第32回秋田県多喜二祭


第32回秋田県多喜二祭(1997年2月22日)

記念講演は伊多波英夫氏

人間の限りない成長を教える 多喜二の生き方と文学

第32回秋田県多喜二祭が、22 日秋田市の協働大町ビルで110人余 が参加して開かれました。実行委員 会を代表して佐藤好徳さんが「戦前、 治安維持法によって逮捕、虐殺され。 その著書も『国禁の書』とされた作 家の文学碑が、死後60余年をへて、 生まれた古里・秋田県大館市に完成 したことは、やはり歴史的できごと ではないでしょうか」と文学碑建立 の意義にふれて開会の挨拶。日本共 産党秋田県委員会文化部長・荻原和 子さんは「小林多喜二の生きかたと 文学は、私たちに人間の成長には限 りがないことを教えている。多喜二 祭に参加するたびに何時も多喜二の ように生きたいと励まされる」と来 賓挨拶。日本民主主義文学同盟を代 表して江崎淳さんは「小樽、東京・ 杉並、秋田で開かれてきた多喜二の 集いは、全国の民主主義文学運動を 励ましてきた」と連帯の挨拶をしま した。

大館の生んだ三大先覚  昌益、亨吉、多喜二

記念講演は、小林多喜二文学碑建 立実行委員長の伊多波英夫氏による 「多喜二と大館と人びとと」。
 伊多波さんは、昭和47年『週刊 朝日』が「日本の五〇傑」を編集し た時に、その中に近代文学者として 小林多喜二が入っており、秋田から はもう1人安藤昌益が選ばれたこと を紹介、「私は、多喜二の生まれた 古里・大館が生んだ三大先覚は、安 藤昌益、狩野亨吉、小林多喜二だと 考えており、この三大先覚をこれか らも顕彰していきたい」と、多喜二 文学碑建立運動にかかわった経緯を 述べ、「文学碑の形は、荒波に向かっ て行く蟹工船の舳先と見ることも、 多喜二の怒りの拳と見ることができ る」と。
 また、生まれた古里と多喜二につ ながる人々30人余を紹介、数々の エピソードを交えながら多喜二の生 涯と人となりを語りました。その中 で、大館生まれで、小樽高商に学ん だ歌人・佐々木妙二さんが奇しくも この2月になくなられたが、佐々木 妙二が秋田師範の先生をしていた昭 和5年に多喜二は秋田に妙二を尋ね てきている。多喜二の一家は夜逃げ をして北海道に渡ったように思われ ているがあれは多喜二の作品「転形 期の人々」に描かれたフィクション で、本当は家も親戚に譲り渡し、ふ るまいもして渡道している。多喜二 が恋人・田ロタキに最初に贈ったの は啄木の歌集だった、多喜二自身も 短歌を愛していた。などを語り参加 者を魅了しました。

合唱、作品朗読、スライド  上映など多彩な催し

集会では、「歌声は明日のために」 など四曲を秋田合唱団が演奏、秋田 演鑑の会長でもある木村覚さんが小 林多喜二の作品「党生活者」の1節 を、文学碑の碑文になった多喜二の 自筆、「年譜」を文学同盟秋田支部 の遠田喜美子さんが朗読しました。 また、小松盛二さんが自作の歌集 「続・蝸牛集」の中から短歌を朗読 しました。

伊多波さんの解説でスライド上映

昨年、10月の小林多喜二文学碑除 幕式の催しを記録したスライドが、 伊多波さんの解説で上映されました。

参加者の感想から

「毎年、合唱のすばらしさに感動 します。来年は、多喜二追悼の歌、 ぜひお願いできませんか」
「挨拶に、長い間『国禁の書』と ありましたが、自由民権から百年後 も公安警察の形で弾圧は現在もやら れている」
「県立博物館などに、多喜二顕彰 の常設コーナー設置の運動をぜひ」
  「いいお話でしたね。多喜二の人 柄がしのばれて、多喜二に会いたい 気持ちです。多喜二祭は、本当にい い集まりですね」

多喜二祭賞について

1997年2月22日
 第32回秋田県多喜二祭実行委 員会
 1997年度の秋田県多喜二祭賞 は、皆川実(能代市)氏に贈られま した。
 皆川 実(みながわみのる)
 1907(明40)年3月8日神 戸市生まれ、89歳。現在能代市在 住。
 東洋大学国文学科中途退学。1928 (昭3)年頃に、日本労働組合 全国協議会(繊維)に加盟、京モス、 東洋モスリン争議にオルグとして参 加。また戦前、講演会で小林多喜二 の話を聞いています。
 1943(昭18)年、補充兵と して招集され、1946(昭21) 年に復員。妻・ウメさんの故郷・秋 田にかえり能代市東雲原の飛行場跡 地に開拓者として入植。
 以後、今日まで生涯を開拓と農業、 農民運動にささげ、能代市農業委員 (10期)、能代開拓団副団長、東雲開 拓農協組合長、能代農民組合執行委 員、同組合長、日農秋田県連執行委 員、同統制委員長などを歴任、社会 の進歩と発展に大きな足跡をのこし ました。
 歌誌「寒流」(秋田市)、「藝林」 (東京)同人。歌人としての業績は、 農業、農民運動の実銭者としての足 跡に隠れがちであったが、昨年、歌 集「これの墾野(はりぬ)に」を刊 行。(注・墾り=はり、古語、新し く土地を開く、開墾する、の意)
 来しかたは来しかたとして雲雀嗚くこれの墾野にわれ鍬振る
 雪降れば寒からんとぞかへりみて妻の眠れる丘を去りゆく
 この原に骨を埋める誓ひたてちかいを果たしわれに先立つ
 わがのこる焔掻きたて闘はむ白髪生うとも農守るべく
 歌集「これの墾野に」 は、氏の膨大な短歌の中から選び、 編まれたもので、皆川さんの自分史 でもあると同時に、偽れる者を許す ことができない強靭な闘いの精神、 時代と歴史をみる目の確かさ、と万 葉の歌を愛した豊かな情感をもって うたいあげられた珠玉の歌集であり ます。
 現在、能代農民組合顧問、日本共 産党秋田県委員会顧問、日本民主主 義文学同盟能代・山本支部会員、歌 誌「寒流」同人。
 皆川さんは「土屋文明ぐらい長命 して、少しでも人民の側に感動を与 え、役立つ歌をよみたい。私か若か りし日、上野駅の裏にあった自治会 館で、ナップ主催の講演会で『蟹工 船』の出版を機に上京した多喜二が、 うら恥ずかしそうな面持ちで演壇に たたれた姿を思いうかべています」 と受賞の言葉をのべられました。


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