大山兼司


初期の頃の思い出から

  私のかかわった初期の頃の秋田県多喜二祭の思い出をいくつか記してみたい。
  1962年2月20日の第1回多喜二祭は私が秋田大学二年生の時である。今はもう懐しいルネサンス式の県児童会館が会場であった。講師は生前の多喜二とも交流のあった鈴木清、原太郎、今野賢三の3氏である。詳しい内容はも う忘れてしまったが、ぬれ雪の中を沢山の人たちがつめかけ、熱気に溢れていたと記憶している。多分この会がきっかけとなって秋田リアリズム研究の人たちを知ることになり、私も月1回の例会に誘われるようになったのだと思う。
  1964年に大学を卒業した私 は、更に大学院を目指して、予備校講師として働きながら語学の聴講生として時々大学にも顔を出していた。そして第4回(1965年2月25日)と第5回(1966年2月25日)の2回の県多喜二祭に他のリアリズム研究会のメンバーと共に関わることになった。 当時研究会の例会はすずらん通りの松坂古書店の二階を会場に行われ、多喜二祭講師の休憩所にも使われた。第4回講師の佐藤静夫氏はドイツ文学や評論が専門で、いかにも温厚な語り口と風貌で親しみやすい人であった。第5回講師の窪田精氏は前年に結成された日本民主主義文学同盟の有力な幹部でもあり、精悍な印象を受けた。
  1966年春には郷里の鹿角に帰り就職したので、秋田県多喜二祭からは離れることになった。
その後大館市に住んでいて、秋田市出身だが大館鳳鳴高校を卒業したT氏の誘いを受けて、1979年民主主義文学同盟大館支部を作ることになった。『段丘』という簡単な機関誌も作ったが、せっかくの多喜二生誕の地なんだから多喜二の集いもやろうということになり、1980年2月24日に松田解子氏を迎えて第1回「大館市多喜二記念の集い」を行なった。会場は旧桂高校の校舎を利用した大館中央公民館であった。
第2回の講演は津川武一氏(この準備の中で多喜二の従弟木村勇二氏宅から多喜二のオーバーが見つかった)、第3回は及川和男氏と東北在住の作家を講師に迎えた。
それ以来今年2015年まで1回も欠かすことなく36回目を迎えている。この間実行委員になった人たちの多くが年をとって十分活動できなくなり、続けるのは大変になってきたが、秋田県多喜二祭の講師を翌日大館の集いに来てもらって今のところ何とか続けている。
またこれと並行してこの間10年ほど続けられた「多喜二のふるさと大館市で多喜二を読む会」も、 出生地ならではの方言や風俗、歴史などにもふれながらの読書会で 高い評価を受けた。
おおやまけんじ:大館市小林多喜二文学碑建立の会。民主主義文学会大館支部長.。記録第2集『読本・秋田と小林多喜二』に「多喜二文学碑、生地大館市に完成」エッセイ「大館市多喜二の集い10周年を迎えて」を執筆。記録第3集『小林多喜二・生地からの発信』に「木村勇二(多喜二の従弟)さんを訪ねて」「初期の頃の思い出から」を執筆。→参考:ひと「小林多喜二の生誕地ですべての作品を読もうと燃える大山兼司さん
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