第44回秋田県多喜二祭


第44回秋田県多喜二祭(2009年2月21日)

記念講演は碓田のぼる氏

例年の1・5倍の参加者

 多喜二の『蟹工船』をはじめとする作品が、多くの大 たちによって熱心に読まれる時代となった。その理由と して、人間を使い捨てにする冷酷な資本、海外派兵をく りかえす自衛隊の変貌などが、70年余前の多喜二の時 代によく似てきたことがあげられる。  雇用不安など昨金の社会経済情勢を反映し、多喜二へ の一般の関心は高く、悪天候の中、210人の参加を得 た。参加者のプライバシーを考慮して受け付けの方式を 変えた最初の多喜二祭であった。入場者数は資料袋の印 字のナンバーで把握された。講演者の知名度や記者会見、 多喜二祭賞受賞者の事前発表などの多様な宣伝活動と北 条常久副実行委員長の「魁」寄稿文の波紋、これまでの 運動のつみかさねなどが背景にある。  記念講演は歌人・碓田のぼる氏であった。碓田氏は「い まに生きる小林多喜二〜私か学んできたこと」と題し て、多喜二にまつわるさまざまな研究や評論を紹介し、 江口渙、啄木、渡辺順三などその影響の大きさを指摘し た。中でも「文学は『敵』さえも味方にする力をもって いる」と啄木と多喜二の関連性に注目が集まり、「歴史 の中で読むこの意味がわかりました。今後多喜二を読ん でみたい」などの感想が寄せられた。  碓田さんは「多喜二が今もよみがえっているのは偶然 ではない。歴史の流れの中で多喜二は忘れられることな く、さまざまな社会条件によって浮かび上がってくる」 と強調したが、「不破さんの多喜二の読み方。おもしろ かった。なるほど」と説得力のある感動的な講演であった。

「韓国の歴史と文化を訪ねる旅」の感動

会場には「実行委員会運営要項」掲載の「しおり」が 配布され、多喜二の生涯にふさわしく年間を通じた実行 委員会活動の方向が模索された年であった。要項の主旨 に沿って、5月には映画「蟹工船」の上映会、九月には「韓 国の歴史と文化を訪ねる旅」を実施したことも報告され た。  実行委員会による4泊5日の「韓国の旅」・ツアーは訪 問地も限られたものであったが、一行に深い波紋をもた らした。1980年の「5・18光州事件」の事蹟地や日 本帝国主義による植民地支配の一拠点であった釜山市 を見学した。「日本近現代史の重い責任を背負ったこと を自覚させられた」と吐露する人。「全斗煥政権の誕生、 なぜ光州の市民運動を弾圧したか、アメリカがなぜ弾圧 にゴーサインを出したか、核心に迫る話を聞くことがで きた」との感想を書いた人もいた。多喜二が結ぶ絆は「蟹 工船」翻訳者、多喜二論文の著者、資本論翻訳者、松田 解子の作品の翻訳者などと現地で交流できた至福にとど まらず、文字通り「韓国の歴史と文化」を深めたのであっ た。

秋田県多喜二祭賞に西成辰雄さんと松島啓昇さん

講演に先立ち、秋田県多喜二祭賞を、元十文字町長の西成 辰雄さんと韓国・慶州市の社会福祉施設「ナザレ園」を 支援している松島啓昇さんの2人に贈られた。多喜二の 生まれ故郷である秋田での「多喜二祭」は、今年で44回 を数えるが、定着と広がりの可能性を感じさせる多喜二 祭であった。


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