■2015.9.10<タイトル>
■本文(2000.0.0)
■2015.9.10<タイトル>
■本文(2000.0.0)
■2015.8.8<連理の枝>
■■安比高原近くにある不動滝への途中に「連理の枝」の木がある。この連理は、東北では山形県南陽市の双松公園でも見られる。公園の名前の由来になっているのは「妹背の松」という「双の松」は連理の状態が、みごと。
いうまでなく「連理」とは、樹木の理=木目が癒着結合したもので、「比翼」とともに夫婦和合の象徴として、結婚式のスピーチで例に出されている。 2006年のチェ・ジウ主演の韓国映画に「連理の枝」というのがある。 (2007.11.21)
■2015.8.8<映画「野獣死すべし」>
■殺人事件が起き、刑事が拳銃を奪われる。その拳銃でその後、カジノで強盗殺人事件が起きる。犯人は元戦場カメラマンの伊達邦彦(松田優作)で、彼は日常、読書・音楽の生活を送っている。
後日、銀行を襲う計画を立て、実地の検分をするが、その警備の状況を見て、共犯者の必要性を感じる。
東大の同窓会に出席した伊達は、会場のレストランで彼らに対して闇雲に挑戦的なウェイター真田徹夫 (鹿賀丈史)と出遇う。共犯者にしようとして真田に銃を教え、恋人雪絵(根岸季衣)の殺害体験をさせる。
やがて2人は銀行襲撃をするが、華田令子(小林麻美)が偶然、客として居た。行員達を次々と殺害し、金を奪い逃走しようとする際、伊達は伊達に好意をもつ令子に気付かれる。伊達はマスクをはずし、冷徹に令子に引き金を引く。白いセーターに血が滲む。
警察の緊急配備の裏をかき、鉄道を利用して脱出を図った伊達を刑事柏木秀行(室田日出男)が執拗に追い続ける。伊達の犯行と睨んでいた柏木は、事件を報じるラジオで令子が殺害されたことを知る。柏木は、伊達に拳銃を向ける。ところが同じ列車に同乗していた真田に銃を突きつけられ形勢を逆転される。伊達は「リップ・ヴァン・ウィンクル」の話をしながら柏木にロシアンルーレットで引き金を引く。耐え切れなくなった柏木は逃走を図るが暴行される。車掌をも襲撃し、2人は列車から飛び降り逃走する。狂気さを増した真田は逃亡先で出会った女を強姦をする。伊達は、冷徹に「お前、死ね!」と言いながら、真田を殺害する。
ラストでは再び柏木と会い、撃たれる。コンサートの席に座った伊達の腹部から血が流れ続けていた。
というものであるが、ストーリーが実に印象的な映画であった。戦場体験が伊達を異常にしてしまったということは明らかで、1980年上映の作品である。
特筆すべきは、レストランにおける真田の異常なまでの反抗的態度、ラスト近くの伊達が冷静に「お前、死ね!」と真田を殺すシーン。(2008.8.12)
■2007.11.18<太平洋戦争沖縄戦>
■沖縄戦で「軍の命令があったかどうか」という議論がありますが、その土俵は、「沖縄で戦闘があったのは当たり前のこと」ということを前提にしています。
なぜ沖縄県民が太平洋戦争終盤になって戦闘に巻き込まれたのでしょうか?それはいうまでもなく日本政府の都合で戦争に突入したためです
であれば、問題の原因である戦争が既に存在していた、ということをまず、問わねばなりますまい。そして、そのことが沖縄県民に対してどういうことを引き起こしたのかを問いましょう。
敗戦間近の沖縄で実際に、肉親を自分の手で殺さざるをえず、村人や親類を集めて、集団で死んでいった=殺された人たちがいる。その現場にいた生き残りの老人が「軍隊から命令された」といっているのに、「ある軍人が自分はやってない、と言っている」ということで、教科書から日本軍関与の記述を削除したというのが笑止。当時には生まれてもない今の政府の役人が否定する資格などないでしょう?<後者は勝手な言い分ですが>
米軍が上陸してきた時、南部に逃げようとした沖縄の人たちが、兵隊についていくしかなかったのに、それを拒否した日本軍。当然であろう、そもそも、軍隊自身と、国体を守るためにいつも存在している軍隊・兵隊は「民」を守らない。
沖縄の平和記念館での資料にある、父親が自分の子供の足を持って、頭を海岸の岩に何度も叩き付け、もう頭部がボロボロになっているにもかかわらず、それでも泣きながら叩き続けて、隣の人が「あんた、もう止めなさい、とうに死んでる」といったという話、親類の女・こどもの首を1本の縄で結びつけ、両端を力のある大人の男が引いて集団で窒息させたとか、そんな悲惨な「事実」もあるのに、いまさらこの真実を否定する人たちに抗議します。
極論すれば、「軍の命令があったかどうか」という議論は、本当はどうでもいいことではないでしょうか?そんな議論をしている限り、戦争そのものを問うところには行き着かないと思います。<南京虐殺だって同じ事です。30万人は殺していない!ですって?殺したのでしょ!3万人ならいいわけ?>。
「日本政府の都合で戦争に突入した」といいましたが、これはもちろん国民も賛成したのです。戦争をしない国にしていきましょう。
■2014.8.2.2<宮城県大崎市古川の沖縄そば>
■大崎市古川の「沖縄そば」の味を思い出した。日中、車を走らせていると、携帯電話が鳴った。友人のHだ。
今、古川にいて、「沖縄そば」に行きたいので、場所を教えてくれとのこと。4号線古川バイパスを49号交差点から北に2km。ほぼ国道沿いファミマの裏と説明した<後でメールが来て、このファミマは閉店になっていたとのこと>。
この沖縄そばは、ずいぶん昔からある店で、まだ仙台に住んでいない時代に、秋田から仙台に走っていた時、偶然この店に入った覚えがある。その時も夜遅く(確か22:15)まで営業していた。「沖縄そば」そのものを全く知らないので美味しさが分からなかった。
夜、国道を走っていると、縦に延びた屋根上に輝く赤いネオン文字「沖縄そば」が目に入る。箸の袋に印刷している文字からするとどうも店の名前は正しくは「沖縄蕎麦」らしい。
その後、何度もこの店に来ていて、北からの取材の帰りににはわざわざ立ち寄っていた。沖縄そばの他、沖縄料理のメニューのいくつかを食べた。店の人ともそれなりに懇意になった。
沖縄そばは、ご存知の通り、麺はラーメン(正確にはちゃんぽん麺)、スープはうどんという感じがあっていわゆる「そば」というのとはほど遠い食べ物。
以前、沖縄に行った時、「元祖沖縄そば」という奴を、名護市役所そばの店で食べたことがある。国際通りの観光客向けの店でも食べて、「沖縄そば」という食べ物を舌で知った。これは冷麺を知らない時代、連日会社の近くの焼肉屋で冷麺を食べ続け、ようやくその味を理解できたのと同じだ。
東北地方のあちこちの店で沖縄そばを食べたが、この古川郊外の沖縄蕎麦は、スープも良い、麺もいいけれど、骨が本物のボリュームあるソーキに大きな特徴があり、どこよりも好きな沖縄そばなのである。
写真はその沖縄そばと、エキゾチックな店内。
■2008.2.4<国会本会議場の速記者の存在について>
■国会の本会議場を見ていて思うのですが。速記者がいますよね。
これは正式の国家試験資格ですが、このシステムは必要なのでしょうか?
テープのない時代の遺物ではないかと思うのですが。
年間、幾らの予算が使用されているのでしょうか?
もちろん、廃止ということになれば現職の人たちの職業補償とかが必要なので、数年をかけて廃止しなければならないでしょうが。
議事録を作成する際、必須のものなのかな。
「速記」という日本文化を残すことの意義は認めているのですが。」
きゃふん*コメント
今はテープでさえ時代遅れですよね。
「テープ起こし」も死語です、ここら辺り(どこだ?)では。
文字化したファイルだけでなく、素の音声もネットでやり取りする時代だということを関係官僚の方々は知っているのか、いないのか???
■2014.10.9<ホヤのこと>
■ホヤは現存する最も古い海の生物だともいわれています。
ホヤは、よく、仙台を訪ねてきた客人などに、牛タンの他に、居酒屋などで、郷土料理のひとつとしてすすめるメニューになっている食材の一つです。
ホヤは、東北地方、といっても、宮城県金華山以北の、三陸海岸で主に獲れるものだからです。よく見るのは「マボヤ」というもので、北海道では「アカボヤ」という種類が生息しています。いずれにしても、関西以西ではほとんど見られません。
このホヤは新しさを損なうと、途端に美味しくなくなるため、生産地以外で生のホヤを食べた時、「ホヤは不味い」として、全く敬遠されています。
しかしホヤは、新鮮であればあるほど、潮の香りがして、独特の苦味と、軽い甘味があります。酒の肴にぴったりです。
ホヤは、漢字で「海鞘、海のさや」「老海鼠、老いた海の鼠(ナマコ)」「石勃卒」あるいは「保夜、夜を保つ)」などと書きますが、最後の「保夜」はもちろん当て字です。でも、そのように表現されるほど、栄養がある食べ物なのです。「海のパイナップル」「海のミルク」ともいわれるホヤは、体を動かすエネルギー源であるグリコーゲンがカキの2倍、しかも、冬の時期のホヤに比べて夏は8倍ものグリコーゲンが含まれています。肝臓病や夏バテ、糖尿病などに効果があります。
面白いことに、このホヤは、根が生えて、岩などにくっついていますが、幼虫の頃は、本当にメダカのような格好で泳いでいて、ある時期、海中の岩にピタッと定着して、それからはそこに固定し成長していきます。養殖の場合は、収穫までに4年ほどかかります。
薫製加工のホヤもありますが、「新鮮なホヤ」は、やはり、海辺で獲ったばかりのものを食べるのが最もいいということになります。