尾西康充


集団が生み出す暴力―「人を殺す犬」「一九二八年三月十五日」

  イラクの米軍アブグレイブ刑務所では、囚人を震え上がらせるために、大型の軍用犬が使われていた。口輪を外した軍用犬が監房に送り込まれ、少年拘留者を恐怖におとしいれたという。小林多喜二の「人を殺す犬」(小樽高商「校友会々誌」第38号、 1927年3月)を思い起こさせる凄惨な光景である―タコ部屋から脱走した源吉は、見せしめのために、仲間の土工夫たちの前で、土佐犬によってかみ殺される―多喜二がこの小説を創作してから90年が経とうとするが、人を人とも思わない、理性を逸 脱した行動が今日の社会にもみられるのである。
ジョージ・W・ブッシュ政権は、テロとの戦いにおいて拷問は容認できる必要な戦術である≠ニ定義した。米軍によって拘束された反政府分子や外国人―テロとは無縁の民間人もそこに含まれていた―に対して、ジュネーブ条約で認められた保護条項を 適用せず、虐待が容認される尋問センターを設立したのである。2001年10月から2006年4月までの間、拘留者の虐待で告発された人数は600名をこえた。軍用犬係の軍曹は、口輪を外した犬を使って囚人を拷問した罪で収監6カ月を宣告された。だが将校レベルになると、刑事責任を問われた 士官は五名いたものの、司令官責任の原則で起訴された者は1人もいなかった。
 スタンフォード大学名誉教授のフィリップ・ジン バルドー氏は、アブグレイブ刑務所における捕虜虐待の裁判に際して、刑務所看守アイヴァン・フレデ リック軍曹の鑑定人を務めた。ジンバルドー氏によれば、「人間の行為を深く理解するためには、個人の力、状況の力、そしてシステム≠フ力の範囲と限界を認識することが不可欠」であるという(1)。鑑定 人を引き受けたのは、彼がスタンフォード大学での 監獄実験―面識のない大学生たちを無作為に囚人と 看守に分け、見せかけの監獄の中でしばらく過1971年8月14日か6日間、新聞の求人広告で集まった学 生を囚人役九名と看守役九名に振り分け、大学構内 に仮設した模擬刑務所で生活させるというもので あった。実験から得られた重要な結論の1つは「状況によっては、そこに生じる何らかの力が、個人の 抵抗を封じ込めかねない」危険を発見したことであった(2)
人は誰でも、独立心を奪われ、権威に服従し、 恐怖を前にして我を失い、自己弁護と正当化に埋 没していく可能性を秘めている。ありふれたふつうの人が、悪を容認し、はては積極的に関わるようになる。その過程で大きな鍵になるのは、人間 性の喪失だ。思考回路が麻痺し、他者を人間以下の存在とみなすには、人間性の喪失が欠かせない。 そうなると一部の人々は、特定の人々を敵とみなし、あいつらは苦痛や拷問や死滅に値するとまで考えるようになる(3)
ニューヨークのスラム街サウスブロンスクの貧困 家庭に育ち、心理学の分野でキャリアを積む現在に 至るまで、ジンバルドー氏の内面にはルシファー(堕天使)効果≠ニも呼ぶべきものが影を落としているという。没個性化(匿名性と破壊衝動)、非人 間化、道徳的束縛からの解放、傍観者の怠慢などが 組み合わさって、一般市民が権力への同調と服従を示すようになる。アブグレイブ刑務所における捕虜 虐待の裁判は、フレデリック軍曹を含め7名の軍人が有罪となったが、ジンバルドー氏によれば、それらの残忍な行動は、異常な性格を持った一部の腐ったリンゴ≠ノよってなされるのではなく、彼らがお かれた状況の異常さがそれを生じさせる。そこに投げ込まれた人間が狂気におちいってしまう腐1巻第7、8号、1928年11、12月)には、小樽 警察署の留置場でおこなわれた拷問の実態が描き出されている。凄惨な拷問が繰り返しおこなわれたの はなぜか―。ジンバルドー氏はブラジルの軍事政 権下でなされた拷問現場を調査した経験にもとづい て、加害者はサディストであったわけでは決してないという。なぜなら「こうした人物は管理能力がなく、苦痛を与える楽しみに胸を躍らせてばかりで、自白の強要という目的を忘れてしまう」からである。 「拷問者や暗殺団の死刑執行人は、その役割にたずさわる前は異常でも変質的でもなかったし、その任 務を終えたあとの数年間でも、変質的傾向や病的逸脱は見られなかった」とする(4)。異常性格を持った個人に原因を帰するのではなく、個人が属していた集 団に目を向けるべきであるという主張は、ジンバルドー氏において首尾一貫している。集団を形成する 圧力が個人の内面を無意識に変容させる。集団から認められようとして同化を急ぐ個人は、集団を支配 している権威に同調し、服従するプロセスにおいて 権力を内面化する。
彼らの変化は、多くの状況や組織に関わる要素(たとえば、彼らがこの新たな役割を演じるため に受けた訓練、集団としての仲間意識、国家安全 保障というイデオロギー、社会主義者と共産主義 者は祖国の敵だと吹き込まれた信念など)の帰結 だった。状況的影響要因はほかにもあった。たとえば、この特別な任務を与えられることで、自分たちは特別で、同僚よりも格上で優秀だと感じら れること。同志のあいだだけで任務の秘密が共有 されていること。疲労や個人的問題とは無関係に、成果を出すよう、たえずプレッシャーをかけられることなどだ(5)
このような集団の特徴は、日本の警察権力と共通するものだろう。特別高等警察に配属された刑事た ちは、国体護持≠目的に選り抜かれた警官であることを自覚し、他の警官以上に反共イデオロギーを内面化させていた。そして特高課の組織拡大を目指し、思想犯や政治犯の検挙数を増加させることに齷齪していた。容疑者を内偵して検挙し、拷問によって自白を強要するという彼らの行動は、すべてが秘密主義で覆われていた。その結果、肥大化した特高 警察は活動家たちを、そして多喜二を死に至らしめ るまで激しい暴力を浴びせ続けることになったので ある。

(1)フィリップ・ジンバルドー『ルシファー・エフェクト  ふつうの人が悪魔に変わるとき( THE LU-CIFER EFFECT  Understanding How Good People Turn Evil )』(鬼澤忍・中山宥訳、2015年8月、海と月社、5頁)
(2)同右書、8頁。
(3)同右書、8頁。
(4)同右書、469頁。
(5)同右書、469〜470頁。
おにしひろみつ:三重大学教授。記録第3集『小林多喜二・生地からの発信』に「集団が生み出す暴力」、「『不在地主』-労農の連帯で争議に勝った」を執筆。
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