第30回秋田県多喜二祭


第30回秋田県多喜二祭(1996年2月19日)

記念講演は伊豆利彦氏

 30回目を迎えた秋田県多喜二祭 は、秋田市の県生涯学習センターで 多喜二とその文学の愛好家をはじめ、 市民、学生など130人が参加して 行われました。
 日本共産党秋田県委員・秋田市議 いとう昭二さんは、来賓挨拶の中で、 「おい地獄さ行ぐんだで!」と小林 多喜二の作品『蟹工船』の冒頭の1 節を読み、紹介しながら、「差別と 抑圧、なによりも戦争と貧困をなく したい、これが私の政治信条の出発 点」と、多喜二の魂を受け継いで政 治革新を、と決意を述べられました。

戦後50年を考えることは戦前の 50年を考え未来を考えること

記念講演は、横浜市立大学名誉教 授・伊豆利彦さん。
 伊豆さんは、「秋田は多喜二の古 里、プロレタリア文学の源流になっ た『種蒔く人』の創刊の地、小牧近 江や、『監房細胞』の作者・鈴木清 さん、『おりん口伝』の松田解子さ んなどの文学者、また、中川利三郎 さんを国会におくった」と日本本の近 代文学と現代にしめる秋田の位置を あきらかにしながら、「戦後の50 年を考えることは、戦前の50年を 考え、未来の50年を考えること」 だと。阪神大震災について「50年 前のあの戦災の焼け跡、原爆の被爆 は、戦前の50年の決算で、戦後の 50年の決算を阪神大震災に見る思 いがします」と、戦後50周年のも つ現代的意味を問いかけました。

多喜二を語ることで戦前の 50年をかたる

多喜二の文学は、単に文学の頷域 にとどまるものではない。『蟹工船』 では「こんなこと内地さ帰ってなん ぼ話したって本当にしねんだ」と描 かれているように、「隠された事実 を人々に突きつけなければならない」 これが多喜二の文学への一貫した思 いだった。また、作品『一九二八年 三月十五日』を例に、「小樽の市民 はなにもしらないで過ごしている」、 しかし「三・一五事件を語らないで 昭和を語ることも、治安維持法を語 ることもできない、多喜二を語るこ とで、戦前の50年を語ることが大 切」と多喜二の文学作品のもつ現代 的意義を解明しました。小林多喜二 は時代のテーマを書き続けた作家で あり、多喜二の作品を読まないで、 戦前の天皇制下の、帝国主義、軍国 主義の日本の現実を知ることはでき ない、と『蟹工船』『党生活者』『沼 尻村』『地区の人々』『工場細胞』な どの作品をあげました。とくに未完 の長編『転形期の人々』について フ」の作品は、関東大震災のあとの 時期から三・一五までの時代を、自 分の生い立ちにたち返って、しかも 転換期の時代を描き出そうとしたも の」と。また、それぞれの作品に描 かれている例をあげ、「社会民主主 義者の裏切りなしに、あの侵略戦争 を進めることはできなかった」「今 は、闘いに負けるが、労働者や人民 の闘いにむだは無い」ということを 書き続けた。「人間は闘うものだ。 裏切りは、人間の魂を腐敗させるも のだ。今日の社会党はどうだ。今も 同じようなことが行われている」 「政党が名前を変えるときは、国民 には危ない時代。戦前にも政党がく るくる名前を変えた時期があった」 など、作品内容にそって解明しまし た。
 伊豆さんは、最後に小林多喜二が 『小樽新聞』に書いた(1927年5 月)『十三の南京玉』のなかの「『昨 日まで歴史が進展して来た事を認め ながらも、もう今日で歴史が永久に 停まってしまったように感じる』連 中がある」を引用、現代はわれわれ に、新しい困難と、新しい運動の展 望を与えてくれている、「小林多喜 二の文学、われわれの文学を国民の なかに積極的に持ちこまなければな らない」と、現代の課題について参 加者に呼びかけました。

多彩な、文化の催し

秋田合唱団が「はじめのことば」 「その夏を教えて」「野ばら」などを 演奏、劇団「すかんぽ」の榎徳太郎 さんによる小林多喜二の作品「十二 月の二十何日の話」の朗読、秋田演 劇鑑賞協会の木村覚さんが多喜二祭 実行委員会代表・中川利三郎さんの 詩「バシー海峡」を朗読。
 民族歌舞団わらび座のみなとあい こさんのピアノと歌、啄木の「初恋」 「故郷」、多喜二の母・セ牛が歌った という「山路をこえて」の笛の演奏、 など多彩な文化行事がおこなわれま した。

小樽から、連帯のメッセージ

小樽多喜二祭実行委員会(松本忠 司委員長)から、「67年前の第1回 普選で、山本懸蔵候補のために、職 を賭し、地吹雪のなかを多喜二が突 き進んだ勇気と情熱は、今日、私た ちに何を問いかけているのでしょう か」と、多喜二の遺志を受け継ぐ連 帯のメッセージが寄せられました。

阪神大震災の救援募金

阪神大震災、救援と1日も早い復 興は国民みんなの願い。
 司会者から訴えも行われ、会場で は、救援募金が行われました。

小林多喜二文学碑建立募金の訴え

来賓として挨拶された、大館市・ 小林多喜二文学碑建立の会の大山兼 司氏(文学同盟大館支部長)は、小林 多喜二文学碑建立の経過、募金の現 状を報告、引き続き募金への協力を 訴えました。
 なお、当日参加者には「建立の会」 のニュースなどが配布されました。

参加者の感想文から

参加者から、当日寄せられた感想 をご紹介します。
 「初めて参加しましたが、全体とし てとてもよかったと思います。会場 も気にいりました。来年も、できれ ば出席したいです」
 「伊豆先生のお話が大変わかりやす かった。こんなに精力的に話できる ことが不思議だった。選挙を闘った 姿や、大学での講義の様子などが思 い浮かばれます」
 「講演はよかった。このお話をもっ と多くの人に聞いてもらいたいと思 いました」
 「榎さんの作品朗読、すごく感動し ました。すばらしい多喜二、すばら しい母セキ」
 「中川先生の詩は、すごく感激でし た。先生のこれまでのあらゆる行動、 お話の原点に出会った、と。ふたつ とも、涙でした」
「多喜二祭賞、黒羽先生の、その本 をぜひ読ませていただきたいと思い ました。中谷先生らの見えない努力、 業績にも心が打たれました。  今日、ここに、この多喜二祭に出 させていただきよかった!ありかた かった!の実感です」
 「記念講演は、多喜二の作品に現代 の日本の時代状況を踏まえて、新し い角度から光をあてて、解明してく れました。  また、「十三の南京玉」のような ごく短い評論を「多喜二と現代」の 前面に据えたお話は、「隠されてい ることをつきだして……」という お話とも一致して、感激でした」
 「大正生まれ、また、渡満いたした る者であれば、多喜二氏の気持ちは、 このことかと思うほどにわかり、感 激いたしました。  今日のような催しを行って頂き、 身のひきしまる思いでした。ありが とうございました」
 「母のことがたくさん語られ、我が 母の生涯と自分の生い立ちを想いお こし、おもわず涙しました。
 伊豆先生のお話は、あらためて多 喜二の小説を読み返す必要を教えて くれたと思う。  また、目先の勝敗でなく、真理に 生きる事、という意味のお話に感動 した」
 「多喜二祭は、これで3回目の参加 でしたが、企画も演出もすばらしい と思う」
 「講演にもありましたが、多喜二の 作品が一般に普及している状況とは いいがたいと思う。ぜひ、実行委員 会で普及活動に取り組んでいただき たい」
 「講演を聞きながら、日本共産党の 綱領の第7章を想い浮かべていまし た。このロマンこそ、多喜二から受 け継ぐものでないかと」
 「講師は、多喜二の『転形期の人々』 を、現代の視点で評価、解明してく れた。多喜二作品の持つ不滅のちか らのようなものを感じた。読み返し たい作品の第1号に」

多喜二祭賞について

第30回秋田県多喜二祭賞は、昨 年、小説『『ルビン一九四六年』を 上梓された黒羽幸司さんと、秋田県原爆被害者団体協 議会(被団協・中谷敏太郎会長)に贈 られました。  2月19日(日)第30回秋田県多喜二祭で授賞式が行われました。
 小説『ハルビン一九四六年』は、 第2次世界大戦が終わった1946 年(昭和21年)のハルビン市(中国 東部・旧満州)が舞台。ハルビンで 敗戦を迎えた学徒兵や(ルビン学院 大学などの学生たちが「戦争とは、 国家とは、天皇とは………」と、自 らに問いかけながら生き方をもとめ て苦闘する青春とその群像を描いた もの。
 この作品は、日本共産党創立70 周年記念文芸作品(長編小説の部)で、 佳作第1席(入選作なし)に選ばれた 『松花の流れに』を改作、改題のう え昨年出版されたものです。
 日本の敗戦、生きることさえも困 難な激動と混乱の中で、未来への希 望をもとめて、人類が生み出した知 性をみちびきに真摯に生き、学ぶ青 春像は、時代を越えて現代を生きる 私たちに、大きな激励と感動をあた えました。
 戦後50年の歴史的年に、改めて 時代と社会に目を開かせるものです。  また、20世紀のはじめに「さて、 新しい年がきた。俺達の時代が来た。」 と、時代と苦闘しながら、社会進歩 と豊かに成長する人間像を描いた小 林多喜二の青春時代を思い浮かばせ るものがあります。

黒羽幸司さん

1922年(大正11年)生まれ。 旧制三高文科中退、戦後、慶応義塾 大学(文)を卒業。秋田県で公立高校 の教員を務める。 「奥羽文学」同人。著書は「落日の 涯に」(小説・1980年、秋田文 化出版社刊)。  また、近年は「赤旗」紙上に「く ろはこうし」の名で「八月の風はお 前の声」「望郷」などの詩を発表。  秋田市在住・秋田市楢山南新町上 丁23。

秋田県原爆被害者団体協議会

秋田県原爆被害者団体協議会(被団協・中谷敏太郎会長)は1961 年(昭36)に結成、翌年、日本 被団協に加盟。以来、「原爆がつく りだした破壊の地獄絵図を人々に語 り続け、核兵器の廃絶と、被爆者援 護法の制定を求め」て運動をスづけ てきました。
  一昨年(1993年)秋田県在住の 被爆者による記録「秋田の被爆者− ヒロシマーナガサキの証言」をまと め、従来の記録を増補し上梓されま した。   「核兵器の直接で最初の被害者と して、語りたくない体験を勇気を出 して語り続け、世界の人びとに核戦 争阻止、核兵器廃絶を訴え」続けて きた記録と運動、その内容はともに 秋田県民共通の願いでもあります。  戦後50年の歴史的年に、この記 録をまとめられた被爆者一人ひとりの 声は、いまなお被爆に苦しんでいる 人々への思いとともに、あらためて 広島、長崎の被爆とは何であったか を、私たちに問いかけるものであり ます。
 秋田県被団協の皆さんの労苦と努 力をたたえ、また、小林多喜二の生 涯と業績に学び、時代の本流をになっ て社会の進歩と革新を願う広範な人々 の希いをこめて、ここに多喜二祭賞 を贈るものであります。  秋田県原爆被害者団体協議会(中谷敏太郎会長)  1961年結成、1962年日本被団協に加盟。  1985年に、県内被爆者の声を集めた記録「語り継ぐ四〇年」を出 版。  1990年9月、秋田県議会が 「国に対して被爆援護法制定要請」 を議決、この議決によって県内全市 町村が「国に対する要請議決」を採 択する成果になった。  1993年8月、「秋田の被爆者− ヒロシマ、ナガサ牛の証言」を出版。  1995年、被爆50年、さらに 運動の前進をめざしている。


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