第42回秋田県多喜二祭


第42回秋田県多喜二祭(2007年2月17日)

記念講演は藤田廣登氏

時代を誠実に生きた二つの青春

小林多喜二の文学は、時代を誠実に生きた青春によっ て生みだされた。第42回秋田県多喜二祭は「小林多喜 二と伊藤千代子」という時代が結んだふたつの青春に光 をあてて開催された。伊藤千代子研究者・藤田廣登さん の記念講演は、千代子の生涯とその生きた時代について、 徹底した調査と探求で今日的な課題を明らかにした。そ の講演は内容の深さと真摯な研究姿勢で162人の参加 者に新鮮な感動を与えた。伊藤千代子の存在がよく知ら れているといえない中、年若い女性が治安維持法によっ て弾圧され、痛ましい犠牲になる日本の暗黒時代への憤 怒を強く呼び覚ました。

秋多喜二と伊藤千代子の接点はあったか

「小林多喜二と伊藤千代子」の接点はあったか、藤田 さんの講演は興味深いものであった。1928 年2月 20日、日本で最初に行われた普通選挙。この総選挙に 非公然の共産党員が無産政党(労農党)から公然と立候 補して選挙闘争が闘われた。小林多喜二『東倶知安行』 の中に、「一、参拾圓也   東京×××子」との描写 があり、その「東京×××子」は伊藤千代子ではないか、 との指摘があった。当時、伊藤千代子は東京女子大卒業 を控えていて、その卒業資金として郷里の祖母から送ら れてきた費用全額を夫の浅野晃に要請されて拠出し、涙 ながらに卒業を断念した。山本懸蔵が、その資金を得て 多喜二らの待つ小樽へ向けて出立することができたかも 知れない。
 東京女子大学の社会科学研究グループのリーダーで あった千代子は、直後の2月下旬、日本共産党に入党、 中央事務局(今日の書記局)の任務につき、その活動途 上、1928年3月15日の大弾圧で「赤旗」秘密印刷 所で逮捕され、警察署で激しい拷問を受け、市ケ谷刑務 所に収監された。千代子は、獄中で夫・浅野晃の転向に よる裏切を知り、純粋であるゆえにその衝撃は強く、精 神的混乱をきたし、松沢病院に入院、回復期に向かいな がら肺炎により24歳の短い生涯を閉じた。
 多喜二と千代子、2人の直接の出会いはなかった。だ が、天皇絶対の専制支配とファッシズム下の日本で、反 戦平和の青春の炎を燃やしたという点で深くつながって いる。
 藤田さんは2004年2月秋田市アトリオンで開催さ れた「多喜二展」をプロモートした方でもあった。伊藤 千代子の事跡調査の途上でめぐり合った多喜二の盟友た ち卜寺田行雄や古川友一らについての最新の研究成果を 取り込み、三・一五弾圧との遭遇と多喜二の飛躍を織り 交ぜ、新資料をスクリーンで紹介するという親しみやす い講演だった。

中村洋子さんの独唱/中川祐子さんによる『束倶知安行』 の朗読

さらに千代子の諏訪高等女学校在学中に歌人として、 校長として接した土屋文明が、教え子の非業の死を悼み、 昭和10年11月号の『アララギ』に「某日某学園にて」 6首の歌を発表したが、その短歌に曲を付したものを中 村洋子さんが心を込めて独唱した。石黒アヤ子さんによ るピアノの伴奏は、歌曲の感動をさらに高めた。  近江谷昭二郎、吉田慶子両氏の秋田県多喜二祭賞の受 賞は多喜二祭賞を重みのあるものにし、中川祐子さんの 『東倶知安行』の朗読は参加者に深い波紋を広げた。


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