ラムズヘルド、小泉といずれの為政者にも「さん」づけで批判していたのに好感がもてた。レジュメがパンフレットとともに配布されていたので、前半もほぼ理解できた。
骨子によると、「憲法特に9条が現状と乖離しているので、現状に合わせるべき」という改憲派の主張は、「もともと憲法と現状は一致しない。だからこそ憲法が必要」という反論が述べられた。<校則と生徒の乱れがかけ離れているので、破られている現状に合わせるべきとか、長男の背丈が伸びてベッドが小さくなったから、長男の足を縮めるべきという愚行に等しいのだろう>
また、改憲派は「第9条はもう役に立たない」と主張しているが、9条が生きているからこそ、君たちは変えようとしているのだろう?というような反論も話されたようである
「第9条を改正しないと日本の安全が危ない」ということへの、北朝鮮や中国の脅威論などの関連での反論の後、
後半に入り、イラクへの参戦のために憲法9条の改正を、後送りにしたことや、当初の自民党案が、天皇元首化、国民の権利条文の削除なども盛り込まれていて、国民の反発必須を回避するため、第9条の改正と第96条(憲法改正の手続き)のみに絞って現在進めようとしているなども話された。<それにしても2005年10月の「自民党新憲法草案」の「全文」の冒頭の「ここに新しい憲法を制定する」などの文章的稚拙さは如何>講演終了後、アピールを採択してしばし休憩に入ったので、会場に移動した。
・「つどい」第二部の平和コンサートでは、ピアニストの稲垣達也氏の演奏「The Great Wing」で始まって、氏が進行役を務めた。他に、苫米地サトロ、モンゴルの馬頭琴演奏バヤラト、ケーナの高橋易宏、コントラバスの櫻井不二麿の各氏、それに合唱団による「ねがい」が歌われた。
ひさしぶりのピアノの音の余韻がホールに響いていたのが印象的であった。コントラバスの低周波を含んだようなバスの響きも耳に新鮮だった。
福島県出身、宮城亘理在住の苫米地サトロ氏の歌「ラッキードラゴン」「すてきなニュース」は、忌野清志郎を思わせたが、もっといい詞にさえ恵まれれば、ヒット曲がでるだろう声量と声質であった。氏の話で、かつて第五福竜丸の被爆の際、核兵器廃絶の署名が当時の有権者の半数を超えた運動になったというのも上杉九条の会に属する小生にとっては希望の湧く話になった。
この署名は有権者のみというのであろうが、「国民の有権者過半数」というならば、高校生は高校生で、中学生は中学生で集めてもいいように思うが、それを参考値として、国民運動に盛り上げるのも有用であろう。18~20歳の青年の署名を集めるのもいいな。せいぜいこの世代は400万人くらいしかいないだろうからね。
ところで、民族衣装を身に纏ったバヤラト氏の馬頭琴演奏「四季」は哀愁的ながら、軽快さも感じられて面白かった。ただ「英雄」という曲では、モンゴルの雄大さの表現が不十分に思えた、何か、他の人の目を意識して、演奏が萎縮しているようにさえ感じた。モンゴルという大地をテーマにしているのならば、他に捕われない孤高性をもっと持っていてもいいのではなかろうか。それとも、彼自身が既に十分に、孤高性を必要としない環境の中にいるのだろうか?と想像した。
オーボエ?と思ったがケーナと、ピアノ、コントラバスのデルタセッション「大陸の伝説」「Notes of Trees-樹の音」は良かった。この3つの内のひとつの楽器がなければどうだろうと、ひとつ一つの楽器の音の消去を試みたが、それにしても、いかにも曲に合っていたセッションであった。これって一般的な組み合わせなのだろうか?それとも練習の成果だろうか。
その後、馬頭琴が加わって「環太平洋モンゴロイド連盟」の4つの音色が場内に流れたが、これはちょっと猥雑であった。音が合わないというより、何か音が籠っている感じがしたのは会場の音響設備のせいではなかろう。最初のピアノと馬頭琴のスーホはあれほどよかったのにちょっと残念であった。しかし、終始ケーナの音は澄み切った音色を響かせ、過去の思いに浸ることができた。アンデスの歴史に、自身を思い出させるDNAがあろうとはとても考えられないが。ただ惜しむらくは、曲の最後に大きく伸ばした音色が、あまりにトーンが高すぎて、その調子のはずれ方が少し残念だった。
鈴虫の音色が日本人にはいい音として聞こえても、西洋人には雑音としてしか感じられないように、飛鳥時代に自分の先祖が生きていて、寺の境内での静寂や、鐘の音をどのように感じていたかというのは興味あることである。そんな過去の先祖のDNAの記憶を、輪廻と同様に小生は信じないが。
・「その手の中に」と「ねがい」という曲が「ねがい」を歌う合唱団によって歌われた。<「ねがい」を歌う合唱団>というのではなく、愛称でもいいから合唱団の名前をつければいいのに。1曲目の「その手の中に」は団員女性が手話で歌詞を訳していた。
・予定時間を15分ほど過ぎて、つどいは16:15に終了。賛助金の訴えがあったが、手元不如意であったことと、賛助封筒が小生のパンフレットにはどういうわけか挟まっていなかったことに乗じ、また、館内には多くいた裕福そうな年配の人たちにそれらはまかせて、時間のある人は時間を、金のある人は金を、行動力のある人は動くことで、という風に思って、胸を張って(?)会場を後にした。場内では数人の知り合いにあった。第2部でコンサートを聴いていた際には、隣の席には共産党県会議員のY氏が坐っていて、気まぐれに手を叩く小生に比して、演奏の終わる毎に、惜しみなく拍手をしていたのがY氏らしかった。
●30日午後、仙台文学館を訪ねた。社のすぐそばにあるにもかかわらず、県道沿いの坂道の上にある館の敷地内に初めて足を踏み入れたのであった。
仙台文学館は特徴的な構造の建物で、企画展以外は入館無料、館内の閲覧室などには日曜日、夏休みということもあって受験生とも思える学生や、家族連れも大勢いた。手作り絵本と開架式の図書などを眺めているとほとんど偶然に、その日、14:00から館長である井上ひさし氏の講演があることを知った。最初少し頭の部分を聞き逃したが、閉鎖された会場のすぐ前に特設されていた映写幕を見ながら講演に聞き入った。
氏は九条の会の世話人である。好きな喫煙の話<煙草に命を懸けているとのこと>なども余談にしながら、第二次世界大戦で日本人が310万人(実に国民の4%)も死に、日本軍がアジアの人々1500万人を殺戮したということことを政府公式記録に基づいて紹介した後、憲法の話を論じた。
・箇条書きで、特に勉強になったことを紹介したい(内容の誤りがあるかもしれないがそれは小生の責。<>は小生の補完文)。
そもそも自民党は憲法を変えるというのを党是としている政党である。それが国会で2/3を占めていることは<選挙制度などのこともあるが>それを選んだ国民の責任もある。憲法改正をわずか20日という期間で提案し、しかもその内容を論じてはならぬというのは、選挙法の誤った適用である。2年間くらいの期間<その間に選挙も行なってしかるべき>で国民に問うべきである。憲法を一活して変えるというのもおかしい。憲法全体を変えるというのは、普通ではない。米(第1条は奴隷制廃止を論じている?)、伊、仏国などでも本体は変えてはならぬという条文がある。共和制そのものは改憲の対象にならないというのだ。従ってそれは修正という作業しか行われていないのである。
東京裁判で1首謀者は殺さない、2戦勝国を裁かない、3処刑はしない、4国家の犯罪は問わないという申し合わせ(1945.8.8のロンドン協定)、人道・平和に対する罪の事後法的な面<これは国際連盟で既に確立していたと聞いたが>で問題は残している。
しかしこの人道・平和に対する罪の確立はその後の、ベトナム戦争などでアメリカ自身を縛り、裁いた。しかも、これは個人が国家を訴える根拠にもなれた。
明治維新以降、世界に追いつくため、当時の日本政府には国際法を学び、最も知識が集積していたし、遵守精神があった<今、映画になっている、例の徳島の板東俘虜収容所での独逸兵捕虜に対する人道的扱いには、このような背景があった。つまり、大正3年、第一次世界大戦の中国青島攻撃時の約4700人のドイツ兵捕虜の内、約1000人が、大正6年から2年10ヶ月間、板東の地に収容された。その時代の史料を紹介した施設。会津人であった所長の松江豊寿らが、俘虜たちの人権を尊重し、自主的な収容所生活を送らせた。当時、所内にドイツ国内の町のような商業施設を造り、学習、講演、スポーツ、音楽、演劇など文化活動も盛んに行った。中でもベートーベン「交響曲第九番」の演奏はよく知られている。また彼らは徳島の地に洋式のバター製造、製パン、洋菓子、建築、スポーツなどの知識、技術を伝えている>
憲法とは、国民が縛られる法律ではなく、国民が為政者に、こうしなければならぬということを定めたものである。
1945年2月の時点で敗戦の決意をしていれば、東京大空襲、沖縄決戦、原爆、ソ連の参戦(従ってその後、朝鮮戦争<300万人の朝鮮人民が死んだ>はなく、今のように朝鮮は南北に分離していなかった)などはなかった。また、国民がイタリアのように市民解放されれば、また違った国になっていた<しかし当時の日本には、共和制に移行する歴史的基盤、力はなかった>
戦後、中国が恨みの連鎖を断ち切るということもあり、賠償放棄の方針で、国民も納得した。これは、曲がりなりにも、太平洋戦争の日本側の責任は、それを引き起こしたとするA級戦犯によるのであって、日本人民が中国人民を殺戮したのではない、として決着したものである。それを1976年、ほぼ秘密裏に靖国神社に合祀し、その後、総理大臣が参拝するというのは、その時の責任者の処遇に対する日本自身の矛盾(=東京裁判でA級戦犯と認めたのに、後、それを否定するというのは、日本の責任を認めないことになる)があり、中国は靖国神社に対する公式参拝を許せないという状況が生まれる根拠がここにある。<そもそも合祀を国民が許していることも問題であろう。最近の天皇メモの影響はどうなるであろう。これは以前からいわれていたことで珍しいことではないが、メモという物的証拠で8/15首相に思いとどまらせるための日本政治の影の支配者の陰謀のような気もする。いずれ麻生太郎氏の「天皇陛下の参拝」の要請2006.1.28はしっかりと宙に浮いた>
敗戦時における関東軍とソ連とのシベリア抑留の際の捕虜60万人の扱いについての日本側の不十分さも指摘した。そして、天皇は他に対して謝ったが、日本国民に対しては謝罪していないとも<新作芝居のテーマらしい>。また憲法99条憲法尊重擁護義務、在日米軍への日本の援助が1人あたり1400万円であること、日本のYENのDEN(DOLLER+YEN)への切替提案の動きなども紹介した。
しかし、これらのことを放置しているのは、国民自身であることも同時に述べた。
井上氏は、最後に繰り返し述べたのは「現日本国憲法が、明治憲法や、今、提案されている憲法案よりも優れているので憲法改正には反対である」そして「世界的に見ても憲法のベスト3ともいえるものである」ということであった。<これらはいずれも謙遜的にいわれたことであり、日本国憲法はベストなのだと思っているようであった>
・講演の題目は「新作芝居を語る」であったが、これについては十分に内容を述べることが適ったのであろうか?講演は、少しだけ予定時間を超えて、終了した。小生はすかさず会場に入り、講演を終えた氏の写真を生で撮った。また退出する氏と運良く握手できたのも、嬉しかった。講演の後、仙台文学館を後にしたが、朝の天気予報に反して、入館時の梅雨の曇り空が、青空になっていた。
●5日、GW明けから仙台にて新会社「日本観光情報」を発足!長い間、東北地方をその対象エリアにして観光情報の様々に携わってきた。とりあえずは、東北6県というのが主力エリアであることに変わらない部分もあるが、これからは日本全体を対象にする方向で新会社を発足させ、GW明けに船出した。
・事務所がちょっと素敵なところになった。仙台市中心部の北、かつての国道4号(現県道22号)を見下ろす高台。事務所の南を望むとなぜか愛車オルティア越しに高いマンションの建物が屹立している。この車のある位置はもちろん道路ではない。いつも車を眺めながらの仕事になる。こんなことが嬉しかった自分が不思議でならん。事務所の中はオーソドックス、信じられないだろうが、室内には暖炉があり、手前のデスクはなんと自動麻雀卓である。4人で15000円を出し合って購入した新品同様の卓を移動してきた物。すでに出資金は4人に返還し、場代を毎月20000円くらい稼いでいる優れものである。通常は蓋がされて打ち合わせないしは作業用・食事用に使用されているが、イザという時は稼働を始める。
・事務所にはこの他に資料を置いている屋根裏部屋や、それぞれのスタッフの部屋があるという素敵な環境である。なんでも北海道出身の大学教授が故郷を偲んで設計したという東北地方では見かけない家なのである<東北で誰が暖炉を発想するであろうか>。2階にはバーベQもできる広々としたテラスがある。小生はとても気に入っている。この事務所、屋根裏資料室ももちろん込みで、家賃は10000円<10万でないよ>+光熱費、駐車場はオルティアは敷地内なので無料だが、県道沿いのローソン向かいに2台分で10000円。本当に仙台市内?と疑問がでそうな好環境・好条件立地・廉価・幸運の場所である。
・というわけで、全国の観光の情報をテーマにして、この5月8日から走り始めました。
〇これに対してコメントいくつか。
・EspressoCafeさん「素敵な事務所での新会社発足おめでとうございます」
・グリーンさん「クリアな空間を感じています。とても良い船出のように感じます。おめでとうございます」
・誰かさん「遅ればせながら、新会社発足おめでとうございます! 噂はチラホラ聞こえていたのですが、ついに稼動ですね。実家も近いので、今度ぜひ立ち寄らせてください。バーべキューする時に合わせて行きますw」
・DJ-Qさん「では全国の取材にお誘いしても宜しいのでしょうか?」
返事。
ありがとうござんす。自慢ついでに、別のアングルの写真を撮ったのだが、この欄では写真収載できないので、今度の日記に第2弾を紹介することを予告しとこう<写真は今晩撮ったし>。平たい石にこだわった暖炉は小生の机の横の部分にあたる場所にある。まだちょっと片付いてない。今朝早く、近所の側溝付近にあった紫色の花をスコップで盗み掘ってきた鉢植えを置いたりしている。小生の部屋のデスクにあるパソコンはまだ社内RUNに入っていない。正面は出窓になっていて南向き。アロエの鉢が置いてある。部屋で寝ることも可能<既に実際、泊まっているけど>。ソファもある。2階の屋根裏部屋はたくさんの資料を並べている。片屋根で雪が自然落下するようになっている。仙台は雪が少ないので、こんな屋根構造はあまり必要ないのだが、北海道はありがちだったんだろうと思われる。
●6日、上杉コミュニティセンターで、上杉九条の会。宮城県学習協議会理事長の鈴木楫吉さんが「憲法九条の話」、高橋迪子さんが「戦争体験を聞く」と題して話した。
●2006.5.22仙台市観光交流課で打ち合わせ。
●2006.5.25新松葉芳賀氏来社。
●12日、東北都市観光協議会のホームページの件で、柴又ひとみ、原野聖両氏と打ち合わせ。
●30日、東北レジャー情報が休眠会社処置につき退社。いろいろあった15年間であった。
●1〜3日、[宮城蔵王取材会]1日、前日まで春のようだったのに仙台は、その日の朝の雪で白い景色に変わっていた。一の坊の佐々木裕次郎氏と共に東京からの取材班一行を仙台駅で出迎える。一行は神奈川県大和市のオールウェイズ代表取締役板倉あつし、制作担当加藤岳洋の両氏と横須賀市在住の日本旅行作家協会会員の中森康友氏の3名。中森氏は薩摩大使でもある。仙台駅構内の利休にて牛たん定食。小生は牛タンは食べない主義であるが、付き合いの中で信念は一時預けにするもの主義である。12:30発の「GO!ゴー号」で他の宿泊客とともに遠刈田温泉に向かう。遠刈田ホテルさんさ亭到着後、地元蔵王町商工観光課小原一人主事、さんさ亭大宮浩社長と打ち合わせ。まだ明るい中、温泉街の対岸にある宮城蔵王こけし館へ。遠刈田伝統こけし木地玩具業協同組合佐藤哲郎理事長に案内される。佐藤氏はデニスポッパーに似ている工人歴60年の好人物。帰る際、こけしの色紙を戴く。小生見学は2度目であったが、館内では下駄やこけしを磨いたというその木賊の草を初めて見た。蔵王チーズ工場の売店チーズキャビンを経て、一の坊の系列である温泉山荘だいこんの花へ。渡辺千尋支配人、佐竹博行営業マネージャーに案内される。さんさ亭に戻り、夜、温泉街にある美鈴寿司にて夕食。一行の他、大宮社長、源兵衛の佐藤純一社長、たまや旅館の高橋研一社長、竹泉荘の竹内純専務、それに役場の小原氏を加えて意見交換。会食後、間もなく無くなるという大衆浴場のセンター浴場に入浴。熱い浴槽はとびっきり熱く、温い湯も熱いとこの共同浴場は小生が、十年以上も通った愛すべき浴場。風呂から出るとちょうどデニスポッパー氏も風呂場から出てきた。う〜む奇遇。宿に戻って、再度入浴。就寝前、板倉氏の部屋で加藤氏と3人で軽くビールを呑む。久しぶりにゆっくり眠る。2日、蔵王連峰がほどほどに見える天候の中、エコーラインを上り、みやぎ蔵王すみかわスノーパークへ。片瀬泰之営業マネージャーと打ち合わせ。雪上車で蔵王の尾根を目指す。10日に一度あるくらいの運のよさという天候状況で蔵王ハイラインの途中まで上がり、樹氷原を歩いた。完全な形のエビの尻尾が印象的であった。口に含むと堅くて美味。帰還後、スキーセンターで片瀬氏と昼食。その後、迎えに来た大宮社長と峩々温泉へ。竹内則子女将の案内で館内を見学。「峩々に暮らして」という本を戴く。ここで迎えに来た湯主一條の一條達也社長の運転で鎌先温泉へ。宿では一度日頃の取材協力のお礼を言いたかった一條千賀子女将ともお会いできて嬉しかった。夕食前に木造4階の建物を探検した。この歴史ある建物で食事というのも情緒があった。傷に卓効という薬湯風呂に入浴。この日は、酒を控えめにして、前日よりさらにゆっくり寝る。3日、起床後、もうひとつの浴場へ撮影がてら入浴。朝食後、快晴の下、一條達也社長の案内で、白石市のはたけなか製麺へ。製麺現場を大浪正治工場長の案内で見学。この手作り現場と、機械での製造現場はともに観光産業の対象そのもので、すこぶる興味深かった。見学後、佐藤孝一会長に会う。元特攻隊という同氏は豪快な人物だった。白石城に向かい、ミュージアムで立体映像のビデオを見る。白石城天守閣に登る。その後、中川章社長のキャラリー喫茶蔵楽にて昼食。同氏の次男純氏は小社のスタッフ川村祥之と同級生。食事後、その裏にあった商家を改造した白石まちづくり(株)の事務所を見学、市内の武家屋敷を経由して、奇勝地材木岩に行く。R113を引き返して、白石蔵王駅で東京組と分かれ、小生は仙台へ。帰仙後車検の愛車を引き取り帰社。翌日、峩々温泉の竹内則子女将から礼状が来ていた。また鎌先温泉一條達也社長、板倉あつし氏、中森康友氏からもメール、蔵王町の小原一人主事からは晴天の樹氷画像もメール添付されて届いた。
●5日、[利府町]日曜日、快晴。利府町の浜まつりに行く。R45は塩竈から渋滞。10kmほどを1時間50分も要した。浜まつりに行く人はまだいいが、単に通過する人は耐えられない大渋滞のような気がする。こういう場所でのイベントは交通対策をどう考えたらいいのだろうか?まぁ小生は無事に駐車場に入れることができて、牡蛎を焼いたり、テント販売、こどもの釣り大会なども行われていた会場内をいろいろ撮影。ポンカンを1箱と野菜を購入した。帰途、塩竃市北辺にある魚介販売所、民宿のハーバーハウスかなめに立ち寄る。宿の名前は沖合のかなめ島から。突然ながら、ご主人から館内を案内して貰う。ちょうど釣りに来ていた泉区の栗駒建業の高橋文敏氏らのグループの輪に入り、海草をご相伴にあずかる。釣り場が海流の流れの変化で北へ移動、金華山周辺は漁獲が著しく減少しているとのこと。辞去後、道珍坊温泉、沢乙温泉を見学。道珍坊温泉はいまは湯治客も受け付けていず、日帰りの休憩のみ。立派な部屋もあり、もったいない。沢乙温泉はここも一軒宿ながら本格的施設。男女それぞれ、桧・岩造りの露天風呂もある。日曜日ということもあり、入浴客でいっぱいだった。青麻神社の湧水ポイント、県民の森を経て会社に行く。
●7日、盛岡のアサツーディケィ東北支社長代理兼北東北支局長鎌田和朗氏・国内ネットワーク本部東北支社北東北支局主任阿部直哉氏、仙台のアイグラフ代表取締役東北工業大学デザイン工学科講師の猪狩和浩氏、キュービック枡形徹氏、スプリングハート三國仁志氏と会う。
●11日、土曜日。午前中、利府駅や利府街道の梨直売所を見学後、利府町役場へ。観光カリスマの工藤順一氏に招聘されて「利府町観光フォーラム」に参加。菅野博利府町商工会長、鈴木正康氏を紹介される。ホテルシティプラザ北上の鈴木忠美氏による基調講演、利府町の4グループのテーマ別プレゼンターションが行なわれる。その後、コーディネーターを工藤順一氏、パネラーをJR東日本の櫻井広明氏氏、鈴木勝雄利府町長、小生の3人が担い、パネルディスカッション。閉会時間を20分延長したが、討論時間は少なかった。フォーラムは130名ほどの参加で盛況だった。この内容は別のところで論ぜねばならない。終了後、地元の安元正氏から勿来の関は利府にあったという話を伺う。源義家がかつていわきを通過したということを不思議に思っていた。「吹く風に勿来の関と思えども道も瀬に散る山桜かな」と詠った地は確かに利府かもしれない。この件も後日検証せねばならぬ。後日、当日の参加者のひとり須賀地区の桜井俊朗氏から便りが届いた。
このフォーラムについては以下のようであった。
・利府町は仙台市と松島町の間にあり、塩竈・多賀城の両市にも隣接している町。東西16km、南北8kmというさほど大きくはない町域に里と山と海が3つ揃い、町の東西を県道8号線、通称利府街道が走る。大型ショッピングタウンが役場近くにあって賑わいをみせている。以前は人口7千人、1万3千人であったが、今は移入した人口が多く3万数千人。町内には東北新幹線の総合車両センターがあり、40億円の年間収入の内、10億円がJRによるというちょっと企業城下町という風もあるがそんなことはなく、逆にJRが利府町を優待遇している雰囲気もある。町内には表松島と称する浜田海岸、加瀬沼、桜の名所館山公園、宮城県総合運動公園、県民の森、それに沢乙、道珍坊の2つの温泉(隣接する大郷町に温泉夢実の国)がある。多賀城市には東北歴史博物館もある。なお馬の背という奇勝地が表松島海岸にあることも今回初めて知った。有名な勿来の関がここであったという説もある。西側の海辺には浜田漁港、ホテル浦嶋荘、食事処田里津庵、それに須賀漁港に体験型民宿ハーバーハウスかなめがある。利府町は観光果樹園も含めて生産農家が126戸あるという梨の産地で、秋には県道8号線沿いに梨の直売所が並び、梨はシロップ漬け、ジュース、菓子、ワインの加工品にされている。この梨の歴史は明治10年代に遡る。その時の150本の内の1本が真鍮梨として、役場前の駅前2号公園にあり、創始した日野藤吉翁の功績を讃えている。毎年3月には浜まつり、8月に新幹線車両基地まつり、10月には郷土芸能の利府太鼓・サンバが披露される十符の里利府フェスティバルがある。全体的にちょっと豊かさを感じる、恵まれた印象の町である。最近、町施設でボンネットバスを所有した。
・そんな利府町の観光を考えるフォーラムであったが、 6ヶ月ほど寒河江市の観光カリスマ工藤事務所のスタッフが地元のワークショップグループを指導したその集大成である。当日、発表のスライドスクリーンも十二分に立派だった。
・ワークショップは1梨2海・島3健康・ウォーキング4加瀬沼公園の4つ。この4分野はエリア・シーズンで利府町をほぼ網羅するものになっている。
1梨については「周年観光」がテーマ。梨を食べる・遊ぶ・働くということ。他に梨オーナー、各シーズンにイベント(花見・摘果・収穫・小枝拾い)など。
2海・島は、漁業体験と食べるという課題。通年型体験メニューで、いずれイベントの方向性を持とうとしている。
3健康・ウォーキングは最近流行のJR「駅長オススメの小さな旅」の利府版8コースを提案。これにはほぼ利府町の名所・季節が網羅されている。
4加瀬沼公園は渡り鳥の飛来する加瀬沼を舞台にした、春=花見+伊料理、夏=産直+車両基地まつり、秋=鍋、冬=渡り鳥観察+カキ鍋という年間行事を考えている。
・これらの取り組みの最大のポイントは、地元の人がその気になっているということである。1、2はまさしく産業観光である。梨・海・健康・加瀬沼を愛していれば、利害が絡んでも構わない、というよりむしろ利益を目指した方がいいのである。2006年の浜まつりは、21回目でこれまでの無料鍋汁を200円にしたという。美味しいものを出してお金を貰う方がいい。
・この浜まつりにはまだ改善しなければならないものがある。まず、渋滞対策。小生も当日経験したが無関係者には耐え難い大渋滞。6km離れた塩竈から既に渋滞をしている。わずか1日だけのことといえ渋滞の理由を告知して詫びておくべきであろう。JRを使用した場合、何か会場でプレゼントすることを考えるといいかも知れない。(これは松島のカキまつりなど多くのJR利用のイベントで応用が可能であろう)。現実的ではないが渋滞中の車に海産物を差し上げ、浜まつりと利府町のことを宣伝するなども有効かもしれん。将来的には海からアプローチする手もある。さて、3。0人の参加といわれた会場では観光地図を配布すべきである。そして、これには梨のシーズンに梨1個引換券の配布や、年間イベントの告知・予約受付、各種クーポン券などを付けること。また、当日や後日に、町内の店舗・温泉・宿泊施設などを利用してもらう工夫=案内+割引券なども付けたい。この浜まつりは地元の人が「ここでカキ鍋を食べると春が来る」ともいわれているまつり。地元の人が参加するイベントは長続きする。仙台市からの来町を歓迎すべきであるが、新旧住民が集うようにすればいいのである。利府町が本当にふるさとになるようなことが必要であろう(本当はもっと大きな祭りになってもいいのであるが、それはまた別の問題になる)。
・梨について。鈴木勝雄利府町長から金メダリスト荒川静香オーナーの木の提案があった。これも話題性やタイミング的にいいアイデアである。梨販売の季節に、利府街道の上り線・下り線にそれぞれ統合店を臨時でいいから造ってみたらどうか。駐車場はあるし、そちらの方が買いたい気になる。 販売負担の軽減もできる。価格の統一と他の商品の販売促進ができるが、販売方法などのアイデアの検討も検討したい。
・海や島については小生もっとも興味のあることで、先日ハーバーハウスかなめを訪問して、状況を伺った。9艘の船があり、当主の父君も元気で、2006年春増築を検討しているということであった。港から湾内にでるルートを見なかったが楽しい雰囲気かもしれぬ。浜田漁港沖に無人島がいくつかある。所有者の問題がなければ、これを活かす手はある。彼らの運動の来し方は、1賛同者・担い手による体制、2サービスメニュー作成・料理研究、3情報収集・直売所などの拠点造り。今後は4賛同者による屋形船購入などの事業拡大、5イベントの開催。そのイベントは魚つかみ取り・釣り大会・海上歩行大会・遠泳大会・いかだレース・櫓漕ぎレースなど。他にトライアスロン・無人島体験・カキ棚オーナー制度、生け簀なども提案されていた。大人の遊びとして簡易苫屋造り、漁具小屋を改造して寝泊まり可能な集会所造りなどもやって欲しい。
・ウォーキングはこれからも人気のあるものになりそうだが、楽しみをもっと増やすアイデアを募集して貰いたい。西日本みたいに参加するたびにスタンプを捺すなどということは既に実行済みだろうか。また「健康」といえば県民の森一周マラソンはやっているの?
さらに、こう考える。
・県道8号線か、国道45号線に道の駅はどうだろう。道の駅のメリットはその登録により、名称が道の駅関係のリーフレットなどに記載され、日常的にその町の宣伝になることだと思われる。
ここには観光協会の一部を置くべきであろう。そして通過車両を町中に導く方策を考える。県道8号線、国道45号線どちらでも野菜・魚の両方を提供できるであろう。どちらかといえば海辺の道の駅を意識すると、国道45号線の須賀付近の海辺、現在3~4軒の直売所が並ぶスペースがいいと思う(但しこの場所は利府町に隣接する塩竈市の北辺にある漁港である)。相馬市松川浦の斎春商店のように店の前で魚を焼き、新鮮な魚介を食べさせてくれる店を設置してもらいたい。また郷愁を呼ぶ竈炊きおこげご飯、蟹鍋料理、手軽な鮨、かしわ飯弁当、利府ラーメン(その日の安く仕入れられた食材とセットにした塩ラーメンとか)などの麺類、シーフードカレー、名物丼、小魚の形をした揚げ蒲鉾、美味しい加工品なども創って貰いたい。ラーメン以外はアラ汁をサービスでつけて貰いたい。施設として海釣り公園か、海・磯遊びに小舟の発着所の設置。無人島があるのでカヌーの可能性を探るなど。
・また、近年、道の駅もかなり車中泊利用されている。もちろん場所の問題や、環境問題、他の宿泊施設の利害も絡むだろうので、課題はある。オートキャンプ場は、それはそれでいいのだが、道の駅ではなくても、これから増えるであろう車中泊ができる施設はどうだろうと思う。できれば樹木による緑の木陰のできるスペースが多い駐車場がいいのだが。食材購入などで、地元商店の消費に繋げる方策が必要ではある。
・30年先の利府町を展望して桜と紅葉の名所を造って貰いたい。町民によって、あるいは町内会、団地単位で樹木を計画的に植えてもらいたい。また町内の各家々に梨の木を植えることを推奨したい。桃栗3年柿8年柚(梨)の大馬鹿18年というが、梨も18年という話は本当だろうか。であれば、誕生祝いに町から贈ることを考えるのも面白いと思う。
・「人」をどのように活かすかという大きな課題がある。
○名物船長、名物女将、名物踊り手などを推奨して欲しいものである。これは無理になる必要はない。ある温泉の主人が「もてなしマップ」に人物として載っているのに無愛想であるなどは失望する。それらは天性のものである。町としてバックアップするだけでもいい。
○観光大使を設置すること。これはいくつかの県市町村で行っている制度であるが、利府町もこれを置く。無償だが、その活動は有用に思われる。そして担当者の交流会を設けるといい。例えば、鹿児島県は観光大使の名刺の裏に「この名刺持参者は次の施設の割引利用が受けられます」などという企画も作っている。こういうアイデアの交流が必要かもしれない(場合によっては観光大使大集合もいいけれど)。
・その他、ワールドカップの会場であったグランディ21で大麻雀大会(囲碁、将棋、オセロ、トランプも同時開催)などの試み。
・「町興し」の方法。まず行政が関与。1専門家に委託。2町内からスタッフを募集。3調査、テーマ設定。4リサーチ、企画立案。5スペース・材料など確保して事業提案。6実行。7事後検討、といったところか。
・まだまだ意識して追究しなければならぬことは多い。利府駅構内の案内地図が極端に古かったり(しらかし台ICまでの高速道路がまだ未通のままだったり)することなどに象徴されるように、実行の姿勢の弱さがあろうと思われる。今回、意欲的な賛同者のグループによる観光施策に注目していきたい。
●17日、東京千代田区神田錦町イービストレード観光コンテンツ事業本部宮本亨部長に会う。
●18日、土曜日、夕刻近く、気になっていた表松島の馬の背に行く。浜田漁港から田里津庵の方に回り込んで、松尾芭蕉も通過したであろう岬の突端、ローターリーのような場所に車を停めて、密漁禁止の看板の右脇から小径を下っていく。この岬の道は1998年に河北新報出版部から刊行された「新宮城のハイキング」の中の「松島海岸を歩く」で取材したルートだったが、このような奇観があったことは全く知らなかった。松林の一本道を歩いていくと、ほどなく岸辺に着く。この岸から細長くのびて、かろうじて島になることを許されなかった岩の嘴が湾内に延びて、小湾をみごとに2つに分離しているのである。背の途中は平坦で、危険な個所はなく、突端は飛び渡ることのできる狭い幅の切れ込み瀬戸を隔てた小島になっているのも奇異。松島湾の南を眺望する風景で、こうした地形の場所がこれまであまり知られていないものどうかと思う。今後、注目されることを期待する。
●19日、仙台YMCA会館で、上杉九条の会発足のつどい。宮城県学習協議会理事長の鈴木楫吉さんが「憲法九条と自民党の伸憲法草案」について話した。
●25日、この日は土曜日。午後遅い時間なれど、快晴につき、R6を南下、新地駅付近で西に向かい、右近清水で給水。その後、相馬市の松川浦に行く。到着は16:30頃で、周辺は賑わいが終わっていたようだった。水産物直売センターは相変わらず蟹の価格表示をしていないので購入意欲が全くわかない。人の顔や風体をみて値段を即時判断するのかとも思われるそういう売り方は改めるべきであろう。斎春商店に寄って、たこ八に隣接する直売所でカレイ干しを購入。そして松川浦大橋を渡って、鵜の尾岬に登り、潜水艇支援調査船へりおす慰霊碑まで歩く。このへりおすは初航海で母港清水を1986年6月16日朝に出て北海道羽幌港に向かう途中、翌日夕刻、相馬沖で荒天に遭遇、沈没した50t、全長26mの小型船。乗員は松本直美船長(38歳)、佐々木豊蔵機関長(36)、樋口勝年一等航海士(37)、藤井正文一等機関士(39)、それに田中利治(26)、土屋正弘(33)、鈴木英彦(27)、小林弘明(27)、片岡淑人(28)の各海洋調査員の9名。後日、230mの深海から引き上げられたが、これは画期的であったとのこと。この時の様子は多少日時に間違い記述があるが、「日本の重大海難(昭和60年代)http://www.mlit.go.jp/maia/08monoshiri/maiahist/60s.htm」に詳しい。また翌年の国会の運輸委員会でも討議が行われている。そして「明日を翔べ—遺された者たちの「へりおす」沈没事故 」という著作が小林弘明氏の母親小林弘子氏によって1993年中央書院から刊行されてもいる。
この愛すべき松川浦は、福島県立自然公園で、鵜の尾岬には遊歩道が敷かれ、百体地蔵も設置されている景勝地。この浦の中にある小島の2つを利用してミニ日本を造らない?とかつて相馬市観光課に提案したことがある。砂州上の道路を走り、R6に戻った。今は名前が変わったが旧南国屋で果物などを購入、気持ちが向けばさらに遠出をする積もりではあったが、仙台に戻った。ちょっとしたトリップではあった。
●3日、デスクワークの合間、所用で仙台駅東口を利用。小町うどんで讃岐うどんを食う。「さぬき」と銘打たれたのぼりにふさわしいコシのある麺が欲しい。高松の郊外のドライブインで食べたのはもう30年以上前のことになる。
●4日、「とうほく道の駅」の本のデータ提出を午後終えたので、スタッフの北風英史氏と置賜屋に米沢ラーメンを食いに行く。膨らんだ丼は相変わらずスープの量が多い。
●5日、一日中、日本三景の松島にいた。夕暮れ、海岸は2 日続いた牡蛎祭りの後で静けさに包まれていた。JR松島海岸駅のホームを下弦の月が淡く照らしていた。
●6日、昼過ぎ、暇というわけではなかったのだが、流れで、仙台駅前の朝市市場で野菜なんぞを購入。市場は相変わらず活気にあふれていた。
●8日、午後、仙台市福田町の川村歯科医院を訪問。院長の川村秋男氏は、噛み合わせの不具合(進んだ病名は咬合関連症候群、顎関節症)が体に与える影響を認識し、その内容で歯科治療の実践を行なっている人物。3時間弱お話を伺った。原因の分からない頭痛、肩凝りなどが噛み合わせをよくすることで治ることがある。実は大いにある。これが全身のゆがみの原因にもなり、いろいろな症状を起こすなど、興味深い話だった。噛み合わせの不具合の原因はいろいろいわれている。体の変形、不十分な歯科治療、不完全な歯科治療、また現代の食生活の変化で急激に進行する顎の狭小化にも原因があろうと思われる。噛み合わせの不具合がすべての病気の原因としなくてもいいが、また実際そうであろうが、今後、この噛み合わせの理論が発展し、歯科医、患者に広く知られることを望みたい。川村氏の主張を多少、変形させているかも知れないので、正確にはまた詳しくは川村歯科医院のホームページを参照のこと。帰りに幸楽苑で、ラーメンを食う。同行=北風英史。
●10日、昼過ぎ、本日も仙台駅前の朝市市場で蜜柑・トマトなんぞを購入。
●16日、仙台市内にオープンする、ウイングガーデン仙台八幡店の報道関係者内覧会に行く。リラクゼーション機器を備えたニュータイプのインターネットカフェである。同社およびグループは全国展開をしていて、東京、名古屋、沼津などに施設がある。同社と親会社の代表が登米出身というのも親しみを持てることである。他のi-caffeはあまり知らないが、上品そうな感じがする。場所が旧幹線のR48沿いながら郊外で、市街地ではなく、住宅街にあることがどうなのかなと思うが、こういう施設は必要とされていて、今後も増えていくのかな。応対も悪くなかった。同行=藤原敬史。
●17日、宮城県利府町地域整備課産業経済班の鈴木孝也参事兼班長、松本裕紀主査が、3月11日に開催される「利府町観光フォーラム」の打ち合わせに来社。利府町は、新幹線の車両基地、工業団地などもあり、仙台市の衛星都市。人口も減少していない。松島・多賀城に接していて、東端は海に面している。観光の可能性がないわけではない。町内に126戸のナシ農家があり、利府ナシの産地である。
●24日、車検作業中。最近、野菜ミックスジュースに凝っていて、この日も仙台駅前市場で、イチゴ・バナナ・セロリ・リンゴ・レモンなどを購入、帰社後、しこたま飲む(食べる?)。
●25日、ほぼ1ヶ月ぶりに名取市の熊野堂温泉に行く。1時間ほど入っていた。ここには個室的浴槽があり、小生も好みなのだが、この浴室にそれなりの年齢の御人が長い間入ったままになっていた。あまりに長いので<沈んでいるんぢゃあないのか?>と思っていると、のっそり出てきて、飲み残しの500ccペットボトルを窓際の縁において出ていった。まぁしかし分別もあろういい齢の大人が、ペットボトルを平気で捨てて行きやがったものだわい、飲み終われば自分で片づけるくらいのことはできないもんかね、と呆れ果てた。個室的浴槽を独占使用して平気な奴だから、まぁやりかねないことではあるが。それで、次に小生がすかさずその浴室の独占体制に入ったわけだが、ずっと以前には窓部分の緑藻(苔?)をきれいにしたのだった。その日は、ドア部分の藻をツメで落とし始めた。少ししてなかなか作業がはかどらないので、先ほどのペットボトルの蓋が使えるだろうと思い、ガラスに当ててみるとこれはとても効率的であった。う〜む、人が為したことがすべて悪いことばかりとはいえんか。思うに、長い間、この明らかな緑藻が付着していて不潔そうにみえても、入浴客はおろか、宿の人もこれに気付かないところをみると、もしかしてこれは掃除してはいけない、宿の温泉としての勲章的なものだったのかと考えながら湯船に身を沈めていた。‥‥。いかん、これでは小生も独占者になってしまうと思い、ザバッと出た。向かいの、いつもぬるめの浴槽は、最近完全な水風呂になっていて、一方隣の瓢箪型をした大浴槽は相変わらず熱くて入れない。もし、浴場にひとりだけだったら、この水風呂と、熱湯風呂を2 つとも丁度いい湯加減に変えてやるところなんだけど、生憎この日は土曜日の夕刻ということもあり、珍しく数人が入浴中。このもくろみは次の楽しみにとっておいて、暮れなずむ名取川河畔の一軒宿を後にしたのであった。ところで熊野堂温泉の脱衣場にある体重計はどうも操作が難しく、苦戦したがとうとう最後まで体重が量れなかった。最近、減量が功を奏していて、サスペンダーなしではズボン(こんな言葉あったか?)が危ない感じなので、ちょっと楽しみにしていたのだが残念だった。熊野堂温泉は入浴料500円。入浴客が少ないのでゆっくり入れるから、まぁ適当な価格だと思う。入浴の時に寄越す券を10枚集めると、1回無料とのことだけど、某国のドラマ「チャングムの誓い」くらいの気の長い話ではある。いっそ、50円の価値の券を、30円の金券として使える牛乳割引券にすればよほど有効であろう。長湯をした人は飲んでいくかも知れぬ。30円の割引は牛乳の仕入れから考えて、そのまま帰ってしまう人に売れると勘定して損をしないと思うのだが、どうだ?
●28日、夕刻、国分町に行く。寒い日だったこともあろうが、人出が少ない感じがした。
●11日、元旦からダウンしていたインターネットとメールが11日振りに回復。来て欲しいメールはなく、そうでないものの多くで満たされた受信メールは222本。本日、近くの和歌山(風)ラーメンを初めて食べた。看板は和歌山ラーメン、中にあったメニューには和歌山(風)ラーメン。「風」って何じゃ?味はほどほど。和歌山に行った時、現地で食べておくべきであった。不覚。
●19日、早々から忙しくて、ずっと会社にいることも多い。車がいろいろな関係で乗れないでいる。18日銀行からの帰り、近くの会社のOL柏律子女史としばらく振りで行き合った。以前彼女に勧められた多賀城市の蔵ラーメンの話と、和歌山ラーメンの話をしたらそこは不味いという社の人の噂で、皆はセイユーにあるラーメン標が美味しいという、その話を思い出して、本日行ってみた。初めてだし、看板メニューの標ラーメン(醤油味・ダブルだし)を食べるのがマナーと思ったが塩ラーメンにした。体力が落ちていたので、濃いめの味には体が耐えないだろうと思い、薄味を頼んだ。それでも濃かった。これは自分の体調のせいだろうとも感じたが、格段の味ではなかった。あの鋭敏な舌はどこにいったのだろう。ラーメン標は、水曜日に女性が、木曜日に男性が100円の割引になるとのこと。これもひとつの企業努力であろう。
●20日、仙台港北ICから、三陸道に乗り、河北ICからR45で志津川へ。本吉町を過ぎた時点で、少しだけ余裕があったので道の駅大谷海岸を撮影。13時、気仙沼・本吉地域行政事務組合へ。事務局長の森谷利男氏とは2004年9月、青森県十和田湖町で開催された地方からの「幸福づくり」フォーラムで当時、建設部都市計画課長時代にお会いしていた。応募された写真の審査をカメラマンの斎藤秀一氏としばし行なう。終了後、街中で本屋などをぶらぶら。気仙沼ホテル観洋に投宿。街に出て、前年と同じ料理店宮登にて、すき焼きをメインに夕食。東京で修業をしてきた息子熊谷博之氏がカウンター厨房に立っていた。ご主人の宴席でご主人の熊谷利夫氏は相変わらず愛想がよかった。食事が終わって、すぐそばの○安(これはマルヤスであって伏せ字の○ではないよ)でヤキトリを肴に呑む。美味しいカレーやきとりも食す。その後、事務局の佐藤光一氏と近くの風蘭に。佐藤氏が帰った後、居合わせた同年輩の市職の都市計画課のK氏とふるさと創世論の話。客であった及川氏と南気仙沼の某飲み屋へ。宿は取っていたが、前日2時間ほどしか眠っていなかったので、早めにその店を辞し、小田中の及川氏宅にそのまま泊まる。(21日)10時起床。11 時に宿泊先の観洋にて精算。フロントで及川氏に市議会議長の小松紀昭氏に紹介される。その後、12月に温泉になった観洋の風呂に入浴。小休憩の後、及川氏(その後、彼は癌で死去したと聞いた)と別れて、リアス四季写真塾に参加。前座で少し喋る。16時終了。R45で本吉町からR346に入り、道の駅東和にて19:30まで仮眠。その後、高清水でR4に出て古川で沖縄そばを食べる。帰り際、ポンカンを頂戴した。R4で帰仙。
●28日、多忙でしばらく会社に泊まり込み。昼、名取の熊野堂温泉行く。夜、スタッフとラーメン横丁に行くと、1月20日に廃業していた。かなり、ショック。それで台原の天下一品に行って、天下一品ラーメンを食べる。久しぶりで美味しかった。
●30日、午後、村山市文化観光課の黒沼浩一主任、瀬古智紹主事、矢萩真由美観光交流員来社。来るべきバラまつり、むらやま徳内まつりなどについてしばし討論。
●2-3日、東北道から秋田道。北上で今シーズン初めての雪を見る。秋田中央ICから手形田中、秋田銀行山王支店佐々木洋一支店長に会い、昼食時、佐々木啓悦氏と仁井田のモスで1時間30分ほど情報交換。R7を北上。道の駅しょうわ。売店にはシクラメンがいっぱいで、温室にはバナナもなっていた。道の駅五城目、道の駅こおとかを撮影。能代市で日が暮れ、伊徳で大館花善の鶏めし弁当を購入、レンジで温め、ホテルミナミ泊。(3日)前日まではなかったのに朝目覚めると雪景色。R101を北上。能代海岸の2つの風車を撮影後、道の駅みねはま。隣接のポンポコ山も一回りする。道の駅はちもりを取材。お殿水は道路際の方の湧水施設はなくなっていた。すぐに青森県に入る。海は荒れていて、途中に波飛沫が道路にかかるポイントもあり、日差しを受けた青い海面と雲の陰になった灰色の海面の対比が印象的だった。途中、ウェスパ椿山道の駅、黄金崎不老ふ死温泉に立ち寄り、深浦の街中へ。太宰治がかつて2度投宿した秋田屋旅館が、ふかうら文学館として再生されていたので見学。山田邦照館長に案内される。R101をさらに北上、道の駅ふかうらで、荒れ狂う日本海を見ながら塩ラーメンを食べる。さらに北上することを少し迷ったが、ここで引き返す。八森から能代山本広域農道、県道63号で二ツ井へショートカット。道の駅ふたついで本格的な雪になる。R7を東進、道の駅たかのすの大太鼓の館には、地元綴子大太鼓の他、世界の太鼓が展示されている。R7、県道52号で道の駅ひないに向かう。撮影終了後、R103で東北道十和田IC。吹雪のため80km程度で走行。途中、白いスポーツカーが事故。盛岡ICで降りて、イオンのオンマーキッチンにて冷麺。その後、R4を南下。平泉のR4沿道の桜並木には美しい雪の花が咲いていた。仙台近くまで雪だった。23:20に帰仙。
●4日、晴、R48で関山峠を越えて、山形県東根市に出る。途中の山々は日影になった場所だけが、小枝に雪が付着していた。月山眺望ラインからR13に入り、道の駅むらやま。その後、R13を引き返して、道の駅河北。3階にあるレストラン豆福で冷たい肉そば。河北町は冷たい肉そばでもっと町興しをすべきだろう。その後、道の駅天童温泉。R13で山形市を経由して、R286で帰仙。この3日間で991km走り、オルティアのメーターは266054kmになった。
●7日、午後、県庁で、斎藤秀一カメラマン、気仙沼市の佐藤光一、三浦雅俊各氏らと、第1回リアスフォトコンテストの審査の打ち合わせ。その後、来社の、寒河江市の観光カリスマ工藤事務所の工藤順一、長瀬敬子、高橋里香各氏と情報交換。仙台駅まで送る。
●13日、午後、東北道長者原SAをETCで出て、古川市の化女沼ダム観光資料センター。帰途、沖縄そばでソーキそば。R4で帰社。同行=北風英史。
●17日、午後、仙台南の小林捷成氏宅を訪問。夕刻、SENDAI光のページェントを少しだけ見る。例年は60万個だが、20周年ということもあって2005年は100万個の豆電球が点灯。
●26日、久しぶりに北仙台駅前の味よしで、久しぶりに味噌ラーメン。
●27日、午後から、大郷町の道の駅大郷にでかける。国道4号から、東の松島方面に向かって走ったら、すかさず迷った。道の駅大郷は正月を迎える雰囲気で館内には、平日ののどかさが漂っていた。多賀城を経由して帰仙。
●28日、夕方、タワービル21Fにある北の家族で忘年会。地下鉄とバスを乗り継いで帰宅。
●31日、NHK紅白歌合戦の途中から、妻を伴って、仙台市中心部の広瀬、定禅寺通りの最終日になったSENDAI光のページェントを見学に行く。車で往復するも、あまり人、車とも混雑はしていなかった。
●3日、8:55のはやてで東京へ。丸の内線で淡路町に行き、神田駅周辺、靖国通を歩く。またちょっと自分の中の東京が豊かになった。帰り18:56のはやて。妻に東京ばな奈の土産を購入。同行=吉田総耕。
●5日、仙台市内の情報本の改訂作業をしていて、必要なことがあって、午後、すぐ近く柏木の「冷やし中華」の店久美食堂に行く。隣接地の葬儀社に駐車させてもらい、取材と撮影。「冷し担々麺」はボリュームがあり、撮影後、戴いてみると、すこぶる満腹になった。久美食堂は10年目を迎えていて、愛想も良く、とてもいい店であった。
●9日、久しぶりに名取市の熊野堂温泉に行く。先客が出たばかりでしばらくの間、広い浴場に一人で入浴できた。ここには3つの異なる浴槽があり、温度も違う。湯が絶え間なく注がれ、少しすると浴槽の縁から溢れ続ける。ゆっくり入浴してもいたので、余計なお世話だったが、浴室のガラスについた苔を掃除させて貰った。
●10日、曇天。午後、仙台市街地の店をいくつか所在の現地チェック。ついでにデジカメで外観などを撮影した。所在の確認は大変勉強になった。
●14日、この3日間晴天が続いたが、撮影に出ることができないほど多忙。夕方、カメラマンの今藤祥信氏と、久しぶりに北仙台駅前の味よしにみそラーメンを食べに行く。
●16日、日曜日。泉区の宮城図書館に行く。後、出社。
●20-23日、東北道を北上。160km/hくらいで走行、車中で書類を調べながら運転していた。紫波町付近でちょっとしたミスであろう、通常だと、追い越しをするすべての乗用車のナンバーと乗車人員をチェックしているのでそういうことはないが、覆面パトカーを追い越したらしく、後ろから合図を送られて29kmオーバーで捕捉される。2005年の免許更新でも5年免許を取得したくらいに、長い間そういうことはなかったが、先月末にも捕捉され、3週間目に再び違反になった。これで、2年間無違反得点の3ヶ月消滅特典が消えたのであるぞ。ちょっとショックを受けながらしかし、八戸の会合集合時間11:30に間に合う。会合は400名近くの出席による「全国産業観光フォーラムinはちのへ2005」。日本観光協会吉田正嗣理事長。永里恒昭常務理事、調査企画部企画編集課長兼研修整備課長の友田圭治氏、八戸市大河原隆助役、企画部政策推進室小笠原剛主任主査に挨拶される。打ち合わせを兼ねた昼食のあと、開会式、東海旅客鉄道相談役兼全国産業観光推進協議会副会長兼日本観光協会中部支部長須田寛氏による記念講演。氏はよどみない軽快な喋りで、必要な産業観光の内容を30分で語り終えた。その後、社会経済生産性本部余暇総研主幹丁野朗氏のコーディネートにより、大河原隆八戸市助役、北海道国際航空小林茂代表取締役副社長、NHKテレビこんにちはいっと6県にも出演しているフリーアナウンサー青山佳世女史、国土交通省総合政策局若林陽介観光地域振興課長、そして小生がパネリストで、2時間ほどの記念パネルディスカッション。須田寛氏の著書である「産業観光読本」をノートをとって読んでいたこともあり、終了後、氏が小生の発言の中の風力発電の件で声を掛けてくれたのが、嬉しかった。引き続き分科会。「地方都市の産業観光を考える」「環境をテーマとした産業観光」もあったが、小生は「食をテーマとした産業観光」に出た。八食センター谷村充生副理事長・専務理事、八戸屋台村をやっている北のグルメ都市中居雅博代表取締役がコメンテーター、コーディネーターは海の八戸NPO服部昭副理事長、アドバイザー安島博幸立教大学観光学部観光学科教授で行われた。終了後、交流会があり、八戸商工会議所橋本昭一会頭、八戸観光協会天摩正行会長、経済産業省中部経済産業局三橋一美参事官、ほくでん室蘭支店西倉秀寿主幹など、郷里の北九州市経済文化局北里勝利観光企画課長、新居浜市西原寛経済部長などいろいろな人と話ができた。旧知の日本政策投資銀行青森事務所長の今泉道夫氏とも再会した。氏は第一分科会のコーディネーターを務めていた。交流会終了後、街に出て屋台村の美ら亭で沖縄そばを食べる。立花徳栄社長は深夜から店に出るとのこと。
(21日)5:15起床して、第2魚市場、鮫駅前の魚菜市場を撮影。朝食の時、日本観光協会東北支部我妻孝事務局長、国土交通省東北運輸局企画振興部小熊弘明企画課長とも会う。食事後、エイワークスの赤崎まき子女史と話。八戸駅へ送る-八食センターに寄り、給油後、R45、県道8で三沢へ。偶然見つけたイオン下田SCの風車を撮影して、さらに県道8、10で三沢へ。途中、下田町の気比神社前バス停でたまたまバスを待っていた老女を助手席に乗せ三沢市民病院へ。お礼に味噌お握りを貰った-三沢空港-航空科学館を経て道の駅みさわへ。敷地内をいろいろ見る。むつ市の小学生が社会見学に来ていた-小川原湖の南側を回り込んで上北町へ-道の駅おがわら湖-県道8から219に入り、東北町、六ヶ所村の県道25を北上。弥栄、雲雀平の風車を撮影してR279に出る。すぐにあった湧水亭でおからドーナツ¥42を1個食べる。丁度いた主人と少しこの付近のことについて話-道の駅よこはま-大豆田付近の6つの風車もチェック-むつ市街地を回った後、むつパークホテルに投宿。
(22日)小雨模様につきゆっくり出立-満タンにすべく給油。むつ市はガソリンが122円など相変わらず安い。ヤマト運輸むつ営業所で昨日会社に手配して会社から送って貰っていたニコンD100の充電器を受取る。以前カメラが故障した時もこのようにした。旅先で必要になったものは、その日の夜21時までなら、連絡をしていつでも翌朝各地の宅配便現地営業所で入手できる。雨の中、R338を西へ-水源地公園に寄り、むつ市川内から脇野沢へ-鯛島を見て九艘泊-地元に生まれここだけで暮らしているという漁師としばし話。苫屋で煮干しを作っている人からもいろいろ聞いた。3年前に全通したという林道で道の駅わきのさわへ。この道は通行止めの表示だったが、柵を動かせば大丈夫ということで通ったもの。道の駅わきのさわを撮影後、道路向かいにある山帽子食堂で煮干しラーメン。客に魚を焼かせて提供、食後はコーヒー、これで600円也。こういう対応が脇野沢ひいては下北半島のためになるのである-脇野沢野平高原間のR338を何年ぶりかで走る。野平高原から北は2004年9月27日に走行しているのでほぼ1年ぶり-道の駅かわうち湖-湯野川温泉-県道46号かもしかラインで佐井村へ-今度は入口を訊いて県道284のあすなろラインで薬研温泉方面へ向かう。ほぼ全線未舗装の砂利道-峠を越えて奥薬研温泉に到着。夫婦かっぱの湯は、2004年春無料から大人200円になって客がめっきり減ったそうだ。これも考えものだ。かっぱの湯を対岸から撮影。まるで盗撮者のよう。その下流の隠れかっぱの湯には地元の若者8人が足湯をやっていた。道路のすぐそばに2つの浴槽がある。こりゃあ夜でなければ入れんロケーションだ-薬研温泉で旅館を撮影-大畑に出て県道266の短絡路で県道6号に出て、尻屋崎へ。風車の事務所=岩屋ウィンドファームで少し話を聞く。県道284を南下、小田野沢でR338に入り、ひたすら南へ。六ヶ所村から三沢市に入ったところでオルティアの距離計が26万kmを超えた。四川目から三沢市街地に向かい、三沢基地前のホテルルートインに投宿。
(23日)雨。三沢からR338で百石町へ。日本一の自由の女神像を見る-R45に入り、八戸市を抜け道の駅はしかみ-久慈を通過して道の駅のだ。2Fのレストランを撮影に行くと塩の香りが漂っていて、塩ラーメンを食べることにする。350円-道の駅たのはたはようやく寄ることのできたポイント。ここを通るときはいつも北山崎方面を走るからだ-岩泉から道の駅たろう-道の駅みやこ-市内で給油-バイパスを通らずに道の駅やまだ。山田せんべいに白ゴマがあったとは驚き。そろそろ暗くなりかけた道をさらに南下する-大槌、釜石と過ぎ、道の駅さんりく-ここから大船渡三陸道路で大船渡市街地を迂回して、道の駅陸前高田-宮城県に入り、気仙沼を経て道の駅大谷海岸。2階のレストランの担当者が最高に感じよかった。こういう爽やかな人がいると再訪したくなるね-R45を南下、歌津、志津川付近は通り慣れた道。道の駅津山に寄り、さらに道の駅上品の郷にも立ち寄って、とにかくR45で帰仙。都合15の道の駅に立ち寄ったことになる。今回の走行1201km、距離計は260470kmになった。
●26日、快晴。酒田・鳥海山・仁賀保高原モデルドライブコースの撮影。朝6:30出発、山形道の月山付近はクリアな空気の中で紅葉。酒田駅前にて昭文社の中沢道男氏と合流。酒田北港の風車を撮影後、R7を北上、旧青山本邸に立ち寄る。建物外観だけと思ったが親切な受付の人のすすめで邸内も見る。青山家は北海道の鰊漁で財をなした。東京でも旧藩邸を購入したという説明も聞く。道の駅鳥海にて、軽朝食をファストフード店先で撮影。鳥海ブルーラインで5合目鉾立に到着。展望台まで上り、前日に冠雪した鳥海山頂上と奈曽渓谷を見る。ブルーラインを撮影しながら下り、小生は初めての元滝伏流水。水汲みの人もいた。滝は意外に小規模。アマチュアカメラマンがここにもいた。予定していた奈曽の白滝をパスして、20分遅れで象潟のレストランラ・ボンボニエール到着。感じのいいレストラン。マスターは木内哲夫氏。食事の後、仁賀保高原に向かう。鳥海山をバックに風車をからめたドライブ風景を撮影。すぐ北にある土田牧場で歓待される。アイスクリームなどを食べ、再度、風車撮影。どうも予定ルートの県道312は林道っぽく、由利高原に回り込んで、ホテルフォレスタ鳥海へ。露天風呂を見て、湯上がり休憩所で撮影の後、時間的余裕がありそうなので法体の滝に向かう。途中はすこぶるいい道路になっていた。驚くべきことに、到着寸前の真っ正面に法体の滝が見えた。夕暮れ近くながら紅葉真っ盛りの滝を撮影。マタギの里百宅、下直根を経由して、道の駅清水の里鳥海郷から立石峠を越えて羽後町に入り、西馬音内の土産物の店ながやにていしもとのあたごせんべいを買い占める。藤田貞子姉妹も在店。駐車場を貸してくれる。電車の時間が迫っていたので、弥助そばにて急いで冷やかけそば。湯沢市街地を避け、奥羽本線横堀駅に向かう。中沢氏が東京に戻る電車の発車時間13分前に到着。小生らは、R108、鳴子、岩出山を経て帰仙。21:00到着。モデル=工藤咲子+星野まい。
●28日、宮城県図書館にて特別展「叡智の杜をめぐる魚蟲譜」を見た。江戸時代の生物の描写も面白かったが、「本と人の文化史・日本を中心に」という常設展が初めてだったので、こちらの方にむしろ興味を持った。紙を発明した蔡倫が、後、天子の剣などの器具も作ったとか、政治にも関与し、一時300戸の邑を封じられたとか、最期は入獄を命ぜられ自決した生涯だったことなどを知った。また、1570年のオルテリュウス・アブラハムの「新アジア図」にはJAPANとの表記があり、1595年のティセラ・ルイスの「日本図」にもJAPONIAEとあり、大隅、長門などの地名が記されていた。いずれの地図も津軽・下北半島から、あんなに近くに北海道が見えるにもかからわず、北海道の土地が示されていないのが不思議ではあった。獣骨の文字も面白かった。
●30日、仙台から色麻町を経由、加美町、紅葉の鍋越峠を越えて尾花沢に下り、新庄からR47で西へ。途中、新庄温泉に初めて寄る。戸沢村付近で、相変わらず東向き車両への速度取り締まり。白糸の滝の先、立川からR345-道の駅ふらっと。事務所に挨拶。R7で三崎公園へ。秋田県境からは曇天になっていた。芭蕉の通った三崎の旧街道を撮影。その後、民間らしい風車を撮影して、象潟の町中へ。このころから雨足が強くなった。公会堂、船着き場、蚶満寺から道の駅象潟へ。そばの店舗内にいる時、どしゃぶりになったため、みそラーメンで予定していなかった昼食にする。ラ・フランスと、庄内柿をそれぞれ1箱で購入。セリをおまけに貰った。30分ほどで小ぶりになったので、にかほ市象潟郷土資料館しょうわへ。館内撮影。その後、象潟を俯瞰できるポイントを求めて、あちらこちらを回る。犬を連れた散歩の人に訊いて、鳥海の森の展望台を紹介され、東屋から撮影。終了後、山を降りて20分ほどすると一時、海が夕焼けに染まった。ちょっと残念。東屋でしばし待機できなかったのは、最後の撮影場所、金峰寺に夕闇が迫っていたからである。境内に入り、本殿に着いた時には、開放の絞りで、2秒というロングシャッターの明るさであった。奈曽の白滝は鳥海山域に降った雨で増水し、薄茶色の滝に変わっていた。この勢いならば大岩をいくらでも押し流すだろうと思われた。全終了後、帰路の別ルートを考えたが、往路を引き返すことにした。
R345からR47。新庄の梅屋でとりもつラーメンを食べた後、最上町を通り、鳴子温泉郷の川渡温泉藤島旅館で入浴。夕刻の大浴場は10数人の入浴客がくつろいでいた。小さな男女の孫を連れた人もいて、湯気に霞む、向こうに女の子の可愛いお尻が見えた。やがて洗い場で、大声で叫ぶ女の子を諫めていたが、湯殿に響く子供の嬌声は「蛍の墓」の節子の声に酷似していて、小生の耳には心地よかった。節子のイメージが崩れてはイカンと、女の子の顔を覗くことは止しにしておいた。藤島旅館は、湯治施設もある、なごやかな宿で、宿泊者用には専用の浴場もあるので、こうした銭湯のようなことも行なえる。帰り際、かつて取材した際の、女将がいたので少し話をした。20年ほど前、当時は宿の日帰り入浴が今ほど積極的に考えられていなかった時代、この東北地方で先進的に、日帰り入浴を始めた。<しかも入浴料は開始した当時の¥200のままというのも嬉しい>。一時、24時間営業をして、夜間は料金箱を置いただけのシステムにしていたところ、心ない若者が、夜中に浴場で騒ぎ、料金箱も持ち去るというようなことをしたために、1年間で24時間営業は止めざるを得なかったという。残念。今は7〜24時の営業だが、近くに住む学生は¥100の料金にしているという。こういう宿の存在が鳴子温泉郷全体の評判をよくしていると思える。川渡温泉からは短絡路で、多田川を経由して、R457に出て、帰仙。この日の走行423km、総メーター261046km。
●5日、日曜日、昼からR4を北上、大衡村からR457に入り、色麻町の短絡路を経て、久しぶりにR347の鍋越峠。尾花沢に出て、R13を北上。途中名産の尾花沢スイカを購入。新庄で梅屋外観を撮影、町中の一茶庵支店でとりもつラーメン。満員。味が微妙に変わっていたのは気のせいか?R13を北上、途中道の駅神岡でいしもとのあたごせんべいを6袋購入。棚に3つしか出ていなかったので、自分で下のストックから引き出しレジに持っていった。秋田大学病院経由で、手形田中。妻を伴って20:10秋田出。R13-雄勝からR108-鳴子温泉でR47に出て、岩出山町からR457に入り、大衡村でR4。帰宅は5日午前0:40。485km走行した。
●6日、5日23:30仙台出発。R4を北上、未明に突如睡魔に襲われ、水沢IC北側の駐車スペースにて眠る。6日10:10起、花巻の同心屋敷、桜地人館、宮沢賢治詩碑に立ち寄った後、県道12号で花巻南温泉峡。鉛温泉の藤三旅館にできた桂の湯を撮影。白猿の湯も久しぶりに覗く。県道12号線を西に進み、初めて沢内村に抜けるルートを走る。トンネルの完成で開通した道路で、狭路部の工事が続いていた。沢内村から県道1号を爆走、雫石町に出て、R46で田沢湖町。R341で茶立ての水に立ち寄り、玉川ダムを経て2005年5月オープンの南玉川温泉はなやの森へ。突然の取材になった。みかん色といわれるほど芒硝泉の褐色の湯は、湧出時は透明。鉄成分に何かが加わった色と思える。ここは玉川ダムに沈んだかつての玉川小学校宝仙台分校を模した建物をシンボルにした高級和風旅館。しばし取材して、R341に戻り、新鳩の湯。主人から養蜂の事なども聞き、その後、案内してもらい、玉川本流の川岸に湧く温泉も見学。そして玉川温泉へ。大浴場を初めて見学。その先の後生掛温泉はこの日は颱風などのため客も少なく、突然ながら、女将の阿部トメ子さんから丁寧にご案内戴いた。ここは訪ねるばかりで未入浴につき、見学後、風呂を戴く。客とも話をし、しばし泥湯、サウナ、打たせ湯、露天風呂などに浸かっていた。辞去して、夕刻の霧のアスピーテラインを東八幡平に越えたが、途中1台の車に行き合っただけだった。道の駅西根に立ち寄り、滝沢村からR4に。盛岡南のぴょんぴょん舎で冷麺の大盛り。R4道の駅石鳥谷にも寄り、少し遊びながら仙台着23:40。この日は545km走行した。愛車オルティアのメーターは、この日で257259km。
●8-9日、岩手県雫石町の観光と文化の取材会参加。
8日10:38仙台の東北新幹線はやてで盛岡11:29。阿久津久美子女史、板倉あつし、旅の手帖の五十嵐匡一氏らと再会。東京からはスポーツニッポン新聞社編集局文化社会部植野純寛氏、実業之日本社編集委員新村民雄氏、スタジオページワン木村小左郎、旅行作家会員・旅の文章設計中尾隆之氏、新聞編集センター青井桜子記者、エディター・ライターのかたあきこ氏、など、仙台からは、宮城読売サービスセンターよみうりcha!編集室大久保文子氏、河北新報社河北ウィークリーライター角田真弓氏、の計17社が参加していた。休暇村岩手網張温泉の車で小岩井農場まきば園。羊館などを見学、園内で昼食。まきば園では、工藤敏英支配人、畑中裕之企画営業マネージャー、高橋敏明広報マネージャーが応対。移動して、土橋家で野菜収穫体験。アイコという品種のトマトを採取。その後、松ぼっくりにてアイスクリーム。ビジターセンター、温泉館を見学して。休暇村到着後、仙女の湯見学、見晴らしの湯入浴。18時から夕食、懇親会。中屋敷十雫石町長、雫石町商工観光課堺哲夫課長・観光振興グループ高橋ひとみ主査、工藤敏英雫石町観光協会会長、休暇村岩手網張温泉田辺文隆支配人、乳頭温泉組合組合長吉田正光氏(休暇村田沢湖高原支配人)、雫石プリンスホテル今泉芳幸支配人、ぬくもりの里NUC照井和好支配人、民宿坂井の坂井久栄オーナー、岩手ペンション会事務局の内田俊治氏(ペンションカンタービレうっちゃんオーナー)らと話す。総勢40人ほど。21時から2次会、引き続き1時まで3次会。入浴して2時就寝。(9日)8:25起床。快晴。軽く朝食。9時出発で葛根田渓谷、滝ノ上温泉、鳥越の滝。引き返して玄武温泉の足湯に立ち寄り、雫石スキー場。ゴンドラが不調で空中散歩、高倉山からの眺望を断念。一旦、小岩井農場まきば園に行き、ファミリーオ雫石で蕎麦打ち体験と昼食。そして民宿坂井荘でどぶろく造りの見学と試飲。少し早めながら材木町、岩手銀行中ノ橋支店を経て盛岡駅。岩谷堂羊羹を2本購入して、15:39盛岡のはやてで仙台16:22、帰社。
●21日、午前中、仙台市内の今野印刷で東北地区鉄道の日実行委員会主催の「東北の鉄道の風景」フォトコンテストの審査会に事務局として参加。写真家の斎藤秀一、東北大学工学部助教授徳永幸之、日本観光協会東北支部事務局長我妻孝の各氏が審査員で、2時間かけて407点の応募作品を審査。入賞など18点を選ぶ。親しみのある作品も多く、久しぶりのコンテストとしては応募数も少なくはなく成功だったと思う。
●24-25日、午前中から仙台駅前ジュンク堂書店にて出版相談会。それを終えて、〆切物件をアップして、八幡平クラシックカー同好会主催の「第7回ノスタルジックカーin八幡平」参加のため、夕刻、小雨の東北道を北上し、八幡平市へ。途中、平泉前沢ICで一旦出て、すかさずUターン。この時間帯は17〜20時に実施されている通勤割引(ちなみに朝6〜9時も)のため、途中下車のため700円損をするが、この一旦流出で、1150円割引され、差し引き450円の得になる。19時、八幡平ライジングサンホテル到着。夕刻の小室等コンサートは終了して、サイン会の途中だった。19時から大広間で宴会。少し挨拶をさせてもらう。事務局の北田静雄・松本淳一氏他、盛岡の作山文男、石巻の平家慶一、いわきの馬目守、山形の大河原和昭の各氏らと再会。新たに旭川の佐藤雅見、名取の高橋鉄弥、大阪の稲川淳一氏などと知り合う。昨年より前泊の人が増え盛会。恒例のジャンケン大会も行われ、隣室で2次会。その後も妙に盛り上がり、小生の部屋114号室を会場に、深夜2時まで計8人が3次会。食べ物・飲み物を机上に散乱させたまま就寝。(25日)8:30起床。霧。温泉ホテルに宿泊したものの風呂にも入らず、チェックアウト。イベント会場のさくら公園に向かう。「第7回ノスタルジックカーin八幡平」の協力団体は、八幡平ライジングサンホテルの他、気仙沼クラシックカークラブ、仙台クラシックカークラブ、クラシックカークラブ青森、みちのく旧車会、グッドオールド`60ミヤギ。取材を開始し、途中、大粒の雨の時間は車中で待機。後半、雨は止み、さらに終了時刻の14時頃は、青空も見え始めた。予定していた乳頭温泉行きは取りやめ、八幡平アスピーテラインを走る。茶臼岳の登山路の途中まで上り、速く流れる雲の切れ間を待って、アスピーテラインを走る車を撮影した。秋田県側の展望所まで走ったが、風も強く、標高1400mの八幡平は初冬のようだった。展望所から引き返す。夕暮れ時、R282-道の駅にしねに立ち寄り、R4沿いにあちらこちら遊びながら南下、結局22:30に帰社。2日間の走行距離は478km。
●28-29日、28日朝、早々と目覚め、日本海側が晴天という天気予報につき、急遽、奥羽山脈の西側を目指す。山形道寒河江SA内から外に出て、道の駅大江、柳川温泉を撮影、大井沢の自然と匠の伝承館、湯ったり館などを見て、R112に出る。月山越えで、田麦俣多層民家、道の駅月山に立ち寄る。道の駅月山では2005年夏のラフトボート係員が川に流され、落命したため、それ以降中止され、06年度の再開も検討中とのこと、ぜひ応援したい。朝日村中心部で、あさひグーという産直施設を見て、給油後、上田沢長南家、朝日屋、タキタロウ館、荒沢ダムを経て、念願の朝日スーパーラインに入る。途中から砂利道。県境を越えると、雄大な景色になっていた。新潟県側の方がはるかに整備され、県道交差点までの距離標識も随所に設置されていた。また、アスファルトで簡易的に砂利を固めていたりもしている。その先で朝日スーパーラインはすぐに通行止めのため、全舗装の林道を下り、関口からR7へ。道の駅朝日では、参考のため北陸道の駅2005スタンプラリーブックを購入。村上市街地を通りR345へ。道の駅笹川流れにも立ち寄り、R345をさらに北上、笹川流れのあちらこちらで撮影。寝屋の産直所ではワタリ蟹をわずか1匹購入、これをR7の府屋海岸で食べる。夕陽が美しそうだったので、鼠ヶ関に急ぎ、展望公園の上から灯台をからめて日没の瞬間まで撮影。500mmの望遠レンズを使うと赤い太陽の中で水平線が波打っているのが見えた。R7を北上、買い物などをして、ホテルルートイン鶴岡に投宿。(29日)快晴。8:30出立、777mの加茂坂トンネルを抜け、高館山頂上へ。高さ20mの展望タワーに登る。湯野浜温泉がわずか見えた。下ってきて、廃校になった加茂中学校、加茂港から、湯野浜温泉へ。愉海亭みやじまを見学。共同浴場を覗いて、入浴中の人の了解を得たが、受付の人が市役所に断らないと撮影はダメの一点張り。観光宣伝のためには、融通を利かせた方がいいと思えるのだが。温泉街を通って、R112を北上、庄内空港滑走路下トンネルの先で反対車線南向きの速度取り締まり。速度制限40kmなので、バンバン捕捉されていた。庄内空港に立ち寄り、R112途中からなぜか宮野浦地区へ。ここで風車を偶然に発見、海岸の砂浜を歩き、撮影。その後、最上川左岸堤の道路を走り、酒田市街地へ。新しい建物の飛島航路、隣のさかた海鮮市場は1階は予想より小ぶり。セイコ蟹を4匹購入。2階の食堂は平日の11:40というのに行列ができていた。価格がすこぶるリーズナブル。隣接の酒田海洋センターを見学。展示が充実していて、受付の女性職員も親切だった。酒田市内のグルメ情報も教えてもらう。港橋近くのまぐろ茶屋、富重、山居倉庫真向かいの川辺の館、バイパスのジャスコ近くのゆずである。こういう応対をされていると誰もが酒田を好きになるかも。言えることは、観光客に出会う場所には、その土地を好きな人を配置したいということである。川辺の館、山居倉庫、酒田夢の倶楽に寄り、R47で立川町へ。大きな倉庫の日影でセイコ蟹を食べる。意外にいい味。そしてかねてから予定していた風車を最上川の土手の上から撮影。R47に戻り、走り始めてすぐに庄内町清川字腹巻野地内で、速度24kmオーバーで捕まる。2003年8月秋田の同様24kmオーバー以来2年1月ぶり。秋の交通安全週間だと?この路線で50kmとはなぁ。実際3分おきに違反車が16〜32kmオーバーで捕捉されていた。ちょっとどころか、かなり元気とやる気をなくす。それでも道の駅戸沢に立ち寄り、新庄市内でもつラーメンの店を3軒回るがいずれも準備中。舟形の若あゆセンターでは食事処は16時で終了、かつ、とりもつラーメンのメニューはないんだと。ええぃと、ずいずい廊下を歩いて大浴場を撮影。コテージを回って旧R47からR13に戻り、思いつきで銀山温泉へ。途中、尾花沢警察署に戻る取り締まり用警察車両と行き違う。16:38、凱旋である。このR347も餌食になった車が多かったのだろう、合掌。銀山温泉では、路線バス運転手氏としばし話。また改築中の藤屋主人とも立ち話。途中、仕事帰りの住吉理恵女史と遇う。時間があったので、白銀の滝なども見学して、夕暮れの温泉街を撮影。R347で小野田、色麻、大衡経由でR4に出て、帰社。2日間の走行は562km。
●3日、仙台南IC-福島西IC、通行料はETC通勤割引につき1000円。R115を走り土湯峠温泉郷。9:50新野地温泉相模屋を訪問。アポなしだったが大女将に快諾を得て、露天風呂などを撮影。ここでは、かつて社員旅行で宿泊者向けスライド上映会、麻雀、深夜に4時間露天風呂をしたことがある。そして幕川温泉へ。10:15吉倉屋は外観のみ撮影、水戸屋の方は館内の浴場、露天風呂、それに建物外の渓流脇にある露天風呂も撮影した。車のハッチを開ける際、どうも腰をひねった感がある。それでも、700m先という幕滝をめざして11:02探勝遊歩道を下る。途中幾人かに会い、話もする。幕滝は単一の滝でなく、主滝の他、周辺に湧きだしている幾筋かの滝集団で、滝の由来もこれによるのだろうと思われる。案内板に「幕温泉」の文字もあるが、かつてはこのように呼ばれていて年配の人はいまでもそう呼ぶそうだ。往復1時間。宿を辞し、鷲倉温泉付近で土湯峠湿原遊歩道の情報を得て、久しぶりに赤湯温泉へ。内湯に隣接して露天風呂ができていた。入浴客と話しながら撮影。土湯峠湿原遊歩道に赤湯温泉側から少しだけ入る。R115で土湯温泉に下り、観光協会でマップを貰い女沼へ。途中の湧水でペットボトルに水を満たす。女沼湖畔で福島市からの二人連れとしばし話。その後、思いの滝まで往復し、戻ってきて14:10〜15:40車中で流石に一休み。そして、車を移動、仁田沼-男沼と歩く。男沼には湧水があり、喉を潤し顔を洗い一時さっぱり。1時間5分歩き、土湯温泉に下り、見かけた浴衣姿の家族連れなどを撮影し、温泉の上部にあるこけし湯に入浴。かつて遠刈田温泉で内出血の跡が1時間の入浴で消滅したことがあったが、こけし湯の木製の湯船に身を沈めていると、腰の痛みが退いたのにも驚いた。この日の遊歩道の撮影、この入浴で、都合3度着替えた。R115-福島西IC18:16-仙台宮城IC18:50、ETC通勤割引で¥1100。ラーメン横丁で、もついりラーメンを食べ、帰社。戻ると西馬音内盆踊りの公式ガイドブックが到着していた。この日走行232km。
●4日、梅雨明けの晴天下、仙台駅屋上から駅周辺の情景を撮影。
●6日、土曜日、快晴。仙台七夕まつりの初日。石巻網地島ラインの安倍友一氏からお知らせメールが来て、その勧めに従い、仙台市博物館に「興福寺国宝展」を観に行く。8/5〜9/11の期間中で一般観覧料金¥1200。2日目、夏休みの土曜日ということもあって見学者が溢れていた。仙台市民・宮城県民の文化性の高さを感じた。興福寺の概要は6本の上映ビデオでも分かった。美術書で見慣れていた数々の仏像を見ることができて、特に四天王立像の細工に日本美術の歴史の重さを感じた。坐像の文殊の顔も良かった。天燈鬼立像などのユーモアが当時存在したことに驚く。太平洋戦争で建物も含めて、これらの彫刻が失われなかった歴史の幸運を強く感じた。また、取り戻せるせいぜい数十年の物を破壊するならともかく、金閣寺などが放火によって焼失されたり、人類の宝が、100年以下の寿命の一個人によって無くされるのは不合理と思われるのである。常設展の伊達政宗・支倉常長関係の史料も初めてみた物が多く、実に有意義な観覧であった。
●9日、仙台10:24の東北新幹線はやてで東京。12:08に到着。微雨につき皇居方面に向かうのを止めて、用心のため地下鉄駅のある有楽町へ歩く。ビッグカメラを見学している内、雨も上がった様子なので、皇居の南側道路をゆっくりと進む。皇居の周囲に47都道府県の花が植えられているのを初めて知った。雨上がりの緑は美しいものの、土手はゴミなどが散乱していた。前日解散した国会は静かな雰囲気。半蔵門の先のS社での説明会に参加。終了後、同社の中沢道男氏と近くの喫茶店でしばし打ち合わせ。赤坂見附駅で分かれ、小生は銀座線で赤坂見附から稲荷町へ。東上野にある休暇村協会の阿久津久美子女史を突然訪ねるも不在。アポなし、終業間際ならば当然か。営業本部広報部広報課瑞野友紀子主任に会う。彼女は以前日光にいて埼玉出身。上野駅まで歩き、上野公園内を散策した。公園内はすこぶるきれいだった。野口英世銅像、国立科学博物館、西洋美術館などの建物も見て、アメ横に立ち寄り、上野19:02のはやてで仙台20:35着。自転車で仙台駅まで行っていたので、通いのラーメン横丁で、もついりラーメンを6日ぶり(?)に食い、帰社。
●13日、塩竃市の奥田書店に西音馬内盆踊りの本を届け、帰りに、友人の柏律子女史から勧められていたらーめん蔵にようやく行く。並んでまで食べる人もいる多忙な時間ながら、店員の対応は丁寧。蔵特製ラーメン¥577を細麺・こってり味で注文。大盛りは¥105増しで大丼のようである。A:の味である。海苔の配置もユニークで、絵になる。今後、あっさり味と、太麺も味わうべきであろう。火曜日と第4月曜休、11〜19:30。
●15日、おそらくこの日、つがる富士見荘阿部久仁彦センター長に会っている。
●17〜19日、(17日)午前中、東北道泉IC-長者原SA-ETCから少し迷って、久しぶりの県道59-県道17-R398-花山湖畔から道の駅花山。隣接の農山村交流センターふるさと交流館の展示を見る。いい施設だが道の駅から少しだけ離れ過ぎている-温湯温泉-花山峠-湧水の栗駒神水を補給-小安峡-木地山高原-泥湯温泉。秋田八幡平の蒸の湯のような泥にまみれて湯が盛んにでている。辺りには硫黄臭がしっかりと漂う。ここにも足湯ができていた-川原毛地獄-迂回路を回り込んで川原毛大湯滝。ここは3度目の訪問。山の中の海水浴場といった雰囲気であった。ツアーのバスツアーが来るらしい。この時期は秘湯ではなくなっている。ここは県道51から車のアプローチが可能で、そこからなら徒歩13分で行けるのに、いまだに川原毛地獄から歩いて来る人がいる。三途川渓谷の前で珍しくヒッチハイカーがいたのだが、車中が一人乗り状態だったので応じられなかった-R13、広域農道経由で羽後町。当日は西馬音内盆踊りの2日目。羽後町観光物産協会、湊屋主人湊幸夫氏と撮影のうち合わせ。盆踊り会場の本町でセッティング-会場に向かう親子連れなどを撮影。2005年からは会場がT字型になり大きくなった。23時までスタジャンを着て撮影。ひどく汗をかく。終了後、床舞地区にある宿舎の多目的センターに行く。皆眠っているので、台所で夜食的夕食。小生は何か雰囲気的に違和感があり、駐車場のオルティアの中で眠る。(18日)早朝、4:40起、朝焼けの空の中、道の駅雄勝経由、R13で新庄。末広食堂に9時に到着するも開店は10:30-県道34-R47で、草薙温泉-立川町の風車撮影。久しぶりに風車村にも立ち寄る-R47-新庄末広食堂にてスタミナラーメンというとりもつラーメンを食べる。撮影は断られる-R13で再び秋田県に戻り、雄勝町ほっと館で入浴¥400-14:30羽後町に戻る-ながや商店でいしもとのあたごせんべいを購入。役場のテントで公式ガイドブック販売を手伝い。週刊トラベルジャーナル社からの雑誌掲載物件の校正を受ける-夕刻、盆踊り会場に行く。ながや商店近くの藤田貞子さんの店を撮影。偶然著者サインセールをしていた切り絵作家の平野庄司氏にも会う。撮影、西馬音内盆踊りは、端縫いの着物が皆違う柄なのがいい。普通こういう踊りは列の中にいる美形の人に目が行き、目の前の踊り手に注目しないという傾向があるが、彦三頭巾と編み笠によってすべての踊り手を見つめる作用が働いて、結果、一人ひとりの踊り手が主役になっていることに特徴であろう。西馬音内盆踊りは、顔を隠すことでまだ踊りが上手ではなくても大胆になれるといわれているが、むしろこのように主役になれる喜びを踊り手自身が強く感じているのではないだろうかと思われた。この類の行事は観客数の増大につれて変化していくであろうが運営の方法などにいろいろな課題が生じるだろう-23:30終了。片づけの後、祭りの余韻の残る街を役場まで歩く。平野庄司氏に再度挨拶-ながや商店であたごせんべいを追加購入-宿舎に帰ってミニ宴会、1:00就寝。(19日)7:00前に炊事の支度で起こされる。田舎の食事は豪華という他ない。宿泊者に小誌を差し上げたりして、春日井市の福田年方、東京都荒川区の福原裕、浦安市の外山正各氏と名刺交換をして、各地の情報が語られた。ホームステイをして、同宿の人たちと知り合いになるもの楽しいことである。帰り際、集落の世話人の女性たちから土産に西瓜・玉蜀黍などを戴く。8時出発-R13-R108に入って寝覚めの水を汲みながらも、オニコウベトンネル前後で連続した3ヶ所で仮眠-吹上温泉峯雲閣を見学撮影-R108-R47-古川R4-道の駅三本木。亜炭記念館を見学・撮影-帰社。後日、福田年方氏から近況と丁寧な礼状が届いた。
●22日、本来なら21日深夜的時刻の22日未明、自宅ベランダから天体望遠鏡でしばし月を眺める。ほぼ満月だったが、辺の縁が少し温かい空気に揺らぎながら、クリアーに見えた。月の表面に大きな隕石が落下するのを見たいものだ。最近月旅行が話題になっているが「何用あって月へ」という意見もあるが、これが分かる人とそうでない人の違いは大きいだろう。
●23日、昼食で、近くの天下一品ラーメンを食べる。このドブドブスープが美味しい。
●1日、小坂町で康楽館中村脩太郎館長に会う。
●3日、雑誌の校了作業を終えて、正確には4日午前0:10、R4を南下し始める。福島を過ぎ、道の駅安達に立ち寄り、郡山へ走り、当初の奥会津へ向かう予定を変更し、そのまま南下、白河で眠くなったので、小峰城の駐車場で3:30に車中泊。2日朝6:45朝日の暑さに起こされる。青空の小峰城に久しぶりに登り、堤を歩いて上からバラ園を見る。バラ祭りは7月3日までながら、早朝で入口の錠が開いていない。南湖公園に立ち寄った後、R289を南下、JRバス専用道路を撮影し、道の駅はなわに8:00到着、産直コーナーへ生産者からの持ち込みが盛んに行なわれていた。撮影後、駐車場のオルティアの隣に停車していた不労者・風間多郎氏と遇う。氏は静岡県三島市の住人で、5年前から日本中を車で旅していて、今年も東北にやってきて、東北の各地、道の駅・温泉などを周った後、北海道に行く途上。車のボディに各地のFM局、自動車販売所などのステッカーを貼り巡らしている。ベンチで1時間半ほどもいろいろ話をする。その後、湯岐温泉に寄り、湯遊ランドはなわ、ここからR349、県道27号で茨城県北茨城市に入り大津港に出る。途中は、樹間を縫うように走るルートで、ほとんど他の車に会わなかった。12:00に到着の大津では魚介を販売する松野屋に寄り、五浦海岸で再び、岡倉天心の墓に詣で、茨城大学五浦美術文化研究所¥200を見学する。霧の岬と、背後の林の中に住居。塩出英雄の作品「五浦」には今も土台だけが残る倉庫も描かれている。天心は明治時代を丸々活きた人物。五浦から県境を越えて、勿来の関までわずか10分。隣接県の情報もガイドされるべき象徴的なひとつである。R6をずっと北上、道の駅ならは14:03、道の駅そうま15:47、体験実習館で相馬野馬追の展示を見る。南国フルーツ相馬店で果物と菓子を購入、相変わらず激安。帰仙して、土曜日夕刻ながらMGコーポに寄り、帰宅。今回の走行445km。
●5日、泉IC-古川IC-R47-R108-R13で吉田総耕に同行して、秋田県羽後町へ。9:10過ぎに観光物産協会、羽後町企画商工課今野隆参事に会う。コミュニティセンターで西馬音内盆踊りの振付撮影。終了後、振付の師匠である藤田章子さん宅で取材。その後、信太で冷やかけそば。むかしがたり館見学、中川文子氏からいろいろ話を伺う。観光物産協会で再度打ち合わせ。元祖そばまんじゅうのみなと屋で同年輩の湊幸夫氏と話。彼はハム、写真の士。おみやげのながや(佐藤良友氏)、若がえりまんじゅうの泉栄堂訪問後、再び街中の松屋で冷やかけそば、R13-R108-R47-古川IC-泉IC。
●14日、上海王飯店にて河端亜矢子女史の送別会。
●1日、飯坂温泉新松葉の芳賀勇夫専務、久しぶりの来社。あのラーメンで知られる佐野市にアウトレットモールが人気。福島市の餃子店では王芳が最近客が多い。老舗旅館のなかむらやに露天風呂があるあるいはできた。飯坂温泉のある宿では、地元で人気の照井から餃子を取り寄せることもしている。飯坂温泉地内にあったかつての堀切邸がン2005年秋、開放される。入浴料が100円から一気に2倍になった(これについては地元利用者には定期パスを販売したらどうだという結論に達した)などの情報を得る。また日帰りプランで弁当の提供はどうだという話になった。大館駅のような鶏めしがいい、温泉玉子もつけると温泉弁当らしい。さて新松葉旅館は、地元の観光果樹園と提携しているのだが、宿泊+サクランボ狩りのパックがあり、割引でサクランボ狩りができる。予定になかった人にも、朝食時にすすめると果物狩りの割引券をもって行くこともあるそうだ。それで、新企画として、検討できるのは、果樹園と提携して、10分追加券を発行したら、ということ。30分に10分の時間追加は果樹園側にとってはどうってことないし、ほぼ30分で満腹している。しかし、食べ始める前に10分、他の人より多く果樹園内にいられるという「特別扱い」が訪れた観光客には嬉しがられるはず。もうひとつ。現場ではもう食べられなくなるけれど、2時間後に、また食べたくなる。もちろんお土産を買う人もいるが、2000円分もいらないという人もいる。そういう人たちのために、30粒持ち帰り袋(白い透明のものだと、持参している人もいるので、目立つ色付の袋を用意する)を準備して、これを例えば1200円の入園料に、加えて100円で販売する。持ち帰りが原則はできないけど、公認で30粒持ち帰りができる、というのが客には嬉しいかもしれない。入口にこの袋では30粒持ち帰れますという大きな表示をしておく。こうすれば陰で不正に持ち帰る人も少なくなるかも。もちろん、これでお土産を買って帰る人が少なくなれば、取りやめた方がいいと思うが、観光客には、そういう「特別扱い」が嬉しいかもしれない。旅館との提携は、すぐにはできないかもしれないが、10分追加券、30粒持ち帰り券は果樹園単独でもできる。その場合単独で実施するなら10分追加券は200円で販売してもいいだろう。来園する観光客が、もしこれでいい印象をもつのであれば、やってみる価値はある。これで、果樹園側にも客単価が上がることも効果が見込めるかもしれない。これには後日談があって、女性の意見で「持ち帰り袋は、ほんとに小さな袋でいいからこれに入る分だけお持ち帰りいいですよって、言ってもらうととても嬉しい気持ちになりますね。色付きの袋って考えもいいですね。30粒っていうのはごまかす人いっぱいいるから、小さ目の袋でこれに入る分だけっていうのがいいかもしれません。10分追加券は、色付きのゴムや紐みたいなものを準備して(首から下げる、腕にはめる)通常のお客さんとは見てすぐ違うと分かった方がいいかもしれません。「私たちはちょっと時間が長いですよ」って自分にも他の人にも農園の方にも一目でわかるでしょ」ということや、「新聞に載ってた記事=サクランボ狩りにシルバー料金があるといい。高齢者はそんなに食べることはなく、子供や孫と楽しく和やかな雰囲気を味わっている。なのでそんな料金設定があればなぁ〜だって。なるほどだね」と、「さくらんぼの木って高いでしょ。結局脚立に上らないと取れないし、子供たちには大変なんだって。つまり、子供にとらせる為に親はおんぶしたりって大変なんだとさ。だから、少し大きめの台とかがあるといいかもしれませんね」とのことだった。それらを東根市の槙農園の槙宗一郎氏に「こういうことが、細かい配慮なのかもしれません。果樹園に大きく表示してもいいし、話題になる。評価されると思います。実行したら、ぜひ山形新聞に、恥ずかしがらずに、知らせてみることをおすすめします。まぁ、年配の人でも大食いの人もいるし、年配の人は、むしろ若者よりお金持ちですけどね。でも、新聞に、こういう意見が載るということは、そういう意見、要求があるということですものね。試してみるのもいいかも、でした」と提案したら、まぁ槙農園は地域唯一の時間無制限園らしく、10分追加券は不要課題だが、年配者向け企画は「早速実施したい。年齢70歳以上、料金規定の半額の750円ではどうですか」と応えてきた。
●2日、夕方に近い午後、幻冬社ルネッサンスの米原一穂社長、ワイドレシーバー森口博代表取締役来社。19時、一番町の酒食亭百舌を取材・撮影。開店後12年目という。常連客が普通にカウンターの上を拭いていた。撮影後、牛タン肉は食べたくなかったが観念して食べた。
●3日、早朝7時、国分町の新しいホテルソブリンを取材。主任の今泉智史氏に丁寧・協力的に案内され、撮影後、バイキングの朝食を勧められ、割と遠慮せず戴く。朝早くの取材という特殊な状況ながら、こういう風に自然に勧めるというのが、こうしたサービス業の鑑である。山形が本社であるというこの新ホテルの発展を願うばかりだ。午後、北ホテル訪、西嶋裕二支配人から写真を拝借する。その後、マーブルロードおおまちにある鳴海屋紙店。突然の訪問ながら業務環境室の今野義明室長に取材を快諾戴く。この鳴海屋紙店は老舗で、現在は紙卸問屋が本業。通年、紙素材を用意している、仙台七夕にかかわっている人たちは知らぬ者はいないだろう奇特な店。こういう店にあの東北三大祭りは支えられているのだね。
●4日、夕方、小雨が上がった北山羽黒神社例大祭に行く。各地の踊りが披露されていた。学生に西音馬内盆踊りなどを指導している尚絅学院大学の安藤正樹助教授にいろいろ伺う。18〜21時頃まで、境内でいろいろ撮影した。こういういい祭りが東北のあちこちで開催されているのかも知れない。
●5日、日曜日。東北・秋田道で、義母の通夜のため秋田市内の妻の実家へ。当日は市内のホテル泊。6日、告別式、次いで法要を済ませ、秋田銀行山王支店黒川民人支店長代理に会い、秋田・東北道で古川ICからR4に降り、帰仙。
●7日、休暇村岩手網張温泉の後藤洋平、小網信広両氏が、この7月に本館リニューアル、温泉棟新設の案内に来社。
●8日、夕方近く、仙台銀座にある魚料理仙台藩に撮影に行く。数年前の取材時と変わりはなかった。キンキンとウニ、ホヤ素材、自家製かに笹かま焼も撮影。ここはそのかに笹かま焼が名物なのだから、1枚472円と高く、当日の受け入れ客の予定もあろうが、お土産に2枚持たせてくれればというのは卑しい心根か。しかしこういう配慮が取材者受けするだけでなく末広がり的に宣伝効果が広がるものなのだ。それが商売のセンスであろう。わずか1365円の喫茶ケーキ代金を飛び込み取材で無料にしなかったばかりに、ドライブモデルコース上の誌面のスペース関係上削除されるということもあるもので、そのようにしていると、無理をしてでも誌面から外さない、次回も収録するという気持ちが保持されるものである。まぁ、全体的には下卑な心情ではあるが、本音的にもこういうことが必要なのだ。
●11日、R48で東根市、散々迷って槙農園。サクランボはまだ赤くなってはいなかった。また2005年はヒョウの被害が山形を襲って作況不振とのこと。槙宗一郎園主に農法の話などを聞く。12時、河北町のそば吉で肉そば。R112で山形市内の2つの冷やし中華店外観を撮影、二日町の山田家で白露ふうき豆購入。これはとても美味。R348の白鷹トンネルの東側入口手前から看板に従って南に走り、南陽市小滝地区、堰堤ダム湖沿いの舗装路を走って、整備された駐車場から300mほどのところにある潜り滝に行く。想像以上に近く、かつ明るい場所にあった。形も想像とは違ったが、水は清冽で、まぁ満足。R348白鷹町の千利庵は既に営業終了。道の駅いいでに寄り、R113、県道4号、白川湖畔を経て、広河原へ。最初の分岐で左に下り、釣り堀の先の分岐で、右折して、違った林道を進み、しばらく走り、4WDでなければ無理なポイントから引き返す。これは正解で、釣り堀の分岐を左折する正しいルートに戻り、広河原の間欠泉露天風呂へようやく到着。結局ホテルフォレストいいでの橋から50分もかかった。ここもイメージとは大きく違っていた。北からの道路に向かって突然現れ、周囲は開けてはいず、鬱蒼気な峡間にあった。更衣施設を秋までの予定で建設中。湯船はあるので、入浴できはするのだが、ぬるいことと、虫がいっぱいでとても無理なため撮影だけに留める。R113、R13、山形蔵王IC-宮城川崎IC、R286と走り、南陽市の龍上海・川崎町の渓流ラーメン・天狗山などでラーメンを食べようとしたがことごとく空振りで、仙台市内に戻り、飛び込みでびっくりドンキーにて夕食。同行=栗田博子。
●12日(日曜)泉IC7:16-紫波IC8:24。志和大稲荷神社から、あづまね温泉、矢巾温泉に行くが、営業時間前なので、不動温泉百万石で入浴。10:30ラ・フランス館前の芝生園地でみちのく旧車会の車・メンバーを取材撮影。作山文男・泉和久・助川浩・山田浩司・小原道敬・佐藤秀明・鈴木篤・谷川進・西山正之・鹿野政弘の各メンバーと一部ファミリーが集合。八幡平クラシックカー同好会副会長の松本淳一氏、ラ・フランス館の村上秀紀営業課長補佐もこれに立ち会った。その後、会長の作山文男氏と昼食、自宅訪問して話を伺う。R4-R46で、仙岩トンネルを抜け、田沢湖町の山の駅、道の駅きょうわ経由で秋田市手形田中。しばし後、R13で、道の駅かみおか、道の駅せんなんに立ち寄り、十文字町で食事、道の駅おがち経由、R108、R47、R4で帰仙。この日、古川・仙台間でオルティアは250000kmのメーターを運転手の知らない内に超えていた。
●19日(日曜)R4を福島まで南下、R115経由で、道の駅つちゆ。曇りの土湯トンネルを抜けると薄い青空ながら晴れていた。国道沿いの産直店を撮影、R115の反対車線、ゆずりあい車線終点部で速度取り締まりをしていた。ムゴイ。JR猪苗代駅を撮影、磐梯高原へ。裏磐梯フォレストスプリングス、バンディアハーブガーデン撮影後、小野川湖経由、R459で道の駅裏磐梯。ここは駐車場も含めて大きくなっていた。喜多方で、はせ川を訪ねるも休業。日曜日に休みというのが気に入った。ラーメンを食せず。道の駅喜多の郷、熱塩温泉に立ち寄り、示現寺を見学。R121に戻り、ひめさゆり浪漫館見学、山形県に入り、道の駅田沢を経て、米沢市街地を抜け、道の駅高畠。R113で七ヶ宿から、県道51、R457遠刈田温泉の駐車場で、小一時間眠る。センター浴場入浴後、村田町経由で帰社。全行程344km。
●20-21日、早朝出立。湯沢駅経由、9時、秋田県羽後町観光物産協会にて斉藤恒治事務局長、土谷真美子女史らと取材打ち合わせ。町内を回る。あぐりこ神社-三輪・須賀神社-むかしがたり館-天馬美術館-佐藤信淵文庫-佐藤信淵生誕地-黒沢家住宅-西馬音内盆踊り会場-歴史民俗資料館-鈴木家住宅。家の前には日本一太い(高いというのではない)キササゲの木があった。20年以上前この地を訪れたことなどを語り、屋内を案内してもらう。ここは源義経の家来鈴木三郎重家の末裔。歴史のある資料がポンと置かれていた。帰り際、木工作業をしていた第45当主杢之助氏に2550gの桐の木を戴く。これからどんどん軽くなっていくに違いない。杢之助氏は全く武士の顔をしていた。あるいは野武士、農民とも見えるが、少なくとも鎌倉時代の人物そのものであった。そのまま時代劇に出演できそうだった-石馬ッコ-七曲峠。途中に湧水があり、給水。-旧長谷山邸-刈女木湿原-岩瀬甌穴-七高山奥の院。七高山はちょっとした登山であった-五輪坂スポーツ公園-五輪坂アルカディア公園-五輪坂温泉としとらんど。3階大浴場からの眺めがよかった。ここの終了が16:30-町内の弥助でひやかけそば-少し時間を潰し、18:00そば屋彦三(店主・猪岡専一氏)にて、吉田総耕・高橋乃亜と合流し、そば懐石を撮影。ごちそうになる。店主の猪岡専一氏から話を聞く。全終了後、解散。小生は、湯沢から横手へ。ホテルルートイン横手インター泊。(21日)かんぽの宿横手-秋田ふるさと村-道の駅仙南。産直所で自然に色づいた苺を購入。美味しかった-道の駅雄勝-R108-湧水-道の駅鳥海の郷-R108-県道58-花立牧場-南由利原-県道285-パノラマライン-R7-道の駅ふらっと-三川町の茂一そば-道の駅三川。ここは県道333沿いになり、R7は新しい道路ができていた-鶴岡積善三昧庵-寝覚屋半兵衛。これら3軒はすべて飛び込みながら無料にして戴いた-椙尾神社-善宝寺-湯野浜温泉。海岸でしばし砂浜で遊ぶ子供達、夕暮れの海を眺めていた-加茂経由(ここも新トンネルができていた)-鶴岡市街地-R112を赤い月を眺めながら東進-道の駅月山-道の駅西川-道の駅寒河江-道の駅河北-R48-帰社。今回641km走った。
●22日、仙台駅東口、サンプラザ前で、楽天人気に湧くベロタクシーを取材。
●27日、MGコーポの佐々木健志氏がキャンピングカーを駆ってくる。小生大いに気に入るなり。将来の岬の小屋住まいの冬季の隙間風を心配していたが、このキャンピングカーであれば解決か?と、思いを巡らす。
●この月、北海道国際航空・いわゆるエァ・ドゥに代表取締役副社長に就任していた小林茂氏から就任の挨拶が来た。。
●4日、R4を南下、岩沼市街地からハナトピア岩沼方面、案内板が不十分で行き着けず。県道25号のマニアック道路を進み、姥ヶ懐で蕎麦を食う。村田町内の物産交流センター、県道52号で柴田町槻木でR4に出て、仙台へ戻るショートドライブ。
●5日、夕刻、北仙台駅前の味よしにて、再びカメラマンの今藤祥信氏とラーメン。普通味のラーメンは味が少し変わっていた。
●9日、夕刻、北仙台駅前の味よしにて、再々度今藤祥信氏とみそラーメン。マスターに呆れられる。
●15日、前夜よりグリーンツーリズムのデータを纏め続け、終了したのが5:40。そのままやおら出発。泉ICから東北道を疾走。R47で鳴子に向かい、R108に入り、秋田県湯沢市へ。7:06には秋の宮山荘下の朝市に到着。これを撮影、おばけ煎餅を2ヶ所で購入。それから秋の宮博物館に立ち寄り河原の浴槽を見て、神室亭へ。訪問を前日10時と約しておきながら、日曜日の朝7:30にするとは無礼千万な奴。それでも案の定田舎の朝は早く、亭主の由利隆夫妻は活動中であった。意見交換などしながら、2時間半ほどお邪魔する。朝食をご馳走になる。山菜が美味しかった。雨に変わったR108を雄勝に走り、R13を南下、新庄、東根経由で帰社。
●17日、仙台朝市で、バナナ、リンゴの他、ズワイガニ2匹と、ヒラツメガニ6個を購入、会社で食べる。
●21日、ラーメン横丁でとりもつラーメン。
●22日、日曜日。11時に出発して、登米市石越町にあるチャチャワールドいしこしに行く。園内を気持ちよく撮影。帰りに伊豆沼の脇を通り、内沼を経て、R4を南下。古川で沖縄そばを食べて帰社。
●25日、仙台駅前朝市で、毛蟹、帆立稚貝、秋刀魚を購入。
●29日、昼過ぎ、熊野堂温泉でゆっくり入浴。15時から、社員星野まいの結婚式に参加。
●30日、7:37泉IC-秋田南IC9:34。10時、秋田協同印刷で色校正。11時過ぎには終了。秋田駅に回り、R7を南下、道の駅いわきに立ち寄り、由利本荘の清吉そばで中華そば。他に2支店あるが、本店は全く昔の店の風情を残している。明かり取りの天窓、座敷、トイレ、プラスチックの札で注文をとることや、レトロな値段表など、このまま変えずに残して貰いたいものである。かつて野菜中華を食べたことが数度あるが、最も注文の多いといわれる中華そば¥420は初めてだった。美味しいが、スープの甘さは単なる砂糖なのだろうか?R7を南下、道の駅にしめ。ここで、旧文明社会のような販売方法を久しぶりに見た。つまり、苗葱を梱包し、売っているのだが、大きさから廉価と思われる1束¥350という表示。明らかに安い。それを所望すると、¥700だという。「えっ」というと、その束は2つ入りですと。周囲には1束で造られたものはなく、みな2束。こういう人を騙すような商売をしちゃぁいかんぞ秋田県!さらにR7を南下。鳥海山を遠望するヒバリの舞う仁賀保高原をいろいろ撮影、土田牧場でジャージーソフトを食べる。濃いけど‥。ひばり荘から象潟に降りて、道の駅ふらっと。立川に出て、道の駅とざわに立ち寄り、R47で新庄。一茶庵支店は定休日、末広食堂は16:50に終了していた。梅屋の場所を教えて貰い向かう。モツはいいのだが、スープが不必要に多すぎるか?当初このトリモツラーメンの地域興こしを新庄市観光課に提案し、受け入れられなかったという経緯もあるが、「愛をとりもつ」というキャッチフレーズはまずかったような気がする。必要のなかった駄洒落である。R47をさらに東進、鳴子温泉を経て古川。R4で21:30帰社。
●3日、昼間、岩手県ビジネスホテル西根の北田静雄氏に紹介して貰った、仙台南に住む小林捷成氏宅を訪問。彼は仙台クラシックカークラブに所属していて、若い頃車で世界一周した人物。19:20〜22:10話を伺った。大変興味深いことばかりであった。その際の車いすずベレットが玄関脇においてあり、これも感慨深いものがあった。彼と愛車には雑誌「リブレ東北」の創刊号に登場して貰うためであった。2。年に発行された著書「ベレットGTと世界を駆ける」を、帰社後、一気に読了、原稿を書き、借用してきた写真を割り付け、誌面を一気に作成した。
●5日、徹夜で創刊誌「リブレ東北」春号を校了。午後まで少し眠り、名取市の熊野堂温泉に行く。他の客もいたがゆっくり入浴。トトロ似の杉の木を撮影。本を見たり、ラーメンを食ったりして、会社には戻らず、直帰。
●10日、東北文化出版の「雄物川30景」を校了。漸次発行ということになった。夕刻、小林捷成氏宅を訪問、借用していた原稿類を返却。
●15日、快晴。8:00仙台駅でモデルの麻生由紀子、佐藤阿寿沙両嬢と合流し、出発。R45から三陸道仙台港北IC-石巻河南IC-9:30サンファン館。館内をいろいろ撮影。支倉常長像のある月浦経由、旧牡鹿町のおしかホエールランドへ。ゆっくり撮影後、走り出したら、次のポイントが女川町であることに気付き、御番所公園を急遽押さえ、牡鹿コバルトラインをひたすら走って、予定より遙か遅れて、13:45女川町の食事処おしか到着。快く取材・撮影に応じて貰えた。そしてカフェレストランすえひろ。オーナーの末永賢治氏に話を聞く。15:40マリンパル女川、マリンパル2の市場、その後、隣接するマリンパル1の館内を初めて見学、撮影。ようやくここで予定時間を取り戻し、石巻市内に急ぎ、17時に助六鮨。握り寿司の撮影をお話を伺いながら行ない、終了後、蛸の卵なども戴く。渋滞気味のR45を北上、18:45旧河北町の新しくできたばかりの道の駅上品の郷に到着。閉店前の産直撮影、その後、レストラン、浴場と回り、最後に太田実駅長を撮影し、三陸道河北IC- 仙台港北IC-R45で帰仙。
●18日、泉区北環状線でモデルの佐藤奈々、鍛治村吏衣両嬢と合流し、出発。仙台宮城IC-東北道-山形道北山形IC-山寺。山寺駅で列車から降りる場面撮影後、駐車して、山寺へ登る。久しぶりだったが、当初思っていたより1/3位の高さだった。元気満々につき釈迦堂まで行こととしたがそこは修行の場につきだめだとのこと、下山。午後の予定の円仁さん本舗に行って、撮影をさせてもらう。店長の今泉哲郎氏と少し話。風雅の国で時間を過ごし、13時に山寺芭蕉記念館。この日は休みながら、団体客がいるということで特別に開館させてもらったもの。対応は遠藤広行主任。館内の様子は以前とは随分違っていた。予定を早めて、楽水庵いずみや。芋煮・そばいずれも美味しかった。R48で作並温泉、作並駅経由で定義へ。定義とうふ店、定義清水館。清水館の早坂滋樹社長から揚まんじゅう・揚げ豆腐・岩魚塩焼き・みそおにぎりなどを頂戴する。そして17時で閉門された定義如来、西方寺の境内に入って撮影。全終了後、北環状線経由で帰社。
●19日、先日に引き続き、北環状線でモデルの佐藤奈々、鍛治村吏衣両嬢と合流。塩竈へ。鹽竈神社は桜が4分咲き。丁寧に同行戴いて、鹽竈神社内を撮影。染井吉野を初め、枝垂桜、八重桜の他、鬱金桜など20種・200本の桜があるという。境内に2本ある小手毬風に咲く鹽竈桜は国の天然記念物指定されている。また三春滝桜, 岐阜県根尾村の薄墨桜、山梨県武川村の神代桜という日本三大桜の苗木が植栽されていた。マリンゲート塩釜では館内や、建物展望台から、快晴の港内・遊覧船などを撮影。モデル2名は、11時の便で大勢の外国人団体客らと共に松島ベイクルーズ(株)[旧松島湾観光汽船]で松島へ。小生は、土産処をさらに撮影後、R45で松島海岸へ移動。松島では塩竈からの遊覧船を出迎え、すぐに観瀾亭へ。緋毛氈の上で抹茶を戴く場面を撮影、五大堂、福浦島を経て、久しぶりのさんとり茶屋。松島湾が見える2階で、昼食風景を撮影。食事後、松島島巡り観光船の12人乗りの遊覧船で、湾内観光。波少し高けれど、快晴の下、青い海は快適で、大型の遊覧船よりも楽しいようである。40分ほどの遊覧の後、松島海岸駅前経由で、急遽、多賀城の東北歴史博物館へ。館内を見学。今野家住宅も撮影。その後、多賀城政庁跡に向かう。最後は、多賀城駅北側の新しいコーヒーショップみおりねを見つけて飛び込み取材。全終了後、岩切を経由して、北環状線、帰社。直後、白石手延温面はたけなか製麺(株)の佐藤隆社長が来訪。
●22日、秋田から北海道芦別市に移住していた昔からの友人・渡辺彰来社。6年ぶりくらいかも知れない。会食後、富沢に送る。
●23日、午後からR4-R457で色麻町のライスフィールド、加美町のあゆの里物産館、岩出山町桜並木を経由、あら伊達な道の駅でもしばし撮影。鳴子町馬場温泉の遊木舎の遊佐信一氏に敷地内を案内して戴く。敷地内の7棟の建物は文化庁の登録有形文化財の宮城県5〜10の6件が指定されている。R108で鬼首公民館へ。14:30からの六代目宝井馬琴講演会「義経と伊達政宗」の講演を聴く。雲居禅師とのことがよくわかった。盛況の内に17時終了。R47で古川方面、旧岩出山駅舎のグリーンアップ、道の市場、古川のハーブカントリーに寄り、例によって沖縄そば。R4で帰仙。
●24日、快晴。仙台を南下、仙台空港を迂回、角田駅の市、葉っぱ市、丸森町のジェィエイ仙南サービスのフレッシュアグリ村、不動直売センターを回る。近くの不動尊クラインガルテンに入植している早川真理女史宅に寄る。丸森町内は道路が大きく変わっていた。阿武隈川下りの舟を撮影後、広域農道を北上、手代木沼ほとりの市経由で、白石から蔵王町へ。蔵王おふくろ市、ジェィエイ仙南サービス、馬場果実直売所、カトー青果。この蔵王の産直店の草分けという加藤氏に商品が購入しやすいように100円コーナーを提案。その後、七日原の蔵王フルーツ、チーズキャビンを連続して撮影後、遠刈田温泉センター浴場で入浴。村田町経由で帰仙。各地で例年より遅れているであろう桜が、各地で満開であった。
●26日、松島パノラマラインにあるイタリア料理店グラッチェの小林幸雄氏来社。日本三景ランチメニューを提案する。夕刻、北仙台駅前の味よしにて、カメラマンの今藤祥信氏とみそラーメン。
●27日、仙台駅前の朝市でセイコガニを購入、自宅で茹でて、夕方、社の同僚と食べる。
●28日、ラーメン横丁で久しぶりに、とりもつラーメン。
●1日、午前7時出発で、秋田へ。晴れたり、曇ったり、降ったりと目まぐるしく変わる天候。秋田協同印刷10時着。11:20までいて、土崎のめしやで、ちゃんぽんと皿うどん。めしやは全く新しい店に変貌していた。12:30秋田南IC〜14:22泉IC。
●7日、最近取材協力をしていた「SCENEネクストステージ仙台・球団誕生が杜の都にもたらした萌芽」収載の雑誌「CLUB USEN」2005年4-6月号と「月刊アサヒ芸能エンタメ」2005年4月号があいつで送られてきた。「エンタメ」は「万博名古屋VS楽天仙台イケイケ度比較」という企画で、友人の櫻田彩子女史を推薦したり、市内の飲食店を取材・撮影したものが反映されている。夜、探し求めて青葉区川平1-19-2(022-279-4889)の櫻家という、とんかつほぼ専門店へ。ゴールデンポークなる宮城県高清水町産の豚肉ヒレカツを食べる。120gながら、終わる頃には満腹。不思議だ。330gのジャンボという奴は、果たして食いきれる量なのだろうか?同行=河端亜矢子+川原友香。
●10日、日中、所用で仙台駅の跨線橋を渡っていると、仏人の美形が通り、その後も2組みの外国人とすれ違った。仙台も最近は外国人が珍しくなくなった。しかし、そうした3組を立て続けに見たせいか、すぐその後からやってきた若い男性の茶髪姿に悲しさを覚えた。別府温泉に滞在中の母親と3人の叔母に送るため、仙台駅地下街で、仙台の最中、菓匠三全の萩の月、九重本舗玉澤の抹茶だけでなく、郡山三万石のままどおる、大船渡さいとう製菓の鴎の玉子など東北の銘菓を購入。玉澤の霜ばしらを買い忘れた。東北の美味しい菓子といえば、この他には、青森とりむらのホタテの燻製品、田子町のにんにくせんべい、一関の田村の梅、大館の煉屋のばなな、秋田市の金萬もまあまあ。珍しいものは、鶴岡のからからせんべいなどである。他に、八幡平の樹氷というのもあるな。その後、熊野堂温泉に行く。フロントは信じがたいほど無愛想。平日の日中なのに、無言の男3人が入浴していて不気味だった。一人はあのぬるい浴槽でひたすら本を読んでいるし。小生はガラスで囲まれた第3浴槽に入って孤独を囲った。しばしトトロ崩れの杉の木を見ていた。第3浴槽に目立つ湯苔などきれいにできるところは清潔にすればいいのに。駐車場に戻ると、鶏の集団が運転台に乗り込まんばかりに近寄ってきたので、「おぉ、愛い奴らじゃ」と、非常食料のカロリーメイトを100Kcalを餌として与えた。
●12日、今日、1575円の腕時計を買ったが、これを気に入っている自分とはどうだろう。高価な物を保有したり、食べている人はどこか違う。同様に、廉価なものばかり使ったり、食べている人は、またどこか卑しさがにじみ出ているものだ。もちろん、逆に高価な物を持っていることを自慢するような人はもちろん貧しい人ではある。自分の財産を数えられるくらいでは大金持ちではなかろう。天才は自分が天才であることを知らない。「俺は天才だ」という人はせいぜい秀才でしかない。人は、こういうことを意識しておくことが必要なのだ。
●13日、夕刻、石巻文化センターで行なわれた「布施辰治を語る講演会」に行く。受付で岩波新書「ある弁護士の生涯」(布施柑治著<F氏の子息>)購入。大石進日本評論社会長(F氏の孫)の挨拶、早坂啓造岩手大学名誉教授、李文昌韓国国民文化研究所名誉会長の講演を聴く。早坂啓造氏は昭和12〜15年頃、岩手の入会地・小繋訴訟とF氏との関わりから地球環境のことまで論じた。李文昌氏は流暢な日本語で主に布施辰治<韓国読みポシ・ジンチ>の韓国との関わりについて論じた。講演内容がプリントで出されていたのでメモをとる必要はなかった。大逆事件にかかわった日本人・金子文子の話もあった。会場は盛会で、石巻市の文化性を感じられた。冒頭、石巻市長も挨拶、閉会の言葉での布施辰治顕彰会の庄司捷彦氏の今後の顕彰活動の姿勢なども好感が持てた。終了時、花束贈呈にマンガキャラクターが出てきたのは石巻らしい演出といえようか。閉会後の集いには参加せず帰仙。
●16日、夕刻、リクルートの本間みゆき嬢と、小社の旧社員住吉理恵氏来社。本間嬢は、ずっと小誌の年間定期購読者で、スポーツウーマンタイプの好意的人物であった。
●17日、小糠雨の中、多賀城駅舎を撮影に行く。少し課題を残しているものの、手持ちの大仕事が一段落した気分を味わった。こういう時はスーパードライでカウチか。
●18日、朝、青空につき、名取市のサッポロビール仙台工場へ直行。総務部副課長の菊地広子ビールアドバイザーに会う。構内を撮影。帰りに、すぐ近くの極楽湯名取店も撮影。名取・仙台市境で速度取り締まりをしていた。これもシーズンになった。
●22-23日、岩手県岩泉町のマスコミ関係者招待会に参加。
仙台9:39のはやてで盛岡10:22、盛岡出発10:30。久しぶりにR106を走行。道の駅区界高原-新里-宮古。浄土ヶ浜パークホテルで昼食。案内は伊藤純一副支配人。
浄土ヶ浜-シートピアなあど経由で、熊の鼻展望台。その後、予定にはなかったが乞うて八大竜王に立ち寄り見学。橋場勇社長からは丁寧に応対して戴いた。
そしてようやく龍泉洞へ。ここは3回目だが、その内部を再認識した。続けて龍泉新洞も見た。龍泉洞温泉ホテルで意見交換会を兼ね、夕食。参加者は、JTBパブリッシング永島慎一郎、カルダイ社鈴木彪、昭文社吉田裕之・星亜矢子、旅行読売出版社南正時(鉄道写真家)・菅野秀樹(読売岩手広告社営業課長補佐)各氏と小社から小生と高橋乃亜。それに岩泉観光協会の五日市豊事務局長、岩泉総合開発の龍泉洞温泉ホテル三田地久志総務部長、龍泉洞管理事業部竹花美千子部長・柳畑正勝課長、ふれあいらんど岩泉佐々木廣樹支配人、役場の政策推進商工観光振興室小野寺貴幸主事、佐藤美穂子主事補の各氏。岩手短角牛が柔らかかった。同ホテル泊。
(23日)青空が覗く龍泉洞の朝、安家洞経由、氷渡探検洞へ。ビデオを見た後、洞内へ。自然氷がいっぱい。狭い穴、水流、滝。すべてが尋常でない。岩泉町を代表するのは龍泉洞でなく氷渡探検洞だろうという感想。唯一の女性である星隊員「酷い!松本さんて、私を先に歩かせるんですよ」小生「え、そうでしたっけ<スリルを先に味わわせてやろうと気をきかせたのに。まして水没の箇所もあって先導隊にはふさわしい人かと判断した次第であり>。屈み歩行のせいで洞窟を出ると腰が痛くなった。その後、ふれあいらんど岩泉の緑樹で薬膳料理・桐の膳。食事後、コテージなどの説明を受け、道の駅いわいずみへ。リンゴ、糖尿病に効くというとんずらなどを購入。龍泉洞温泉ホテルに立ち寄り、ここで高橋は青森に向かい、我々は、早坂高原、岩洞湖を経て、盛岡駅16:25着、解散。
小生は、冷麺を食わずして、盛岡駅ホームでぴょんぴょん舎のお土産冷麺を購入し、16:39のはやてで仙台17:22帰着。翌24日、静養のため休暇。
●27日、オルティアをノーマルタイヤに交換。この数年間はスタッドレスを履きつぶし。2シーズン履いたのは久しぶり。4本で17800円と廉価。組替・バランス=4200円、処分料=1000円、計23000円。久しぶりの接地感覚。
●31日、年度末、仙台アメ横朝市に行く。アサリ、バナナを購入。
●2日、休暇村陸中宮古佐藤邦好、休暇村気仙沼大島新井誠司の両支配人来社、歓談。その後、仙台市内のラーメン店こむらさき国分町店取材。大和田敦店長から話を聞く。撮影後、こむらさきの市内の支店では2度ほど食していたが、試食。スープは好みだが、麺との融合がされていない気がする。麺の味が弱いので、塩をもう少し加えた方がいいのではという感想を生意気にも伝えた。
●3日、午後、牛タンの利久東口店を訪問。かつて撮影した懐かしい店。すぐ隣に分店ができていた。仙台駅ビル3Fにもある。夕方、国分町のげら家。対応は本宮哲氏。ここは特に若い女性に人気のアジアンティストの店。会食や送別会などで使用していた。3月にミニ改装・メニュー改定があるらしい。まだお会いしていないが、「げら」氏であれば、今からでも通用するこの店の雰囲気は残して、さらにバージョンアップしたものができるだろう。
●4日、連日料理撮影。この日は仙台駅前にある仙台ホテルB1Fにある壽林で冷やしそば、いわゆる冷やし中華を撮影。思ったより大きい器で、「気軽に中華料理を味わって戴きたい」と営業企画担当の齋藤みづほ女史。一瞬迷ったが試食してみると、冷やし中華1617円は割高と思いきや、中華料理のひとつと考えれば、納得できる量と素材かも。タレの味がとりわけ良かった。
●6日、仁賀保町のホテルエクセルキクスイ、工藤俊治取締役総支配人に会う。
●17日、多忙につき、動けず。ようやく、ラーメン横丁に行って、もつ入りラーメンを食べる。ひさしぶりで美味しかった。
●8日、仙台港にて、太平洋フェリーの新就航船「きそ」の内覧会。大江君秋氏に会う。2段寝台が左右から入るようになっているなど、最近のニーズに合わせた造りになってもいた。デザインも斬新。80億円の建造費で、姉妹船の「いしかり」に似ているのは同じデザイナーが入っているから。サウナが海面を見ながらなので楽しいかも。バイキングの昼食もあったが、飲食せずに50分ほどで見学を終了した。
●9日、ほぼ恒例の相馬・和田観光苺組合で苺狩り。今年はプレオープンの期間で1200円也。番号5のやました苺園で、園主から話を聞きながら大粒の苺を食べる。10:30から30分ほどいて、R6をさらに南下、13時半過ぎ、青空に変わったいわきの小名浜割烹一平に到着。趣きのある店内の小部屋に「あんこう鍋」が用意されていた。生-煮立ち-食事状態の鍋を撮る。撮影後、試食。身もいいが、特にゼラチンの多い皮が美味しかった。セットになっている鮟肝も珍味。2時間弱滞在し、終了後、すぐ近くの観光市場ら・らミュウで海産物を物色。腹いっぱいでどうも食欲がない状態の買い物になった。アジの開きなどを購入。西の阿武隈山地の沈む赤い夕陽を眺めながら、R6をひたすら北上、亘理町付近では道路も凍結気味。20時帰仙。同行=栗田博子。
●12日、午後から行動開始。仙台市街地の冷やし中華発祥の店・龍亭に行く。かなり前に取材したことがある。そして、仙台宮城ICから吹雪の笹谷トンネルを抜けて寒河江へ。大雪。30分ほど遅刻して慈恩寺そば。ここにも以前食べに立ち寄ったことがある。古い農家を利用した趣きのある店内には時代物の古伊万里の蕎麦猪口もたくさん展示されている。順調に板そばを撮影後、試食。タレも美味。帰りは山形北あたりで地吹雪も舞う。事故でストップした笹谷・宮城川崎間をR286で迂回、菅生SAで鴎の玉子を購入。仙台についてからも、駅ビルで、萩の月、ままどおるを購入。とにかく渋滞の中を帰社した。同行=河端亜矢子。
●14〜15日、[平泉・大東・気仙沼]東北道で一関IC-R4-平泉町役場。節分会の写真を借りる。雪の中尊寺に寄ってみるが、社務所への雪道すり減ったスタッドレスタイヤでは上れなかった。道路上は圧雪ながら青空の県道206号で東山町の猊鼻渓、産直所の季節館などに立ち寄り、大東町の公民館へ。大原水かけ祭りのCD-Rを借りた。当日の主会場のひとつ八幡神社を撮影して、多少雪の残るR343を陸前高田方面へ。途中にあるループ橋は冬期は恐怖のポイント。R343途中から鹿折金山を経由して気仙沼へ。13時から斎藤秀一氏らとみやぎリアスライン協議会主催写真コンテストの審査。終了後、ホテル観洋に投宿。夕刻から市内のちゃんこ鍋の宮登で呑む。蛍の会の昆野牧恵・川崎早苗女史らも同席。気仙沼コンベンションビューロー協議会常務理事の小野寺暁一氏が偶然にも来店する。宴席に宮登主人熊谷利夫氏も加わり、ワイン・紹興酒・泡盛などを豪飲。ラーメン店壱萬館でようやく気仙沼ラーメン。こちらは廃業の店を利用した江川幸弘氏の経営する夜だけの店舗。帰り際、すし処たに口の佐藤恵二郎・ビストロコートダジュールの佐藤俊彦両氏に紹介される。宿に戻る。(15日)朝、入浴。市内を散策。13:30から写真塾。終了後、吉田喜久恵女史を助手にして、あさひ鮨本店で、ふかひれ寿しとスープを撮影。同店でFM仙台の高橋英彦・(株)丸和の尾形和優両氏と遇う。また、堀籠昭代気仙沼本吉地域広域行政事務組合事務局長、菊田清一消防長、小川竹男気仙沼地方振興事務所長も来店していた。もしかして気仙沼って小さな町?終了後、R45-三陸道で直帰。
●24日、鳴子町から観光アピール隊。観光農林課の高橋幸利主幹、観光協会菊地英文常任理事(大正館社長)、ミスこけし後藤美佳嬢、来社。夕刻から、グランドパレス塩釜で工藤順一氏と会い、南三陸ホテル観洋へ。工藤氏・気仙沼商工会議所観光サービス業部会長千葉晃氏、ホテル観洋阿部憲子女将、気仙沼本吉地域広域行政事務組合堀籠昭代事務局長・佐藤光一事務局次長と会食。
●25日、第16回リアス四季海岸観光塾。基調講演講師・助言者工藤順一氏、コーディネーター千葉晃氏、パネリスト阿部憲子女将と小生。プレ観光塾3回と、観光塾16回を合わせると19年間、小生は16回の観光塾の第9回を除いてほぼ全参加。感慨深い。14:50終了。津山町横山地区内で相変わらず交通取り締まりしていたが無事通過、仙台には、途中河北町で寄り道したものの、三陸道河北-仙台港北-R45で16:30に帰社。何となく驚異的。
●29日、晴天下の土曜日の昼、仙台駅前界隈、中掛丁商店街、宮城球場、虎屋横丁などを撮影。この頃、楽天関係の取材が盛ん。
●2日、 [浅川町・郡山市・福島市初詣取材] 2日深夜1時仙台を出発。R4を福島、郡山と過ぎ、須賀川からR118に入る。浅川町の水郡線の素敵な名前の里白石駅に3時40分到着。里白石駅の空き地にて眠る。9時起床。置き場には8台の自転車が止められていた。口を漱いでいる間、3人の住民から不審げの観察された。駅前のR118に戻ると、すぐに北からのアプローチ道路があり、杉の木立の中、城山に駆け上がる。浅川町を見下ろす山頂駐車場に車を止め、山道を中腹まで徒歩で降りて、白山ひめ神社。撮影後、駐車場に戻り、反対側の坂道を下る。町中には入らず、R118を引き返し、途中の石川町で、猫啼温泉、片倉温泉に立ち寄り、須賀川から、郡山市へ。安積国造神社でしばし撮影。社務所にも寄る。宮本高志禰宜に会う。その後、金透記念館経由で、如宝寺。住職とも話。本堂裏手にある庭の紅葉がまだ美しく色づいていた。しばし後、開成山大神宮へ移動。撮影中、地元の名主だった一族の相楽マサヱさんに遇う。東北道で郡山IC-福島西IC。市街地の福島稲荷神社へ。その後、R13、フルーツライン経由で中野不動尊。夕暮れが迫る中で、境内を撮影。敷地内の前野屋商店で「餅せんべい」を購入。ちょっとサービスして貰った。R13方面に戻り、鉄兵で味噌味の鉄兵ラーメン。「おれは鉄兵」のコミックが全巻揃っていた。店名の由来はこれか?厚めの1巻を読み切る。すぐそばの福島飯坂ICから東北道で仙台宮城IC、帰社。
●7日、[埼玉行] 前夜、社に泊まり込んで待機。午前5時、出発。早暁の東北道を岩槻ICまで走り、8:30あかぼう埼玉県支部着。2005年1月号裏表紙の本体価格表示のミスでシール貼り。総勢5名で、8:40から作業をぶっ通しで行ない、14時終了。美女木の啓徳社で少しだけ同一作業。全終了後、外環経由で東北道。蓮田SAで遅い昼食。帰仙19:00。
●10~11日、[盛岡・田沢湖] 出発は遅く1。仙台宮城IC-盛岡南IC。盛岡八幡宮。禰宜の伊藤良正氏に情報・写真の提供を願う-パーキングに車を止め、盛岡大通り撮影。その後、R46を西へ。青空にくっきりの岩手山を撮影。つなぎ温泉へ急ぎ、観光協会に寄って、温泉地内を調査。老人福祉センター・藤倉神社にあった清水を発見。帰り際4人のつなぎ小学生を撮影。R46で田沢湖町。水沢温泉郷にある露天風呂水沢山荘の火事見舞い。大塚総業の内山氏と話す。R46を引き返して三千里で冷麺。麺が少し柔らかすぎる。後、盛岡市上厨川のR46上、ほぼ渋滞状態で普通車に追突、「魔の十二月」。盛岡駅西口のホテルJIN投宿。ここは金・土・日曜宿泊が廉価。(11日)大通りをじっくり調査。晴れていたので再度、盛岡八幡宮に赴き快晴の拝殿撮影。R4を南下、焼肉の大門で冷麺。店内は靴を脱ぐ。冷麺は不思議な甘みのあるコクのあるスープ、ほんの少しだけ太ければ嬉しい、しかし美味しい麺。酢も入れて少し咽せた。店の感じもいい。これから何度か通うつもり。盛岡南ICから東北道を南下、珍しく金成PAで少し休憩。帰社。
●13日、[土湯峠温泉郷] 長町ICから仙台南ICを経て、福島西IC。R115で土湯峠温泉郷に着く。今季初めての雪を見る。まず鷲倉温泉高原旅館。この鷲倉温泉の前の道路は数えきれないくらい走っているのだが、入館は初めて。内湯は男女とも給湯中だったので、男女それぞれの露天風呂と、貸切露天風呂を撮影。貸切露天風呂はかつての仕切が外され広い湯船になっていた。これらの風呂は建物西側にあるが、反対側の本館から離れた「岩根の湯」浴舎には、男女の露天風呂があり、これを撮影。入浴中の人も感じが良かった。岩根の湯の入口には飲泉所もある。館内のロビーや客室も回ったが、埼玉からの連泊のご夫婦などなごやか。50分で辞去、野地温泉ホテルに向かう。スタッフの紫色の制服が意外だった。男性タイムになってい千寿の湯と鬼面の湯を撮影。鬼面の湯は遠景にも恵まれているので、近くの道を見えなくするなど、もう少し周囲を演出するととてもいい露天風呂になりそう。わずか16分で終了した。R115を下り、福島西IC-仙台宮城ICと戻り、早々と帰社。
●14日、昭文社から竹内渉氏来社。夜までレクチャーを受け、ホテルに送る際、初めてという開催中のSENDAI光のページェントを見物。
●17日、仙台市泉区に新しくオープンしたラーメン店・天狗に行く。みそラーメン¥800。川崎町のラーメン渓流に3年いた若い主人。ラーメン渓流とは、煮干し味が少しだけ強く、あの冷めにくい独特の油の用い方も少し違っていた。同行=河端亜矢子+星野まい。
●18日、京急猪苗代リゾートホテルフロント課光岡正義副主任に会う。
●21日、渋滞につき泉ICからの出発を避け、仙台宮城ICから乗ったものの泉IC手前で東北道も大渋滞。それで思い切って泉ICで降り、ETCで¥500の料金。R4-R457-R47と走った。途中オルティアはサラリと24万kmを超えた。鳴子温泉からR108で圧雪のオニコウベ道路を経由して、秋の宮温泉へ。秋の宮山荘で新潟県矢野学安塚町長の講演会。演題は「地域を活かした通年型観光商品造成のヒント!」。終了後、申し込んでいた懇親会には出ないで、秋の宮博物館に行く。不在なれど、河原にできていた「川原の湯っこ」を見学。これは自然の足湯。入浴ではできないのかな。ここからは往路を引き返すのをやめて、雄勝方面へ。夕闇迫る時間で、寝覚めの水を給水。ここは2つの湧出口があり、2立ボトルがそれぞれ40秒と13秒でいっぱいになる。詳しい水質検査の結果が表示がされている。木里樹里館に立ち寄って稲庭うどんを購入、R13に出て南下。雪道を恐る恐る走り、金山町で数年ぶりにリーベに寄る。看板の味噌ラーメンも味わいたかったが、興味のある塩ラーメンを食べた。美味。写真も撮り、ゴチになる。新庄に支店も出したとのこと。19時まで主人と話して、新庄へ。市内で時間を潰し、さらにR13を南下。村山市内から雪もなく、路面も乾燥していた。22時に帰社。
●1日、飯坂温泉の新松葉旅館芳賀勇夫専務、久しぶりに来社。しばし情報交換。ラーメン横丁でモツ入りラーメンを食べ、仙台駅に送る。
●4日、午後から東北・秋田道で秋田へ。協同印刷訪問。秋田パークホテル泊(5日)小糠雨の秋田から、こまちで帰仙。
●7日、快晴。近所の仲間と車2台で、小原温泉-材木岩-道の駅七ヶ宿-天使ランド。帰り際オーナーとすこし話をする-R113-R4。渋滞につき東北道白石IC-仙台宮城ICと帰仙。
●17日、スーパーで見かけたアブラガニを冷凍物ながら初めてなので、食ってみる。これはタラバガニ科の蟹で、タラバガニによくにている。見分けは、甲羅中央下部の突起が、6つなのがタラバガニで、4つがアブラガニという。まぁ、アブラガニの方が廉価なのでそうだと憶えてもいい。北海道でも、タラバガニとして売られている場合もあり、異常に安い時は、注意。しかし、味が少し劣るといっても、タラバガニ自体がそれほど美味しい蟹ではないので、承知で食ってもいい。件のアブラガニは丁度脱皮時期だったので、楽しく食べることができた。大型鋏を使うとちょうどいい蟹ではある。
●18日、仙台市の北に隣接する富谷町にある富谷高校の1年生、高橋紘平、平山恵、有原可奈の3君が「1日インターンシップ」で職場研修に来た。インターネットのことなどを話し、ファイルボックスの書取り作業。昼前、勝山小公園に撮影実習。昼食は秋田県の美味しい豆腐を一緒に食べた。午後、本誌の成り立ちなどを説明。途中で高校の槇秀成教諭が巡回で一時来社。その後、彼らには本誌のクォーク画面を操作させた。後でレポートが必要らしくて、研修状況をデジカメで撮影したものをCD-Rにして持たせた。
●20日、晴れたので、14時から仙台駅東口から宮城球場までの間の店舗、会社をチェック。180カットを撮影して、ほとんどの物件を記録した。2時間かかった。
●22日、仙台市南小泉の寿楽で、1月以来で、菠菜麺を食べる。これに使われる菠薐草(ほうれんそう)は宮城県大郷町産のものらしい。その緑色の麺の鮮やかさは相変わらずだった。同行=河端亜矢子。
●23日、快晴。松島にいた。何年ぶりかで松島四大観の富山に登った。記憶より長い階段。松島を見るひとつの展望台ではあるが地味。1。mmで松島湾と島々を撮影。南からの太陽に逆光で波間が輝いていた。
●26日、[秋田行]7時、泉ICで合流して、東北道-秋田道-秋田協同印刷9:30。2005年1月号の色校正作業。制作部の小熊晋輔氏に会う。11時過ぎには終了したので辞去。泉中央のともゑ堂で、ひさしぶりにチャンポン。店主の仁部さんといろいろ話。店を出たところで秋田駅前で風土フーズを扱っている美味彩の二関陽子女史と偶然遇う。秋田南ICを12:30-泉IC14:20。同行=木皿涼介。
●21日、休暇村岩手網張温泉後藤洋平営業課長に会う。氏は那須→磐梯→岩手と異動してきた。
●24日、仙台市役所前の市民広場で開催されていた「ワクワク!エネルギーふれあいタウン」を覗いてみる。青森県の東通村、大間町、六ヶ所村、東北町、宮城県の女川町、牡鹿町、福島県の浪江町、双葉町、大熊町、富岡町、楢葉町、それに、新潟県の刈羽村という東北地方のエネルギー関係町村が集ったイベント。このワクワク!共和国にはこの他に、福島県の小高町、新潟県の柏崎市も入っている。快晴の下、市民広場は家族連れでいっぱいだった。
●25日、岩手県竹内重徳副知事、ジェイティービー青森支店鱒沢秀雄支店長に会う。わらび座の小島えみ子営業部長に会う。
●26日、岩手県立児童館いわて子どもの森企画主査の吉田真二氏・中村輝美女史に会う。
●28日、快晴につき出社しないで、南の方に出かける。R4で白石市から、鎌先温泉に向かい、一條旅館などを撮影。帰りに地内で野菜を購入。短絡路でR113に出て、碧玉渓、小原温泉。9月27日に18年ぶりに再建なったという新しい岩風呂を見る。入浴は無料。白石川の河畔にあり、湯の供給さえよければ、なかなかいい。当日、石巻工業高校の同窓会で、写真を撮影していた湯本先生と遇う。しばし話。かつらやで行われるというので、流れから小生も入館。福島市松川から来訪していた高橋毅氏とも遇う。その後、材木岩公園。いきいき直売所、なごみ茶屋、木村家住宅などができていた。その後、七ヶ宿ダム右岸の道路を走る。飛不動尊を経由、噴水のあがる七ヶ宿ダム湖畔を走って、天使ランドへ。すこぶる良い所。しばし滞在した。その後、水と歴史の館を見学・撮影。長老湖を経由、一旦通り過ぎたものの宮城蔵王の蔵王開拓温泉を見学。撮影後、休憩室で一休み。温泉玉子とお茶をご馳走になる。その場で休んでいた人達と気軽に話。ここからは天気がいいと太平洋と就航するフェリーが見える。辞去して、遠刈田温泉のセンター浴場入浴。起伏の多い道、オレンジ色の満月が、見え隠れする道を急ぎ、毎週木曜日18時からの秋田コミュニティの生放送のため、村田IC-仙台宮城ICと走り、17:57にスタンバイ。
●2日、7:46の新幹線で東京。9:44着、半蔵門線で昭文社。中沢道男氏と打ち合わせ。昼食に例によって福佐屋で、深川丼¥850。机が大きな一枚板の物に変わっていた。午後も打ち合わせを続け、終了後、製作部に異動になっていた田島健氏を訪ねる。次長の横山正也氏に紹介される。好人物。半蔵門線で大手町。東京駅の正面から入り、新幹線。遅い列車だったが、えぇいままよ、16:46〜仙台18:00、帰社。
●5日、泉IC-盛岡南IC。東山堂書店-ヤマト盛岡南店で冷麺。スープのコクがもう少し欲しい感じがある-さわや書店仙北店-R4沿いのリサイクルショップのセカンドチャンスでニコンストロボSB15を購入¥4998。全くの新品-岩手銀行中の橋支店・中津川を撮影し、盛岡駅前に移動、ホテルメトロポリタン盛岡のティールームで北村真夕美氏と25日開催予定の、地方からの「幸福づくり」フォーラムの打ち合わせ。終了後、盛岡市の中心街を歩く。盛岡は文化性が強い街だと改めて思う。さわや書店3Fの柳家で醤油ラーメン。ダイエー5Fの書店アシーネ。中心街の100円ショップ2軒。駐車料はレシートで無料。さわや書店仙北店に再度。この間、立ち寄った書店では全て資料を購入した。2。に給油の後R4を南下、23:00帰宅。
●9日、午前中から、車2台・社内の9名で作並温泉近くの奥新川で芋煮会。脇の道を通行する車両はあるが、さすが平日で、芋煮の団体は他になかった。ここには長命水という湧水がある。湧出口は自然、2立のペットボトルが70秒で満杯になる。なお有料で、6立20円、30立100円の自動給水設備もある。河原で、芋煮と、ベーベキュー、焼きそばを作る。食事時間は13時頃。15時まで遊び、帰社16:00。
●11日、仙台宮城IC-福島飯坂IC-R13。栗子峠を越えると山形側は晴れていた。キラキラ王国に立ち寄り、ぶどうまつたけラインへ。葡萄棚がらみの道路を撮影。2ヶ所では作業中の人から葡萄を戴く。米沢市街地でバックシートを購入、米沢市城南の山大前やまとや食堂。中華そばを撮影、ついでに、山菜のうこぎが入って薄緑の麺をした塩カルビうこぎ中華も撮影。それぞれ半分食べる。R13を北上。南陽市では、たまたま赤湯温泉祭りの最中で、猿田彦の行列などを撮影。赤湯ラーメン龍上海でも突然の撮影になる。終了後、烏帽子山公園、赤湯温泉源泉地で足湯を撮影。飲泉を給湯。給湯口は2つ。2立ボトルで80秒。かみのやま温泉、18:00からヨークタウンに滞在、8時頃から40分仮眠。R286で帰宅した。
●17日、北仙台駅前の味よしでラーメンを食べる。
[スカイライン・中の湯・米沢]
●20日、日曜日深夜0:30仕事を終えて、R286仙台南-県道で村田町-大河原町からR4を南下、伊達町-飯坂温泉へ。フルーツライン-高湯温泉-磐梯吾妻スカイライン料金所先の駐車場にて2:30就寝-8:15起床。余り晴れてはいない-スカイライン沿道を撮影-10:30双竜の辻付近-猪苗代町に下り始め、11:20中の湯旅館の建物を撮影後、玄関へ。浴場の見学を申し込むと、タオルを渡され、女将「まず、お風呂に入りなさい」-自然の浴場。ぬるめとちょうどよさげの2つの浴槽。しばし横浜からの夫婦客と話-風呂上がりで2階の客室に行くと、二本松・本宮からの中年男女4人連れに誘われ、ウーロン茶とお握り、芋汁をご馳走になり、しばし話-その後、女将に話を聞き、館内をもう少し探索して12:50辞去-下の湯滝川屋-14:00布森温泉山の湯-レークラインを迂回して、諸橋近代美術館にちょっと寄り、北塩原村総合案内所で情報収集-休暇村磐梯高原-桧原湖岸のドライブ走りのイメージ撮影-15時、民宿えんどうの産直店。大根・キャベツなどを戴く-貰った焼きとうもろこしを食べながら西吾妻スカイバレー-16時、新高湯温泉。2年前に改築された館内見学、露天風呂撮影-白布温泉-米沢市の鯉の六十里で専務取締役の岩倉利憲氏と面談-高畠町-R113七ヶ宿町-白石市からR4で帰宅。
[十和田湖・八幡平・下北半島]
●25〜27日、泉IC-小坂IC。康楽館、鉱山事務所を経由、樹海ラインを走る。十和田湖休屋を経由、十和田湖町役場へ。14:30から、「地方からの"幸福づくり"フォーラム」。講師は国土交通省道路局長の谷口博昭氏(のち2009年7月 国土交通事務次官になった)、パネラーは蝦名武青森県副知事、竹内重徳岩手県副知事、鱒沢秀雄JTB青森支店長、小島えみ子わらび座たざわこ芸術村営業部長、それに小生。さすが国土交通省道路局長が出席するということで青森県羽原伸県土整備部長や国土交通省青森河川国道事務所富岡誠司事務所長、調査第二課成田和広専門調査員、青森市都市整備部脇坂隆一部長、横浜町の菜の花トラストin横浜町理事・事務局長の宮茂氏が来ていて、挨拶した。宮氏は道の駅菜の花プラザの駅長・支配人でもある。また気仙沼市からも堀籠昭代気仙沼本吉地域広域行政事務組合事務局長、高須正美気仙沼市建設部長、森谷利男気仙沼市建設部都市計画課長、小山謙一気仙沼市企画部企画政策課長、小野寺暁一気仙沼コンベンションビューロー協議会常務理事らが来ていた。懇親会終了後、下田百石ICから八戸道で松尾八幡平ICへ。八幡平ライジングサンホテル投宿。主催者の北田静雄氏に案内され、6thノスタルジックカーin八幡平参加者の宴会の席へ。盛岡市の小原隆夫、石巻市の平家慶一、川西町の大河原和昭、いわき市の馬目守の各氏らと知り合う。
26日、翌朝、館内見学、入浴後、チェックアウト。足湯ができていた森の湯付近を経由、イベント広場のあるさくら公園へ。しばし取材・撮影。天候を見てアスピーテラインに走る。蒸の湯温泉では、初めて館内を見学、露天風呂へ回る。混浴の浴槽が新規にできていた。すぐ近くで泥が坊主状態に、また蒸気が噴き出す様がいい。ここからとって返し、藤七温泉、樹海ライン、松川温泉峡雲荘。ここはとても人当たりがよさそうな気がする。こういう愛想の良さがサービス業の根本だろう。かなり前に1泊したことがある。峡雲荘を撮影して、さくら公園に戻る。イベント終了後、松ちゃん市場、八幡平サーキットを見て、なかやま荘を撮影。親切に案内してもらった。その後、西根に向かいR4に出て、一戸町のいわてこどもの森へ。かつてモビリアの時にお会いした吉田真二氏がここに企画主査でいた。同職の中村輝美女史に案内してもらう。17:05辞去し、近くの奥中山高原スキーセンターに寄った後、R4を北上、八戸道一戸ICから下田百石ICへ。ジャスコで買い物後、R338を北へ。途中、三沢漁港で開催されていた季節はずれの花火大会を見た。その後、R338をひたすら北上。六ヶ所村の物見崎で太平洋の月夜の漁り火を撮影した。むつ市に入る頃には、ガソリン残量ランプが点灯しっぱなし。むつ市にかろうじて到着して、タクシーに尋ね、23:30まで営業していたGSで給油。しかし、いくらセルフとはいえ、このむつでは101円とはねぇ。仙台は122円だ。むつ市内のホテルに投宿。
27日、起床後、むつ市内を少し走り、まさかりプラザ、むつグランドホテルにも寄り、県道6号線で尻屋崎へ。風力発電の風車が回っていた。尻屋崎灯台付近でしばし撮影。東太平洋、西津軽海峡というロケーションが感じ取れる希有な場所。姿が見えないと思っていた寒立馬は風を除けて東側の松林近くにいた。帰途、県道6号の蒲野沢から県道266号をショートカット。むつ市関根に出て、R279を北へ。石神温泉は増築中だった。大畑町を過ぎ、風間浦村に入る。下風呂温泉では、共同浴場の新湯を再訪。大湯は休業日だった。長谷旅館を訪問。廊下にはかつての下風呂漁港付近の古い写真があった。海岸のいさり火公園には井上靖文学碑がある。また幻の大間鉄道のトンネルなどを見て、さらに北へ。桑畑温泉の日帰り入浴施設の「湯ん湯ん」に立ち寄る。ここはかつての桑畑小学校の跡地。ほどなく大間町に着く。マエダストアでマグロを購入、本州最北端の駐車場で、北海道を見やり、ビールを呑みながら刺身を食べる。大間崎レストハウスには「私の青空」の総集編がビデオで流されていた。大間町や下北半島の良さを紹介したいと思った。本州最北端大間崎到達証明書を買い忘れた。浜寿司、フェリー乗り場に寄り、R338を南下。佐井村のアルサスでは仏ヶ浦への遊覧船が盛んに就航していた。願掛岩を撮影。しばらく走った福浦港では見かけたぬいどう食堂に立ち寄る。ここは地元の村役場から紹介されていた店(本誌2004年7月号)。頂上が岩石である標高626mの縫道石山が聳えていた。その先の仏ヶ浦展望台は新しい施設ができていた。偶然居合わせた福浦の田中さんという昭和11年生まれの老人としばし話。仏ヶ浦は駐車場だけ回り、山中に入り込み、村境から川内村方面へ。道の駅かわうち湖を経由、湯野川温泉に16:30に着く。地内を歩き、濃々園を撮影終了後、入浴。湯野川温泉を17:30に出て、R338でむつ市18:05。少し迷ったが、R338を再び南下、給油後、下田百石IC20:05。八戸道・東北道と乗り継ぎ、盛岡IC21:05。ぴょんぴょん舎本店で、冷麺を購入。そのまま帰るつもりだったが、ショッピングプラザのイオンを見学がてら、1Fにあるぴょんぴょん舎の支店であるオンマーキッチンで結局、冷麺を食べた。再び東北道に乗り、南下、仙台宮城ICは23:30、帰社23:40。この3日間は遊遊北東北スーパー割引3DAYSチケットを使用して、泉-小坂、下田百石-松尾八幡平、一戸-下田百石、下田百石-盛岡、盛岡-仙台宮城と利用した。¥11。の料金で¥18050分利用。全行程は1450km。
●7日、七夕まつり。クリスロード付近を歩く。
●8日、閖上港に行く。
●11日、午前中、早い時間に郡山市役所観光物産課の福島県中部観光協議会を訪ねる。その後、10時に須賀川市の芹沢温泉へ。清潔な館内、大きな露天風呂。脱ぎ置いたサンダルがちゃんと靴箱に入れられていた。ゴミ一つない廊下を土足で歩くのが気が引けた。わざわざ社長からも挨拶を受く。R118を走り、途中乙字ヶ滝に寄り、11時、玉川村の四辻温泉。しばしのんびり。トウモロコシをゴチになる。美味。母畑レークサイドセンター、母畑温泉を経由、7-11に寄り、GSを入れ、13時に古殿町の入道温泉。のんびりするには最高の環境かも。その後、R349で北上、小野町のリカちゃんキャッスルを初めて見る。14時、大滝根山を遠望する地点から撮影。針湯荘にも寄る。あぶくま洞、星の天文台には回らず、大越町からマニアックな県道112でグリーンパーク都路へ。あいにく休業日なので園地まで歩き、無人の場内を撮影。そしてまたまたタイトなルートでR288-県道154にトラバース。殿上山のスカイパレスときわへ。鎌倉岳が美しく、遠くに都路村の大鷹鳥谷山頂の長波帯標準電波送信所のアンテナも見えた。R288であぶくま温泉センターに急ぎ、外観・浴場・客室を撮影。四辻や入道も含めて、この存在を知れば楽しいという温泉ばかりあるのだなと感じた。国道沿いの南国屋でバナナと梨を購入。17時、三春船引ICから郡山JCT経由で、盆の帰省車で混雑する東北道を北上、18時10分、仙台宮城IC-帰社。郡山に写真を入れた校正をクオークで作成、FAXで送信する。当日、招待されていた気仙沼演劇塾うを座のミュージカル「夢つむぎの詩」を観劇できなかった。
●17日、宮城県庁の産業経済部観光課を訪ね、「みやぎ寿司海道」の掲載許可を求める。課長補佐の菅原哲氏に応対して戴き、翌日、担当の菅原真澄女史(嬢?)から諸手配をしてもらう。
●23日、数日間会社泊まり込みで原稿作成後、前々日の土曜日は3時間しか睡眠を取っていなくて、さらに前日の日曜日には完全徹夜をしたまま、早朝5時にデータを完成させて、6:45仙台宮城IC-秋田協同印刷に行く。久しぶりに石郷岡栄管理室長・鎌田好和両氏にも目通り。データを受け渡して、終了後、割山町吉田朗氏宅経由、R13を南下、道の駅神岡で、いしもとの「あたごせんべい」(湯沢市前森4-7-37石本光康0183-73-4662)を5袋(1つ¥210)購入したりして、ぶらぶら寄り道をしながら仙台へ向かう。睡魔に襲われた道の駅雄勝で、16:30眠る。30時間不眠だったとは思われないのに、わずか2時間30分の睡眠で19:00に起きて、R108沿いの寝覚めの水を給水、鬼首トンネルを170kmでぶっ飛ばして鳴子温泉でR47-R457-R4で22:00帰宅。
●24日、企業研修を17日から行なっていた、専門学校日本ビジネススクール仙台校2年生の、佐藤優子、田上梢、上向由里絵の3嬢が研修を終了した。
●26日、色校正作業のため、早朝6時出立。車中、小生は眠って行く。運転=吉田総耕、ナビ=斉藤文彦。秋田協同印刷で色校正作業。途中、佐々木啓悦氏に来て貰ってデジタル写真の加工問題について話を聞く。18:00全部終了。斉藤君は郷里の本荘に向かい、吉田と秋田道で仙台へ。途中、古川ICで下りて、沖縄そばを例によって喰らい、R4で帰仙。
●31日、夜、社の斜向かいにあるロイホにて、東光電氣工事の鹿野充也・栗田博子両氏とドライブ企画のリサーチ会合。
●1-2日、[山形]快晴につき急遽、山形へ走る。覆面パトカーが最高速度70kmの、この山形道で違反車を捕捉していた。「遊遊スーパー割引山形2DAYS」を使用して、東根ICへ。らあめんの里・烏骨鶏の下河辺敏行氏にようやく会う。東根温泉街と旅館などを撮影、R13で天童へ。温泉旅館、温泉街、天童駅撮影。山寺地区のEM自然農法で果樹栽培している布施正俊氏の観光果樹園でサクランボ撮影。山寺へ。風雅の国から山寺全景を撮影。その後、高瀬地区に向かうが、紅花はまだだった。R286に戻り、山形蔵王IC〜山形中央ICに回り込む。7分で移動。山辺町でラベンダー畑を探す。ワイン用のサクランボを収穫する老人に会う。JAで確認して、玉虫湖畔へ。かほりの里でラベンダーを撮影。白鷹町経由で長井市のあやめ園。花は終わりかけていた。急いで飯豊町のどんでん平ゆり園へ。ここは見事だった。R112で、南陽市宮内の熊野神社へ。妹背の松、バラ園を撮影。県道238でR13に出て、かみのやま温泉の下大湯で入浴。上山ICから寒河江ICへ走る。田園の闇中をぶっ飛ばしたら、虫をしこたま車で潰してしまった。河北町のめん雄亭で、かもラーメン¥600。R48で帰社。2日、再び山形へ。R286で笹谷IC-関沢IC。笹谷トンネル山形側でなぜか2台の覆面パトカーが違反車を2台捕捉していた。一旦R286に下りて、山形蔵王IC-東根IC-天童市の向原ふれあい農園でサクランボ撮影。天童のR48沿いの観光果樹園の2軒でもサクランボ撮影。さらに月山眺望ラインで安達農園、山口農園を撮影。農家百人の直売という店でアロエ購入。東根IC-寒河江SAで蒟蒻-月山IC-湧水を給水-弓張平-オートキャンプ場-ポレポレファーム経由、植物園区で月山を撮影。道の駅西川で、ラ・フランスソフト¥250を食べながら、ちょうど噴き出した噴水を見学-R286-道の駅さがえ。13年目にしてようやくトルコ館を見学。館長のセルカン・カヤジュク氏と話。道の駅さがえのファストコーナーでドネルケバブ¥450を購入。17:25寒河江IC-35分で仙台宮城ICに戻ってきた。2日間の走行距離は650km。「遊遊スーパー割引山形」の成果=結局¥4。で購入して、¥7650分利用、寒河江で玉こんにゃく¥150を食べたので、締めて¥3800程度浮いたかな。
●5日、運転免許更新。ブルーカードながら、5年間有効の優良運転者扱いになった。
●6-8日、[寿司海道南三陸エリア取材・撮影行]8:30仙台東IC(三陸道)河北IC-北上川右岸を下り、新北上大橋を渡って、北上町へ。町内の丸山地蔵尊、釣石神社をようやく見学する。R398で神割崎へ。裂面を見に至近までの岩場を下るが、どうもこの割れ目は長い間考えていたような活断層ではなさそうだ。とすると、一夜にして割れた岩という伝説は事実に基づいたものではないのかも知れない。福助寿司を取材後、大雄寺、荒島、袖浜民宿、松原公園と回り、昼休みの最後頃、志津川町役場に立ち寄り、阿部明弘氏らと情報交換。その後、すし屋のあおば、たつみ寿し、味処弁慶と連続して取材。さすがに弁慶では、試食かなわず寿司を包んでもらう。R45-三陸道河北IC(三陸道)仙台北港IC-R45-帰社18:00。(7日)仙台東IC(三陸道)石巻河南IC-R45-歌津町の鮨処えんどう。そして、R45を北上して、気仙沼駅で駅長の千葉信明氏に会う。その後、唐桑町の若葉鮨に向かうが、撮影が翌日になったため、巨釜の折石を撮影。R45で本吉町に戻り、鮨処えんどう津谷店。撮影後しばし、社長の遠藤利通氏と歓談する。ビジネスホテルとみや泊(8日)R45を北上、大理石海岸へ。海岸でかつて遠洋漁業の漁師だった老人と話。その後、道の駅陸前高田で先日来社した観光協会栗村由美女史と、事務局長の井筒吉正氏と会う。唐桑への帰途、笹島という小島に立ち寄る。ここは干潮時には歩いて渡れる島という噂だったところ。実際そうであるようだが、干満から想像してそれほどの規模ではなさそうであった。唐桑半島に行き、食楽まるさんで撮影。取材後、御崎神社-津波体験館-国民宿舎からくわ荘-御崎観光港。そして休園日だったが漁火パークを撮影。若葉取材終了後、気仙沼魚市場横の海の市を訪ね、リアスシャークミュージアムと、氷の水族館を撮影。マイナス20度の世界に10分ほどいて、体が心地よく芯まで冷えた。伊藤政幸事務局長と話。気仙沼ラーメンを食べる予定だった壱萬館は営業を終わっていた。南に走ると、海霧がR45の道路視界を遮っていた。本吉町内からR346で、東和町。道の駅とうわに寄る。その後、中田町・米山町を経て、涌谷町で青空の天平ろまん館、わくや天平の湯外観を撮影。南郷町-鹿島台町を経て松島町へ。渋滞の始まったR45を避け、三陸道で松島北IC-利府IC-利府街道-帰社。
●13日、2つの用事を済ませ、仙台宮城IC-郡山IC。支那そばの正月屋を取材・撮影。店主の佐藤大作氏は気仙沼市の出身で、和食畑が長かった人。事前にデータ調査をしていなかったので失礼した。郡山IC-福島西ICと雨の中、福島市に移動。蕎麦処粋心庵八幡の外観・店内撮影。そして福島駅西口の支那そばの山岸家へ。店主・山岸純二氏にラーメンの話をいろいろ聞く。その後、すぐそばのZUPPA(伊語でスープ)へ。ここは若月武志氏の経営。女性好みのこぢんまりした空間。引き続き、もめん亭を連続して取材・撮影。店主の立花八重子女史は長谷川平蔵の大ファンで、キャッチは鬼平茶屋という、路地の奥の隠れ家的な店。客席がレトロしている。西口の郷土料理店いろり庵の紺野功氏も来店していた。福島飯坂IC-仙台宮城ICで、雨の中を帰社。
●22日、[雲あるも晴天]6:45に出て、国道4号線を南下、8:30福島市の岩谷観音を久しぶりに訪れる。その後、古関裕而記念館。開館時間前なるも入館して撮影させてもらう。ホテル東横イン福島東口から四季の里、アンナガーデン、原郷のこけし群西田記念館。園内で偶然会った、千の花店主・茂木和子女史の誘いで教会北側にある店舗へ。とんぼ玉などガラス細工体験ができる施設で、万華鏡もあった。その後、勇清水で給水、土湯温泉、奥土湯温泉。小滝温泉には足湯ができていた。東海温泉で清掃中の所、露天風呂を撮影させてもらう。川上温泉で引き返す。林道で久しぶりに不動湯温泉に行く。途中には湧水があった。車内に取り付けていた「千の花」から戴いた風鈴が激しく鳴る山道を4km走り、到着12:00。建物は変わりなかったが、玄関前の桜の木が枯れて、撤去されていた。峡間の露天風呂にいた福島からの日帰り入浴客を撮影。この宿が映画「いこかもどろか」のロケ地だったことを知る人も少なくなった。当時の台本が宿に保存されていてそれを見せてもらいながら、明石家さんまさんが撮影中にすこぶる饒舌だったこと、夜間のロケのため電源車が宿を煌々と照らしたこと、部屋外からのカメラ位置確保のため足場を組んだこと、2泊3日大勢が滞在したこと、林道の設定が行き帰りが逆だったこと、宿のマッチが映画の画面に登場し、それに電話番号があったためビデオが発売されてからは夜中によく冷やかしの電話がかかったことなどの当時のエピソードをいろいろ聞く。またその他、この宿を訪れた芸能人の話題もあった。帰途、舗装道路の上にいた蛇をあやうく轢くところだった。土湯温泉を出て、こけし湯が浴槽改装中なのでどこで入浴しようかちょっと迷って、岳温泉に向かうことにした。道の駅つちゆ経由で、13:20岳温泉、岳の湯に入浴¥300。そして二本松市の霞ヶ城公園へ向かい、何度もこの地に来ていたのに城内には初めて入る。秋の菊人形の準備が行われていた。その後、安達町の智恵子の生家訪。正式に申し込んで記念館と生家を撮影。国道4号線で白石まで走り、白石IC-仙台宮城IC-帰社。
●27日、久しぶりに北仙台駅前の「味よし」にみそラーメンを食べに行く。ここは普通のラーメンも美味しい。開店10周年で100円の割引をしていた。
●28日、[桃狩り・雄国沼]7:00出発。曇天。しかし、悲観せず、現地は晴れているかも知れないといつも思う。仙台南部道路長町ICから東北道に入り、国見の峠を過ぎると、嬉しいことに福島市上空は晴れ模様。福島飯坂ICからR13、フルーツラインに入る。マルケイ果樹園で1時間以上も掛けて桃の撮影。千葉からきた桃狩りのカップルを撮影。まるか園に移動。奥様に撮影申し込み、少し撮影後、主人の紺野勝司氏に話を伺う。お茶を飲み、桃を試食、桃1箱を土産に戴く。R115-土湯トンネルを抜けて猪苗代へ。青空の五色沼、諸橋近代美術館、桧原湖、道の駅裏磐梯、ラビスパ裏磐梯などを撮影目的で立ち寄りながら、雄国沼入口の金沢峠駐車場へ。途中道筋のカーブの連続は異常だった。展望台から眺めた雄国沼のイメージは、想像とは全く違っていた。ようやく雄国沼に来たという気がした。12:35出発。展望台から1.4kmで休憩舎、そこからスタートするせせらぎ探勝路の3.3kmの内の手前1kmを歩いて、その標識からUターンする。これはもう登山に近いものがある。汗ダクダク。途中、どこからかの大勢の生徒諸君に会う。展望台まで戻るとすでに14:10。仙台での14:30からの会合に参加できない旨の連絡をする。帰りは、金沢峠から塩川町方面に下る。途中に町民の森があった。磐梯町に回り込み、恵日寺資料館の館内を撮影。玄関先にあった龍ヶ沢の湧水をパイプで引水している所で一口飲んでいたら、大量に水汲みをしていた人が、自分で持参していた2立のペットボトル1本を「これ差し上げますよ」と分けてくれた。う〜む、とても親切。スパアルツおおるり撮影後、磐梯山ゴールドラインを走る。途中、関東のわナンバーの白いオープンカーの男女がいたので、頼んで沿道上数カ所で撮影させてもらう。ゴールドラインを出た後、裏磐梯高原ホテルの弥六沼から磐梯山、桧原湖、3Dワールド、五色沼。土湯沢温泉に向かおうとしたが道路入口にロープが張られていた。R115で戻る。晴天の猪苗代から土湯トンネルを抜けるとライトの点灯が必要なくらいの濃いガスであった。福島市街地でR4に出て、白石市まで走り、東北道で仙台宮城IC-帰社。徒歩で5km歩き、車は360km走った。
●30日、青葉区の上海王飯店にて呑む。同行=畑沢諭・星野まい。
●この月、東京都渋谷区のグループルパン編集部の松井陽子女史に会う。
●1日、校了作業佳境。夕方校了直前に仙台駅3Fにある牛タン通り、寿司通り、ロフト、喫茶ミッシェル森ビル店などの撮影をしてくる。
●7日、仙台市内のホテルを、曇天の中で少し撮影。
●8日、早朝6:00出。啓徳社仙台営業所を経由して、雨の中を東北道泉IC-秋田道秋田中央IC。秋田文化出版にて伊藤秀太郎社長と懇談、編集部長の横山仁氏と打ち合わせ。その後、秋田協同印刷の工藤政文氏と懇談-秋田駅前の産直惣菜店びみさい-吉田朗宅-仁井田にて佐々木啓悦氏と情報交換-R46-盛岡へ。原敬記念館、閉館時間を迎えていたが、敷地内に潜入。生家を含めて、建物外観の写真撮影-盛岡駅地下街のパルモ撮影-ぴょんぴょん舎にて、久しぶりにつき冷麺大盛¥892。ここでは一人で入店の場合は2階の円形テーブルに通される。東北道盛岡IC-泉IC-帰社。
●9日、香川県観光交流局県産品振興室金場香織主査に会う。
●21日、颱風一過の青空。出かけたいがそうもいかない日々。仙台市平成町の支那八でラーメンライス。
●30日、陸前高田市商工観光課村上知幸、観光協会栗村由美、大船渡市観光物産課新沼裕一、大船渡地方振興局高橋孝典各氏来社。
●1日、快晴。東北道仙台宮城IC-(磐越道)-常磐道水戸ICで下りて、水戸偕楽園へ。東門前の売店に水戸納豆。梅林、好文亭、見晴広場に咲く満開のツツジを見て、R51で大洗海岸。海・山直売センターいきいきにてヒラツメガニも売っていたが、蛸とベニズワイ蟹を購入。大洗海鮮市場が行列のため、風を避けた波止場倉庫の日溜まりでミニ宴会。大洗に出かけてヒラツメガニを食わないとはなぁ、トホホ。その後、大洗磯前神社の鳥居を潜って、かの大洗海岸名産品直売所の傍を通り、那珂川河口にある大洗水族館アクアワールドへ。驚くほどの大きさのタカアシガニがいた。マンボウも5匹。運良く、大水槽の餌付け、オットセイ・イルカショーも見学。2時間ほどいた。沖の波が白く、大洗は本当に風の街だった。県道31-R349で常陸太田市-里美町-矢祭町。ユーパル矢祭でゆずシャーベットを購入、R118で棚倉町-県道44号線を走り、矢吹町でR4に合流、須賀川ICで東北道。すかさず安積PAにて、ゆずシャーベットを撮影、大洗で購入してきた寿司も食べる。仙台帰着22:00。走行距離650km、同行=栗田博子+後藤智大。
●7日、アルバイトの二瓶峻君が仕事終了で挨拶に来る。手土産は福島市鎌田の豊嶋屋のシュ−クリーム。彼も社会人になったのである。
●8日、快晴。泉IC-(東北道)-若柳金成IC。2001年の4月以来、久しぶりに若柳町の大林寺を訪問。安重根義士の「為國献身軍人本分」碑を見て、今回は千葉十七夫妻の墓も詣でる。夫婦に子供がいず、妻の実家がこの大林地内にあるため、墓がここにあるなど、内儀の話を聞く。また観光コースに組み込まれ、韓国からも頻繁に団体で訪問があるらしい。金成町中心部から金成正教会、旧金成小学校、金売り吉次の居館のあった東館、その後、栗駒町に移動、栗原寺を訪ねる。近くの郷土史家のお宅で判官森の所在を尋ね、栗駒山方面に向かう。栗原小学校に隣接する小山が判官森で、源義経の胴体が埋葬されているという話もある。R4を南下、相変わらず古川の沖縄そばでソーキそばを食べて、R4で帰仙。
●20日、ラーメン横丁で、もつ入りラーメン。ボリュームは充分だが、どうも、らしくなくなってきた。
●22日、仙台市泉区八乙女の沖縄料理と和食「うみんちゅう・花ばな」で沖縄料理。ソーキそばも食べる。ソーキがゼリーのようだった。
●23日、北仙台駅前にある仙台浅草という商店街を会場として開催されたフリーマーケットに参加。ビデオ、書籍などを販売して、12000円の売り上げ。
●4日(日)、3日深夜つまり4日未明2:17、R4で仙台から福島、郡山、白河、黒磯とひたすら南下、5:40栃木県塩原町着。朝6:00道の駅しおばら(泊)11:30起床。敷地内のアグリパル塩原見学。もみじ谷大吊橋-塩原温泉。塩原温泉郷は大型の温泉地。温泉を流れる箒川は渓流釣り解禁の日で、たくさんの太公望達で賑わっていた。例年2。人ほどらしいが、4日は雨模様のためそれなりの人出。1日遊魚券1000円、通年券6500円、鮎釣りも加えると8000円だそう。前日に漁協が放流するので、2時間で80匹ほども釣れるとのこと。釣れ過ぎも面白くないだろう。渓流に面した開放的な岩の湯撮影後、その奥の不動の湯に13:00〜13:50と長目の入浴。同浴の宇都宮人が湯から出て気を失った。仙台からの若者2人連れも見守る。案内所近くのもみじの湯も撮影。この3つの露天風呂はいずれも入浴料は自主支払い。妙雲寺を見学。小雪の中、日塩もみじラインで奥塩原温泉、むじなの湯を見学。元湯温泉に回り、R121・R352・R400併走国道で、道の駅たじまへ。山くずを購入。一度田島町の早坂交差点まで走り、Uターン、R121を南下、川治温泉-龍王峡-鬼怒川温泉-今市。R119で宇都宮。日光街道の満開の桜に雪が降っていた。宇都宮駅構内の餃子の店みんみんは行列。並んでまで食べる気はないので、本店へ移動。焼き餃子2人前とライスで¥540。駐車料金も無料になった。しかし福島餃子の方が美味しい。宇都宮氏の情報によれば、他に「正嗣」も美味しいらしいが。またラーメンは東武宇都宮駅近くの「もとまちや」の太麺とのことだが、今回はパス。19:00、R4をひたすら北上、仙台着深夜0:30。
●5日、前日の悪天候の後の高気圧で、快晴につき、松島に向かう。松島湾、遊覧船、観瀾亭を遠望撮影。瑞巌寺。財務課長千葉洋一氏に応対される。境内の紅梅、白梅ともほんのちょっとだけ過ぎてはいたが、ほとんど満開状態だった。例年より1週間早いとのこと。国宝の庫裡、本堂などを見学。宝物館青龍殿を初めて見る。立派。どんじき茶屋経由で、再び遊覧船乗り場に戻り、塩竈経由で帰社。
●8日、アルツ磐梯スキー場営業チーム塚原顕リーダー、営業チーム佐久間俊樹氏に会う。
●10日(土)、快晴。泉IC-一関IC-R4-平泉駅前。観光案内所に挨拶。駅構内・周辺などのマップ現地調査。平泉駅の待合室には給茶設備もある。その後、高舘義経堂。ここは毛越寺の土地域で、高台のため北上川・束稲山の眺めがいい。敷地内の宝物館も珍しいかも。坂を下り、無量光院跡-柳之御所跡。その後、毛越寺へ。南洞頼賢総務部長に会う。境内の大泉が池を一周。宝物館は仏教の勉強になる。達谷の窟に向かう。しばし時間を過ごし、毛越寺そばの観自在王院跡に戻り、平泉ホテル武蔵坊-悠久の湯平泉温泉経由で町営第1駐車場。観光案内人の事務所で話を聞き、スタッフの写真撮影。中尊寺の久しぶりの月見坂は記憶より急勾配だった。しばらくの間、境内を取材・撮影。夢館の館内撮影後、阿部千世人営業課長と情報交換。駐車場を出て、平泉レストハウスへ。小野寺仁販売部長に会い、館内見学、撮影。そして、北参道から中尊寺本堂に入り、千葉快俊総務次長に挨拶。金色堂、讃衡堂を時間ぎりぎりに見学。中尊寺を辞去し、第3、2駐車場調査。R4を南に走り、途中まで開通しているバイパスに回り込み、閉館後の柳之御所資料館へ。全終了後、R4を南下、一関市の田村の梅総本店に立ち寄る。この店の「田村の梅」は東北を代表する菓子になると確信している。R4-古川で沖縄そば。帰る際、サーターアンダギーを戴く。これは「砂糖で揚げたもの」という意味である。ちなみにチラガーは「面が」だし、ミミガーは「耳が」である。古川IC-仙台宮城IC。同行の畑沢諭氏は主にビデオで記録作業。
●14日、昼休み、車2台に分乗して、仙台城下の追廻で社の花見。
東北レジャー情報の花見のGメン
●15-16日、仙台宮城IC9:00-(秋田道)-途中走行しながらオービスの撮影をする。昭和男鹿半島ICに11:08-R101で男鹿半島西海岸桜島にできたリゾートホテルきららかのオープニングセレモニーに参加。田沢湖観光協会会長佐藤和志氏、道の駅象潟支配人山田勝四郎氏、加えて紹介されて大潟村村長・サンルーラル大潟代表取締役黒瀬喜多氏に会う。またわらび座の管野紀子取締役と打ち合わせ。わらび座の酒類製造販売部営業の金朝美女史とも会う。14時からの秋田コニュニティのラジオ生放送を客室を借用して、日本海を見ながら行う。その後、館内を撮影。辞去の際、佐藤和志氏から田沢湖地ビールレストランの金朝美女史に紹介される。ホテル帝水、建設中の男鹿水族館を経由、男鹿温泉郷を撮影、脇本で「ばばへら」を撮影。これは「婆のしゃもじ」という意味で、おばさん達が道路沿いでアイスクリームの販売をする秋田の季節のドライブ風物詩。秋田市金足の秋田県立博物館のリニューアルオープンに先立ち、見学をお願いして、大森浩、糸田和樹両学芸主事から案内をされ、撮影。秋田市の土崎湊御蔵と暮れなずむセリオンを撮影。土崎のホテル大和泊。
(16日)秋田駅周辺を回り、アトリオンで情報収集、県産品プラザで撮影用の飯鮓商品を購入する。その後、道の駅岩城を経由して、本荘市へ。桜が満開の本荘公園を撮影。市役所前のかつ喜で鶏カツ定食。14:00道の駅象潟で山田勝四郎氏に会う。実演販売していた鶴岡の小池弥惣治本店の銘菓大庄内を購入。その後、たつみ寛洋ホテルを訪ね、佐藤寛社長としばし懇談。中を見学させてもらう。辞去後、海岸にある民宿ろふう草日本海を見学。バルコニー様のテラスも素敵。すぐそばにある象潟漁港の岸壁でしばらく鳶、海猫の上空を舞う姿を見ていた。夕暮れの海には旅情を感じた。R7を南下し、十六羅漢で夕陽を撮影、そしてR345を走り、清川でR47に出て、新庄市街地を少し走り回って、R13-R48で22:00帰仙。
●18日(日)、快晴。村田町のスポーツランドSUGOで行われた全日本GT選手権合同テストを取材。GTアソシエイションの長谷川雅治氏と、スケールの山本薫海氏の案内だった。しばらく場内・マシン・観客など撮影、レーサー運転のチューニング車への同乗走行も体験する。スピードもコーナーリングもいささかも怖くはなかった。ドライバーは優しいおじさんだったが、普段からこれ以上のタイトな走りをやっているぞって感じだった。取材を再開、観覧者の幾人から話を聞く。終了後、民話の里、村田町物産交流センター、遠刈田温泉経由で青根温泉の青根洋館撮影。無料でお茶をご馳走になる。管理の人は誠実そうな韓国出身の女性で、楽しそうに接客をしていた。温泉地内も少し回る。R286に抜け、釜房ダム湖畔の散り始めた桜を撮影。さくら亭前で、村田町物産交流センターの村上博氏に遇う。こりゃまた偶然。その先でボケの傍にあった菜の花を撮ったが、余りの強烈な香りに、2本手折り、サンバイザーに留めて、香りを嗅ぎながら帰社した。
●21日、快晴。昼前に社を出て、高速で白石へ。仙台宮城ICから白石ICまで32kmを18分で着く。白石市街地に入って、早速うーめん番所で、ざるうーめん¥530。これは飛び込みの撮影になった。武家屋敷街の小関家を見学。意外に建物内が質素なのは、ここが農家住居を素地としているからだ。その後、人形の蔵に行くが休業日。R113で角田に向かう。阿武隈急行角田駅で情報を入手、台山公園に寄った後、商工観光課から情報を入手していた特産品の梅をアレンジしたメニューを提供している店を5軒見て、最終的に金丸食堂でラーメンと梅ごはん。梅まぶしの飯は美味しかった。スタッフの女性連を撮影。白石市に戻る途中懐かしの高蔵寺には寄ることができなかった。ここはかつて河北新報社の「新宮城のハイキング」の取材で歩いたルート。白石市で、東天閣でフカヒレうーめんと、ラ・うーめんを撮影。うーめんのメニューバリエーションは難しい。ざるうーめんなどは¥530というと割高に思える。「麺が細い分、調理の方法は限られる」と東天閣の小室照枝社長。確かに課題がある。取材の食事摂取が続き、東天閣では残念ながら味見だけになった。フカヒレうーめんは東北を代表するグルメになれるような気がする。撮影後、街中から白石城まで向かうが、途中の案内表示板が実に中途半端で、最後まで導いていないので分かりにくい。これは武家屋敷周辺の小関家付近でも同様であった。とにかく白石城に寄り、白石IC-仙台宮城ICで帰社。
●21日、午後、仙台市本町のDINING&BAR庵に行くが、連絡の手違いで出直し。15時、仙台ホテルBFのカレー専門店ルフランで撮影。夕刻再度、庵に出向き撮影。店長は佐藤優子さんで、こぢんまりとしたお店ながら、おしゃれな感じで好感が持てる。お客に仙台の行きつけのニコンカメラ販売の人達が来店したので挨拶する。
●26日、快晴。仙台城址の政宗騎馬像、仙台市街地などを撮影する。東北旅行を終えて仙台空港から九州に戻る途中の帰る叔母に仙台城で会う。取り寄せていた「田村の梅」を一行4人の土産に渡す。
●28日、午後からマリンピア松島水族館へ行き、館内イラストマップを作成するための撮影をする。企画室の鈴木善行氏に応対して戴く。雨模様ながら修学旅行らしい生徒集団で溢れていた。イロワケイルカ、ラッコなどはやはり良かった。あまりサイズは大きくはないが、タカアシガニもいた。水槽内で飼い続けているため、多少美味しそうな感じは失せているものの、ガラス越しに舌なめずりした。待ってろよ。1時間ほどで撮影終了、帰社。夜、近くの上海王飯店で呑む。呑みの同行=畑沢諭・河端亜矢子・星野まい
●5日、ラーメン横丁で、もつ入りラーメン。どうもトッピングの「もつ」の形が崩れてきた。元の形に戻して欲しい。
●9日、日本政策投資銀行監事・ほくとう総研顧問主席研究員の小林茂氏来社。小林氏とは、1991年11月に鰺ヶ沢町で行なわれた津軽西海岸フォーラムで彼がコーディネーターとして、小生がパネリストとして参加して以来の付き合い。彼は、鉄道愛好家で、少年のような夢を持ち続けている人物。
●11日、12:50仙台宮城IC、菅生PAにて給油。爆走し、20分で白石IC。R4-市道川寺経由で13:20鎌先温泉。3軒の旅館を撮影-県道254号線で弥治郎こけし村経由、13:40県道51号線の山桜橋の北側のミステリースポットを調査・撮影。北の方には虹がかかっていた。その後、孝の湯を見学・撮影-遠刈田温泉センター浴場で入浴14:15〜35-村田IC-仙台宮城IC15:00。
孝の湯の湯船
[東京]
●12日、ほぼ徹夜後、7:06の新幹線。半蔵門線で10時、昭文社。中沢道男氏と校了作業。16時食事、その後、夜食を交え、ずっと深夜2:30まで校了作業。2:30〜5:00仮眠。(13日)早朝5時から作業続行。昼、昨日営業時間を過ぎて、食べられなかった深川丼。再訪に福佐家主人大いに喜ぶ。深川丼とは浅蜊丼のことである。今は浅蜊は木更津沖で獲れるらしい。下町人情の店。年季の入った椅子がほのぼの。夕方、アーバンホテル森下投宿したが、16:30〜19:00に眠っただけで、19時過ぎ、昭文社に戻り作業。夜、西新宿の文信電脳情報の瀬志本陽女史を訪ねる。帰りにめしや丼にてカツ丼。作業続行する。(14日)日曜日。朝まで作業。9時ホテルに戻り、シャワーのみ浴びる。チェックアウト。泊まらなくったってよかったじゃん。昼近く、桜咲く清澄公園ベンチで30分仮眠。川べりには白木蓮も咲いていた。作業続行。15:36新幹線で17:48帰仙。帰社後、机に臥して眠る。深夜1時起床、FM仙台の放送用原稿を書いて3時就寝、社泊。
[再び東京]
●17日、3:00〜5:30会社で眠る。7:06-9:24の新幹線。半蔵門線で10時、昭文社。昼食は再び深川丼、二代目奥様からいろいろ話を聞く。同行の星野まいは、最終便の新幹線で帰仙。ホテルエドアイト泊。ホテル内の喫茶室で仕事。すき家で食事。(18日)作業続行。雨になる。市ヶ谷の組版会社訪問、昼食後、新宿に移動、しばし時間に余裕があって新宿駅周辺を探索。沖縄料理やんばるでソーキソバ。夜、再び市ヶ谷、その後、昭文社。ラスマイの新宿線で新宿。カプセルホテル泊。(19日)6:00起床、西新宿の文信電脳情報7〜22時。近藤信明社長は同郷福岡県古賀市の出身だった。全て終了後、新潟にでも行こうかなという気分になり、一瞬そう考えたが、体が休養を欲っしていたので、新宿のBH亀田泊。(20日)小雨。新宿から東京駅にすかさず移動し、新幹線で立ちっぱなしながら10:44〜13:08帰仙。
●24日、釜石市経済部観光物産課岩間牧主事、釜石商工会議所総務課猪又重俊氏、釜石大観音石応禅寺照井良知総務次長に会う。
●26日、去りゆく土星を観察。
●29日、道路資料館訪問。月曜日は休館だったが、メンテナンスの日で、運良く菅原女史に会う。
●3日、仙台市役所錦町庁舎で、平成15年度写真コンクール「私が見せたい、自慢したい仙台」(仙台観光コンベンション協会主催)の審査会に出席。テーマは「杜の都・せんだい」。審査委員は9名。応募された一般の部応募された230点と、小中学生の部18点を審査。両部門に東北レジャー情報編集長賞を出させて戴く。
●4日、仙台市のラーメン横丁で、もつラーメン。
●5日、東北道で仙台宮城ICから若柳金成ICに走り、短絡路を利用して、花泉駅前-川崎町薄衣に抜け、R248で気仙沼へ。途中、道の駅川崎でPRESS証を提示して撮影、岩谷堂羊羹など買い物。14時から海鮮市場海の市特設会場で気仙沼ラーメンの研究会主催「気仙沼ラーメンの公開試食会」。アドバイザーはちばき屋の千葉憲二氏。醤油味さんまラーメン、塩味ふかひれラーメンの2種を試食。それぞれにアンケートを書く。ふかひれラーメンの塩味が良かった。90点。醤油味さんまラーメンは70点ってところだ。感想をマイクで2度に分けて喋らせてもらう。会場では2002年2月、宮城県みやぎ都市農村交流推進会議主催の「みやぎグリーンツーリズムフォーラム」の時にお会いした宮城県産業経済部の小林武弘氏と同席。そして研究会会長の鈴木義夫氏、「みやぎ寿司海道」でお世話になった寿司処大政の親方(今後の寿司海道のことについて話す)、スローフード気仙沼の菅原昭彦氏、千葉喜商店の千葉英子専務にもお会いする。16:20終了して、同じ道を戻る。東北道を爆走したので、2時間で仙台に戻った。仙台・気仙沼間にはいろいろルートがあるが、この道が時間的には一番のような気がする。
●6日、田沢湖高原元湯水沢山荘の宮崎一三支配人、営業担当課長代理古山浩氏と会う。古山浩氏は水沢山荘経営の東京銀座の塚本總業総務部課長代理でもある。
●7日、仙台市ラーメン横丁を訪ねる。文藝春秋社が発行した「CREAeats2004spring」に「世界36都市のおいしいラーメン屋さん」という特集企画で、国内17都市ご当地ラーメン極旨情報ということで、仙台の美味しいラーメンでラーメン横丁の「もつ入ラーメン」を小社が紹介していたからで、掲載のお知らせに行ったのだった。その他に、仙台では、ちばき屋の塩タンそば、五福星の肉そば、らーめん堂仙台っ子の仙台っ子らーめんを紹介させてもらっている。
●8日、松島。海岸部はカキ祭りで大渋滞していた。
●13日、仙台市青葉区郷六、北環状線にある仙台市葛岡温水プールを開場前に取材。プールを撮影。終了後、1階のリサイクルプラザにある展示室のブックコーナーで、1人3冊まで好きな本を持ち帰ることができるということで貰ってきた。
●17日、山形県西川町に本拠地をもつ月山山麓プレイヤーの細谷健一氏が来社、最上川水系のカヌー、マウンテンバイクなどのアウトドア系の活動をしている人物。こういうことが今後、盛んになっていくであろうが、その手助けをしたいものである。
●18日、かつて仙台鉄道が、現在の北仙台駅前(開業時は通町が始発)から山の寺を経由して大衡村の黒川小野目まで走っていた、その廃線跡の一部である仙山線東照宮駅下のガードの道路を撮影に行く。う〜む、確かにこの雰囲気は昔の線路跡のように思える。
●19日、仙台観光コンベンション協会主催の「平成15年度写真コンクール」の表彰式。会場を間違えて、仙台市メディアテークに行ってしまって、本来のエルパーク141に着いた時には15時から始まった式は終了していた。かろうじて参加者に小誌を贈呈。東北レジャー情報編集長賞の小・中学生の部の受賞者・山田百合菜嬢(作品名=「私の好きなところ高森東公園」)に挨拶されて、握手。少し話ができた。家族で来ていたので写真も撮らせてもらった。外に出ると、定禅寺通りには小雪が舞い始めていた。
●24日、仙台市宮城野区平成町の支那八で、塩味のラーメンとライス。
●25日、仙台城址に伊達政宗の顔ハメを撮影に行く。この「顔ハメ」とやらもなぁ。その後、八木山動物公園にも。久しぶりに八木山エリアを走る。
●9日、このシーズンで初めて土星を確認。今年の土星は「く」の字の形をした3つの星の、折れ目の要の位置にいた。
[気仙沼]
●16-17日、仙台東部道路仙台東IC-三陸道河北IC-R45、途中道の駅つやまの新施設、産直ときめき野菜・クラフトショップもくもくハウスを撮影。気仙沼にてみやぎリアスライン協議会主催の「第5回みやぎリアスライン地域フォトコンテスト」の審査に参加。夜、アイリスで鈴木友博氏と呑む。経営者の及川淑恵さんは長野県飯田市の出身で、昔から「東北レジャー情報」の読者だったという嬉しい人だった。ちょっと痛飲。サンマリン気仙沼ホテル観洋泊。(17日)早稲谷温泉、本吉町の食事処照を訪問、見学、食事。14時から「写真塾」講師は斎藤秀一氏。デジタルカメラの講座も興味深いものがあった。盛況の内に16時過ぎ終了。帰りは、本吉からR346に入り、松島までずっとR346を走る-道の駅とうわ。レジ係の佐藤多恵子さんの愛想があまりにもいいため予定していなかった野菜購入-迫町-米山町-涌谷町-鹿島台町を走って松島町へ。明治潜穴公園駐車場で仮眠。以前にもここで仮眠したことがある-R45-帰社。
[相馬苺狩り・いわき]
●18日、相馬市の和田観光苺組合で苺狩り[h]。苺狩りはほぼ年中行事になっている。今年は18日に正規オープンで一週間前がプレオープン。料金はプレの場合100円高くて1100円。でも、もしかしてプレオープン期間中は狙い目かも。舘山正一組合長にお会いして、話を伺う。今年は15軒の農園が参加。やまなか農園を紹介されて、取材を兼ねて、苺狩りを行なった。流石に苺は大きかった。終了後、松川浦の文字島などを回り、R6を南下、途中海側の県道などを迷いもしながら走行。懸案だった小良ヶ浜漁港に行く。途中から車両通行止め。ここは「日本一小さな漁港」だったところ。「大正の青の洞門」とも称されるように三瓶一見という人が、大正時代に個人で切り開いた漁港で、その日は釣りの親子がいた。訊けば「こよしがはま」ではなく「おらがはま」だった。翁は84歳で没したが、晩年は自分の拓いた漁港を眺め暮らしたという。現在は富岡漁港の方に機能が移され、漁港跡になっていて、多少の名残りがある。もしやと思っていたが、ここには僕の里山はなかった。その後、R6でいわきへ。小名浜のうろこいちで食事、その後、ららみゅうを見学。ベニズワイガニ・マグロの大トロフレークなどを購入。イバラガニがあったが、冷凍物で北海道で獲れたものは、いわき沖との味の違いがあるということなので、次回にした。夕刻、ひたすらR6を北上して、4時間かかって帰仙。
●24日、仙台市南小泉の寿楽で、十年ぶりくらいのポーサイメン¥650。これは、麺に菠薐草(ほうれんそう)を練りこんでいるので、鮮やかな緑色の麺が美しいラーメン。ポーサイメンは菠菜麺と表記する。確かに美味しくはあるのだが、相変わらず塩味を強く感じた。ワカメの量もむしろ多すぎるようであった。
●27-28日、三陸道で石巻。R45で志津川町へ。役場農林課の阿部明弘氏を訪問。その後、本吉町のはまなす工房にも立ち寄る。町内の赤信号で停車していた車に場所を訪ねたら、偶然にも、はまなす工房主の姪で、わかりにくいと、現地まで案内してくれた。う〜ん、町が狭いということかな?気仙沼で、気仙沼本吉地域広域行政事務組合の鈴木友博氏と市役所で合流して、気仙沼コンベンションビューローの小野寺暁一常務理事、千田基嗣企画課長、佐々木正弘業務課長らに会う。サンマリン気仙沼ホテル観洋投宿。夜、観光塾の講師宮城大学事業構想学部の宮原育子助教授、青森経営研究所の北村真夕美氏らと歓談。泊。(28日)第15回リアス四季海岸観光塾。地元の醸造元・男山本店の菅原昭彦氏も加わり、午前中宮原氏の講演、午後パネルディスカッション。会場で民宿旅館アインスくりこの白幡修・美千子夫妻、娘さんの幸亜嬢、食事処照の千葉しげ子さん、大船渡地方振興局の大越俊也・高橋孝典両氏とも会う。終了後、事務組合に立ち寄り、遠藤修一氏から演劇塾うお座の仙台公演の話。国道45号線・三陸道で帰仙。
●29日、午後から福島駅前にあるシティ情報ふくしまの安齋憲二氏を訪問。とんぼ返りし、夕刻、かんぽヘルスプラザ仙台にて「仙台あおもり応援隊平成15年度例会」。佐々木誠造青森市長も来仙。参加者に小誌を贈呈した。小生も質問・意見・要望を発言。懇親会には出席せず、帰社。
●5日、夕刻、仙台ホテルにて、気仙沼・本吉地域広域行政事務組合の堀籠昭代局長・佐藤光一氏、カメラマンの斎藤秀一氏と来年1月に開催される写真コンテスト審査会・写真塾についての打ち合わせ。その後、青森経営研究所の北村真夕美氏らと観光塾についての打ち合わせ。北村氏とは1991年11月に鰺ヶ沢町で行なわれた津軽西海岸フォーラム以来。
●6日、JR仙台駅コンコースで開催されていた秋田県物産市に行き、稲庭うどん、いぶりがっこを撮影。
●12-13日、[秋田行]深夜3:00、R4を北上、ラジオから鬼束ちひろの「いい日旅立ち・西へ」が流れていた(後日、CDを購入してしまった)一関から雨は雪に変わる。道の駅石鳥谷泊(5:45~9:35)。(12日)R4-盛岡南IC経由で10:30つなぎ温泉ホールサムインつなぎ取材-R46-協和町役場。町営モーターサイクル場掲載の町誌を戴く-秋田市役所観光課・広報課-出戸浜バイパス経由で若美町。途中覆面パトカーが違反車両を捕捉していた。秋田南IC付近でも見かけた(この秋田南IC~土崎間は有名な取り締まりゾーンである)。それぞれナンバーをチェックしたが、出戸浜バイパスのは3ナンバーの白いセダン。秋田県ではやたら速度違反取り締まりが目につく。かつて竿燈まつりに急ぐ県外の観光バスを止めたという話も聞く。バス内の観光客は運転手に同情することしきり。秋田県に悪い印象を持った。竿燈まつり期間中は今でも秋田県警の稼ぎ時なのだ。良い思い出が残さずに、「もう二度と秋田には来たくない」と他県の観光客も足が、こうしてどんどん遠のいて行くのだな。さて、大潟村から南下して、同時に今回の撮影行動をしていた秋田市の佐々木啓悦氏と若美野菜センターで落ち合い、20分ほど情報交換-能代-R7-16:00二ツ井町役場。教育委員会の生涯学習課和泉昭一係長に会う。伝承ホール内部を撮影後、少し離れた福祉会館にある教育委員会にも立ち寄る-あきた北エアポートライン・R285経由で道の駅比内。20分遅れで目的のとっと館の軽食コーナーは閉店だった。産直売り場を代わりに撮影-18:00大滝温泉の富夢富夢を撮影-18:40鹿角市のとん喜。珍しくカメラのストロボアダプターのAS-6が不具合で、ちょっと難儀した。撮影最中、帰り際の子供連れの客があって、そのガキが、わざわざトコトコやってきて「どうして髪、多くしてんの?」だって。<よけいなお世話だ!>と思ったが、「え~、多いかなぁ」と小生。 撮影後、とんかつを食す-R282-R4-再び、道の駅石鳥谷泊(22:00~翌8:30)(13日)R4南下、途中1時間仮眠して11:30平泉中尊寺をロケハン-R4で14:00に帰仙。
●17-18日、[東京・帰りはプジョー・光のページェント撮影]打ち合わせなどのため東京に行く。11:08発のMaxやまびこは、福島駅で後続のこまちに追い越されるので、乗り換えようかとも思ったが、そのまま3人席を一人で占領する気軽さを選んだ。吾妻・安達太良の峰々は冠雪し始めていた。東京駅からタクシーで常盤へ向かう。昭文社で、まず調査部に挨拶し、編集部へ。担当の中沢道夫氏と、半蔵門線で麹町の本社へ。ここで打ち合わせをする。夕刻、中沢氏の上司である田島健氏と3人で呑む。23時過ぎ、再び半蔵門線で、森下へ戻り、春の宵・夏の熱気が残る路地裏を想像させる下町の雰囲気漂う深川の町を歩く。ホテルエドアイト別館泊(18日)快晴の下、昭文社へ。しばし打ち合わせ後、広報車のプジョー703SWで東北道を北上、浦和から2時間34分で到着した。夕刻から光のページェントの下でプジョー撮影。終了後、仙台国技場古武士で東京ラーメン。カメラ=今藤祥信、モデル=栗田博子。
●19日、[蔵王温泉国民宿舎竜山荘行] 東北道仙台宮城IC-山形道山形蔵王IC-西蔵王高原ライン疾走。12時40分くらいに出て、50分で、晴れの仙台から真冬の吹雪の世界に入った。相変わらず、アポなしで、国民宿舎竜山荘を取材。ロビーにいた山形市内在住者である女性と蔵王・山形市街地についての世間話。支配人古川義孝氏に話を伺う。その後、スタッフの方に丁寧に館内を案内される。20年も経っているのにメンテもいい好感触の宿だった。帰りも爆走。とにかく45分で帰ってきた。
●21日、松島湾方面を撮影。夕刻、愛車オルティア車検前点検。エンジンからのオイルが漏れというほどではないが、大きな滲みがあったのが、ちょっとショックだった。
●22日、[平泉・盛岡]プジョー撮影のため、仙台宮城IC(東北道)一関IC。平泉町中尊寺、毛越寺、達谷窟。一関市厳美渓を撮影後、一関IC(東北道)盛岡IC-岩手銀行中ノ橋支店-北上川河畔-ぴょんぴょん舎で冷麺-盛岡IC(東北道)泉IC。カメラ=今藤祥信
[相馬松川浦・いわき]
●23日、プジョー撮影のため、仙台東IC(東部道路)亘理IC-R6-相馬市松川浦、砂州・松川浦大橋上での撮影。R6でいわき市。さすいちで食事。かつて撮影にてお世話になった社長・店長両氏に挨拶。昼食をゴチになってしまった。アクアマリンふくしま-マリンタワー。潮見台。駐車場でプジョーに軽い損傷を受ける。ショック。R6、速く走れる併行県道などを走行。相馬市から再びR6に戻り、帰仙。カメラ=今藤祥信、モデル=栗田博子・星野まい。
●24日、昭文社・中沢道夫氏来仙。打ち合わせ後、光のページェントに案内する。中沢氏は翌日プジョーにて帰京。
●30-31日、[八戸屋台村・八食センター]仙台宮城IC(東北道・八戸道)八戸IC。途中の岩手山はまだ5合目までしか雪がなかった。13:30から八戸の屋台村を撮影。本格的には夕方からなので、極楽湯経由で、八食センターに行き、賑わう場内をしばし撮影する。魚介類は年末だからか少し高め。八戸麺道大陸で支那そば。16:40から再度、八戸屋台村。魚工房かつらを本拠地にして取材・撮影を開始。偶然、市会議員の豊田美好女史、その後、金田美季・山下晶子嬢のグループにも遇う。9日前にオープンしたという美ら亭の主人・立花徳栄氏とも歓談。立花氏は階上町でバスストップという喫茶店・沖縄物産販売の会社も経営している人物。沖縄そばを食べる。その後、市会議員の上条幸哉氏や對馬茂文とも遇う。對馬宇治は日本労働組合総連合会・全国交通運輸労働組合総連合・三八五労働組合中央執行委員をしている人。八戸屋台村は本当に出遇いの場所だなと思う。お台どころねねの工藤晴奈さんにも会う。22:50八戸出立。R104-R4。途中R4最高所の中山峠付近では-8、-9度と徐々に下がっていた温度が最低の-10度を表示した。窓から手を出してその寒さを体感した。盛岡、花巻、一関と南下、金成町のイトーヨーカドーの駐車場で深夜3時頃から10時頃まで眠る-その後もR4を南下、大晦日に帰仙となった。
[津軽三味線を聴く]
●20日、14時から1時間、仙台市一番町の三越デパート前の路上で行われた津軽三味線ミニコンサートに行く。青森コンベンション協会の佐藤廣美氏・野呂かおり女史、ミスねぶたの舘山久美子嬢、それに津軽三味線竹山会の鳴海竹林氏に会う。演奏時、外国人が興味深そうに聴いていた姿が仙台的だった。演奏後、竹林氏の三味線・バチを現場で撮影させて戴く。
●23日、仙台市平成町の支那八で久しぶりに塩ラーメンを食べる。ちょっと濃い味だが、相変わらず美味しい。東北でベスト3に入るだろうと思われる塩味のラーメンで、細麺。ライスがまた美味しく、ラーメンとも合うので、支那八で塩ラーメンを食べる時は、必ずライスも注文するのだった。
●2日、R6-相馬市の相馬甲冑工房。価値のある武具がたくさん。この橘家は相馬氏の家臣で、かつての侍町に住み、明治以降、甲冑師となって3代目。正式の甲冑師は全国で5人しかいないそうだ。一具数百万、修理も7年待ち。甲冑一具で約1万点の部品があるそうだ。う~む面白すぎる-相馬中村神社・相馬神社。今週末の例大祭の準備をご婦人方がしていた。気軽に声を掛けてくれる-鹿島町の陸奥真野万葉植物園。ここに来たのは何年ぶりだろう-県道41号を走り、小高町のスッポン養殖加工製造の愛和産業へ。養殖場も見学。秋から春まで泥の中で冬眠するだの、食いついたら離さないのでその時は首を切り落とす。首は切っても数時間は首も胴体も動いているなど、スッポンのいろいろな生態を訊く。う~むこれも面白い。赤ちゃんスッポンも見せてもらう。スッポンの粉をスッポンドリンク「おおっ!」(商品名)で飲む。果たして効くかな?「おおっ!」を帰り際10本戴く-R114富岡街道-道の駅川俣。野菜購入-福島駅の高速バス新宿行きを撮影。JRバスの運転手の人が何も言っていなかったのに速度を落として撮影協力してくれた- R13-R4-白石を過ぎて蔵王町、ルビナスセンター取材・撮影。う~む面白い。ルピナス(=Lupinus)と思っていたら、ルビナスだった。これはラテン語で藤であるとのこと。う~む。ルピナスはノボリフジ・狼草というのだが。調べてみると、ルビナスという表記もあるんだね。でも小生が最も使っている検索エンジンGoogle(http://www.google.com/)では、ルピナス21。件に対して、ルビナスは1680件のヒット、また綴りもLupinusだから、「ルピナス」の方が正しそう。ちなみに、ここは蔵王コンクリートという会社の経営で、マイ独楽というコマの形をしたブロックを軟弱地盤に敷き詰める基礎工法技術を持っている会社だった。これも面白い話だった。帰途、松川大橋上からの夕景が美しく撮影する。県道村田線25・31号経由で帰社。
●3日、快晴。午前中、ウェルサンピア仙台。出かける間際の村井健彦氏に案内して戴く。啓徳社仙台営業所に返品を引き取りに行き、過日の礼を述べる-仙台東IC(仙台東部道路)亘理IC、川沿いの町道を走り、11:20亘理温泉鳥の海荘。佐藤貴主事はTVの取材を受けていた。それで館長に案内して戴く。食堂では槻木近辺からのご婦人4人組がハラコ飯を食べていた。終了後、鳥の海公園撮影。名取ヶ丘経由で、昼時12:40になって、茂庭荘着。館内撮影後、旧伊達邸の鍾景閣を見学、もちろん撮影。ちょうど米沢の上杉記念館のようであるな-R286-仙台万華鏡美術館外観撮影-13:30ホールサムインばんじ。ここも突然だったが親切に応対してくれた。施設はとても良かった。露天風呂もできていた-R286経由で帰社。
●7日、快晴。泉IC(東北道)築館IC-R398-某温泉で取材拒否。十分な理解なく断ることの不利益を思うが、従業員の態度も接客業のそれではなかった。辞去する際、めったにないことだが、怒りの中で、仕事をして初めて「名刺を返してくれ」と言い、取り戻した。もっともその名刺も、開口一番「まず、名刺をよこせ」と言われて、唖然・憮然として渡したものだったが。世の中にはサービス業に向かない奴もいるということかも-気を取り直して県道253で川渡温泉。共同浴場を撮影。そして、かねてより見学したかった藤島旅館訪問。とてもいい。従業員の小父さんが大きな胡桃の木で実を採取していたり、裏の小山を借景にした立派な庭園の池の300匹の大鯉に館主が餌を与えていたり。その後、若い娘さんに館内を丁寧に案内してもらう。宿泊者専用浴場、日帰り入浴もできる大きな浴槽の大浴場。入浴は朝7時から、驚異的に深夜24時までOKとのこと。かつては24 時間入浴可能だったらしい。しかも料金は200円。藤島旅館は10:40~11:20見学。その後、玉造荘-鳴子温泉経由で、鳴子ダム-近道で吹上峯雲閣へ-吹上高原に出て国民宿舎鬼首ロッジ。敷地内に足湯ができていた。撮影後、高原の下の産直店で山栗を購入。栗は大好き-オニコウベ高原経由、県道63・花立峠越え。10/8~25は工事で通行止めとのこと。ここは宮城県側は完全舗装、県境から忽然と砂利道になる境目を見ることができる。所々部分舗装の道が続く。峠付近は少し紅葉していた。その後、最上町の前森高原。センターハウスの農遊館に以前、鬼首高原開発に勤務していた渋井浩一氏がいた。コテージも見学-最上町役場傍のさざわ食堂でとりもつラーメン-おらだずの宿りんどう。一式撮影。フロント係の結城一美青年が応対してくれた-国民年金健康保養センターもがみ、ロビー・風呂などを撮影-赤倉温泉・日山温泉お湯センターに立ち寄り、県道28山刀伐トンネルを経由して銀山温泉。足湯・しろがね湯も見学・撮影-市道大谷地沼経由で鶴子温泉・勘兵衛荘。夕刻近くだったが快く館内を案内してくれた-県道29背あぶり峠経由で村山市街地へ。このルートは大型車通行不可で、東沢公園脇に出る、かなりマニアックな道で、しかしこの付近から南の村山市方面に向かうには有効なルートなのだった-東根温泉の巽の湯共同浴場で入浴。数ある共同浴場の中でここが一番いいという常連客がいた-R48で帰仙。
●2日、ラーメン国技場仙台場所オープン前取材。7軒のラーメン店(函館・喜多方・東京2店・和歌山・神戸・熊本)がある。我々は熊本黒らーめん好来を試食する。スープの味は10~15%ほど濃い目だったが、スープだけでも飲み干せる味だった。博多ラーメンのような細麺が懐かしかった。残りの店も取材せねばならぬ。客が入るなり、麺を茹で、40秒で出し、替え玉の追加という、博多ラーメンのテンポの良さは仙台国分町でも通用すると思われるがいかがだろう。同行=川原友香。
●4日、快晴。仙台南部道路経由で、8:00仙台南ICを出発。福島飯坂ICから飯坂温泉9:00着。タクシードライバーに所在を訊いて、ギョウザの照井は17:30からの営業なので外観のみ撮影、ラジウム卵の玉手商店、味噌の丸滝商店、鯖湖湯、寿司の紫明、その後、新しくできた飯坂片岡鶴太郎美術庭園を訪ねる。株式会社松屋経営計画室長の菅野伸夫氏に応対して戴く。館内を見学・撮影。9:40~11:20の間滞在。御宿かわせみ-飯坂明治大正ガラス美術館の後、12:00中野不動尊。フルーツラインを経由して12:35に高湯温泉。磐梯吾妻スカイラインの高湯側事務所で吾妻八景の由来を尋ねる。スカイライン上では、主に吾妻八景のポイントを撮影。12:55~14:40。土湯峠温泉郷から道の駅つちゆ-15:20岳温泉着-阿多多羅-あだたらふれあいセンター-岳の湯-物産店の松野屋-16:40成駒でソースかつ丼を撮影・試食~17:30。18:00から松渓苑の庭園を撮影。佐藤俊夫社長は不在だった。その後大急ぎで微温湯温泉に向かう。もう山道は暮れ、途中、夏毛のウサギが道を横切った。微温湯温泉で何とか紫色の空の建物を撮る。神奈川県からの女性宿泊客と話し。東の山際から出た火星を見る。18:40-20:10滞在。その後、林道を下り、再度、飯坂片岡鶴太郎美術庭園の夜景を撮る-ギョウザの照井で取材・撮影。「美味しい餃子」という風に以前から複数の読者に聞いていて、長い間来てみたかった店で、突然だったけれど、経営者の佐藤吉則氏に大変丁寧に応対して戴く。撮影後、試食。20:30~21:40滞在-R4-仙台帰着23:10。
●7日、[日本一の芋煮会・微温湯温泉]日曜日。仙台は曇り空・小雨であったが、濃霧の山形道・笹谷トンネルを過ぎると、山形市は青空も部分的に顔を覗かせ、陽が差していた。一旦、日本一の芋煮会会場に向かうが、駐車場がなく、県庁に戻り、臨時駐車場に車を置いて、シャトルバスエ100で、再度会場へ向かう。本部テントで取材手続きの後、撮影を開始。対岸のイベント会場にも足を運んでみる。直径6mの大鍋の脇には機械式の上昇足場が用意されていて、高所から何度か撮影ができた。 メインスタッフの吉田重機の社長夫婦に挨拶、そして、その娘である、かつて長い間、小誌のモデルをしていた吉田美帆嬢と再会、情報交換。
取材終了後、県庁まで馬見ヶ崎川河畔を歩き、12:50山形蔵王ICから福島西ICへ。太平洋側はやはり雨天。福島西ICから向かった微温湯温泉に14:30着。「女性の隠れ宿」(本誌2003年11月号収載)テーマで霧雨の中、モデル撮影。宿の大奥さんに浴衣を着付けてもらう。館内を自由に撮影、17:00辞去。福島市街地に向かい、餃子会館で食事。福島飯坂IC-泉IC。こんなに天気が異なると、全く違う日に行動したという感じの1日だった。同行=栗田博子。
●11-15日、[福島ほぼ全県]仙台宮城IC正午出発(東北道)国見IC-伊達町の半澤酒造店-保原町を経由して霊山町のりょうぜんうどん味里を訪ねるが休業。県道308短絡ルートで福島市-コラッセふくしまのレストランKi-chigoに行き、夜再訪のことにする。応対はマネージャーの池田貴則氏。コラッセ事務局に立ち寄り1階の諸施設を撮影。その後、郊外の四季魚菜草訪。翌日の撮影を予約-夕方、餃子の店・山女。一時、土砂降りになる-東横イン福島駅西口投宿-21:30~22:30Ki-chigo撮影-泊。
(12日)R4-二本松市玉羊羹の玉嶋屋。あの楊枝でプスッと刺すとクリッと剥ける玉羊羹発祥の地がここだったのか。和田雅孝社長に詳細な説明を受ける-R4-郡山駅。1時間ほどのロスを認識-R49-磐梯熱海温泉の信濃屋菓子店-磐梯熱海IC出口のそば処・森-磐梯熱海IC-猪苗代磐梯高原IC-猪苗代観光協会-せんべや-濃霧の土湯トンネル越え-四季魚菜草撮影-R4-R49で21:00いわき市(泊)
(13日)-小川町にあるいわき市立草野心平記念文学館。専門学芸員の小野浩氏に説明を受ける。展示が充実しているし、感銘を受ける。時間があればゆっくりしたい施設だ。レストランもある-帰途小川町の生家にも立ち寄る。ここはあの山村暮鳥の
「空」
おうい雲よ
ゆうゆうと
馬鹿にのんきそうじゃないか
どこまでゆくんだ
ずっと磐城平の方までゆくんか
の世界。高校生のころ、この詩を筆写して部屋に張っていたが、まさか将来この地に関係する仕事をすることになるなんて想像しなかった。また、当時、磐城平は単に平らな平地の場所だと思っていたが、地名だとも知らなかった。
-すし田村、後刻再訪にする-創作かまぼこのかねまん本舗。社長の遠藤邦雄氏に会う。社長令嬢営業部の遠藤美香子嬢に丁寧に応対して戴く。とても対応がいい。蒲鉾も美味しい-小名浜港のさすいち。昼食時で店内混雑につき応接室で撮影-いわき市の施設健康福祉プラザゆったり館。総務の田山博士氏にご案内戴く-石炭化石館-いわき湯本温泉の御幸山公園・さはこ湯・東湯共同浴場-すし田村撮影。初めてヒラツメガニを食う。引き続き駅前通りの寿司・魚河岸-R49で郡山へ、東横イン郡山泊。
(14日)快晴。R4で白河-快晴の小峰城-白河だるま総本舗-白河提灯まつりの昼の山車撮影。大黒屋-らーめんの火風鼎に着くが行列のため出直しにする。南湖公園撮影-西郷村へ。途中蕎麦畑撮影。追原庵-短絡路で羽鳥湖経由、某店で時間ロス。東に向かい、そば茶屋てんえいは残念ながら蕎麦売り切れ-農家の旧家を利用した天栄倶楽部-R294-勢至峠トンネル-県道374背あぶり峠-ホテルアルファワン会津若松泊。
(15日)小雨。蒲生氏郷の墓所-東山第一ホテル浴場撮影-会津本郷町清郷美術館。雨上がる。下野街道県道131で氷玉峠越えをして大内ダム脇を抜け大内宿へ。玉こんにゃくを食う-田島駅-きらら289-伊南村高畑フィッシングパーク-宮床温泉に立ち寄り、南郷村名産のトマトと玉蜀黍をご馳走になる-宮床湿原。途中には湧水があった。駐車スペースから坂道を上り10分、そして周辺遊歩道と湿原の中に敷かれた木道を歩く-さゆり荘見学、小濱貞祐さゆりの里常務取締役に話を聞く。伊南川が下る谷あいに沈む夕陽が美しいといわれる露天風呂を撮影-湯楽里-たもかぶ本の街見学。吉津耕一氏に再会。再読の誘惑に駆られてC.モルガンの「人間のしるし」・古田武彦「邪馬台国はなかった」を購入。昔の本でも一律定価の50%なのだそうだ。古谷三敏のコミック「レモンハート」が無造作に置かれていた。只見町温泉保養センター-R252に乗り換えて、河井継之助記念館。閉館時間を過ぎたが、大至急撮影させてもらう-金山町こぶし館。わざわざ電気を点灯してもらい、会津かねやま振興公社常務理事の奥高伸氏に説明を受ける-R49-強清水-猪苗代-土湯トンネル-福島-R4-帰社22:00。
●17-18日、[福島ほぼ全県取材の残り]仙台10時出発-福島飯坂IC-R115霊山町うどん味里。店主は霜山義秋氏-再び県道308短絡ルートで福島市-R115土湯トンネル-横向大橋の監視カメラ塔に上がり、その上からドライブ風景撮影。その後、猪苗代の町中へ下るが、道路工事の赤信号で待つわずかの間に眠りに落ちてしまったほどなので、猪苗代町のヨーカドー駐車場で14:00~14:45仮眠。R45で15:15猪苗代湖西岸翁島港-強清水の揚げまんじゅうの元祖清水屋で撮影。終始店長女史に相手をしてもらう。強清水の戊辰戦争時代の歴史もいろいろ聞くことができた。R49-県道33-R121で喜多方駅-北塩原村のそば処下の家。主人は中川忠男氏。喜多方シティホテル泊(18日)8:30喜多方温泉おさらぎの宿-杉山集落を歩く。土地の古老と話す-峠越えをして熱塩加納村。夢の森撮影後、村役場の産業課に行って、創作塾夢の森を開けてもらい、館内を撮影。R121-県道7で猪苗代町の緑の村へ。総務課の関澤龍伸氏に丁寧にご手配戴く。いなわしろ淡水魚館とコスモス畑見学、敷地内の駅舎亭で祝言そば。その後、猪苗代町はずれ・R115沿いのの梨の木でピザ。猪苗代湖東岸・県道9号を南下、湖岸道路に入り、舟津を経由して湖南地区。R294伊勢至堂トンネルで天栄村。生産物直売所に併設された季の里天栄でヤーコンざるうどん。これは撮影後も全くのびることなく、コシも強く美味しい蕎麦の色をしたうどんだった-引き続きR294で白河市に行き、ラーメンの火風鼎。固めの麺、醤油味具合も良く、口に合わないと思っていた白河ラーメンを見直した。果たして店長のいうようにこの味が癖になるものだろうか?食事を重ねていなかったらスープも飲み干すところだった-過日の出光で給油して白河ICから船引三春IC。高速道路だと16:25~17:00と、この間をわずか35分で移動できるねぇ-R288で17:37都路村のHOT-HOUSE。店主は渡辺辰夫氏。終了18:45。あまりの立て続けの撮影・試食のため、撮影のサンドイッチを包んでもらう。R288・県道35・県道34で相馬に抜け、R6経由で21:05帰社、2時間20分しかかからないなら郡山JCT経由の高速で戻るのと同じくらいか?今回の2回の福島行きで計1758km走った。これは仙台からちょうど鹿児島までの距離だ。
●21日、宮城県迫地方県事務所主催の「北上川川下りワークショップ・広域圏交流ツアー」に参加。泉IC(東北道)一関IC-一関市学習交流館あいぽーと集合、参加者は多彩。座ハイカラの千葉政子・中田焼さくら工房の石川加代・中田町萩風園の遠藤美香の3氏からスナップ撮影の依頼を受ける。「大人の遠足」のよう。あいぽーと見学後、バスで道の駅川崎-川崎村水辺プラザ船着場。乗船。花泉町日形船着場着。地元消防団からの虹色の放水の歓迎を受け、敬礼で迎えられ、気恥ずかしい思いであった。船頭清五郎墓碑参拝-日形公民館で昼食。歓待を受ける。里山のような所で、地域の人達が仲よさそうに見えた-再び日形船着場-中田町冠木船着場。船上では曇天・小雨ながら景色のいい場所もあった-中田町役場で意見交換会。座長はNPO法人北上川流域連携交流会の理事・事務局次長の邉見清二氏、それに横手市出身の国土交通省東北地方整備局岩手河川国道事務所の米沢谷誠悦氏と小生はアドバイザー。この日は、岩手県一関地方振興局土木部道路河川環境課河川砂防係小山隆春技師、千厩地方振興局企画総務部企画振興課長桐田教男氏にも会う。この北上川を「石川啄木の下りし川」としてもアピールできればね。終了後、あいぽーとに戻る。須川岳(栗駒山)の夕景が美しく、駐車場からそれを撮影-R4-古川の沖縄そばでソーキそば-R4-直帰。
●23日、[秋分の日、会津秋まつり]快晴。7:06仙台南IC-8:14磐越道を走行中、秋晴れの磐梯山を撮影-8:26会津若松IC-鶴ヶ城に様子を見るため城内に向かい、とりあえず西出丸有料駐車場には入らないで、県立博物館そばの無料臨時駐車場へ。小生の前と後の車その有料駐車場に入っていった。可哀想。まつりには、こういう駐車場情報も必要なのだ-本部テントに行くも、事前に連絡をしていた担当の星氏が見あたらないので、自社のPRESS証を付け、撮影開始。先人感謝祭・出陣式と続き、藩公行列。街中での行列は多少整然とした流れに欠けていた。12:20撮影終了。R49-翁島温泉玉の湯旅館-いわはし館でもりそば。ここは町の施設で、料金も良心的。まぁ美味しい部類で、もう一枚食おうと迷ったほど。「いわはし」は磐梯の訓読み-R115-道の駅土湯から、R459で岳温泉へ。目的の国民宿舎寿泉荘は廃業していた。松野屋店内再撮影-R115に戻り、民家園へ。入口が分かりづらく、正規ではない裏口の脇の垣根の隙間から入場した。小生が再びそこから出る時、「入口はどこですか?」と訊く人がいた。先ほど小生も同じ事をこの場所で、さる散歩人に訊いたのだった。広い敷地なので、要所に入口の案内板を出すべきなのだと思う。少なくともこの裏口には必要な気がする。ご検討願いたい。されど、それはそれ、あとから資料を見ると有料300円の施設だった。う~む、不本意ながら不正入場をしてしまった。民家園の中で、小生は割烹旅館であるという元客自軒がすこぶる気に入ってしまった。こういう家に住んでみたい。あと、旧馬場家もいい-R115-福島市内で餃子の店・山女のノボリを撮影すべく立ち寄るが、まだ開店前だった-R13-福島飯坂IC-仙台宮城IC-帰社。
●24-25日、雑誌コード表示のミスで、シール貼りのため、午後から急遽、車3台・9人で、埼玉・東京・千葉の各取次会社へ。24日午後に山形県かみのやま温泉月岡ホテルで予定していた「おいしい山形」デスティネーションキャンペーン全国宣伝販売促進会議へ参加できず。東北道を南下、小生のグループは、埼玉県の久喜ICで上尾市に向かい、1人降りて、啓徳社戸田物流センターへ。物流営業部戸田営業課高橋敏見業務係長に会う。終了後、小生は単独で翌朝スタンバイのため、R17-上野経由-R6で松戸市へ。22:00松戸駅東口の妖しいビジネスホテル泊。小生は、こういうのは好きだけど。(25日)翌朝、啓徳社松戸営業所でシール貼り作業。松戸三郷道路を走り、R6-環七経由、日販CVS流通センター作業班に合流。終了後、R122-13:12浦和IC-仙台南IC-仙台南部・東部道路-16:10啓徳社仙台営業所着、お手伝い戴いて、全作業終了18:00、帰社。
●29日、午後から、仙台宮城IC-国見IC-飯坂温泉渓泉荘。休業日だったが撮影させて戴く-新松葉旅館に立ち寄る。新露天風呂用地を見たかったが、不在につき新刊本を置いていく-穴原温泉経由でもにわの湯に向かうが、R399は不通らしく、今回は断念-桑折町のうぶかの郷。館内客室・浴場などを気持ちよく撮影させて戴く-国見IC(東北道)仙台宮城IC。
●1日、築館IC-鶯沢鉱山資料館-細倉マインパーク前駅-金田森公園-若柳駅-くりはら田園鉄道本社・資料館。総務課長鎌田健氏らに説明を受く-迫合同庁舎にて「第2回スローライフみやぎin登米検討部会」の「スローライフをキーワードとした観光について」の講義する。13:30-16:00-町内たやまにてラーメン-R4で直帰。
●2日、R45-本塩釜駅-華夕美-女川駅-マリンパル女川-R398リアスブルーライン-雄勝町-雄勝石ギャラリー。コーヒーをゴチになる-大浜・石神社--龍沢寺-桑浜-ホテル雀島荘-白銀神社・白銀埼灯台-大須。漁港でしばし休憩・ビール-船越-名振-雄勝町中心部-県道192で石巻-R45-利府街道-会社。
●3日、[せと市]2日23:10仙台出発。福島西IC-R115-R49-会津若松-会津本郷。到着後少し取材をして1:50に仮眠。4:00から朝まだきの「せと市」取材・撮影。4:45頃に朝が明ける。流紋焼の茶碗と十文字焼の皿を購入、途中会津本郷焼資料館も撮影。7:00終了。7:40会津若松・天寧寺。近藤勇、萱野権兵衛・郡長正親子墓所。家老・萱野権兵衛の次男・郡長正は留学先の福岡県小笠原藩校・育徳館において武士の名誉のため切腹した16歳の少年。墓碑の記述に、彼を讃えたことを述べ、我が母校・豊津高校が「今日においても郡長正精神を顕彰している。以って高校教育の範とすべきである‥‥会津士魂会としても感謝に堪えない」とあり、ホッとした。8:25松平家御廟-9:30東山温泉-東山ダム-10:30会津武家屋敷前の通りで愛車オルティアが20万kmを突破する-11:15喜多方三津谷のラーメン村にて喜多方ラーメンを食べる-道の駅喜多方蔵の里-熱塩温泉・足湯-日中温泉-大峠トンネルで撮影-道の駅田沢なごみの郷-県道4号玉庭経由で飯豊町白川地区13:15-県道8号九才峠越えで小国町中心部-大宮子易両神社-ゆ~ゆ-健康の森横根-15:00道の駅白い森小国-赤芝峡-梅花皮荘・川入荘-16:00飯豊山荘。管理主任は塚原浩氏-泡の湯温泉三好荘。源泉風呂と沸かし湯の浴場。入浴したらタオルが黄変した。17:20-R113で帰途、渋滞につき手の子駅に駐車、駅前食堂で夕食後仮眠-21:00起床-R113で帰仙。
●4日、深夜、1999年秋以降、4年近く愛用してきた、沖縄で入手のやちむんのコップ割る。無念。
●6日、深夜3時まで仕事。R4-457-47で道の駅岩出山4時~9:10仮眠。鳴子温泉足湯撮影。R108で、秋の宮温泉郷。その後、雄勝町院内銀山資料館。R108で矢島町。龍源寺・天壽酒造・矢島町歴史資料館撮影。県道32で、花立牧場公園経由獅子ヶ鼻湿原。湿原を一周する。仁賀保町のR7に出る直前の県道で速度取り締まり。40kmを24kmオーバー。何年ぶりか?
R105で大内町経由本荘市の長谷寺。夕刻なれど、大仏を撮影。折渡峠を越えて、亀田・R7経由で秋田。車両進入禁止5分前に会場である竿燈大通りで撮影場所にお願いしていたビルに入る。3階窓からと、後半に道路上で撮影。土崎天下一番ラーメンで夕食。R7・101で、道の駅峰浜(泊)。
●7日、八森駅、ハタハタ館撮影後、引き返し、能代から短絡ルートで二ッ井町。給油後、クウィンス森吉。ラウルからここに赴任していた森吉町観光開発公社管理運営課長補佐の北林文明氏と話。道の駅阿仁合から遊遊ガーデン-打当温泉マタギの湯。ここからR341の松嶺トンネル北入口に出る山越えの町道を利用した。R341で鳩の湯温泉-新玉川温泉で阿部博販売課長に会う。玉川温泉-大場谷地-銭川温泉。鹿角八幡平ICから大鰐弘前IC。途中雨になる。平賀町を経由、弘前バイパス・339で、途中、弘前でコンパクトディスク256MBを購入して、道の駅鶴田を経て、五所川原市へ。商工会議所の総務課寺山慎主事と会う。立佞武多撮影。撮影ままならず、途中で事務局に向かい、撮影許可ワッペンを得て、再び撮影。五所川原(泊)。
●8日、金太郎温泉-道の駅鶴田-喜龍温泉玉ノ湯-10:10平賀駅-平賀ねぷた展示館-10:45盛美園。園主清藤茂夫氏と歓談。御宝殿も撮影させて戴く。13:00雨の中、蓮の咲く猿賀神社。道の駅田舎館で食事。14:50温湯温泉の新しい共同浴場・鶴の名湯。津軽伝承工芸館。黒石のこみせを模していることを理解する。敷地内には足湯設備があった。ここでも奥入瀬渓流温泉ホテルのように飲食サービスをすればいいのに。さいたま市の千尋嬢が絵付けをしていたので「ふんわかした絵柄には、幾何学模様を入れると引き締まるよ」といって、茶の文字をラインで囲むことを助言。余計なお世話なれど、描き入れた素直さ。落合温泉共同浴場-板留温泉-道の駅虹の湖でそばを食べる。16:40いわな村。ここは確かにいわなの村なのだが、それ以上に自然の理想郷のようだ。男のロマンの地であった。大川忠司村長と会う。意気に感じて車内に置いていた高級ウィスキー「無頼派」を置いていく。かわりにブナの水をペットボトルに給水、村長室の孔雀の羽根を3本ぶんどった。切明温泉集落民専用の共同浴場。その後、雨上がり、夕刻を迎えた十和田湖畔を走る。レークサイド山の家-発荷峠-大湯温泉-十和田-鹿角中心部。19:24鹿角八幡平IC-21:00頃金成PAで(9日)3:40まで眠り、若柳金成ICで降りて、早朝の国道4号線を走り、帰社5:00。
●9日、亘理町の鳥の海荘で、料理撮影。佐藤貴主事に応対してもらう。ヒラツメ蟹もある料理の撮影後、刺身・天麩羅をごちそうになる。館内見学。同行=佐藤えり奈。夕刻忘れ物のコンパクトディスクを引き取りに再び、鳥の海荘訪、19時でも日帰り入浴で賑わっていた。
●10日、R4-9:30桑折町旧伊達郡役所-飯坂温泉-医王寺-フルーツライン。河野果樹園で桃-信夫温泉-10:35高湯温泉。共同浴場のあったか湯撮影、吾妻屋で新しくできた露天風呂を見学、業界誌で初めて撮影させて貰う。大きな自然環境にあって、女性優位の位置に滝がレイアウトされている。設計図なしで、試行錯誤、まぁ錯誤はないにしろ、いろいろ試して職人さんが作品のように創ったもので、それがいい感じ-スカイライン・不動沢橋をしっかり撮影-13:40福島市浄土平天文台観測所長の豊島直紀氏から説明を受ける。中の沢温泉を通過-母成グリーンライン。途中強清水で水を補給。このグリーンラインはあまり見るべき景観・眺望も多くない有料道路だが、この強清水を利用すれば730円の通行料金のいくらかは取り戻せるかも。料金は南側で徴収なので、北からアプローチして引き返す場合には無料で補給できる-石筵ふれあい牧場-15:50銚子ヶ滝、17:05に入口に戻る。17:20磐梯熱海駅・萩姫まつり-本宮-R4、大河原で花火をしていた。風があるのか、花火が開いた後、性急に閉じるように見えた。21:30帰仙。
●11日、名取市の北緯40度に行くが、2日前の9日で営業を終了していた。唖然。
●19-20日、仙台南IC-福島飯坂IC-フルーツロード-9:00高湯温泉安達屋。新しくできた露天風呂は、恐らく東北でトップクラスのものであろう。小雨の中で撮る。高湯温泉はこの白濁の湯ということだけでも、既に他の温泉地よりも一歩有利-土湯温泉こけし湯-福島西IC-郡山南IC-11:00月光温泉クアハイム。専務取締役の森岡弘親氏に写真撮影の快諾を得る-須賀川IC-白河IC-ちゃぽランド西郷-雨の中で北茨城市からのキャンパーがいた。大きなまんぼうを揚げた話をきく-羽鳥湖、岩瀬湯本温泉-14:00湯野上温泉経由で、15:00~15:30きらら289。休館日だったがフロント主任の目黒敏雄氏に案内をしてもらい館内撮影-R401-昭和村しらかば荘-八町玉梨温泉。16:30~17:00せせらぎ荘でラーメン。これは美味しかった。川に面した共同浴場-金山町-17:30三島町の尾瀬街道みしま宿に立ち寄る-柳津温泉-R49を経由して会津若松ホテルアルファワン泊(20日)会津坂下、8:40に7月23日にも来た春日八郎記念館再訪。歌碑の前に立つとセンサーで唄が始まる。一本杉や北向き地蔵のある現場で「別れの一本杉」を聴くのは感慨深い。記念館はホッとさせる素朴な建物である-立木観音。先日来た時に修理中だった門の屋根修理が終わっていた。再撮影-9:00心清水八幡宮-R121-1。サンマリーナ玉庭見学撮影を快諾さる-小野川温泉小町の湯・足湯-尼湯共同浴場-独楽の里つたや。独楽絵付け体験のカップルも撮影-11:00松が岬公園-上杉記念館-米沢市博物館。総務主任の後藤利明氏に案内される-12:20赤湯温泉丹波湯-13:15ウエルサンピア山形。30分待って撮影-青春通りのいなりで沖縄ソーキそば-山形蔵王IC-笹谷IC-R286-5:30帰仙。
●21日、深夜1時出発。R48で東根、R13で舟形町まで走る。最上川傍のパーキングで、3:00~6:30仮眠。R13、舟形から短絡路で本合海、R47で、道の駅とざわに立ち寄り、古口駅前で村内バスドライバーの人から場所を訊いて、幻想の森に行く。R47から2.4km。確かにいい所だ。7:35。リバーポートで確認後、鮭川村経由で、真室川町の梅里苑。かつての館跡地の高台にある広い敷地内には、日帰り入浴施設と、宿泊施設、4棟のコテージ、蕎麦打ち体験もできる店を併設した産直施設、遊戯広場もある。産直施設でスイカ・野菜などを購入。土砂降りになる。新庄市の末広で、スタミナ(もつ)ラーメン。もつとスープを融合させることが新庄ラーメンの課題だろうな。スープに含まれるとりモツのダシの比率が問題なのだろうか?タクシー運転手氏は、末広が一番美味しいと言う。小生は、立て続けに11時の開店を催促して一茶庵支店でももつラーメンを食う。R13で天童に南下。共同浴場ふれあい荘で入浴。料金の100円というのは嬉しい。但し、湯は熱め。R48で帰仙。
●22日、錦ヶ丘アウトレットモール・蕃山撮影。名取市の東北健康スタジアムテルブ取材。店長岩城弘氏に案内して戴く。終了後、フロアで売っていた宮古島ウコン茶を購入。R4-白石IC-福島飯坂IC。JA福島ビル9Fと福島県庁屋上から信夫山撮影。R114-飯野町UFOの里。眺望のいい軽食堂でトビウオラーメンを食べる。ところでトビウオの姿はどこにあるのだ?UFOふれあい館見学。350円の入館券でUFO資料の展示、ビデオ鑑賞、荒井欣一氏寄贈のUFO関係の図書閲覧、そして2Fでの休憩、入浴の全てができるという興味深い施設だ。都会人はこの料金に驚くとのこと。そりやぁ、そうだろう。道の駅川俣のシルク館・おりもの展示館・からりこ館見学撮影。県道12号線で原町市。もりのゆ和風亭・湯多利亭撮影-R6-道の駅相馬。ここで購入した食品に不備があることに帰る途中、気付いて、帰社後、製造者に電話で直接知らせた。「お詫びに物を送る」というのを「これからも頑張って」と言って辞退した。こういう時には、施設管理者に進言するのでなく、取引停止などの措置が取られないように、直接出品者に知らせるというような配慮が重要と思われる。夕刻、帰仙。
●23日、泉IC-水沢IC-マイアミ健康センター-R4-平泉駅-一関IC-泉IC。仙台市科学館-仙台青年文化センター-地下鉄広瀬通駅通路の星座を撮影。
●24日、日曜日の夜、自宅ベランダデッキから火星観測。最接近は26日。
●30日、伊達町、カッパ王国、八雲神社、熱田神社撮影。
●31日、福島市のクリエイティブケイトの制作佐藤夏那子女子に会う。
●4日、三陸鉄道冨手淳営業開発係長、釜石市総務企画部企画課兼青少年女性室備前恵理子主事が来社。
●9-10日、8日25時とでもいうべき深夜の9日午前1時、泉ICから東北道を北へ。快走を続け、2:40岩手山SAにて8:10まで仮眠。安代JCTから八戸道へ。八戸9:30着。櫛引八幡宮境内-八戸駅-図書情報センター-観光案内所 。プラットホームで新幹線はやての発着などを撮影。八食センター休業日につき外観のみ撮影し、陸奥湊駅前の市営魚菜市場へ。八戸港観光遊覧船-蕪島12:52。蕪島はウミネコであふれていた。その後、マリエントへ。館長の林良彦氏と歓談。林氏は新潟出身の人。館内を見学・撮影。八戸ハイツ-鮫角灯台-大平牧場-葦毛崎展望台-東山魁夷「道」碑-プレイピア白浜14:25。閑かな園内を回る。高台の松の木に吊されていたハンモックでしばし休憩。白浜海水浴場。かつてここの民宿に宿泊したことがあった。海を見下ろすオープンエアスペースのある素敵な喫茶店ができていた。熊野神社-国道45号線で八戸市中心部へ。屋台村の浜ちゃんでラーメン。八戸城址撮影後、八戸センチュリーホテルにチェックイン。八戸屋台村-市街地散策。某飲食店にて、食事を兼ねて撮影しょうとしたが、撮影することを断られる。現地で判断して、新しい店を見つけることの窓口を開いておくことをしないと、いつまでも情報誌に掲載される物件が変わっていかないだろうと思われた。ら・ぷらざ亭で取材。店長は横町松男氏。食事後、満腹ながらも屋台村で八戸ラーメン。(10日)早朝4:30起床。5:24陸奥湊駅前の市営魚菜市場・朝市など撮影。茹で玉蜀黍を2本購入、八戸港へ走り、帰港したイカ釣り船を見ながら食べる。八食センター6:30。9時開店ながら、守衛さんにお願いして見学させて貰う。朝の市場の準備する独特の雰囲気があった。雨につき、史跡根城跡などの撮影を断念、八戸ICを7:14出、一路仙台へ。疾走し、9:35仙台着。10時に宮城県迫地方県事務所地域振興部の佐々木徹・高橋忠一両氏と会う。
●14日、ニコンD100で陸奥国分寺。撮影していると、交通警官がやってきて「何万画素のカメラ?」と尋ねてきた。
●16日、[東北の駅100選HP収載用取材・撮影1]ニコンデジタルカメラD100の2台目購入。同時に18~35mmのズームレンズも購入。R4-船岡駅-12:00白石駅-阿武隈川-阿武隈急行あぶくま駅・丸森町産業伝承館-13:15やながわ希望の森公園前駅-やながわ希望の森公園-14:00梁川町民美術館・太田良平記念ホールで一條利雄館長から、館内を丁寧に案内される。梁川城跡+心字の池-保原駅-15:00保原町歴史文化資料館・旧亀岡家住宅。高子沼-熊坂家塋域15:30で終了、R4で帰仙。
●17日、[ラフォーレ蔵王リゾート&スパ記者発表会・開業レセプション]8:20村田町白鳥神社-9:00遠刈田温泉で林専務にお会いする。霧の七日原牧場-9:20ラフォーレ蔵王リゾート&スパ。1。記者発表会。タマンサリ・ロイヤルヘリテイジを展開するマスティカ・ラット社モリヤティ社長同席。その後、インドネシア共和国特命全権大使アブドゥル・イルサン氏も出席してレセプション。大浴場の更衣室には小誌2003年7月号の記事「かけ流し湯の入り方」を掲示していたぞ。13:20センター浴場-壽の湯-霧の中を13:50青根温泉の名号湯共同浴場-R286-秋保温泉共同浴場-秋保の里センター-14:40磊々峡-帰仙。
●18日、仙台臨海鉄道訪問。畑中業務部長からいろいろ興味深い話を聞く。後、本塩釜駅。
●23日、[会津田島祇園祭・JRホームページ作成用撮影]22日23時仙台出発。村田-遠刈田温泉-ガスの宮城蔵王越え-七ヶ宿0:10-R113-高畠-米沢-R121大峠トンネル-喜多方-会津若松2:00-R118・121で会津田島3:00着。まつり用臨時駐車場で仮眠。7時周囲のざわめきで起床、活動開始。会津田島ふれあいステーションプラザ-7時20分から七行器行列8時50分終了。会津田島祇園会館撮影。会津出身者の美術展「風121」も見学。10:10田島出発-弥五島温泉郷の湯-塔のへつり-下郷町物産館にて蕎麦--中山風穴-湯野上温泉-芦の牧温泉-会津本郷・高田町を経由して会津坂下駅。R49・R252で会津柳津駅-柳津温泉-つきみが丘町民センター見学、副支配人杉原啓輔氏と話す。会津坂下IC近くで産直野菜を購入-春日八郎記念館-旧五十嵐家住宅-立木観音-糸桜里の湯ばんげ-山都町・やまびこにて蕎麦-喜多方-R121-米沢-高畠-七ヶ宿-R113-白石-R4-仙台。
●24日、[相馬野馬追]朝6時仙台出発。原町市8:15。相馬野馬追。町内行列、甲冑競馬、神籏争奪戦を撮影。帰途、相馬市松川浦の斎春でツボダイ定食(大)2100円。仙台18時帰着。同行=編集・佐藤えり奈+カメラ・戸澤直彦。
●25日、深夜と朝、それに26日夕方などに連続の地震。
●1日、三陸自動車道-R45で、「気仙沼市市政施行50周年記念式典」に、リアスさんりく気仙沼大使を拝命していることで来賓として参加。大使の大宮恭氏(インテリジェント・コスモス研究機構)・さかえ里美氏(歌手)と会う。終了後「みやぎ寿司海道」の取材・撮影で、松葉寿司に走るも、魚介類のネタ不足で撮影を断念。ホテルサンルート気仙沼泊。
●2日、ツツジの咲く徳仙丈山登山口まで走り、市民の森を経由して市街地へ。その後、唐桑半島の巨釜・半造、唐桑半島ビジターセンター、国民宿舎からくわ荘、御崎神社・漁火パークを撮影に回る。「みやぎ寿司海道」のため、アポを取っていた気仙沼市内の初ひろ寿司店、寿ゑ泰寿司を取材・撮影。帰りはR45をひた走り、直帰。
●3日、三陸自動車道で、石巻市へ。竹寿司、竹の浦寿司取材・撮影。石巻ハリストス正教会を撮影。石ノ森萬画館の営業課長の木村仁氏に会い、館内撮影。午後、さらに寶来寿司、寿司やっこ、亀甲寿司取材・撮影。さすがに最後の寿司は腹に入れることができず、しかし取材上どうしても味見をしないわけにはいかず、強引に包んで貰った。帰りはR45で直帰。
●4日、東北自動車道若柳金成ICから、道の駅かわさき。気仙沼市の寿ゑ泰寿司、気仙沼本吉地域広域行政事務組合に立ち寄ったあと、1日に取材断念した松葉寿司取材・撮影。R45で石巻に移動。竹の浦で寿司を正式ライティングで撮影。帰りはR45、直帰。
●5日、石巻市の鮨芳、かめ喜寿司、石巻リバーサイドホテル川彰を取材・撮影。帰りはR45-利府街道-会社。
●6日、秋田市在住の元副編集長・佐々木啓悦氏来社交歓。夕方、JR本塩釜駅長・鈴木徳男氏の写真撮影。帰りは利府街道-会社。
●7日、名取市の北緯40度で冷麺定食700円。
●20-21日、栗駒町公民館にて「くりでん五郷活性化協議会・第2回イベント実施部会」に参加。会長は工藤利夫氏、事務局は栗駒町の企画管理課・白鳥嘉浩氏。くりはら田園鉄道営業課・三浦強氏とも話す。会合後、ハイルザーム栗駒に伊藤芳美支配人と泊。(21日)栗駒高原オートキャンプ場・いこいの村栗駒を撮影し、残雪のいわかがみ平、山脈ハウス、くりこま高原自然学校、世界谷地温泉。世界谷地温泉では館内を見学、浴場を撮影。露天風呂からの眺めが良かった。ニッコウクスゲの大群落とワタスゲが咲く世界谷地原生花園を歩く。さらに愛藍人文字、細倉マインパーク、花山湖、孤雲屋敷と回り、一迫ゆり園にて町おこしユリの会佐藤孝幸氏(一迫町議会議員)としばし歓談。古川・沖縄そばにて、またソーキそば、R4で帰社。
●24日、雨降りの夜、勝山公園の桜の枝に、当日東根市のらあめんの里烏骨鶏から送られた桜桃を7粒取り付ける。後で考えると、梶井基次郎の「檸檬」のようであった。悪戯は、そのことを誰にも知らせず、後がどうなったかも一切確認しないということを良しとするのだが、翌日も寒河江からのさくらんぼを1個だけ付けた。公園整備の人に迷惑を掛けました。ごめん。
●3日、三陸自動車道・R45で仙台ー石巻-志津川。志津川町では海に面した露天風呂で人気のホテル観洋に立ち寄る。道の駅本吉経由で気仙沼に入る。到着すると、ちょうどフェリーが岸壁を離れて出航していた。残念。<どうしてこんな仕事をしている人間が、時刻表というものをを調べておかんのかなぁ?>すぐ近くの魚市場に隣接した海の市を見学して、時間つぶしをして、その次の13:30のフェリーで大島に渡る。連絡船上で、ウミネコを写真に撮ろうとしてカッパえびせんで餌付け。ようやく大島に近づいてウミネコが餌付けに慣れてくれた。後で聞くと、春先は、冬期間、人に慣れていないので、ウミネコが船に近づくことを警戒するということであった。とすると、我々はその警戒心を解く時期を早めることに貢献したことになるな。さて、大島浦の浜について、埠頭にある「おつぎや」の菊田昭子ばっぱに再会。店にはいった途端、ビールを勧められる。相変わらずのばっぱである。ホタテ・アワビ・ホヤ・ウニを食べた後、車を借してくれるというので、小亀山にちょうど咲いている御衣黄を見に行く。御衣黄とは花びらが鮮やかな黄緑色をした桜。ばっぱの孫たち3人も同行。御衣黄が5本あり、かなり高い場所に山桜とともに咲いていた。長年の夢がようやく果たせた。500mm望遠レンズで撮影したが、翌日現像して見るとしっかりブレていた。「緑の真珠・大島」こそ御衣黄の島になるべきであろうと、痛切に思ったが、大島では既に島内の大島小学校の校庭、島内一周道路・小田の浜、田中浜竜舞崎入り口道、緑のふれあい広場などに植栽したという。帰途、同行2人はリフトで下山したが、こちらは車のキーを落としてしまってひと騒ぎ。キーはリフト券売り場に届けられていて、山を駆け下りて、ギリギリ16時発のフェリーに飛び乗る。章魚などをお土産に貰う。川崎村・道の駅かわさきを経由、短絡ルートで若柳町い出て、田圃に沈む夕陽を撮影後、若柳金成ICから帰仙。同行=栗田博子・倉島周子。
●4日、名取市の北緯40度で冷麺。
●8日、仙台市泉区にある仙台市健康増進センターで撮影。前日購入したニコンの一眼レフデジタルカメラD100デビュー。早朝8:15集合、10時まで撮影。伊藤智華女史ほかスタッフが大変協力的で、スムースに撮影が進んだ。同行=住吉理恵、モデル=長橋久美子。
●9日、快晴の泉ヶ岳登山。11:00に登山を開始。リフト-水神-水神コース-1127mの頂上13:00着。これは河北新報刊「新宮城のハイキング」でEM氏がかつて取材したコース。頂上でしばし休憩。急傾斜のかもしかコース-岡沼-兎平と下り、リフト15:00で下山。帰途、水芭蕉群生地に立ち寄り、スパ泉ヶ岳にて入浴。もちろん露天風呂を撮影。帰社17:00。同行=住吉理恵+三神真澄。
●14日、米沢十湯の大平温泉滝見屋旅館の安部綾子さんから今シーズン開業の葉書を戴く。誰もが認める綺麗な字、というより、昨年7月21日に、長年の懸案だった訪問が叶い、突然の取だったけれど、、歓待してもらったことが思い出され、今回のような便りを貰ったことが更に嬉しかったのだ。夕方から国分町の居酒屋げら家で、石垣島に移住・定着した水上綾子女史の帰国歓迎会出席。
●19日、仙台市青葉区ラーメン横丁で、とりもつラーメン。
●23日、昭文社刊「まるごと東北」誌の仕事で2日ほど会社泊まり込みのあと、徹夜明けで、帰宅。爆睡後、名取市の熊野堂温泉に行き、ゆっくり入浴。夕方から国分町のげら家での女子社員送別会に参加。途中抜け出し、名古屋市A-worksの赤崎まき子社長と、あんびぇん亭で歓談。with吉田総耕。
●26日、18時24分に震度6弱の地震。社内にはほとんど被害なし。棚上から本と書類が、それなりに落ちるも、デスク周辺の散らかり様は、地震前と変わらずにつき、さして驚かず。
●3日、松島海岸駅前の観光案内所・レンタサイクルの相原商店、それに新しくオープンする「秋乃宮博物館松島」を取材・撮影。梶山秀樹館長と歓談。その後、遊覧船乗り場にて取材する。松島と塩竈の間を就航する遊覧船にフェリーを導入したらどうだろう。このマイカー時代、料金が格安であれば乗ろうという人もいるだろうけど。
●6日、国道6号を南下、福島県楢葉町天神岬スポーツ公園近くにある、しおかぜ荘と楢葉町サイクリングターミナルを見学。太平洋の眺めがいい。そして、Jビレッジのサッカーコートを撮影した後、道の駅楢葉に立ち寄る。そしていわき市海竜の里センターへ。園内で遊ぶ女の子を撮影してあげると、喜んで母親に告げていた。ほのぼの。そして入間沢鉱泉・叶屋旅館をじっくり見学。ここはのどかな一軒宿。源泉の鉱泉水を飲む。胃腸にすこぶるいいらしい。入浴でも皮膚方面に卓効という。棘が刺さった時、湯に浸けると自然に抜けてくるらしい。これは岩手県の真湯温泉でも聞いた話。こういう即効性の温泉効能リストがあると便利だね。すぐ近くのアンモナイトセンターを取材する。主任研究員の鈴木直氏から説明を受ける。とにかくこの付近は化石の宝庫らしい。親子連れが見学にきていた。いわき市街地へ向かう途中にある白岩鉱泉は大型農家のような宿。いわき駅で周辺を取材。「き饗屋」という感じのいい店を取材。これは道行く地元のジョシコーセーに教えてもらったもの。新しい店を発掘するためにはこういうことが必要だよね。き饗屋はストリートが見える2階の店。看板メニューのサラダをもっともっとインパクトのあるものに、と要望。中途半端にやるよりも、あっと驚くようなメニューが必要だと思う。もちろん美味しいことは重要だけれど、ひとりでは食べきれないような量とかで、話題になる物を作って欲しいものだ。そうすると、それを目的にその町に来るようなことになれるはず。いわき湯本温泉に向かう。湯本駅前と、夕陽に映える佐波古湯を撮影。ここから県道14号で古殿町、石川町。そして国道118号線で、乙字ヶ滝の橋を通り過ぎ、須賀川市内へ。国道4号線を横切り、そのまま国道118号線を進み、長沼で国道294号に入る。勢至堂トンネルを抜け、湖南町。国道49号線に出る前に、背あぶり高原経由の道を選ぶが、まだ積雪で不通。会津若松のホテルアルファワンに泊まる。
●7日、まず鶴ヶ城へ。場内で人力車を運行している力俥組代表の會津松五郎氏と歓談。彼の本名は磯部孝氏で、「松五郎」は無論、かつて阪妻が演じた「無法松の一生」の富島松五郎からきているはず。後日丁寧にも葉書を戴く。愛すべき好人物。会津はこういう人に支えられている。さて、場内にある茶室麟閣では、ちょうど例会の茶の湯が行われていた。受付の女性もいい人だった。その後、会津若松から、国道49号を東に向かう。快晴なので、猪苗代湖北岸の世界のガラス館・地ビール館を撮影。郡山駅から開成館、安積歴史博物館へ。この両館ともに月曜日で休館だったが、撮影はばっちり。三春に向かい、ガーデンファームへ。園内のイチゴ狩りドームで、苺を少しだけ試食。レストランのバイキングは食材だけでなく、雰囲気も良くて、これはカップルできても、自慢できる施設だわいと思う。斉藤の湯の2軒の宿を経由して、三春の里田園生活館へ。のどか。ここには宿泊施設の他、里の湯という日帰り入浴施設がある。産直品売り場で買い物。町中に向かうと、県道144号線と磐越道が交差する真下で速度取り締まりをしていた。常襲ポイントかな。これを無事通過して三春町内へ。ガソリン給油後、郡山東ICから帰仙。
●9日、仙台市内の飲食店いざな、伊勢屋、エスパル、和火一を取材。特に和火一で食べた竈炊きのご飯は美味しかった。店内の雰囲気もいい。カメラは加藤タケミ氏。
●11日、朝、仙台駅屋上から駅前の景色を撮影。午後、出直して仙台駅ビル1階のDila各店の取材をする。
●12日、山形市中心部の趣のある喫茶店・四季彩茶館に立ち寄った後、南陽市の地図現況の調査。ホテルアルファワン米沢に泊まる。
●13日、南陽市の残り調査。川西町から長井市、白鷹町へ向かう。白鷹町では、桜が咲きそうな「あゆ茶屋」で、最上川の向こう岸に渡されたロープに吊されたたくさんの鯉のぼりを撮影。その後、大江町大井沢トンネル不通につき、稲沢山・尾畑山の短絡路を利用して西川町の国道112号線へ出たあと、月山ICの南にある大井沢地区まで走る。そして帰途、天童市のわくわくランド界隈に立ち寄り、国道48号線で帰仙。
●15日、昼食時、仙台市内会社近くの勝山小公園にて花見ランチ。16日も同様に昼食時、榴ヶ岡公園にて花見ランチ。露店も出ていて大変な賑わいだった。カラオケを唄わされている輩もいた。新入社員のよう。両日とも、同行=佐藤えり奈・住吉理恵・川原由香・三神真澄。
●17日、東京、昭文社へ出張。2度目。朝から夕方まで。制作本部旅行書編集部正木聡部長、制作本部地図編集部前田一昭次長、制作本部旅行書編集部編集二課田島健主幹、吉田裕之課長、堀井千夏主任、星亜矢子・田村亮スタッフに会う。行きはタクシー、帰りは東京駅まで歩いたぞ。
●21日、たざわこ芸術村営業担当小澤威氏に会う。氏は江別出身。
●26日、雨から曇という日だったが、東北道で北へ走り、かんぽの宿一関を見学。道の駅厳美渓に立ち寄り、ポラーノへ。ここは地元の食材を使用した手作りアイスの店。ブルーベリー・ゴマなど40種類以上のアイテムがある。その後、一関ICまで戻り、秋田道で秋田市へ。まだ改築中の秋田市民市場を撮影。その後、秋田駅前から、カフェメリクリスマス、ニューたけやを取材。カフェメリクリスマスは店内に全国チェーンのクレープの店・Dipper Danがある複合店舗。ニューたけやは秋田の老舗食堂で、レトロ昭和30年代という感じ。メニューも大衆的。高校の同窓会などでよく使われている。取材した時も4人の年配者が、食事をするのでなく、コーヒーで喉を潤し、一休みしてしていた。コーヒーアキタパークホテル泊。
●27日、この日は曇から晴。秋田駅前から発車する「秋田藩ぐるり市内観光バス」の今年度の1号車を撮影。その後、国道7号線を南下して、道の駅岩城・オートキャンプ場へ。750kwの風力発電の白い風車が眩しかった。しばし取材・撮影。場内には、日本海を眼前にする立派なコテージ5棟がある。コテージに泊まって、道の駅で売っている食材を使って食事を作るのもいい。1棟宿泊は1万2千円、連泊の場合の日中使用は2千円。日帰り入浴施設は温泉なので、ひがな一日のんびりするのも、いいね。ここは新しいログハウス風のレストランを建築中だった。日本海東北道岩城ICから秋田道協和ICまで走って、国道46号線で角館へ。途中渋滞していたため、しかるべきショートカットをする。桜は満開だったが曇りにつき軽く撮影。桧木内川土手の桜並木を横目で眺めながら、角館駅へ。それから、抱返り渓谷横の県道257号線を通って金峰神社へ。ここはもったいないほど立派な神社で、これから注目される存在かも。とにかく参道の杉並木が凄い。田沢湖駅のフォレオクを経由して、国道46号線で盛岡へ。マリオスの最上階から盛岡市街地を撮影。その後、駅正面に回り、カプチーノ詩季を撮影。ぴょんぴょん舎で昼食。もちろん冷麺。700円。店内を観察すると、若い観光客らしき人たちが多かった。そしてホテルメトロポリタン盛岡ニューウィングの1階にあるクローバーを撮影。スタッフは流石に感じよかった。その後、東北道盛岡ICから疾走して、花巻へ。その甲斐あって新花巻駅にある観光案内所の終業時間にかろうじて間に合う。イギリス海岸を見て、山の端に沈む夕陽を望遠で撮影。仙台までひたすら国道4号線を南下、帰仙。
●28日、晴天。山形駅前を撮影。改札口正面の山形駅観光案内所にいる藤本嬢はとてもいい人。「藤本さんて、いい人ですね」と、わざわざ言いたくなるような。こういう人がその県の玄関窓口にいるのは山形県の誇りだよね。冷麺・焼肉のさくらで冷麺ランチ。冷麺は700円。ここは盛岡冷麺の流れで、美味しい。情報ではすぐ近くの焼き鳥の「そね田」が美味しいらしい。喫茶マロンはいにしえの喫茶店。コーヒーは本格派だが、ファストフード流行りの近年の状況では大変だよね。山形駅西口の霞城セントラル24F紅花楼。料理長・加藤和弘氏から説明を受ける。高級でもあるが、あんかけそば850円などのメニューもある。休憩的時間で、スタッフが楽しそうに賄い料理を食べる声がした。冬の時期、窓の外に降る雪が美しそう。1階にあるレストラン喫茶の霞城ミコノスは、ギリシヤ人のコック、バングラディシュ人のウェイター、日本人の店長と、国際色豊か。最後に、やまがた観光情報センター撮影。国道286号線で帰仙。
●29日、緑の日。名取市の北緯40度で冷麺。700円。10のつく日は500円。「東北レジャー情報」1995年11月号の記事が相変わらず掲示されていた。ちょっとページが色あせていたかも。でも、ここの冷麺は東北でも一級品だ。盛岡・山形・宮城の三大美味冷麺を3日連続して食べたぞ。
●1日、福島県相馬市の愛すべき松川浦エリアに、またまた行く。何度も通っている、相変わらずの「斎春」で昼食。店頭で串に刺した魚を焼いている。「ツボ鯛定食」1800円と、「刺身定食」2000円。美味しさに騙されるが、1回の食事料金としては、高い部類に入るかもと思う。でもこんな風な食事処があちらこちらにあるといい。そこに行ったら必ずここで食べるというような店、そこで食べるのが目的になるような店が、東北の各地にできると嬉しい。この斎春は、友人にも口コミで伝えて、その輪が広がっている店。今年も、イチゴ狩りに相馬の地元の和田観光いちご園に出かけて、昼食は斎春というのを定番コースにしてくれている。好評。食事後、すぐ近くの「水産物直売センター」へ。ズワイ蟹がいっぱいだったが、値段が表示していない。これでは買う気になれない。どうもこういう商売の姿勢は客の立場ではないような気がする。国道6号線に戻ると、中野交差点から新しい道が西に延びていた。いつ開通したのだろう?国道115号線を西に向かい、残雪の霊山町でアイスクリームを食い、途中きまぐれに県道149・31号線を北に走り、梁川町から白石市に抜ける。初めての道を走るのは、とにかく楽しい。白石から国道4号線で帰仙。
●2日、仙台市南部にある富沢遺跡「地底の森ミュージアム」を見学。入口がわかりにくく、左手の2つのドアの右を開けるとトイレだった。そうか、それで、男女のイラストが描かれているのか?正面の、出口のような入口に向かう。カウンター嬢に、入口が紛らわしいことをしっかり告げたあと、じっくり見学する。
●5日、仙台市内の観光施設を走行しているバス「るーぷる仙台」がらみの撮影。仙台駅前バスプールから瑞鳳殿へ。伊達家34世19代当主の伊達泰宗氏在館で、撮影の申し込み文書を提出。それから仙台城へ。市街地などをからめて1000mmの望遠撮影。宮城県美術館内のレストラン・サリックスにて昼食。アリスの庭を撮影。同行=住吉理恵、三神真澄。
●8日、山形道で途中雪か事故かで、笹谷トンネルを抜けると通行止め。関沢・山形蔵王間は国道286号線を走行した。月山ICから雪の月山道路を越えて、鶴岡へ。街中はこの時期、積雪がないのが意外だった。鶴岡駅の観光案内所で調査。案内所の人はとても親切で、好感を持てる。宇都宮市から来た観光客のご婦人3人を市役所付近まで乗せて行く。彼女らは早朝宇都宮を発って、本日中に帰宅。明日は信州の須坂に行くという。精力的。鶴岡公園にある「雪の降る町を」モニュメントを撮影。鶴岡はこの歌の舞台で、雪がよく似合う城下町だよ。近くを散歩している地元の人に碑の所在を訊いてもわからなかった。こういうことはよくあること。次に、鶴岡の商人・風間家住宅の丙申堂を見学。管理する人は、そこに長年勤めていた人物で、会社をとても愛していたことが感じられ、嬉しかった。石置きの屋根を2階の部屋から見る。珍しい。素朴でもある。何度も鶴岡を訪ねたが、この丙申堂は初めてだった。素敵な建物で、庭園も美しい。玄関先で降る小雪が建物に似合っていた。帰りに富樫絵ろうそく店で撮影をさせてもらう。国道7号線で酒田駅に移動。大来軒で中華そば。旧鐙屋を見学・撮影。相馬樓を時間をかけて撮影。丙申堂・旧鐙屋・相馬樓はいずれも庄内雛街道の取材でもあった。相馬樓も飛び込み取材になって失礼した。いつもだけど。でも、担当の人は好意的だった。駐車場整理の人も同様に好人物。三日月軒で中華そば、それから酒田バイパスの店舗で時間を潰し、お腹が空くのを待って満月でワンタンメン。これほどしつこく酒田でラーメンを食べたのは、酒田で「庄内小僧」という雑誌を発行している「コミュニティ新聞社」の相原久生女史から、別冊新刊本の「庄内ラーメン小僧」というラーメンの本で「酒田ラーメン」について原稿依頼があったため。味などを、もう一度しっかり確認しておきたかったからで、その文章は次の通り。掲載誌に断ることなくここに再録。「酒田ラーメンは「日本5大ラーメンのひとつ」と地元ではいう。 ところで、世の中はインターネットの時代である。まだまだ成熟はしていないもののインターネットは情報を入手するツールとしては有用である。では、酒田ラーメンの認知度はどうかといえば、試してみると分かるが、サーチエンジンで検索される結果は、わずか3桁で、他の4大ラーメンとは2桁以上も違うのである。和歌山・佐野ラーメンは無論、荻窪ラーメンにさえ、差をつけられている。東北でいえば白河ラーメンや十文字ラーメンの方がずっと多くヒットする。 もちろん、その検索数だけで、人気や美味しさ、知名度がすべて判断できるわけではないことは承知しているが、「酒田ラーメン」に宣伝方法だけではなく、接客はじめ、まだいろいろな課題があるのは確かだろう。もちろん、そんな中にあって、酒田ラーメンは頑張っている。開設されている「酒田のラーメン」の公式ホームページを見ると、ラーメンへの思い入れがよく理解できる。地元で取り組むラーメンラリーや、マップなどは、いろいろ食べ歩きたいという思いにさせるし、「うちの店に(だけ)来て」というのでなく「酒田に来てラーメンを食べて」という姿勢が、将来の酒田ラーメンの成功を予感させる。課題の一つ、というより根本的な問題、それはもちろん「美味しさ」である。「酒田ラーメン」の傾向は、ニボシ・コンブなどから採った、すっきり醤油味の澄んだスープと、コシの強い、歯ごたえのある細麺にチャシュー、メンマ、ねぎというベーシックな具は、いわゆる「中華そば」である。 そして「それぞれの店の味を統一するのではなく、もっとその味の旨味を引き出し、もっと美味しいラーメンを作ろう」と考える会のホームページはいう。そういうコンセプトであってもいいと思う。自家製麺比率80%という高さも、酒田ラーメンの特徴のひとつになっているのであれば、麺のうまさ、スープの美味しさを追求することの要素は十分に自らの手の内にある。だとすると、「ひさしぶりに田舎から買い物に出てきて、酒田の街でごちそうのラーメンを食べるのが楽しみ」といわれるように、酒田ラーメンには、この食の危機・飽食の時代に、現代の真のごちそうという存在になってもらいたいのである。」「庄内ラーメン小僧」というのは、「3年半の間に集めたラーメンの情報を詰め込んだ1冊です。鶴岡方面、酒田方面合わせて70店のいちおしラーメンを紹介しています。山形県内のご当地ラーメンや、読み物も充実」とのことです。1200円。その後、国道112号の月山越えを避けて、国道47号線ー新庄尾花沢道路ー国道48号線ー作並と走る。仙台帰着は22時30分。
●18日、秋田県雄勝町にある秋の宮温泉郷の鷹の湯温泉外観を見学。10時から稲住温泉にて、松田忠徳氏(札幌国際大学観光学部教授・旅行作家・翻訳家・モンゴル国立大学文学部客員教授・季刊「温泉主義」編集長)の講演会。「東北レジャー情報」誌を参加者に贈呈。予定の12時を遙かに過ぎ、13時30分の、飛行機の搭乗時間アクセスぎりぎりまでの熱弁。熱心にメモをとる。松田氏の精力たるや、日本の温泉の歴史を変えてしまうかも知れないと思わせる。講演会後、秋乃宮博物館に寄り、見学。温かいソーメンをゴチになる。帰途、東鳴子温泉の宿「みやま」を見学。ご主人の板垣幸寿氏は頑張り屋さん。お風呂も良かった。みやまの前の田圃の道は「風の道」というそうで、ネーミングが素敵。古川市まで走り、またまた「沖縄そば」にてソーキそばを食して帰仙する。同行=早川真理。
●23日、宮城県名取市の熊野堂温泉に入浴。いつものように全く空いていて、のんびり浸かる。浴槽は4つあって、その内3つを使用。本当に愛すべき温泉宿だ。ここは日帰り入浴料500円だが、東北レジャー情報のクーポン券があると無料で入浴できる。実際、一度それを使ったことがあるが、快く受け付けてもらえた。ここの男性用浴場から見ると、窓外の杉の木が、もう少しで鮭川村にある「トトロの木」のようになりそうで、惜しい。頼まれれば、登って剪定してあげたいくらいだ。もちろん、所有者の許可をとってからだけど。そうすると、これは話題を呼ぶ温泉宿になるはず。
●29日、白石市まで走り、帰途、柴田町の大陽の村に寄る。高台は白石川方面の眺望が凄い。ここはファミリーで遊べる超穴場かも知れない。
●7-10日、午後から実走調査。上山-南陽赤湯温泉。ホテルアルファワン米沢泊。(8日)実走調査。赤湯温泉-高畠町北部。上杉雪灯籠まつりを少し眺める。東横イン米沢駅前泊(9日)小雨。実走調査。高畠町-川西町-南陽。宮内温泉泊(10日)南陽残り宮内地区。バス停調査のため白鷹-長井-飯豊-高畠と回り、高畠町役場観光課に立ち奇る。15:20終了、七ヶ宿-宮城蔵王-遠刈田-村田経由帰仙台。
●13日、仙台市内グルメ撮影。東家。
●23日、仙台市農業園芸センター。北緯40度で冷麺。
●26日、昭文社嶋尾通編集顧問に会う。氏は主婦と生活社編集長。
●12-13日、R48-R287経由で長井市中心部残り、飯豊町のマップ実走調査。積雪につき長井市文化会館で脱輪、ジャッキアップ。赤湯温泉とわ湯に夕方入浴。あずま湯より広くて快適。BHシンシア泊。(23日)調査続行、川西町・南陽市。宮内地区で16:00終了。R13-上山-山形-R286で帰仙。
●14日、大船渡地方振興局の大越俊也氏と、仙台駅東口ちばき屋で支那そば。美味しい方だが、70点ってとこ。2002年末放映の日本テレビ「ラーメン99」では7位(もっとも江戸川区の店)に入っていた。ちなみに東北地方は、34位名取市ちょうちん亭、35位弘前市ねぷた村、65位仙台市五福星、66位利府町本竈、75位南陽市龍上海、90位十文字町丸竹食堂ってとこ。いかに網羅していない番組かがわかるねぇ。
●17-18日、気仙沼にて、リアス写真コンテスト審査、ホテル観洋泊(18日)岩井崎マリンひので訪問、午後から写真塾。
●20-22日、水沢-ぽらん-住田町世田米-五葉温泉しゃくなげの湯っこ-尾崎岬-さんりくお魚センター-玉山温泉玉の湯荘泊。(21日)氷上山林道-フレアイランド尾崎岬-長崎海岸-綾里-不動滝-遊YOU亭夏虫-オーシャンビューホテル丸森-碁石海岸-こんの直売センター-道の駅高田松原。15:30からの「気仙地区観光振興シンポジウム」(前回2004.7)に、講談社公告局駒井信行・編集者西妙子両氏とともにパネリストとして参加。会場のキャピタルホテル1。泊。(22日)オートキャンプ場モビリア-黒崎仙峡-石浜海岸-道の駅、気仙沼-金成-仙台。
●21日、仙台市青葉区上杉6-8-20から仙台市青葉区上杉6-8-28-2Fに会社移転。わずか3軒隣りだぞ。だけど大通りに面することになった。
●26日、仙台南IC-東北中央道上山IC-R13。晴天・積雪の中、南陽市のマップ実走調査。金山地区のかねいち食堂で味噌ラーメン-熊野大社は賑わっていた。17:00赤湯温泉とわ湯に夕方入浴。七ヶ宿-白石-R4で帰仙。
●27日、気仙沼本吉地域広域行政事務組合主催「第14回リアス四季海岸観光塾」に北上町佐藤清吾氏とともにパネリストで参加。講演・助言者は新潟市のえにし屋清水義晴氏。コーディネーター=誉田和子女史。
●1日、仙台市若林区沖野に転居。
●4日、松島グルメ撮影。田里津庵、独まん。
●5日、仙台市内グルメ撮影。ルグレン。
●6日、撮影。塩竈、はなのや、やま登でオーナーの畑中真由美氏に挨拶。松島、田里津庵建物、まぐろ茶屋、独まん、ラメール、松島地区漁業組合かき直売所、引き続き奥松島の南風館を撮影。
●7日、撮影。松島、松島かまぼこ本舗。仙台、松澤蒲鉾本舗、鐘崎一番町店、仙台駅前界隈、エスパル地下、グリルマスコ、三越フードガーデン。
●14日、光のページェント観賞後、閖上浜に双子座流星群を見に行く。流星を1個目撃。土星と木星を観測。
●15日、邦画「たそがれ清兵衛」観る。清兵衛の凱旋時、もう少し盛り上げても良かった。
●17日、撮影行。山形道-マークスイン山形-ホテルメトロポリタン山形-霞城セントラル遠望撮影-山形美術館-山形グランドホテル-山形県物産館-八文字屋書店-ウェルサンピア山形。いなり青春通り店でソーキそば。山形県観光物産会館-蔵王温泉よねや百貨店-西蔵王高原ライン-R286-仙台。
●20日、早朝6:15発、R48-R287経由で白鷹町南部・長井市北部のマップ実走調査。長井市古代の丘資料館休館なれど見学、縄文そばを食う。洞雲寺近くの上大石地区山中で鈴木清松夫妻と遇う。里山気分。16:30終了。帰途、赤湯温泉あずま湯入浴。100円。七ヶ宿街道-白石-R4で帰仙。
●22-23日、7時出発、R48-R287経由で長井市東・南・西・北西部のマップ実走調査。壱麺にてラーメン。BHシンシア泊。(23日)調査続行、長井市街地に至る。舟越で蕎麦。主人がかつての本誌35号「グルメ」特集号を見せに来た。中心部少し残し16:10終了。帰途、赤湯温泉あずま湯に再度入浴。七ヶ宿街道-宮城蔵王-村田経由で帰仙。
●17日、仙台市内グルメ撮影。うな貴、祥発順、伊勢屋。
●18日、仙台市内グルメ撮影。カレーショップ酒井屋。
●19日、仙台市内グルメ撮影。アメリカングリル。
●20日、仙台市内グルメ撮影。大原。渋谷公洋料理長の説明。明ぼ乃、栄ちゃん。
●21日、仙台市内グルメ撮影。お多福、新富寿司、BB2。夜、国道4号交差点赤信号停車中に追突される。
●22日、仙台市内グルメ撮影。あづまや、和喜、蔵。
●25日、仙台市内グルメ撮影。ボートン、ニュー韓一。
●26日、仙台市内グルメ撮影。仙魚洞、仙台藩。
●27日、仙台市内グルメ撮影。蓑寿司、魚長、まるまる鮨、康正庵、巨砲。
●2日、仙台。ラーメン横丁で、とりもつラーメン。以後、度々通う。
●17日、仙台。ニューカプセルホテルリーブス撮影。
●9日、東京都港区JAS機内誌アルカスの小野年夫編集主任に会う。
●11日、仙台市内、「仙台たべなび」で料理撮影。市街地の餃子の天ぱり・肴や、泉区の松月。同行=丹羽。
●12日、秋田県皆瀬村山神社祭典取材・撮影。湯沢市世界ダリア園。湯田町マップ実走調査。
●13日、仙台市内、「仙台たべなび」で料理撮影。長町のひがしやま、仙台バイパスきらら寿司。同行=丹羽。
●14日、マップ実走調査、湯田町-沢内村南部-帰りに古川で沖縄そば。
●15日、早朝5時出発、花巻南温泉峡奥部マップ実走調査-豊沢ダム-道の駅鹿角あんとらあ-鹿角市尾去八幡神社大森大権現
舞、直来をご馳走になる。マインランド尾去沢-藤里町根城豊作相撲、斎藤寿胤氏に遇う。帰途、森岳温泉。
●16日、北上市和賀地区マップ実走調査-夏油温泉-平泉前沢から戻る。
●22日、仙台国際ホテル前のラーメン横丁で、とりもつラーメンエ650を食う。しっかりとしたとりもつと、野菜がいっぱい。しかし新庄のもつラーメンとは無関係。
●この月、休暇村協会営業本部広報部矢田泰裕部長に会う。
●2日、午後から中山平阿部ファームへブルーベリー農園の手伝い。摘み取り・種別分けテープ付けなどをする。帰りに遊佐守氏宅に寄る。鳴子温泉共同浴場滝の湯入浴。古川沖縄そばでソーキそばとゴーヤチャンプルーを食べる。同行=佐藤なほ子+大場夕子。
●4日、7時仙台出発、中山平鳴子峡上流の川原・橋梁下で8:50から麻雀。13:40から阿部ファームでブルーベリー摘み取り手伝い。夕刻帰仙。メンバー=吉田総耕・高橋一光・今藤祥信。
●6日、仙台七夕の渋滞を抜けながら、夕刻、遠刈田温泉まで走り、センター浴場入浴。
●7日、みちのくプロレスのザ・グレート・サスケ氏来社。
●17日、秋田-大潟村-能代風の松原-峰浜-八森-深浦ウェスパ椿山-鰺ヶ沢海の駅-森田道の駅-ジャスコ柏。R101を再び引き返して、鰺ヶ沢-深浦-黄金崎不老ふ死温泉露天風呂・五能線列車撮影-能代-秋田。
●18日、鳴子町中山平ブルーベリー園(遊佐・高橋・関・阿部各農園)訪問。
●22日、小野田町オリザの森+ふみえはらはん-迫町あやめの里-迫町フートピア公園。
●11日、昼、名取市・熊野堂温泉入浴。午後、ホテル仙台プラザにて、東北地域国際観光推進協議会第2回通常総会参加。記念講演「アジアからみた東北の魅力」(砂原泉氏:TAC日本旅遊取締役営業部長)を聴く。
●13日、深夜3時出立、4時亘理町鳥の海で車中泊。8時過ぎ、相馬市松川浦へ。斎春にてツボダイ定食を食べる。50代突入の日、ささやかなミニドライブ。
●21日、早朝4時出発。宮城蔵王-七ヶ宿町長老湖畔で6-8:30仮眠。七ヶ宿街道-稲子-R399鳩峰峠-高畠-米沢-大平温泉で入浴-白布温泉-吾妻軒で蕎麦-新高湯温泉-小野川温泉-かみのやま温泉-山形市-笹谷トンネル-渓流ラーメン-仙台。
●27日、8:30仙台出発。鳴子町阿部誠志氏のファームでブルーベリー狩り、遊佐守氏にも会う。新庄市一茶庵支店でもつラーメン。R47を西に走り、清川から八幡町玉簾の滝、鳥海高原の新しくなった湯の台温泉鳥海山荘見学。月の沢温泉、羽黒山経由で、R112、R287、R48-仙台。同行=栗田博子。
●28日、10:58仙台出発。山形、南陽経由、川西町。掬粋巧芸館・遅筆堂文庫・浴浴センターまどか・ダリア園、サンマリーナ玉庭、玉庭地区雪まつり、フォレイクいいで、白川温泉、源流の森。道の駅いいで、赤湯温泉共同浴場あずま湯入浴-R113-白石-R4-仙台。
●29日、昭文社デジタルコンテンツビジネス本部インターメディア編集部国内情報課小林真樹主任に会う。
●5日、残雪わずかに残る宮城蔵王の山を眺めながら、快晴の早朝、遠刈田温泉・センター浴場入浴。午後、宮城学院女子大学食品栄養学科1年生見学実習で来社。「取材テーマ」グループ=佐々木愛・阿部菜津子・内田由希子・浅田恵美・大内智香子。
●6日、再び古川市に沖縄そばを食べに行く。同行=栗田博子+倉島周子。
●16日、臨増ドライブ土曜日(15日)午前校了後、爆睡。日曜日午後、熊野堂温泉入浴。亘理町鳥の海に太平洋を見に行く。
●21日、岩手県総合交通課谷地誠総合交通主査、大船渡商工観光部商工港湾課金野好伸港湾運輸係長、大船渡地方振興局企画総務部企画振興課滝澤裕司主事・産業振興グループ高橋孝典主事、三陸鉄道太田敦営業課係長、
●22日、新庄市役所前の一心亭で「とりもつラーメン」。モツとラーメンが別仕立てという感じがした。
●27日、「仙台はなもく七三会」で講演をする。演題「変わる東北の観光地図」。会場=ホテルメトロポリタン仙台。夜、石巻市の友福丸へウニ丼を食べに行く。あん肝風カニみそと、焼いたすくも蟹も美味しかった。同行=栗田博子+倉島周子。
●1日、秋田協同印刷関谷嘉章総務部長に会う。
●16日、日中、名取市・熊野堂温泉入浴。夕方、古川市に沖縄そばを食べに行く。同行=沼沢大典。
●24日、安比高原広報宣伝部の湯下道雄ディレクティブマネージャー・太田代敏彦マネージャーに会う。
●29日、宮城学院女子大学食品栄養学科1年生見学実習で来社。「編集テーマ」グループ=郷家真由美・小野祐紀子・佐藤郁美・脇山瞳・海野理恵。
●6日、仙台あおもり応援隊例会出席。青森観光コンベンション協会佐藤廣美課長・工藤正之係長と再会。佐々木誠造青森市長も出席。JTB東北の菅原実総務課長らに会う。応援隊員の仙台市青葉区大町の大和電設工業の斎藤健代表取締役社長にも会う。
●12日、涌谷町わくや天平の湯-志津川町さんさん館、袖浜民宿天王前泊。(13日)志津川町農林課にて打ち合わせ。
●18日、リアスさんりく気仙沼大使に任命される。(任期:~2006.3.31)
●29日、春暁、蔵王連峰の山の端に沈みかける、霞の満月を追いか けて遠刈田温泉へ疾走。センター浴場入浴。
●この月から、「リアスさんりく気仙沼大使」になる(後に、「みなと気仙沼大使」に名称変更・~2014.3)。
●1日、仙台市内パレス宮城野にて、宮城県・みやぎ都市農村交流推進会議主催「みやぎグリーンツーリズムフォーラム」にパネリストとして参加。講演は恵庭市立図書館中島興世館長。パネリストは他に、宮城学院女子大学平本福子教授、伊豆沼ハムソーセージ伊藤秀雄社長、山川牧場山川喜市オーナー。
●4日、松島町の南部屋にて料理撮影。蜂谷和弘オーナーと話。
●6日、 中山平温泉観光協会・旅館組合で「温泉と地場産品を活かした観光地づくり」と題して講演する。佐藤仁一岩出山町長、中田健一鳴子町総務課長、鳴子パールホテル佐藤良市専務、仙北新聞社坪江好彦記者、鳴子町ブルーベリー生産加工組合阿部誠志組合長、あら伊達な道の駅中鉢秀逸社長らに会う。仙庄館泊。
●9-10日、青森県体験ツアー2002懇談会参加。
(8日)ホテルネオパル青森泊。
(9日)この日、青森県商工観光労働部小林正基次長、文化観光推進課長崎茂樹総括主幹と小笠原裕課長、青森県公営企業局総務課古跡健将主査、青森市間山良輔観光課長、社団法人青森観光コンベンション協会櫻田稔常務理事、誘致支援課佐藤廣美課長、工藤正之係長に会う。参加者は入間ケーブルテレビ営業第二課青木宏明課長、昭文社デジタルコンテンツビジネス本部インターメディア編集部編集一課原郁美女史、品川区のJTB出版事業局るるぶ編集部情報管理課今玉利琢郎課長(熊本県出身)、渋谷区ジェイアール東日本企画JR局第五部トランヴェール編集部相原勝広氏、新宿区の自由プレス取材記者鈴木巌氏。青森空港-八甲田ロープウェー-八甲田ホテル-酸ヶ湯温泉。ここでは小野寺有一常務取締役に会う。彼は八甲田ホテルの取締役総支配人でもある。三内丸山遺跡-浅虫温泉海扇閣泊。浅虫では道の駅浅虫温泉蝦名満駅長に会う。
(10日)この日、青森県観光物産館アスパム・青森県産業振興協会五十嵐憲一係長に会う。青森国際ホテルで懇談会-みちのく北方漁船博物館。ここでは角田均総務課長、西村美香学芸員と会う。青森市森林博物館-アウガ。帰途盛岡ICで一時降りぴょんぴょん舎に寄る。
●13-16日、十和田エイトライン観光協議会中央報道機関との懇談会参加。
(12日)三沢市・パークホテル泊。
(13日)三沢市経済部商工観光課池田敏課長、古田清孝課長補佐、エフエム入間放送小林宏純放送局長に会う。三沢空港-青空の下、小川原湖ワカサギ釣り、釣果20匹-えび蔵で白魚の躍り食い-十和田市称徳館-道の駅奥入瀬ろまんパーク-十和田湖冬物語-奥入瀬渓流グランドホテル泊。
(14日)十和田湖遊覧船-奥入瀬渓流-奥入瀬温泉渓流ホテル-湯治の宿おいらせ-白鳥餌付け-新渡戸記念館-古牧温泉泊。十和田市経済部大川晃部長、商工観光課久保田博衛課長補佐、高松幹主事、今泉卓也主任主査、富士火災海上保険横田雅巳取締役店長、新郷村商工観光課滝沢和泉課長補佐、日本エアシステム阿部幹夫八戸営業所長、るるぶ編集部編集三部佐藤祐次氏に会う。また古牧温泉では杉本正博専務取締役、杉本重行専務取締役、常務取締役沼田昭宏秘書室長、田口清孝専務取締役、斎木光博東京営業所長、米沢幸男顧問、奥入瀬渓流温泉青山荘苫米地肇副支配人に会う。
(15日)渋沢邸-小川原湖民俗資料館-道の駅とわだぴあ-十和田市吉兆で桜鍋+馬刺-寺山修司記念館-斗南藩記念観光村-三沢空港。八戸に移動、マリンプラザ八戸泊。
(16日)新むつ旅館取材・撮影-仙台。
●16-17日、夕刻仙台出発。磐梯高原民宿えんどう泊。(17日)桧原湖でワカサギ釣り、釣果4匹。スノーモービル遊び。一行は今藤祥信、塩ゆかり、西丸幸恵ら7名。
●この月から、仙台あおもり応援隊に参加する。
●16日、小野田町薬莱エリアmap実走調査。やくらいウォーターパークに寄り、西塚敬悦主任に会う。やくらいハイツ-やくらい山荘、雪原でスタック。助けを乞いに駆ける。ウォータープール-土産センター。
●19日、三本木・古川・田尻・瀬峰・高清水・岩出山・中新田・色麻・小野田・宮崎の10箇所の市町訪、図面入手。宮崎町陶芸の里・再び薬莱エリアのmap実走調査。
●20日、早朝、遠刈田温泉センター浴場入浴。
●22日、松島-志津川さんさん館にて、平櫛賢治氏+支配人佐藤利昭氏と会う。農漁家レストラン慶明丸-ペンションオーイング訪、雄勝町-女川町経由帰仙。 夜、遠刈田温泉センター浴場入浴。
●23日、山元-相馬松川浦-鹿狼温泉-丸森-角田。
●31日、[海ほたる・いわき田人滞在]→2002.1の項目へ
●この月、休暇村那須の営業兼管理課長の五十嵐一夫氏と会っている。
●9日、天童温泉つるや。
●16-17日、微温湯温泉-松田肖子女史個展(斎藤隆画伯と再会)-飯坂温泉なかむらやにて夕食会。福島市渡利の信楽社梅津喜雄氏に会う。-新松葉旅館に投宿。芳賀勇夫氏・旧同僚氏と交歓。17日、帰仙。
●20日、未明出発、磐梯吾妻スカイラインの料金所をノーチェックで通過、その先にある駐車スペースにて星空撮影後、3:30仮眠。8:15起床-レークライン-中津川渓谷沿いに遊歩道をを歩く-猪苗代湖西岸-湖南-三森峠-休石温泉・源田温泉見学-R4-仙台。
●22日、早朝、遠刈田温泉センター浴場入浴。
●27日、作並温泉湯の原旅館、昨日に引き続き露天風呂撮影-河北町いろはで冷たい肉そば-紅葉の朝日鉱泉に向かう-大朝日岳登山口のひとつである古寺鉱泉で入浴-柳川温泉。
●30日(-11月12日)九州。
●6日、ペンションたんぽぽ清水オーナーと交歓。帰途、遠刈田温泉にて入浴。
●23-24日、道の駅象潟。山田勝四郎支配人、清野豊氏総務課長に会う。酒田北港-いこいの村庄内-由良海岸-波渡崎温泉の雷屋泊、夕陽撮影。(24日)早朝あつみ温泉朝市撮影-温海岳に登る-鶴岡市内-藤島町-漬物の里-玉川寺-筍沢温泉-北月山荘-休暇村羽黒-仁賀保町平沢海岸で夕陽撮影-秋田。
●この月、休暇村サービス営業部砂田省三部長と会う。
●11日、中山平ふきゆ荘-遊佐農園にてブルーベリー狩り-新庄にてモツラーメン-肘折温泉経由R458で寒河江に出て、R48で帰仙。同行=栗田博子。
●13日、道の駅岩城-松ヶ崎海岸で西瓜を食べる。
●14日、アキタパーク美術館。オーナーの瀧廣明氏・今野侑子女史に再会-男鹿半島を一周。
●4日、うつくしま未来博記者プレビュー。 東芝サザエさん館担当の電通テックイベントスペース映像本部企画開発3部石川CPグループ中川裕氏、ユアテック福島支社公務部高橋幸一課長に会う。
●8-9日、(8日)厚生年金ハートピア田沢湖で大友善晴所長事務代理に会う。乳頭温泉(9日)雄和町ゆう菜家、五城目町盆城庵。五城目町開発公社恋地山荘小野浩之支配人に会う。林道で五城目から仁別に抜ける。秋田聖体奉仕会で涙を流すマリア像見学。
●14日、休暇村磐梯高原-裏磐梯グリーンフィールド-大塩裏磐梯温泉-喜多方おさらぎの宿-道の駅蔵の里。蔵のまち浪漫代表取締役会長遠藤英雄氏に会う。日中線記念館-熱塩温泉-会津若松田事外観ー渋川問屋本館+別館-会津本郷焼流紋焼窯元-芦の牧牛乳屋食堂-本宮平次で烏骨鶏ラーメン。
●15日、相馬原釜海水浴場-松川浦みなとや-道の駅ならは-広野駅-波立海岸海水浴場-東洋健康センター-かんぽの宿いわき-薄磯海水浴場-塩屋埼灯台-豊間海水浴場-合磯海水浴場-サザンパシフィックホテル-R49-須賀川郊外米屋-須賀川市民温泉入浴
●16-18日、黄金の郷けせん(大船渡・陸前高田・三陸町・住田町)の旅行商品開発シンポに、パネリストとして参加。案内は岩手県大船渡地方振興局企画総務部企画振興課大越俊也企画振興主査、企画振興堀江戸淳課長。パネリストは他に逗子市に住む医療食生活ジャーナリストのレットイットビーの佐藤達夫氏、同じく逗子市のエージェンシーレビューの西妙子女史。4市町を見学。16日海楽荘、17日キャピタルホテル1000泊。地元からは大船渡魚市場佐藤貢社長・佐藤光男総務部長、大船渡商工会議所経営指導員佐藤洋志氏、キャピタルホテル1000実吉義正専務取締役。朝日広告社東日本の大畠政夫支店長・佐藤公幸課長にも会う。懇意にしてもらった大越俊也主査は2004春岩手県庁の労政能力開発課技能五輪推進担当に異動した。
●12日、飯坂温泉旅館協同組合青年部芳賀勇夫部長に会う。氏は新松葉旅館主人。
●14日、休暇村磐梯高原新井誠司副支配人に会う。
●19日、東京。深川の芭蕉記念館見学、芭蕉庵跡でおくの細道のスタート地を偲ぶ。昭文社で打ち合わせ。宰幸司専務取締役制作本部長に会う。氏は2001.8.30に退社。9.1からはこの日会った奥野暁生氏に変わった。地図製作のことで制作本部調査部実踏調査プロジェクト桑田泰博課長、地図編集部企画制作プロジェクト石原博道課長に会う。同行=渡辺嘉伸。
●20日、鳴子温泉レストラン銀の匙、川渡温泉温泉浴場見学、牛タンの利久。
●4日、仙台市内の冷し中華のりゅう亭、塩竈市のシェヌー撮影。
●5日、夜、岩沼市の寿司処太助撮影。
●6日、南方町の興福寺六角堂、本吉町えんどうでマンボウ寿司、その後、マリンピア松島水族館で生きているマンボウ撮影。
●7日、牡鹿半島、牡鹿ホエールランド、阿部勝雄館長に会う。帰途、コバルト荘、家族旅行村を見学、牡鹿半島東海岸を走り、女川へ。マリンパルで茹でた毛蟹と生の紅ズワイガニを買い、高白漁港の海岸でビールを飲みながら毛蟹食べる。
●8日、安重根義士と交友のあった千葉氏の墓のある若柳町大林寺見学。くりはら田園鉄道栗駒駅に車を置いて、ほぼ全線往復乗車。途中火事で一時停車したぞ。
●13日、宮城県庁北側のやきとり鳥平撮影。
●14日、岩出山町の佐藤農園の梅林+感覚ミュージアム見学。小野寺栄副館長に応対して戴く。同行は建築士の本間貴史氏。
●15日、仙台市内芋沢の広瀬川河畔で桜を遠望しながら青空麻雀。夕方、雨になる。
●22日、ニッカウヰスキー仙台工場ギャラリーで菅野正紀写真展を見る。工場も見学。
●25日、天童温泉、湯坊いちらく。そばドライ記者発表会。帰途、共同浴場ふれあい荘で入浴。
●26日、名取市、熊野堂温泉に入浴。
●10日、名取市、熊野堂温泉、営業再開のニュースで訪問。高橋秀一氏、那智工房菅野修社長らに会う。入浴。
●15日、東京。FG武蔵訪問。大石二郎氏らと会う。帰途、新宿駅前のとある居酒屋で夕食。肴はホタル烏賊の漬け。
●16日、あだたら高原岳温泉ホテル光雲閣鴫原正雄営業部長に会う。
●28日、仙台市中央通り、ビーノ・イル・サロットでリゾット撮影。
●7日、宮城県庁北側、ビストロ遊や料理撮影。
●8日、秋保温泉ホテル佐勘で東北経済産業局主催の「2001みちのく湯けむり省エネシンポジウム」にパネリストとして参加。記念講演はロザンナ氏。コーディネーターは盛朋子女史。
●9日、須賀川市内を見学。「福島空港の国際化と地域づくりを考える研究会」で基調講話。帰途、須賀川市民温泉入浴。
●24日、雪の中、相馬に苺狩り。いわきまで足を延ばし、市場食堂で食事。帰りは高速道。同行=栗田博子+柏律子
●27日、さくら湯。小野寺潤サブマネージャーに会う。ひめかゆ、やけいし館を取材。国民宿舎衣川荘で料理撮影、菊地豊司支配人が応対。
●3日、指負傷の治癒のため、秋田県滝温泉。雪道ではまりかける。
●6日、雪の角館、水沢温泉郷を経てR4南下、帰仙。
●7日、安比高原訪問。広報宣伝部課長代理岡本成優氏に会う。氏はこの年の7.26に退社して郷里の福岡市西区西の丘に戻った
●14日、遠刈田温泉。
●16日、岩手県職員、高橋隆氏来社。彼は「龍の湯」氏である。
●19-20日、気仙沼で写真コンテスト審査・写真教室。講師=斎藤秀一氏。20日午前中は大船渡の健康ランドやさかを取材。
●21日、9時仙台出発-山形道-吹雪の月山トンネル越え-青空の酒田11:20。土門拳記念館-山居倉庫-12:30料亭御園にて寒鱈鍋撮影-酒田アメヨコー蔵元初孫見学。帰途、松山観音湯入浴-新庄一茶庵支店でもつラーメン-R13関山トンネル-仙台21:30。特にR47戸沢付近の道路両脇の雪の壁が凄かった。同行=水上+釜谷。
●(24~)25日、気仙沼本吉地域広域行政事務組合主催「第12回リアス四季海岸観光塾」パネリスト。パネリストとして参加。記念講演は寺泊アメ横の角上水産柳下浩三氏。会場=志津川ホテル観洋。
●4日、秋田市新屋松美ヶ丘の今野恵造代表取締役と販促事業部の佐藤竜氏に会う。
●24日、遠刈田温泉。
●27日、梯子から落下。左手薬指第一関節脱臼。4針縫う。
●6日、仙台放送「東北SOレジャーTV」放映。
●14日、天童温泉、帰りに川崎町で渓流ラーメン。
●15~17日、白神山地取材・撮影。藤里町駒ヶ岳樺岱コース、八森町二ツ森、藤里町小岳に3日連続登山。16日には八森町商工観光課辻正英課長に会う。
●20日、『東北レジャー情報78』・2000年10月号発行
●22~23日、藤里町、岳岱撮影、午後、駒ヶ岳黒石沢コース登山。23日は大館柴田慶信商店で伝統工芸品曲わっぱ撮影、その後大鰐温泉まで足を延ばす。東北道で帰途、水沢市に寄り道。
●26日、気仙沼経由、河北町湖月亭で料理撮影。
●3日、東八幡平、トラウトガーデン。
●10日、岩瀬湯本温泉-田島町。田島町では奥会津地方歴史民俗資料館の渡部力夫館長に会う。会津高原。木賊温泉で旅館井筒屋の橘和成氏に会う。井筒屋は日本秘湯を守る会会員。檜枝岐村-只見町。
●13日、休暇村陸中宮古中川良一支配人、休暇村岩手小林広明総支配人、休暇村田沢湖高原小野寺聡支配人に会う。
●16~17日、花巻やぶ屋-盛岡(梓+食道園+香醤)-(17日)藤里町カマタ写真館。主人は環境庁自然公園指導員・秋田県自然保護指導員・白神山地のブナ原生林を守る会理事長・秋田自然を守る友の会会長である。大館北秋くらぶ。
●19~21日、蔵王温泉にて「東北SOレジャーTV」番組を撮影。レポーター=金ヶ崎伸子女史。同行=AAP佐賀剛氏。
●23日、女川秋刀魚収穫祭-追分温泉。ようやく横山宗一館主に会う-津山町-古川沖縄そば。同行=水上+釜谷。
●29日、「東北SOレジャーTV」音入れ。山形市サンセット。
●30~10月3日、秋田杉のや-(1日)白神山地-弘前野の庵-能代べらぼう-秋田(2日)男鹿半島美野幸-秋田無限堂(3日)乳頭温泉・妙乃湯。
●1日、石巻友福丸。同行=栗田博子。
●3日、古川市のボクシングジム撮影。同行=佐々木千香子+佐藤えり奈。
●4日、村山市クアハウス碁点撮影。同行=佐々木千香子。
●12日、酒田メディア渡部修氏と打ち合わせ。
●14日、温湯温泉佐藤旅館訪問。
●24日、松島、デジカメのテスト撮影。
●1日、秋田ニューグランドホテルにて押切順三を偲ぶ会に参加。河辺町土地改良区金慶一理事長に再会。仏様のような人。 松田肖子女史に会う。
●9日、東鳴子温泉大沼旅館訪問。大沼伸治氏と懇談。夕方、仙台市沖縄物産の店ゆいま~る取材。
●10日、盛岡雫石玄武庵石橋幸輝取締役専務、雫石プリンスホテルの熊谷浩弥営業係長に会う。
●12~14日、仙台-釧路-野付半島-羅臼-知床ウトロ温泉ホテル知床泊。楠木一之営業部長、川畑秀吉営業部営業課長代理に挨拶。(13日)知床五湖-カムイワッカ湯の滝-原生花園-網走-サロマ湖-美幌峠-屈斜路湖-硫黄山-摩周湖-阿寒湖ホテルエメラルド泊。輪島哲常務取締役、青木慶貴営業部予約課主任に会う。(14日)摩周湖-900草原-釧路湿原-丹頂鶴の公園-釧路-仙台。
●25日、休暇村協会営業本部広報部阿部悟部長、広報課望月斗潮課長に会う。
●29日、連坊小路の沖縄宴席ゆんたくで呑む。
●10日、寺泊アメ横で蟹をたらふく食う。出雲崎の良寛堂まで足をのばす。帰途新潟でラーメン。同行=EM+水上綾子+釜谷千満子。
●12~14日、秋田文化出版で臨増ドライブ校了作業。
●18~19日、秋保温泉-ニッカ-東根温泉-新庄市-雄勝町-秋田市-色麻町。
●24日、福島市でサクランボ狩り-霊山町光彩館-相馬市斎春商店。同行=栗田博子+辺見桃代+やっちゃん。
●28日、蔵王温泉わかまつや撮影同行。カメラ今藤+モデル加藤。
●3日、秋田-本荘-三川-朝日村。月遅れの雛祭。長南里香女史と会食。
●9日、福島花見山公園-富岡夜の森公園-相馬で夕食。同行=栗田博子+倉島周子女史。
●17日、花見山-富岡夜の森公園。同行=丹羽めぐみ+坪井美樹。夜の森で櫻を撮影中。全く偶然にカメラマンの今藤祥信氏と遇う。超珍しい。
●2-3日、沼尻スキー場-桧原湖でワカサギ釣り。スノーモービルで遊ぶ。早稲沢温泉民宿えんどう泊。同行=本間景子+佐藤なほ子。このことは、この頃東北放送ラジオで毎週土曜日午前11時から30分間東北各地の情報を紹介している番組で11日に放送した。
●3~5日、仙台市内みどり台中学校1年進路学習「職業調査」で1年2組ちまめ班の相澤愛美、大浦真梨恵、八木千晶、佐藤慧、長谷川新のメンバーが来社。
質問1「この職業につこうと、夢を持ったのはいつ頃ですか?」その回答「大学のころ、活字関係の仕事になりたいと思ったこと」
質問2「この職業を選んだ理由は何ですか?」その回答「本をつくる人、紹介した店、見る人、全員にいいことがあるから」
質問3「この職業にはどんな人が向いていますか?目指している人にアドバイスをお願いします」その回答「もっとよいものを求める人(追求心がある人)、コミュニケーションがとれる人。行動力がある人」
質問4「仕事をしていて楽しいと思ったことや、つらいと思ったことを教えてください」その回答「紹介したりして喜ばれること。暇なときは暇だけど仕事が多いときは多い」
質問5「1冊の本をつくるのにどれくらい時間がかかるのか」その回答「資料のためこみがあれば20日くらい。紙面に20日くらい(13人くらいで)」
質問6「1冊の本をつくるのにどういう作業をするか」その回答「写真をとりにいく。取材。原稿、紙面など」
質問7「1冊の本をつくるのにどれくらいの人がかかわるのか」その回答「13人くらい」
質問8「1日どれくらい働くか」その回答「9:30~17:30(基本)、土日休み」
質問9「どうすればこの職業になれますか」その回答「運、縁」。まとめ「改めて、この職業につきたいと思った。そしてより仕事場を見学してつらい所や楽しい所などがよりくわしくわかった。調査にいったことを忘れないでこれからの進路を選ぶのに有効にしたい」、感想など「みんなの話しでよくわかった。○ビルだと思っていたが普通の家だったので驚いた。いろいろな事が知れてよかった。東北レジャー情報にいってパソコンのこととか土星のこととかも知れて楽しかった。○とにかく資料の多さにびっくりした。応接室も意外な場所でした。でも楽しかった。○場所が全然予想できないところだったけどビルみたいなところよりはいっしょうけんめいやっていると思った」。
この中の何人が出版者の職に就いただろうか?
●5日、相馬で苺狩り。同行=栗田博子。
●6日、松島カキ祭り。その足で奥松島の野蒜海岸に遊ぶ。同行=丹羽めぐみ+渡部智穂。
●7日、県庁裏の遊やで撮影。
●12日、ジャングルジャングル-クアハウス碁点。新庄市の梅屋でもつラーメン食う。
●20日、秋田市で第35回県多喜二祭参加。明石叡秋田市市会議員に会う。
●21日、秋田協同印刷相原明参与、渡辺芳勝代表取締役専務に会う。また東北農政局西奥羽土地改良調査管理事務所の澤田守庶務課長に会う。
●27日、深夜国道4号線をひたすら南下、茨城県大子町の氷結した袋田の滝を見る。秋の紅葉の時期も良さそう。北茨城市-いわき市を経由する。いわきららミューで蟹を買う。
●15日、泉区の仙台市健康増進センター・菅原淳一事業係長に会う。
●21日、気仙沼、「みやぎリアスライン地域フォトコンテスト」審査、写真塾。同行=小野幹氏。
●27日、気仙沼本吉地域広域行政事務組合主催「リアス四季海岸観光塾」パネリスト。会場=気仙沼ホテル望洋。
●29日、福島県山都町寒晒蕎麦祭り。同行=EM+水上綾子+釜谷千満子。
●13日、鯵ヶ沢プリンスホテル瀬川徳雄支配人、宿泊課石木田明課長補佐に会う。
●九州(10月30日~11月9日)。
●7-8日、日販会に出席。秋保温泉佐勘泊。
●4日、北上、花巻、石鳥谷。
●8日、休嘉村岩手山麓石川清一郎営業課長に会う。
●25日、西木村で大栗購入。
●27日、鳴子温泉-中山平温泉-日山温泉。
●5日、飯坂温泉北部の穴原温泉吉川屋、午前中撮影立ち会い。カメラ=今藤祥信、モデル=松原佳代。
●11日、青根温泉、宮城蔵王ペンションビレッジ訪問。
●20日、民宿えんどう遠藤栄久氏と会う。
●2日、奥会津・柳津温泉。
●4日、乳頭温泉郷鶴の湯温泉撮影。
●14日、福島飯坂IC-フルーツライン-リステル猪苗代で翌年開催の全国ハーブサミットの記者発表会、その後山都町宮古地区のとのやで蕎麦撮影、西会津に回り、R49-土湯トンネル-福島西IC-仙台、同行=EM+有明女史。
●23日、岳温泉松渓苑撮影立ち会い。カメラ菊地淳智・モデル加藤真智子。佐藤俊夫代表取締役社長に会う。
●28日、仙台市内に雲がかかっていたので、月食を見に蔵王エコーラインへ走る。澄川スキー場上の駐車場で1時間ほど寝袋にくるまって観察した。望遠鏡は80ミリ。46倍・151倍。
●31日、盛岡郊外紫波町の湯楽々、盛岡手づくり村、小岩井農場まきば園、ゆこたんの森。ゆこたんは湯+アイヌ語のコタンだった。支配人の小金井諭氏に案内される。
●5日、宮城蔵王チーズシェッド撮影、夜、国分町の牛たん一福撮影。
●18日、カメラマンの小野幹氏に写真コンテスト審査員の件で上杉のスタジオにて会う。
●20-21日、秋田県立博物館-小安峡温泉-須川高原-真湯温泉(熊谷正彦支配人)-ハイルザーム栗駒-いこいの村栗駒。
●27日、山形が混んでいるので、福島飯坂にさくらんぼ狩り-微温湯温泉への途中の道が崖崩れのため引き返す-磐梯熱海温泉、同行=栗田博子。微温湯温泉は後日、幾度か訪問した。
●1日、青岩荘出発-竜泊ライン-龍飛岬-津軽海峡冬景色の碑-道の駅今別 -金木芦野公園-斜陽館見学-五所川原市街を経て板柳ふるさとセンターで昼食-弘前公園花見-最勝院五重塔-富澤氏宅に立ち寄り-黒石温泉郷かねさだ旅館泊。
●2日、早朝津軽こけし館見学。早朝につき無料だった-かねさだ旅館出発-桜ヶ丘団地-久渡寺山-墓地公園岩木山遠望-弘前大学-R7-R282-小坂町康楽館-鹿角八幡平IC-安代IC-安比高原-ロッジアルペン泊。
●3日、ロッジアルペン出発-アスピーテラインで雪の壁を走る-玉川温泉-茶立の清水-田沢湖御座石神社-西木村かたくりの里-角館武家屋敷-刺巻で水芭蕉群生地見学-盛岡ぴょんぴょん舎ジャーランで冷麺-啄木新婚の家-盛岡IC-北上金ヶ崎IC-金ヶ崎ゴルフクラブロッジ泊。及川広文営業課長代理に会う。松田幹郎支配人からウィスキーの差し入れがある。こういう配慮は嬉しい。主催者の株も上がる。
●4日、金ヶ崎ゴルフクラブロッジ出発-水沢江刺駅-平泉前沢IC-泉IC-東北レジャー情報-仙台駅で吉田夫妻を見送る。
●6日、盛岡。
●8日、斎藤秀一カメラマンと会う。1996年4月に一度会っていた。
●13-14日、陸前高田モビリア記者招待会。山と渓谷社の三堀裕雄編集長と同じコテージ泊。盛岡東洋アドシステムアキュート編集荒川裕子氏に会う。他に、岩手県小国観光部観光課稲葉広次課長補佐・吉田真二主任・鈴木栄時主事・副主幹兼施設整備係長高橋和成氏、岩手県観光連盟東京案内所佐藤吏所長、翌朝は早朝から広田湾で網上げの見学だった。
●22日、鎌先温泉-蔵王七日原ハートランド-エコーライン-蔵王高原。
●29日、吹上高原オートキャンプ場。
●30日、男鹿半島。
●31日、鳥海ブルーライン-酒田-鶴岡-羽黒山-いでは文化記念館で長南里香女史とお茶。
●15日、松島さんとり茶屋料理撮影。
●17日、高畠町阿久津神社+南陽市烏帽子神社+米沢市松が岬公園、桜不発。福島市に回り込む。
●24日、秋田市セリオンでポート秋田の前田武志営業課主任、佐々木恵営業担当チーフに会う。階上から土崎の夜景撮影。
●25日、夕暮れの秋田空港撮影。
●26日、角館桜撮影。
●28日、福島ビューホテル撮影、福島民報社の中河瑞枝女史に会う。
●30日、早朝秋田へ。徳島市から来た吉田浩夫妻を秋田駅に出迎え、千秋公園-赤れんが郷土館見学。その後小生の妻と4人で北に向けて出発。出戸浜海岸道路-大潟村菜の花ロード-能代十八番ラーメンで昼食-道の駅峰浜-道の駅八森お殿水-須郷岬から青森県に入る-十二湖青池まで歩く-サンタランド岩崎-黄金崎不老ふ死温泉-千畳敷-北金ヶ沢で裏岩木山を遠望-鯵ヶ沢ととまるしぇ-亀ヶ岡縄文村で花見-小泊村太宰乳母タケ再会の碑-竜泊ラインにある青岩荘泊。
●この月から、東日本放送ラジオ「サニーサイドバケーション」で東北の観光情報を提供。毎週土曜日11:00~11:30.(〜2002.3)
●9日、新庄市最北観光協議会打合せ。途中中山平温泉ふきゆ荘見学-最上町二葉食堂でラーメン、帰りは新庄一茶庵支店で、もつラーメン
●11日、福島ビューホテルのまつ川を取材・撮影。
●16日、秋田市民市場撮影。
●27日、相馬いちご狩り。同行=栗田博子+辺見桃世。
●2日、休暇村岩手山麓小林広明支配人に会う。
●3日、JAF日本自動車連盟宮城支部菅野博幸課長に会う。
●7日、松山スキー場・松山温泉観音湯撮影、入湯。
●9日、休暇村田沢湖高原大塚賢治支配人と会う。
●11日、白河だるま市・東北道で覆面パトカー24kmオーバーで捕まる(2年4ヶ月ぶり)。二岐温泉大丸あすなろ荘撮影。日本秘湯を守る会の佐藤好億会長と歓談。
●12日、新庄市の最北観光協議会。
●13日、岳温泉陽日の郷あづま館+東三番館撮影立ち会い。カメラ=大沼ひでき氏。
●19日、東京・共同印刷で「まっぷるマガジン青森」校正。with但野香。第二事業部営業第二部第四課中野秀治氏と会う。
●25日、青森南田温泉アップルランド撮影立ち会い。カメラ=今藤祥信氏。
●17日、庄内地方鶴岡・吹浦寒鱈まつり。同行=佐藤なほ子+佐藤真澄。
●20日、昭文社制作本部旅行書編集部国内図書二課桑原和浩氏に会う。
●22日、東京の豊島区駒込1-1-7にあった秋桜社に行き、荷物を持って仙台に戻る。秋桜社ではスタッフの高谷太氏に会う。
●27-29日、28日に志津川町南三陸町ホテル観洋で気仙沼本吉地域広域行政事務組合主催「リアス四季海岸観光塾」助言者。講師は中村元彦青森県特産品センター理事長。コーディネーターはダ・ハプランニングワーク吉川由美代表取締役。助言者は他に及川善祐志津川町観光協会常務理事(及善商店)。司会はリアスアーク美術館小山みゆき主事。なおこの会合には志津川町観光協会伊藤芳美会長、志津川町商工観光課三浦満夫課長、広域行政事務組合事務局千葉紀雄局長、広域行政事務組合事務局佐藤光一主幹兼企画調整係長、広域行政事務組合事務局鈴木丈博主幹などが参加している。
●30日、山都町寒晒そばまつり。同行=佐藤えり奈。
●14日、アドバルーンの件で若林区大和町小松歯科医院の小松拓夫医師に会う。
●17日、東京「ホテルガイド東北」の校了のため出張。同行は佐藤えり奈。帰途、上野アメ横で飲む
●21日、八戸、レイクで山魚取材・撮影。仙台まで国道をひたすら帰る。
●15日、福島県山都町新そばまつり。with村崎+有明+山田+大原の各氏。
●22日、秋田県道の駅てんのう-二ッ井町駒形温泉。
●23日、山形市街地の七日町界隈、光のプロムナードを歩く。
●29日、道の駅大江-道の駅白い森おぐに-郡山ビッグパレット-福島土湯温泉-こけし湯入浴。
●5日、盛岡の食道苑で冷麺、紫波町あずまね温泉ききょう荘にて入浴。
●9日、飯坂温泉新松葉芳賀勇夫専務に会う。
●18日、秋田県天王町の道の駅てんのうの日帰り入浴施設くらら取材。
●20日、新庄市の最北観光協議会。
●24日、本荘市で佐藤初美女史と会い、秋田市泊、25日、田沢湖経由で新施設日帰り温泉施設秋田八幡平ゆらら取材。浅石敦幸事務局長に会う。終了後、玄関先で赤旗新聞の関記者に久しぶりに偶然の再会。
●27日、郡山市・開成館+イルメルカト取材。メルカトは伊語でマーケットのこと。オーナーの佐々木篤氏はJAS公認ソムリエ。
●30日、MMT宮城テレビの東北電力提供の番組「ネットワーク7」で新高湯温泉の情報を語る。佐藤金一郎局次長、高橋重幸ディレクター、盛朋子アナウンサー、放送作家の伊藤修二氏らと会う。放送作家は日本放送作家協会・日本脚本家連盟会員の伊藤修二氏。スポンサーの東北電力広報部広報計画グループ菅野聡氏、国際エディケーター遠藤八郎氏にも会う。(放映は10.31、謝礼は22222円)。
●31日(-11/9)、17:50JAS934便で福岡。在九州。英彦山温泉。各地へ薩摩芋などを送る。吉田浩、吉田朗、大門紀子、佐々木勇進、広瀬ひとし、深沢源一、11/9は11:20JAS933便で仙台。
●2日、村田町の谷山温泉。
●6日、山形県飯豊町、道の駅いいで+しらさぎ荘、長井市に回る。
●8日、岩手高原へ地震見舞。岩手高原山口隆子女史、ペンションカシオペアの高橋敏夫、フレグランスの大滝薫、ペンション麻衣の菅原かほるの各オーナーなどに会う。
●9日、郡山。
●12日、村田町から山形市馬見ヶ崎で、たけなわの鍋ッこ撮影。
●14日、本荘かすみ温泉-遊佐町十六羅漢岩-酒田-鶴岡。
●20日、磐梯吾妻スカイラインを走る。
●21日、雨の東北道ぶっ飛ばして東京銀座日産本社へスカイラインのデモカー返却・久しぶりに銀座を歩く。
●26日、丸森町斎川温泉・青葉温泉から斎理屋敷。
●1日、気仙沼-志津川。ひころの里で山内郁管理所長に会う-石巻。
●2日、寒河江ブル―ベリー狩り、鮭川村にてトトロに似た木、後、金山町のシェーネスハイム金山に立ち寄る。銀山温泉を 経由して帰仙。with栗田博子。
●5日、仙台七夕の前夜祭・花火大会を仙台城址の展望所から撮影。少し突出して撮影していたこともあり、後から石を投げられる。当然かもね。
●16日、秋田県羽後町にて西音馬内盆踊りを撮影。
●22日、月山朝日博物村でバンジージャンプを撮影。東海林晴哉、阿部薫両カメラマンに会う。
●23日、能代-大館-アスピーテラインと走る。
●25日、山形県の新庄祭り撮影。カメラマンの菊地淳智と一緒になる。撮影後、シェーネスハイム金山取材。
●27日、気仙沼・志津川それぞれのホテル観洋を撮影。同行は佐藤えり奈女史。
●28日、石巻、墨汁一滴・友福丸取材撮影。墨汁一滴でマンガジャパンの原孝夫氏、秋田県増田町の企画財政課長見田和光課長、遠藤晴美係長とも会う。友福丸のカメラマンは今藤祥信氏、助手は佐藤えり奈女史。
●1~2日、黒石温泉郷落合温泉花禅の庄で撮影、泊。石澤照代女将に挨拶・翌日、八甲田を経て帰仙。
●3日、一番町のしゃらら亭撮影。相沢アツヒロ代表に会う。
●12・13日、秋田市-湯田。
●16日、福島県天栄村。
●19~21日、大館-三内丸山遺跡。19日は青森市のワンディルーム桜川に泊まる。主人の成田修氏はタクシーの運転手でもある。夫婦2人で3000円という宿泊料金。ほぼ民泊的な施設で、我々は仏間に眠るのであった。翌日から金木町-弘西林道-秋田市-かすみ温泉-最上峡。
●27日、栗子DUO。林史久支配人に会う。
●30日、昭文社制作本部旅行書編集部国内図書一課市来恭子女史に会う。
●2日、東京、旅行作家の会結成20年式典。旅館の宿泊券が当たる。式典後、事務局にお邪魔できた。斎藤勇一氏とは久しぶりの再会。旅行作家の会の野口冬人・竹村節子・野口悦男の各氏、会員の山本鉱太郎、瀧義郎、中山平温泉加藤素行支配人、湯の浜温泉一久桜井輝夫常務取締役、温泉探求家湯達入郎氏、立教大学観光学部溝尾良隆教授、秋田県観光連盟佐渡谷栄悦会長、湯瀬ホテル関雅夫玉川温泉営業所総支配人、白壁荘宇田倭玖子専務取締役などと会う。宿泊券は後日、埼玉県飯能市白子に住む叔母夫婦に贈った。
●18日、安比高原訪問。北條俊則広報宣伝部長に会う(氏とは1997.5.21にも)
●19日、大郷町夢見の国。総務部の内海恭一氏に応対してもらう-亘理町鳥の海ブルワリーで撮影。
●21日、川原毛大湯滝。
●24日、新庄。
●30日、福島市-白沢村-いわき市-郡山。
●1日、会津若松-大内宿-沼沢湖-山形市。同行=栗田博子。
●4・5日、道の駅象潟-乳頭温泉郷。
●10日、七ッ森に登る。
●21日、花巻温泉峡大沢温泉。
●24日、秋田市土崎みなと温泉あったまりーな。佐藤壽記常務に会う。あったまりーなは、4/20にオープンした施設。
●31日、二口林道を通って、山寺から、天童温泉ゆぴあ。
●7日、秋田。
●16日、福島市の花見山。
●19日、箕輪スキー場。
●26日、陸前高田撮影。商工観光課堺伸也主事、実吉義正観光協会事務局長、キャピタルホテル1000の釘子明課長補佐に会う。モデル=栗田博子。
●27日、男鹿半島-津軽西海岸。リクルート派遣の中島康貴カメラマンとモデル2人と計4人で撮影行く。八森町のいしづかで食事風景など撮影。レンタカーで秋田駅に戻っても最終新幹線に20分遅れ。秋田道・東北道で新幹線を追いかけ、一時180km/hなども出し、仙台駅で6分前で追いつく。
●6日、宮城県観光連盟佐藤雅和主事に会う。
●14日、遠刈田温泉。
●15日、盛岡-本荘-あつみ温泉。
●19日、山形県大江町-寒河江-上山。
●22日、岳温泉-郡山-会津若松-熱塩加納村夢の森-七ヶ宿。
●25日、秋保温泉茶寮宗園へ櫻田純夫氏と訪問。沼田二郎支配人に案内される。
●27日、山形県北村山行政事務組合主催で「観光のあり方」を講演。
●28日、平泉。12:00頃、渋滞を避けるため町道に入った時、踏切のポールで行き止まり。後続車がチンタラしてるので、勢いよくバックしたら車両左前部をぶつけた。車は宮城77て7305のホンダオルティア。
●29日、七ッ森に登る。
●30日、北海道東北開発公庫東北支店地域事業化支援室小林茂室長、開発調査課横川憲人副調査役に会う。
●1日、松島かきまつり。
●3日、「じゃらんDE東北98-99」の「東北の絶景」で三本木町のひまわり畑の件でカメラマンの石川量啓氏に会う。
●4日、磐梯熱海温泉ホテル華の湯で福島県のディスティネーションキャンペーン説明会。お会いしたのは、芦ノ牧ホテル近藤信博代表取締役、裏磐梯高原ホテル・裏磐梯スキー場内海重正営業課販売担当課長、芦ノ牧温泉大川荘販売促進課諏訪賢一責任課長、猪苗代町翁島観光センター秦真一営業係長、磐梯熱海温泉金蘭荘花山柴田佳哉常務取締役、かんぽの宿郡山の村上辰雄総支配人とスタッフの久保田雄二氏、飯坂温泉旅館金瀧陽田千壽子専務取締役、グリーンピア二本松奥平正純業務部長、会津若松會津東山閣キャニオンアネックスシンフォニー多田和弘支配人。
●6日、古川-栗駒町金龍で栗駒牛を食べる。
●7日、北上市のきたかみビール撮影。篠崎修大マネージャー営業係長、駒込裕士料理長に会う-江刺-一関でジャズ喫茶ベーシーに寄る。オーナーの菅原正二氏に挨拶。
●15日、蔵王温泉。葵で蕎麦。上山-米沢。米沢ではグルメ小僧万吉で撮影、米沢牛をすき焼きで味わう。太田正専務から詳しく説明を受ける。後日、撮影フイルムを差し上げた。しばらくの間、このカットが横行した。
●17日、酒田黒森歌舞伎撮影。兵六玉で撮影。白崎文雄社長と会う。
●18日、北海道東北開発公庫主催のミニ講演会。東北支店の工藤豊彦支店長、NHKおはよう日本担当青山佳世アナウンサー。河北新報記者高橋久美記者にも会う。高橋女史は「こんなクソ忙しい時に結婚する奴がいるんですよ」と、さばけた女性。千葉市出身で、欧州派。終了後、公庫の仙台市内の施設にお邪魔。
●19日、ペンションわん・すてっぷの小野公男オーナーに会う。
●21・22日、男鹿半島門前の磯の家旅館撮影のため泊。菅原美智子女将に挨拶。翌日、盛岡経由、帰仙。
●25日、津山町。
●26日、仙台七夕の件で、仙台商工会議所に伊勢民夫氏に会いに行く。
●27日、亘理町の鳥の海ブルワリーに行く。小野寺弘樹マネージャーらから応対さる。亘理町の商工水産観光課佐藤邦彦主幹、企画課斎義弘主事にも会う。
●17日、水沢江刺駅撮影。
●22日、秋田市にて大門昭夫氏葬儀。葬儀場で秋田県主食集荷商業協同組合山口重博総務部長に会う。
●24日、松島どんじき茶屋。
●31日、「じゃらんDE東北98-99」の「東北の絶景」で奥入瀬の件で角館でカメラマンJPS会員の千葉克介氏に会う。帰りに小岩井農場まきば園で岩手雪まつり見る。同行=リクルート外島美紀子女史。
●5日、リステルスキーファンタジア訪。鈴木長治代表、鈴木裕久取締役副社長から親しく声を掛けられる。
●6~8日、6日夜、能代で四彩遊食一平(店主工藤一男氏)、さけどこべらぼう(成田繁穂・ノリ夫妻経営)で撮影。8日、タウニィ秋田広告事業部のデザイナー加藤継氏に会う。横手。
●11日、七ヶ浜-奥松島-利府町。
●12日、「じゃらんDE東北98-99」の「東北の絶景」の件で蔵王温泉に行き、カメラマン川田勘四郎氏に会う。
●13日、遠野で語り部浦田穂一氏に会う。
●15日、秋田APLのカメラマン桜庭ふみお氏に会う。
●18日、リステルスキーファンタジアでBANDAI・7の説明会、アルツ・磐梯リゾート開発の営業企画部原島雅弘係長に会う。
●19日、宮城県川崎町のみちのく杜の湖畔公園。
●21日、奥松島-石巻。
●9日、11:05JAS933便で仙台。
●13日、盛岡、岩手日報社。
●20日、日総工産の生産事業本部リクルートグループ栗林正勝大曲営業所長に会う。
●26日、午後、仙台を出発。東北道をひたすら南下。夕刻の渋滞の中、ギリギリの時間で間に合って、東京の中央社に不足の本誌を届ける。
●I日、カーナビの仕事で盛岡。
●3日、金ヶ崎町-久慈市-久慈第一ホテル泊。
●4日、久慈-野田-普代。国民宿舎えぼし荘泊。小田裕士副支配人に挨拶。
●5日、野田-田野畑-小本。民宿三浦泊。
●6日、岩泉-田老-宮古。シーサイドハウス海幸園泊。
●7日、宮古-山田-三陸町-帰仙。
●12~13日、青森市-鶯宿温泉-秋田市。クアドームザブーンの高山良司総務部長に会う。一関。
●16~20日、「岩手の民宿」取材で遠野。民宿おとぎ屋泊。安比高原へ移動。民宿たちばな、四季館彩冬(鈴木善行オーナー)など泊。
●21日、蔵王温泉-蔵王エコーライン。
●31日、10:55JAS932便で福岡。九州・ハウステンボス。薩摩芋、馬鈴薯、柿、梨、蜜柑などを各地に送る。渋谷於久、広瀬喜代子氏らから礼状が来た。(~11月9日)
●この秋から数年間、FM仙台(デートFM)「ワンダ—J」の中の「モ—ニングスケッチ」で観光情報を月曜〜水曜に提供。
●1日、蔵王。
●5日、山形市。アド東北の小林修造代表取締役社長に会う。
●14・15日、Aワークスのカーナビの仕事で秋田市-能代-安比高原。
●17~19日、じゃらんの仕事で花山村温湯温泉佐藤旅館-青森三内丸山遺跡。
●28日、カーナビの仕事で村田町-白石市。
●6日、「新宮城のハイキング」取材で蕃山に登る。夕方、名古屋市のエイワークス赤崎まき子代表取締役に会う。
●9日、「新宮城のハイキング」取材で松島を歩く。
●10日、広島市のコンパイル営業本部販売促進部販売促進課川島学氏に会う。
●11日、「新宮城のハイキング」取材で亘理町を歩く。
●12日、「新宮城のハイキング」取材で角田市を歩く。
●13日、河辺町のユフォーレ。健康増進部北條文雄部長に会う。
●14日、田沢湖スイス村。
●15日、湯野浜温泉。
●16日、峠山パークランドオアシス館。
●23日、「新宮城のハイキング」取材で大島を歩く。
●24日、「新宮城のハイキング」取材で七ッ森に登る。
●27日、「新宮城のハイキング」取材で蒲生を歩く(29日も)
●この月、ニコンプロフェッショナルサービスの会員になる。
●1日、宮城県村田町。
●3日、プレゼンテーションで石巻市。
●5~7日、5日フォレスタ鳥海。加納信一営業課長に会う。ほぼ撮影終了して、玄関先でニコンF3を壊してしまった(6日)神岡町で木村孝臣企画振興課長に会う-銀河高原ホテルでホテル東日本営業本部営業企画課渡邉史子女史に会う。(7日)月山の弓張平オートキャンプ場撮影。佐藤立輝氏に会う。
●13日、「新宮城のハイキング」取材で奥松島を歩く。
●17日、太平洋フェリー東北支店阿部行夫課長に会う。 北林会計事務所原田靖生氏来社。
●28日、山形県大江町。
●31日、小岩井農場観光部澤口秀志氏(1994.12.4にもSLホテル支配人時代の時にも)に会う。
●この月、仙台ワシントンホテルで東北レジャー情報の会合。高橋英彦、中道工氏らも参加していた。
●1日、秋田市-象潟町-新潟県黒川村。
●5~8日、「岩手の民宿」取材で陸前高田市。民宿福田荘泊(6日)碁石海岸-大船渡市。民宿ごいし荘泊(7日)廣洋館熊谷立志社長に会う。三陸町遊YOU亭夏虫、菊地一芳支配人に会う。民宿川古荘泊(8日)三陸町-釜石-住田町の遊林ランド種山に寄り、栗原光一支配人と話。
●1日、宮城県唐桑町。漁り火パークで見学していたら石田俊一所長から声を掛けられる。園内を見学-気仙沼で海の市取材、宮井英夫主査に会う-本吉町ではまなすステーション営業部の菅原順一氏に会う。
●3日、宮城県村田町-宮城蔵王エコーライン-上山-喜多方-土湯温泉。
●5日、岩手県紫波町ラ・フランス館-角館町-オニコウベ高原。
●11日、岩手県大野村。産業デザインセンター関向広志所長に会う。
●12日、安比高原訪問。広報宣伝部副主任岡本成優氏に会う。岡本氏は福岡県出身。
●13日、岩手県前沢町、牛の博物館川田啓介学芸員に会う。
●14日、仙台湾で太平洋フェリー湾内デモ運航に参加。
●16・17日、岩手日報社発行の「岩手の民宿」で衣川村-平泉町-あずまね温泉ききょう荘泊(17日)盛岡、白龍でじゃじゃ麺。
●18・19日、「岩手の民宿」取材で湯田町-六郷町。
●20日、福島県猫啼温泉。
●21・22日、八幡平温泉館森乃湯撮影・スタッフ伊藤庄二氏に会う。安比高原広報宣伝部の若杉清一部長と伊藤美香主任、グランドアネックス・温泉パテォ支配人佐藤圭一氏(1996.8.27に会った時は広報企画部商品開発部課長)、東洋アドシステム企画営業部の加茂隆朗氏、フリーアナウンサー川村龍雄氏に会う。
●27日、宮城県村田町。ふるさとリフレッシュセンターで村上博係長、上田万作一事務局長らに会う-るぽぽ川崎で佐藤貞二副所長に会う。昭文社旅行書編集部国内図書課宮増秀行氏に会う。
●28日、秋田プレスセンターの橋本泰志代表取締役に会う。
●29日、朝日自然観。鈴木千良支配人、松田勝美企画営業課長に会う。ビーズファームで養蜂業者の安藤竜二氏に会う。同行=栗田博子
●31日、盛岡で梨沢恭子女史と会う。
●10日、チャチャワールドいしこし。曽根充敏企画営業課主任に会う。
●12日、河北新報発行の「新宮城のハイキング」取材で桂島を歩く。民宿桂荘の内海勇太郎氏、塩竈の板橋武氏、塩竃市生涯教育課に国際交流員として赴任中のジョージ・フィリップ・リー氏ら会う。後日板橋武氏から便りが来た。
●13日、「新宮城のハイキング」取材で蕃山を歩く。
●16日、休暇村岩手山麓武藤芳徳営業課長・滝澤博人営業主任に会う。
●19日、アサヒビール福島工場の久下真弓ツアーコンパニオン、伊藤トシ子副課長に会う。猪苗代町で猪苗代地ビール館仁平孝義館長に会う。会津若松。
●20日、横手-秋田市クアドームザブ~ン。高橋裕美取締役スキー場公園事業部長に会う。
●2日、休暇村岩手山麓小森克敬営業係長に会う。
●24日、宮城県村田町。ふるさとリフレッシュセンター村上博係長、レストラン松本邦治営業開発課副主任に会う。-寒河江で苺狩り-大石田町のあったまりランド深堀で撮影。柏倉喜久雄支配人に会う。同行=渥美。
●1日、原町ユッサ。
●9日、寒河江にて工藤順一氏の山形平和賞(山新3p賞)受賞記念パーティー出席。
●23日、角館。JR東日本秋田支社運輸部事業課佐藤正博氏に会う。
●26日、塩竈。
●27日、福島市-郡山市。
●28日、秋田道川厚生年金センター、小國健総務支配人、木村義和販売課長、岩城町商工会高橋春昭会長、岩城町商工会三平久孝経営指導員に会う。木内むめ岩城町公民館長にひさしぶりに再会。秋田市川反のちゃわん屋で撮影。
●29日、青森市。
●1日、弘前へ団子の取材。
●2日、秋田県大雄村ぼんでんの取材。
●7日、「第5回リアス四季海岸観光塾」(気仙沼本吉地域広域行政事務組合主催)にパネリストとして参加。会場は歌津町長期滞在施設アリーナ平成の森。講師は東北開発研究センター小松直喜調査研究部長「広域観光と地域振興・地域の発展と持続可能なツーリズムに向けて」。パネリストは他に、志津川町観光協会伊藤芳美会長、気仙沼市朝市運営委員会小野寺悦男委員長。コーディネーターはダ・ハ-プランニングワーク吉川由美代表取締役。
●8日、近畿日本ツーリストのクーポンブックの撮影で、宮城県村田町-山形市-福島市-郡山市と走る。
●13日、北林会計事務所赤平隆史氏に会う。
●17日、山形県大江町柳川温泉で撮影。テルメ柏陵の高橋敬一業務部長、大江町企画課の西田正広主事に会う。モデル=吉田美帆。
●28日、おでん三吉撮影。
●25~27日、一関-秋田-盛岡を団子の取材。
●6日、岐阜県民間社会福祉事業従事者共済会・福利厚生センター岐阜事務局市田昇総務課長に会う。
●11・12日、那須高原。油田繁明支配人、営業の竹内貴祐、後藤洋平氏に会う。翌日、ニキ美術館、増田静江館長に会う。
●18日、アースワーカー平櫛賢治社長と会う。
●23日、ホンダオルティアに乗り始める。
●30日、岩手県雫石町お山の湯。
●この月、宮城県民会館5階展示室でアウシュヴィッツ展を見る。
●1日~9日、九州滞在。従兄弟の川端佳人の自宅が建築中。各地の友人に薩摩芋、カリンなどを送る。吉田朗、大門紀子、広瀬喜代子の各氏から礼状が来た。
●10日、11:00のJAS931便で福岡→仙台。
●2日、休暇村岩手山麓武藤芳徳営業課長に会う。
●5日、石巻、登米・登米警察署前でシートベルト未装着で捕捉される。警察署を訪問したのに・宮城53ゆ8955・ブルーのシビック。
●6日、天童。
●9日、磐梯吾妻スカイライン-飯坂温泉。
●12日、山形県大江町月布川。
●13日、玉川温泉。
●14日、栗駒高原。
●16日、松島一の坊。
●19日、福島県安達町。
●20日、月山。
●21日、オニコウベ高原から花立峠を越えて、最上町から鳴子温泉。
●24日、るぽぽ川崎、丹野誠一副所長に会う-蔵王温泉、蔵王エコーライン。二本松で安達町教育委員会安斎賢司総務課長に会う。。
●27日、仙台市の江陽グランドホテルで荻原工・博子両人の結婚披露宴に出席。新婦は白石市郡山佐藤麹屋の娘。日本共産党八島恒夫衆議院議員樋口茂雄秘書と会う。
●29日、東鳴子温泉高友旅館長沢茂支配人に会う。中山平温泉たくひでで国分瞭総支配人に、仙庄館で猿田元成支配人、ヘルスリゾート磯邉久美子所長に会う。
●31日、15:20のJAS934便で仙台→福岡。
●16日、仙台広瀬川河原で「家族でお出かけ」誌のファミリー写真。
●18日、上山市リナワールド撮影。
●25日、東京。
●3日、郡山-磐梯高原ラビスパ裏磐梯で撮影、森内淳支配人に会う。アルツ磐梯リゾートセンター運営部高橋博海課長、スパアルツおおるり・リゾートセンター運営部秋山力係長に会う。会津若松。
●4・5日、盛岡-青森。
●8日、東北地方道路広報連絡会議主催の第19回東北地方道路写真コンテストで「芭蕉の道」が佳作入選。
●13・14日、男鹿半島-秋田市-庄内。
●16日、秋田県鳥海高原花立牧場。
●22日、河北新報発行の「新宮城のハイキング」出版の件で河北新報社の出版部・三浦尚登主任に会う。好人物。以後、度々打ち合わせ。
●23日、第19回東北地方道路写真コンテストで応募した「芭蕉の道」佳作入賞の通知が来る。
●27・28日、安比高原。広報企画部・商品開発部佐藤圭一課長に会う。東八幡平プータロ。
●4日、オニコウベ高原。
●6・7日、小国町-新潟。
●10日、西川町。
●11日、岩手高原企画営業の高村克久氏に会う。
●13・14日、花巻-安比高原。
●19日、鹿角市立中央公民館主催の「人生わくわく出会い塾」講師。公民館の安田孝司館長、村木哲文主査、日本電信電話大館支店総務部門赤坂金次主査、小坂町タナックス(旧多田組)の浅石敏明課長に会う。その後、十和田湖-青森県岩崎村(~21日)。
●29~31日、本誌特集で庄内エリア、モデル撮影。庄内各市町村を回る。29日、酒田東急イン泊、30日あつみ温泉温海グランドホテル泊。31日、電話番号を間違えての詫びで鼠ヶ関歯科医院に立ち寄る。ところで1997年はチャンネルNEKOで「俺たちの朝」を放映していて、一生懸命録画した。モデル=栗田博子+岸香織
●この月、ニコンプロフェシュショナルサービス会員になる。
●1日、磐梯熱海温泉。オーベルジュベルビエの副支配人の木村善昭料理長に会う。磐梯高原五色沼。
●2日、岩手県花泉町-阿原山。
●6日、山形県朝日村の朝日自然観[h]。清野直治社会教育係長の立ち会い。
●9日、山形県朝日村-鶴岡-湯野浜温泉。
●12日、会津若松-磐梯高原。磐梯山噴火記念館では佐藤公副館長に説明を受ける。
●13日、蔵王温泉。
●14・15日、新庄。人形のタナカで田中幸一氏に松山温泉観音湯の林甫昭社長を紹介される-秋田県皆瀬村で高橋寿俊商工観光課主任と会う。。
●20日、蔵王温泉。喜らくで撮影。岡崎宏専務、営業の堀朋弥氏に会う。
●23日、朝日自然観で撮影[h]。菅井博支配人、阿部洋一副支配人と会う。
●24日、湯野浜温泉。
●25日、秋田市。秋田県民間社会事業福利協会大和田勉事務局長、宮城県社会福祉協議会団体福祉部菊地昭三係長、大館感恩講事務局長白百合ホーム兜森和夫寮長、山形県民間社会福祉事業振興会日下部祐二主事、福島県社会福祉協議会総務管理課渡部誠一主事、ヤマハミュージック東北秋田支社小売営業課斎藤博課長らに会う。
●26日、岩手県胆沢町ひめかゆ。
●29日、白石-七ヶ宿街道-上山市丹野こんにゃく-ラーメン渓流。
●1・2日、一関-水沢-大船渡-釜石-遠野-東和町。
●5日、三島亮葬儀に行く。
●6日、岩手県沢内村、沢内銀河高原の宿泊部岩崎真美子女史に会う。。
●19日、秋田県皆瀬村。
●24日、山形県大江町。テルメ柏陵の鈴木英明業務主任に会う。
●26日、会津若松市東山温泉-山都町。
●27日、芋沢にある芳賀火工を見学、芳賀静氏に話を伺う。
●4日、森吉町企画観光課の宮野貞壽主事と会う。鷹巣町で14:36に追い越しで捕捉される。科料9000円。
●6・7日、福島県霊山町。霊山こどもの村で大橋弘義管理課長に会う-二本松市-長沼町藤沼公園。やまゆり荘で佐藤芳一所長に会う。
●13・14日、宮古-秋田八幡平-八森町。
●18日、岩手山麓国民休暇村営業係岡本勝彦氏、田沢湖高原国民休暇村営業係関口裕樹氏に会う。
●23日、松島一の坊。藤田喬平ガラス美術館撮影。高橋征太郎社長と話。販売促進企画室の早坂賢治室長にも会う。
●24日、秋保温泉ホテルニュー水戸屋。
●2日、奥松島。
●21日、宮城県津山町商工会主催の商工婦人セミナーで講師。観光グルメ、東北の観光地情報について話す。三浦屋旅館泊。
●21・22日、宮城県津山町商工会主催の「商工婦人セミナー」で講師。町内の三浦屋旅館泊。
●23・24日、原町市-保原町。
●26・27日、岩手県雫石町、各スキー場を回る。観光協会川口民一会長、民宿なかがわの中川一社長、岩手高原網張ペンション村ペンションアドベンチャーの遠藤雅男、カンタビレー内田俊治の各オーナー、雫石町川口善弥町長・商工観光課安達松治課長・高橋和夫課長補佐・常陸欣弘観光係長、雫石プリンスホテルの熊谷浩弥販売促進係長、小岩井農場観光部磯明美部長、ホテル森の風鶯宿白沢綱臣取締役副支配人、けんじワールド熊谷憲一営業課長に会う。他に、月刊はちのへ情報アミューズの仲尾良子女史に会う。27日は雫石スキー場に行く。雫石プリンスホテルの村上光正販売促進主任に会う。
●28日、十和田プリンスホテル千葉俊支配人と会う。
●31日~、福島県滝根町-塙町-須賀川市(~1日)。
●2日、「第7回リアス四季海岸観光塾」(気仙沼本吉地域広域行政事務組合主催)に助言者として参加。会場はサンマリンホテル観洋。講師は八戸地域地場産業振興センター須藤茂樹事業部長「観光の広域化と産業化を考える」。パネリストはリアスアーク美術館草野明館長、唐桑町まちづくりカンパニー戸羽芳文氏、津山木工芸品事業協同組合阿部幸恵さん(もくもくハウス)。
●6日、北海道東北開発公庫東北支店千田俊樹開発調査課長らに会う。
●8・9日、東八幡平プータロ。似内真澄営業部長、北田静雄営業部販売企画課長に会う-松川温泉。
●15日、横手かまくら。
●17日、湯沢犬っこまつり。
●26・27日、秋田市、あきたタウン情報編集部で佐藤真、森川淳元氏に会う。鳥海山麓。
●14日、岩手県湯田町アイピラスキー場。横手公園スキー場-いこいの村横手。
●21日、仙台ハイランド-道路資料館。
●1日、秋田市で、叢園賞の授賞式があり参加。吉田昭治氏と久方ぶりに再会。吉田昭治氏は「秋田の維新史」の著者。これは1980年に小生がまだ不慣れな編集者時代に「シリーズ秋田の民衆史5」として.秋田文化出版社から刊行したもの。斎藤博秋田情報ビジネス専門学校非常勤講師にも会う。
●5日、相馬。
●12日、ライザスキーワールド-山形市。
●15日、鳴子スキー場-中山平温泉、たくひでで佐々木綾人マネージャーに会う。
●19日、八戸。
●21日、秋田県森吉町。柴田照悦主事、森吉町観光開発公社北林文明、藤島和両氏、佐々木寛鷹巣高校教諭らと会う。森吉町観光開発公社はロッジ森吉を拠点に、コテージ・キャンプ場・テニスコート・人口芝滑り台。アスレチック遊具・バーベキュー広場などのある妖精の森を有している。コクド本社広報部広報課の海津学氏とクワッドリフトに乗る。コクド秋田案内所根本成幸所長、森吉・阿仁スキー場担当の高橋晃営業課長代理、仙台市青葉区本町の西武建設東北支店家島朋弘支店長、鷹巣高校佐々木寛教諭に会う。
●27~29日、秋田で本誌1996年3月号の校了作業、営業第3部田代正樹氏に会う。
●記録なし・動かなかった?
●1日、猿倉温泉。
●3日、宮城蔵王。青根温泉こまくさ山荘撮影。永井義人支配人に会う。
●7日、福島市から会津若松。
●8日、山形県温海町から国道7号を走って男鹿半島。
●9日、秋田から栗駒を越えて平泉へ。
●14・15日、平泉-封人の家-山刀伐峠-最上川。
●21日、岩手県湯田町。
●22日、庄内エリア羽黒山。
●24日、イラストレーター展示会で発見した作品を見て、コズミックの木村有里女史に会う。本誌の表紙制作を依頼。田原真智に似た女性。
●26日、福島市。
●27日、白河市。
●28日、8:15のJSA930便で福岡。
●5~8日、秋田-酒田。
●2日、夏油高原スキー場畠山和己取締役経理部長に会う。
●5日、鳴子温泉。
●6日、秋田県象潟町。
●13~17日、秋田県雄勝町-能代。14日かんぽの宿男鹿でスタックの原子摂氏に挨拶。能代で国民年金保養センターのしろの堀内光一営業副支配人に会う。15日つがる富士見荘に寄り、阿部久仁彦センター長に会う。岩木町国民宿舎いわき荘-浅虫温泉-森吉山荘。
●19・20日、いこいの村栗駒で二階堂武男営業課長に会う。とことん山-田沢湖ハイツ-盛岡。
●26日、薬莱高原温泉やくらい薬師の湯-宮崎町陶芸の里ゆーらんどで今野茂次長に会う。
●28日、秋田県西目町のハーブワールド秋田の佐藤真美氏に会う。
●29日、山形市グルメ石焼亭に立ち寄る。長谷部茂代表に会う。後、米沢。
●1日、秋田朝日放送吉田尚彦常務取締役・総務局長に会う。秋田県小坂町。中村脩太郎館長に会う。
●8日、福島県猪苗代町-柳津町の虚空蔵尊下にある小川屋訪問。福島市四季の里で佐藤幸英事業係長に会う。
●18日、土湯温泉-遠刈田温泉ホテルサンルート蔵王。清水裕道社長に会う。
●22・23日、宮古-田老町。サンオーエンの山口弘総支配人に会う。氏は以前営業企画部長だった人物。ペンションパルカームに寄り、中屋健一オーナーに会う-北陸中海岸。
●30日、R112を走る。
●2日、かみのやま温泉-赤湯温泉。御殿守。石岡要蔵専務に会う。
●11日、本荘グランドホテルで行われた佐藤耽泥画伯音楽葬に出席。伊藤肖子女史にも会う。後日、八幡下の佐藤初美さんから挨拶状が来 た。秋田県協和温泉。
●12日、赤湯温泉。
●17日、天童高原-新庄-尾花沢市徳良湖。
●24・25日、津軽西海岸-黄金崎不老ふ死温泉。1997.8ある読者から撮影しているところの写真を送ってもらった。
●27日、鳴子温泉-土湯温泉-飯坂温泉。
●30日、秋田市。
●4日、田沢湖潟前山-米沢-会津若松。
●5日、磐梯高原五色沼-西吾妻スカイバレー-蔵王エコーライン-月山。
●7日、宮城県鳴子町吹上高原。
●13日、会津-長沼町。山都町温泉保養センターいいでのゆ長谷川義隆支配人に会う。
●14日、御所湖-花巻南温泉峡。ケンジワールド開設準備室営業長坂恵二氏に会う。
●20・21日、宮城県花山村温湯温泉佐藤旅館-協和温泉四季の湯。今野栄孝料理長に挨拶-秋の宮温泉郷鷹の湯温泉・稲住温泉。稲住温泉の押切光彦支配人に会う。
●23日、サンルーラル大潟で八嶋茂夫総務部長と、また土崎新明社で伊藤幸衛宮司と会う。一関へ。
●24日、遠刈田温泉さんさ亭撮影。大宮浩常務に会う。
●1・2日、八戸-白浜。白浜海岸の民宿泊。久慈市のもぐらんぴあ見学。渡邊曻次館長に会う
●12日、岩手県室根村-釜石-船越半島。
●16日、奥松島ユースホステルパイラ松島八木喜久男マネジャーに館内を案内される。奥松島縄文村歴史資料館の森進総務係長、ペンションわん・すてっぷの小野公男オーナーに会う。
●23日、じゃんさい沼キャンプ場に寄る。宮原泰治氏が管理しているらしい。氏はすぐ近くでこけし宮原工芸も経営。その後、旅荘「やまの湯っこ」に寄り、佐藤豊治店主に挨拶。また若美町で夕陽温泉WAOの大渕征夫支配人に会う。
●26日、福島市。
●28日、角館町-森吉町。森吉町で成田陸雄企画観光課長、赤石光悦課長補佐、柴田照悦主事らと会う。東北電力秋田支店営業配電部信田順子氏と会う。
●29日~、鳥海ブルーライン-八甲田-弘前-盛岡-花巻(~5月1日)。
●4・5日、青森県小泊村民宿柴崎泊。前日、雄乃湯温泉に寄って秋元伊惣照支配人に、翌日、工藤尚代表取締役に会う。
●10・11日、秋田県雄和町。雄和町観光協会渡辺和弘主事、雄和トールケーゼ加賀谷亨組合長、さと味工房小白川敬技術員と会う-秋田温泉湯元さとみ。
●13日、田沢湖高原リフトの宣伝企画課三河司郎課長に会う。
●17日、19:00~20:30に宮城県津山町商工会主催の青年部・婦人部セミナーで講師。道の駅構想、県内の観光情報について話す。町内の三浦屋旅館泊。
●18・19日、日光-那須高原。
●20日、大潟村。伊藤博大潟村企画課長に会う。
●22日、大曲市。佐藤清商工観光課長、小西龍一商工会主席経営指導員と会う。北上市で鬼の館撮影。菊池和俊主査、石川貴洋学芸員に会う。
●24日、フリーパーソナリティの塚田順子女史に合う。
●6日、秋田県仁賀保町ホテルエクセル撮影。工藤俊治総支配人に会う-中仙町で北田正雄商工観光係長、営農相談室の渡辺与志秀氏らに会う。
●16日、「第6回リアス四季海岸観光塾」(気仙沼本吉地域広域行政事務組合主催)にコーディネーターとして参加。会場は本吉町まるやす会館。講師は近畿日本ツーリスト国内営業部東北仕入センター諏訪謙所長「広域観光への提言・観光の動向から探る周年観光への転換」。助言者は大崎コミュニティーカレッジ中島源陽学長、ホテル観洋阿部憲子女将。
●25日、相馬市。
●26日、山形県朝日町。
●3・4日、安比高原ペンションアサンギ。小岩井農場観光部菅原幸治課長・斉藤慎課長付・長沼淳営業担当に会う。SLホテル沢口秀志支配人にも会う。西根温泉ゲンデルランド撮影、佐々木新一営業主任に会う。
●5日、秋田協同書籍の佐藤直志営業第一課長、アルタブックス館の鬼川春樹氏に会う。
●12~13日、秋田県中仙町観光協会の高橋貞子女史、森の館仲野谷千支配人に会う。仲野谷氏はスタジオ1000所属のフォトクリエーター。秋田市郊外のクアドームザブ~ンで営業部企画担当の田宮昇氏に会う。かんぽの宿盛岡撮影。佐藤徳行副支配人に会う。盛岡市ホテルサンオーエンに泊る。13日。田老サンオーエンの上田静夫社長の次男である上田耕作社長に会う-安比高原ペンションアサンギ。翌日、小原桂子営業企画主任に挨拶。
●18・19日、アルツ磐梯。裏磐梯高原東急リゾート関谷達郎総務部係長に会う。
●23日、平泉。夢館奥州藤原歴史物語を見学。早坂士郎営業課長に会う。
●24~26日、秋田市。
●上旬、九州。
●10~12日、象潟-角館。金浦ではTDK秋田総合スポーツセンター撮影。佐々木久弥支配人に会う。また角館では商工会の門脇重経営指導員と会う。
●18~20日、気仙沼-宮古。19日は田老町のサンオーエンに泊まり、上田静夫社長に会う。彼は東京ビルヂングの社長。氏は田老町に西向山のこの岬を気に入る場所がないかとヘリコプターに乗って探したとのこと。スタッフの山口弘営業企画部長、堂尾洋一郎イベンプロデューサーなどに会う。
●19日、「仙台リビング」(仙台リビング新聞社)の560号に「旅に関する気になるトーク」と題して「あなたの旅はもっと楽しくなる」のトーク記事が載る。参加者は他に、近畿日本ツーリスト東北営業本部個人旅行販売課花田久于課長代理、国際ツアーコンダクター協会会員渡辺早苗女史。
●28日、寒河江。
●1~3日、オニコウベ高原。ペンションリトルウッドの小林達廣オーナーに会う-森吉山-小安峡温泉。
●6日、来社した北海道の新富良野プリンスホテル・富良野プリンスホテルの阿部秀樹販売担当、ニセコ東山プリンスホテルの樋口洋一副支配人、得丸聡販売担当、秋田県の千畑スキー場高橋晃営業課長に会う。また横浜八景島シーパラダイス営業部販売課の田沢繁大、阿部圭二郎両氏に会う。
●9・10日、十和田湖-下北半島。薬研キャンプ場では合衆国空軍三沢基地施設中隊消防本部バーナン・k・カーソリン副隊長と知り合う。
●11日、秋田市。
●13日、安比高原。
●14・15日、秋田県仁賀保町まるご旅館いちゑ撮影。
●1日、男鹿観光ホテル上野淳悦営業部長に会う。
●10~12日、泥湯温泉-秋田市-横手。横手駅前のゆうゆうプラザを撮影。佐々木長治支配人に会う。岩手県湯田町。
●19日、協和町峰吉川で早朝5:47ハミ禁通行区分違反で捕捉される。9000円。これによって一応9.26通知で10.27~11.25の30日間免停。講習で10.27一日の停止。
●4日、宮城蔵王ペンションたんぽぽ。山形市でサラミなどの商品を扱うヤガイの石山金男氏を紹介される。
●6~8日、湯沢-横手。稲川町で商工観光課山田仁氏に会う。
●27日、福島市-山形市。
●30日~秋田市。31日お多福で撮影。女将は三浦京子さん。若美町から男鹿半島。男鹿温泉では男鹿観光ホテル撮影。上野淳悦営業部長に会う-築館(~9月2日)。
●3日、久慈-八戸。
●8日、寒河江。
●9・10日、新庄-秋田。
●14・15日、日光東照宮-東武ワールドスクウェア-江戸村などで撮影。新しくできた日光湯元国民休暇村泊。宮崎謙爾総支配人は初めてだったが、旧知の矢田泰裕営業課長の部下福永育江女史とも会う。翌日、戦場ヶ原の撮影などもする。同行は大山泰子、モデル太宰女史。
●17日、秋田県藤里町。
●29・30日、鰺ヶ沢町-藤里町。ゆとりあ藤里の高橋正彦支配人と会う。
●この月発行の「季報ほくとう1994夏季号vol.32」にインタビュー「大正時代のたたずまい・尾花沢市銀山温泉-能登屋女将に聞く」と題した記事が載る。この年5月に銀山温泉で女将木戸良さんに聞き手としてインタビューしたもの。
●2日、蔵王温泉-山形市街地。帰りに渓流ラーメン。山形市菓子舗むらいやの村井敏雄社長を紹介される。
●4~5日、肘折温泉-鳥海荘-秋田市。
●7日、一関のホテル撮影。
●11・12日、津軽-森吉。東北道で小坂町付近、80kmのところで35kmの速度違反。6点。後に6万円の罰金処置。鯵ヶ沢プリンスホテルの小林章勇支配人、木村一彦営業課長に会う。12日、田沢湖高原元湯水沢山荘の近江公彦料理長に会う。 同山荘は東京銀座の塚本總業が経営ちょうど滞在中だった同社総務部の古川好位課長に挨拶。
●13日、瀬見温泉。
●25~26日、小安峡温泉-雫石。25日、渋谷区㈱ジッピープロダクション柴田芳浩ディレクターと会う。
●27日、鳴子温泉。
●28日、福島県猪苗代町。
●1~5日、秋田市-弘前-青森市。
●11日、寒河江つつじ公園。
●14日、盛岡。
●18~19日、北海道東北開発公庫の石森亮氏と銀山温泉。能登屋にて女将木戸良さんと対談。 目に異常?
●21日、東八幡平-安比高原-七時雨温泉ではオーナーであり、イーハトーブトライアル自然保護委員会の委員長である立花幹雄氏に会う。
●27日、蔵王温泉。
●28日、名古屋駅前の高砂殿で、従兄弟の川端剛士、美樹両人の結婚式。剛士父親規さんだけが出席。絹江叔母は「両親が2人とも足に不自由があるというのを出席者に見せるのは子どもが可哀そうだ」という理由で断腸の思いで欠席をした。式後剛士に母親への報告を電話しろと促す。翌日私の母親と松本美代子叔母を連れてレンタカーで三ヶ根山スカイラインをドライブする。後日8月19日、川端剛士の結婚を見届けて叔母松本絹江は自死永眠する。
●31日、泉区の菊地眼科を受診。
●6日、仙台市不動そば。柳瀬敬事事業部長に会う。
●14日、仙台港にて太平洋フェリー東北支店杉山英郎支店長、大江君秋氏に会う。
●16~18日、新庄-鼠ヶ関-岩手焼走り溶岩流。
●20日、中ノ沢温泉ぼなり。鈴木邦夫支配人、戸田義勝常務理事に会う。
●25~27日、秋田で本誌校了作業。
●28日、秋田県大森町。
●6日、秋田県若美町-男鹿半島。
●13・14日、アルツ磐梯、磐梯リゾート開発集客営業部原島雅弘係長に会う。
●20日、五所川原。
●26・27日、いわき-水戸-郡山-相馬。
●2~3日、JTB。
●16日、山形県朝日町。
●17日、宮城蔵王。
●19~22日、いこいの村岩手で総務係長の工藤隆一氏に会う-岩手高原-秋田市。
●22日、松島の錦楽食堂。
●28日、「第5回リアス四季海岸観光塾」(気仙沼本吉地域広域行政事務組合主催)に助言者として参加。会場はサンマリン気仙沼ホテル観洋。講師は、私の仕事関係にあって紹介した寒河江市農業協同組合観光農場課長工藤順一氏(寒河江市チェリーランド事務局次長)「観光産業を育てる」。助言者は他に、気仙沼湾観光協会西城重一氏。コーディネーターは総合企画アドプランニング高田真由美代表取締役。
●5日、田沢湖。
●10日、鳴子温泉。
●18日、一関。
●19日、八郎潟-かんぽの宿盛岡撮影。伊藤重孝支配人に会う。
●20日、寒河江。
●26日、宮城蔵王。
●30日、花巻-盛岡。
●1~7日、九州。福岡の福岡タワー、マリゾンに行く。従姉の大田貞子さんにも会う。後日、田口いずみ、門田吉夫氏から礼状。
●8日、東京JTB。
●13日、社員旅行で新野地温泉。露天風呂に4時間ほど入浴していた。
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●21日、キャッスルプラザ多賀城で赤羽正典・冨美子結婚披露パーティー。
●2・3日、藤里町-鳥海村。
●5日、宮城蔵王ペンションたんぽぽ。
●9・10日、岩手高原-八甲田。
●11日、阿部篤氏と金華山。鹿の角切り。
●15日、福島市浄土平。
●17日、栗駒高原。
●19日、上海倶楽部撮影。渡辺俊宏店長に会う。
●22日、秋田市。
●23・24日、津軽。
●25日、小安峡。
●28日、石巻サンファンバウティスタパーク。
●29日、東京JTB。
●5日、宮城県涌谷町。
●11日、宮城県村田町スポーツランドSUGO。
●25日、宮城県大和町。
●26日、宮城県丸森町。
●4日、塩竈。
●7~9日、秋田市。
●12日、宮城蔵王ペンションたんぽぽ。
●16日、東根温泉たびやかた嵐湯。平塚真喜雄専務と撮影の打ち合わせ。
●17・18日、蔵王温泉。ホテルオークヒル佐藤直己常務、大平ホテル岡崎靖氏に会う。
●23日、東根温泉たびやかた嵐湯にて撮影。
●28日、大曲、平鹿町の油谷満夫氏に会う。。
●29日、角館、田沢湖町抱返り渓谷。
●30日、従妹の中本都とその友人の碧南市在住の岡本和恵女史来仙。南陽、猪苗代、会津(~9月1日)。
●4日、相馬から山形県高畠町へ。
●22日、ベイパーク石巻撮影、松浦俊雄調査役に会う。
●24日、阿部篤氏と利府町、多賀城にも行く。
●25日、女川町。
●3~5日、「レジャーガイド」校了作業で秋田、天王町。
●6日、岩手。
●7日、秋田。
●12日、浦和に行ったFM仙台の藤田美奈さんから結婚しましたという挨拶状。
●23日、男鹿半島。
●6~7日、那須高原。
●25~28日、北日本海ガイド校了作業。
●30日~、北日本海ガイド校了(~5月3日)。
●13・14日、盛岡-秋田。
●17日、米沢。南陽市のハイジアパーク南陽、佐藤茂雄営業部長に会う。
●18~20日、「東北ドライブ」校了作業。
●5日、「第4回リアス四季海岸観光塾」(気仙沼本吉地域広域行政事務組合主催)に助言者として参加。会場は志津川町南三陸ホテル観洋。講師は、私の関係者として紹介した北海道東北開発公庫東北支店石森亮氏で「期待されるリアス四季海岸の魅力をどう活かすか」と題して講演。助言者は他に、唐桑町神止七福神舞保存協会伊藤喜栄子さん。コーディネーターは阿部長商店観光事業部担当伊藤芳美専務取締役。
●8日、岩手山麓。
●13日、蓑島、宮定石蔵33回忌。後日、田口いずみ女史から人参などを送った礼状が来た。
●20~22日、岩手県前沢町-江刺市-金ヶ崎町。
●13~18日、「東北ぐるめガイド」校了で秋田市(内15日に象潟町)。
●23・24日、休暇村羽黒。
●30日、宮城蔵王。
●1・2日、気仙沼。
●4~6日、「北日本海ガイド」取材のため、冬の日本海を国道7号線を富山県境まで走り、新潟-酒田-秋田と北上する。
●11~14日、秋田県皆瀬村-本荘-秋田-能代-大館。
●26日、石巻で網地島ライン安倍友一社長と会う。氏は飲食店友福丸のオーナー的存在の人物。
●27・28日、青森-弘前-大館。
●7日、松島。
●8日、秋田県十文字町。
●10・11日、陸中海岸宮古。
●12日、山形市。
●13・14日、社員旅行で花巻南温泉峡の渡り温泉。到着するなり麻雀に興じる。
●15日、深浦町。
●23日、松島。
●26~28日、「北日本海ガイド」取材で新潟-秋田。新潟では大学時代の友人・広瀬ひとし君と会う。
●1~5日、秋田市-本荘-藤里町。
●12日、仙台市立町小学校PTAで「東北の旅」講話。
●9日、北上市、みちのく民俗村開村式。
●17日、上山-山形-天童。
●18日、鳴子峡で紅葉撮影。
●20日、石巻。
●24・25日、湯ノ倉温泉-秋田県二ツ井町。
●28日、米沢十湯姥湯温泉-山形市。
●30日、秋田市-田沢湖-鹿角(~11月2日)。
●5日、金成町。
●12・13日、喜多方-米沢-上山、13日、秋の宮温泉、木地山。
●20日、峰浜。
●23日、新野地温泉。
●24日、秋保温泉。
●2日、青森ねぶたまつり。
●5日、仙台七夕まつり、前夜祭花火撮影。7日には七夕撮影。
●8~16日、九州。
●21・22日、津軽半島、22日は八甲田経由で仙台。
●30・31日、休暇村岩手網張温泉へ、休暇村田口誠所長、赤羽正典同行。
●4~6日、花巻市から男鹿半島。
●12~13日、津軽西海岸-盛岡。
●18日、秋保温泉水戸屋バーデンクリニックで撮影。桜庭文男カメラマン、モデル生出。
●19日、十和田湖で湖水祭り
●20日、田沢湖。鶴の湯、旅人木。
●26日、安比高原ペンションアサンギ。
●29~31日、秋田へ、小野貴信君と校了作業。
●12日、「秋田協同印刷80周年の会」に出席。
●14日、秋田から酒田・鶴岡へ。
●20~22日、夏油温泉-秋田経由-弘前市。
●25日、笹谷温泉一乃湯。
●3日、平泉
●4~5日、リナワールド。
●10日、秋田県岩城町亀田。
●14日、秋田県皆瀬村。
●18日、村田町のスポーツランドSUGO。
●28日、白石市。
●17日、男鹿半島。
●18日、秋田市民市場。
●20日、秋田県小坂町。
●21日、山形県天童市、河北町。
●26日、気仙沼大島でモデル撮影。
●27・28日、磐梯高原。
●2~3日、安比高原スキー場。同行=村崎永一。
●24~25日、休暇村磐梯高原。喜多方温泉おさらぎの宿営業の生江誠之氏に会う。
●28日、秋田県岩城町亀田でモデル撮影。
●1日、秋田。
●8日、秋田市協働社大町ビルで祝う会。
●15日、秋田にて臨時増刊「東北ドライブガイド」の校了作業(~17日)
●18日、仙台に一時戻る。
●19~20日、秋田。「東北ドライブガイド」の校了後半。21日、仙台に戻る。
●22日、第27回秋田県多喜二が開催されるが秋田にはおれず不参加。受賞した秋田県多喜二祭賞を吉田朗氏に代わりに受け取ってもらう。
●26日 「第3回リアス四季海岸観光塾」(気仙沼本吉地域広域行政事務組合主催)に助言者として参加。会場は唐桑町国民宿舎からくわ荘。講師は陸前高田市の河野和義氏「三陸圏域の魅力で観光客を呼ぶために」。助言者は他に、大内みえ子大内料理学院長。
●12日、米沢。
●15~16日、気仙沼。
●1日、九州で父親葬儀。安比高原で連絡を社から受けて東北道を飛ばす。東京乗り換え、最終の新幹線では新大阪までしか行けず、新大阪駅前のホテルに投宿、翌朝一番で福岡行橋へ。
●11日、「青森県津軽西海岸リゾート観光戦略フォーラム」パネリスト。アドバイザーは生内玲子女史、コーディネーターは北海道東北開発公庫の小林茂氏、パネリストは他に、羽田耕治、北村真夕美、小澤桂子の各氏。小林茂氏は、宮城県の出身。後に、平成17 年6月北海道国際航空株式会社(AIR DO)代表取締役副社長になる。経歴は昭和48年早稲田大学政治経済学部卒業、同年4月北海道東北開発公庫入庫、平成10年4月本店・地域プロジェクト推進室長、平成11年6月本店・調査情報部長、平成11年10月日本政策投資銀行政策企画部長、平成13 年6月日本政策投資銀行中国支店長、平成15年6月日本政策投資銀行監事、平成15年6月財団法人北海道東北地域経済総合研究所顧問兼務という経歴の人物。このフォーラム以降小林氏との付き合いが始まる。
●18月、秋田県八森町主催の「91エンジョイフェスティバルinはちもり」写真コンテストに応募していた写真2点「踊りの列」「祭りと少年」が入選。尤もこのコンテストに応募したのは全部で8人・21点で、優秀賞3人・3点、入選3人・5点だから、6人・8点の入賞の内に選ばれたということになる。入賞者は能代市民4人、秋田市民2人。盾と賞金を貰った。この応募は夏に八森町に行った時にたまたま開催されていた祭りの情景を撮影していたもの。
■1991.8行動日誌
●23日、福島県西郷村西郷観光キョロロン村中村孝夫副支配人に会う。
●28日、小岩井農場観光部戸田敦主任に会う。
●18日、白河市に行った際、旧知の紺野節子女史宅を酒と菓子を土産に訪問。白河市大信(当時村)増見石久保に在住していた同女史は不在だった。
●4月~とりあえず1年間。青森からの帰りにあるSAで高速道路モニターの募集を知り、締め切り間近だったので、そのSAで申込書を書いて、帰仙したその足で道路公団仙台支社に申込書を直接持ち込み、募集締め切りに間に合わせる。そして日本道路公団東北支社・高速道路モニターになる。年間50枚の通行券をいろいろ活用する(翌年度も受託して連続2期務める~1993.3)。
●20日、青森。棟方志方記念館の前で開館を待っていた富士市鈴川中町の高橋裕子さんと遇う。その後、青森県博物館の取材があったので一緒に行く。高橋さんは取材の経験を喜んでいた。彼女はその後、本来の目的地の五所川原へ。後日、静岡茶のお礼が送られてきた。
●1991.2.26 「第2回観光塾-女将会議」(気仙沼本吉地域広域行政事務組合主催)に助言者として参加。会場はホテル気仙沼プラザ。講師は岩手県湯本温泉ホテル対滝閣の大沢幸子氏「もてなし・味・腕の見せどころ」。
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