第46回秋田県多喜二祭


第46回秋田県多喜二祭(2011年2月19日)

記念講演は李修京(イースウギョン)氏

時代を経て、国境を越えて共感できるものは何か

 冒頭、主催者を代表して斎藤重一委員長が「多喜二は 戦争と深く関わる作品を残しており、満州事変から80 年を迎える今年は意味深い年。多喜二祭開催から50周 年となる来年は多喜二展の開催を目指したい」と挨拶し た。記念講演・李修京(イースウギョン)さんは「いま、 多喜二文学を読むI韓国近代文学研究者の立場から」と 題して、これまで触れられることの少なかった韓国朝鮮 関連の人々を紹介しながら、社会的良心こそ、時代を経 て、国境を越えて共感できる市民意識であることを強調 された。
 また多喜二について「社会の実態を自分の目線で伝え ようと努力したジャーナリスト精神を持ったヒューマニ スト」と評した。翌日の秋田魁新報は「自己目線で社会 伝える」との見出しで多喜二の業績を偲んだ多喜二祭を 大きな写真とともに伝えた。

暗黒の時代の中に芽生えた普遍的良心

 李修京さんは2005年に中国の河北大学で開かれた 「中国小林多喜二国際シンポジウム」で研究発表。若く して虐殺された文学者としての多喜二と、朝鮮からの留 学生で終戦直前に福岡刑務所で不審な死を遂げた韓国の 国民詩人の尹東柱らの活動と時代を見据えた彼らの素質 について論じた。
 暗黒の時代の中で芽生えた普遍的良心の動きとして、 多喜二と同じ思いを抱いて社会の変革を試みようとした 若者たちが、朝鮮からの留学生や在日の文学者の中にも 少なくなかったこと。さらにプロレタリア文学運動の 先頭に立った金斗鎔などの活動家を紹介した。中には 1909年1月に生まれ、29歳で非戦の川柳などで暴 圧に抵抗し、命を落とした鶴彬(喜多一二=かつじ)や、 反戦の立場を明確にし、神童と呼ばれながらも自分の社 会的精神を貫き、26歳で世を去った槇村浩(吉田豊道) らの活動と植民地に苦しむ人々を理解した彼らの人間性 を紹介した。

もっと他者に対する関心を

2000年立命館大学で、「蟹工船」の白黒映画を教 材として平和学の授業を行ったことがあるが、その時、 「受講生の多くは生活のために苦しむ過去の人々の悲し い歴史として捉えていた発言が多かったことを記憶して いる」と述べて、最近の若者の他者に対する無関心な姿 勢やコミュニケーション能力の低さに触れた。そして多 喜二の残したメッセージから「癒し合える環境の確保と 維持が人間の生きる術」との自身の考えを強調した。
 そこには一国・一民族のためではなく、普遍的に被抑 圧者の生活向上や不条理な労働環境や搾取からの解放を めざした共通認識が存在していたことを指摘した。今日、 閉塞的な社会環境が再来するかのように見える。それ故、 「多喜二の同時代意識を再評価することができるとすれ ば、われわれにもっと他者に対する関心と理解、そして 連帯への促しを強調する時代が必要だ」と述べた。

多喜二はヒューマニスティックなジャーナリスト

 李修京さんの講演には、152人が参加し、熱心に 耳を傾けた。参加者の感想として、「韓国人の立場から、 日本と多喜二にかかわる多くの中国人や韓国人や「クラ ルテ」の関係者を仔細に調べておられることに感心し、 感激しました。多喜二を、当時の状況をつぶさに描いて、 後世に伝えようとしたジャーナリストである、というと らえ方はとてもユニークで面白いと思いました」
 「大と大をつなげる力となった多喜二。フランスの「ク ラルテ」運動、『種蒔く大』の運動、さらに金基鎮らの 朝鮮でのプロレタリア文学運動、こうしたヒューマニス トのネットワークが大切だと思いました。李修京の講演 に大きな勇気と瘡しを頂きました。東京から参加した甲 斐がありましたなどの共感の声が寄せられたのだった。


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