小林多喜二略年譜


秋田県との関連を中心に

■1865(慶応1)年
9月9日○多喜二の父・末松生まれる(北秋田郡下川沿村川口)
■1873(明治6)年
8月22日○多喜二の母・セキ生まれる(北秋田郡釈迦内村)
1886(明治19)年
12月○セキ、釈迦内の木村家から川口の小林家末松に嫁す
■1893(明治26)年
8月26日○今野賢三(本名・賢蔵)生まれる(土崎港町)
■1894(明治27)年
4月4日○金子洋文(本名・吉太郎)生まれる(土崎港町)/5月11日○小牧近江(本名・近江谷)生まれる(土崎港町)
■1899(明治32)年
2月13日○中條(宮本)百合子生まれる(東京小石川原町)
■1903(明治36)年
12月1日○小林多喜二生まれる(北秋田郡下川沿村―現大館市)
■1904(明治37)年
2月10日○日露戦争始まる
■1905(明治38)年
7月18日○松田解子(本名ハナ、後大沼)生まれる(仙北郡荒川村―現大仙市)
■1907(明治40)年
12月下旬○多喜二一家、小樽へ移住
■1910(明治43)年
4月○多喜二、潮見台小学校に入学
8月22日○「日韓併合に関する日韓条約」調印
■1914(大正3)年
7月○第1次世界大戦勃発
■1916(大正5)年
4月○多喜二、庁立小樽商業学校入学
■1917(大正6)年
この年○島田正策・斎藤2郎らと絵画サークル始める
11月7日○ロシア革命
■1919年(大正8)年
この年○校友会誌「尊商」編集委員、詩、短歌、小品を書き始める
■1921(大正10)年
2月25日○『種蒔く人』創刊(南秋田郡土崎港町)『小説倶楽部』10月号に、多喜二(17歳)「老いた体操教師」が選外佳作第1席で掲載される
10月○『種蒔く人』(東京版)創刊
■1922(大正11)年 3月3日○全国水平社創立
7月15日○日本共産党創立
■1923(大正12)年
のの年○『新興文学』7月号に「藪入り」入選
9月1日○関東大震災発生、戒厳令下亀戸事件、朝鮮人など虐殺続く
■1924(大正13)年
1月○別冊『種蒔き雑記』発行、『種蒔く人』終刊
4月○小樽高商(現小樽商科大学)を卒業し、北海道拓殖銀行に勤務。小樽にて多喜二主宰の「クラルテ」創刊、田口タキと知る
8月2日父・末松逝去(享年60歳)
■1927(昭和2)年
7月○日本共産党「27年テーゼ」
■1928(昭和3)年
2月○普通選挙法による第1回総選挙、労農党・山本懸蔵候補迎えてたたかう
3月15日○3・15事件(日本共産党への大弾圧・検挙者1600人3月全日本無産者芸術連盟(ナップ)結成
4月○田中内閣による治安維持法の改悪(死刑法)は審議未了となる
5月○『戦旗』創刊「1928年3月15日」『戦旗』11〜12月号に掲載。
6月○治安維持法の改悪(死刑法)、天皇の緊急勅令によって公布。全国に特高警察の網広がる
■1929(昭和4)年
2月○日本プロレタリア作家同盟結成
4月20日○多喜二小樽警察署に拘引され家宅捜索を受ける(4月16日、日本共産党への大弾圧・検挙者4942人)『戦旗』5〜6月号に多喜二の「蟹工船」掲載9月、戦旗社から『蟹工船』刊行(発禁)、改訂版を含め半年間に3万5千部を普及
10月○世界恐慌始まる「不在地主」(『中央公論』11月号に掲載)
11月16日○多喜二、拓殖銀行を依願退職の形で解雇される(『中央公論』11月号掲載の「不在地主」が直接の理由)
■1930(昭和5)年
3月末○小林多喜二、秋田経由で上京
「工場細胞」(『改造』4月〜6月号に掲載)
5月3日○貴司山治、野田律太らと亀戸事件の地を訪ねる
5月中旬○戦旗防衛巡回講演会で京都。大阪、兵庫、三重を巡回。帰路大阪で共産党への資金援助の疑いで島之内警察署に検挙され拷問を受ける
6月○いったん釈放されるものの東京で再逮捕され、豊多摩刑務所に収監される(31年1月まで)
■1931(昭和6)年
3月○神奈川県・七沢温泉福元館に逗留、「オルグ」仕上げる
4月末○杉並区馬橋に母セキを小樽から迎え、弟三吾とともに住む
「オルグ」(『改造』5月号)、「独房」(『中央公論』7月号)
7月○作家同盟第4回臨時大会で、常任中央委員・書記長に選任さる
8月○「都新聞」に「新女性気質」(のち「安子」と改題)連載開始
9月6日○群馬県伊勢崎の文芸講演会で村山知義、中野重治らと検束され、警察署包囲の民衆の手によって釈放さる
9月18日○満州事変(柳条溝付近南満鉄線爆破事件)。日本軍による中国への本格的な侵略始まる
10月○日本共産党に入党「転形期の人々」(『ナップ』10月〜11月号に掲載)
11月初旬○多喜二、奈良の志賀直哉を訪ね、懇談。
■1932(昭和7)年
この年○「東京朝日新聞」(3月8日から10日付)に「戦争と文学」を連載、あるべき反戦文学の指針を示す
3月○文化分野への弾圧が厳しくなり、多数の幹部を奪われ、多喜二らは地下活動に移り、東京港区・麻布十番に住み伊藤ふじ子と結婚、文化運動の再建に献身
5月○コミンテルン、日本共産党「32年テーゼ」決定
6月から7月にかけて○多喜二、日本共産党機関紙「赤旗」学芸欄に、「戦争から帰ってきた職工」、「ある老職工」を連載。多喜二は、林房雄らの文学運動内の右翼的偏向、分派活動を批判する一方、日本反帝同盟執行委員として極東反戦会議の準備に奔走する
8月下旬○「党生活者」執筆
■1933(昭和8)年
1月○「地区の人々」執筆
2月20日○正午過ぎ小林多喜二、東京・築地署の特高警察によって逮捕され、同署で拷問により午後7時45分、虐殺さる(29歳4ケ月)
2月21日○警察当局は「心臓麻痺」とデマの発表。深夜、遺体は馬橋の家に安置
2月22日○解剖を拒否され通夜
2月23日○葬儀・告別式参加者が総検束された。ロマン・ロラン、魯迅はじめ内外から多数の抗議と弔文が寄せられた
2月25日○「小林多喜二の夭折を弔す」朝鮮日報白鐵(ペクチョル)
3月15日○小林多喜二労農葬(築地小劇場)小林多喜二「地区の人々」(『改造』3月号に掲載)小林多喜二「転換時代」(「党生活者」改題、『中央公論』4月〜5月号に掲載)小林多喜二『日和見主義に対する闘争』(労農葬を記念して文化連盟から出版)
■1934(昭和9)年
2月22日○日本プロレタリア作家同盟解散
■1935(昭和10)年
2月21日○多喜二を偲ぶ会(神田・大雅楼)
■1945(昭和20)年
8月6日○原爆投下(広島)
8月9日○原爆投下(長崎)
8月15日(敗戦)
■1946(昭和21)年
2月20日○小樽「故小林多喜二追悼の夕べ」
■1947(昭和22)年
2月23日○札幌「小林多喜二記念祭」
■1948(昭和23)年
3月7日○小林多喜二15年祭(新日本文学会主催・東京神田)
■1949(昭和24)年
2月○初めて「多喜二祭」名称の集会が東京で開催。聴衆二千数百人
この年○札幌、千葉、大阪、8幡でも開催
■1951(昭和26)年
6月○多喜二・百合子研究会創立
■1953(昭和28)年
○『映画蟹工船』原作・小林多喜二脚本・監督山村聡
■1956(昭和31)年
4月○第1回啄木祭開催・於日米文化会館(発起人・今野賢三、押切順三、中川利三郎、柴田正夫―やがて秋田県多喜二祭に発展)
■1957(昭和32)年
8月2日○小林多喜二生誕の地碑建立・除幕式(建立7月)(旧下川沿村川口・現大館市)・揮毫=江口渙
■1958(昭和33)年
4月15日○小林多喜二25年祭(東京豊島公会堂、新日本文学会・多喜二・百合子研究会共催)
■1961(昭和36)年
5月10日○多喜二の母・セキ逝去(享年88歳)
■1962(昭和37)年
2月2日○第1回秋田県多喜二祭(県児童会館400人)(記念講演、鈴木清・原太郎・今野賢三)
■1963年(昭和38)年
2月○多喜二祭30周年記念祭(小樽、函館、札幌で開催)
2月26日○第2回多喜二祭秋田県産業会館講演=江口渙
■1965(昭和40)年
10月9日○小林多喜二文学碑(小樽・旭丘展望台に)建立
■1968(昭和43)年
2月20日○日本共産党「多喜二・百合子賞」設定
■1969(昭和44)年
2月20日○第1回多喜二・百合子賞に松田解子「おりん口伝」・伊東信「地獄鉤」入選
■1976(昭和52)年
2月18日○小林多喜二・野呂榮太郎・岩田義道偲ぶ大集会(東京)
■1980(昭和55)年
2月24日○第1回大館市小林多喜二記念の集い(講演・松田解子)
■1981(昭和56)年
2月○多喜二のオーバー見つかる(大館・本村勇二宅)
■1983(昭和58)年
2月20日○『秋田県多喜二祭の記録』第1集(秋田多喜二研究会)
■1987(昭和62)年
○多喜二生誕の地碑移設(下川沿駅前)に伴い、地元町内会による地碑保存会結成される
■1988(昭和63)年
2月20日○第1回熊本多喜二・百合子に学び・かたる早春の集い
■1989(昭和64・平成1)年
2月20日○第1回杉並・中野・渋谷多喜二祭
■1992(平成4)年
3月○三浦綾子『母』刊行
■1993(平成5)年
2月20日○「小林多喜二追悼歌」(1933年、佐野嶽夫作詞・吉田隆子作曲)大館「小林多喜二生誕の地碑」前で献歌
■1996(平成8)年
10月13日○生地大館市に小林多喜二文学碑建立・揮毫=松田解子
■1999(平成11)年
11月○大館「地底の人々」読書会始まる(後の「小林多喜二をふるさとで読む会」へ発展)
■2001(平成13)年
4月20日○『読本-秋田と小林多喜二-秋田県小林多喜二の記録』第2集(「秋田と小林多喜二」刊行会)
■2002(平成14)年
3月2日○第1回神奈川七沢多喜二祭(於神奈川・伊勢原市民会館、講演・相原進)
■2003(平成15)年
2月20日○第1回阪神北多喜二祭、第1回広島多喜二祭
7月○白樺文学館・多喜二ライブラリーが東京・港区麻布にオープン(多喜二研究再活性化の引き金となる)
8月3日○松田解子第49回日本母親大会特別分科会(秋田市)「小林多喜二と松田解子-秋田が生んだプロレタリア作家」にて挨拶
9月28日「小林多喜二の母・セキ生誕地碑」建立(大館市釈迦内)
10月○安藤昌益生誕300年・小林多喜二生誕百年記念大館市先人顕彰祭(11〜13日大館市)
11月30日○小林多喜二生誕百年記念国際シンポジウム(東京)「多喜二の文学は語りつくされたか?」(日、米、中国、韓国350人)
■2004(平成16)年
2月○小林多喜二生誕百年記念「小林多喜二展」(18〜21日)「多喜二祭と多喜二展」が陸上自衛隊情報保全隊による日常的な市民監視対象になっていることが明らかに
8月28・29日○第2回小林多喜二国際シンポジウム(東京)
■2005(平成17)年
7月○「CD・多喜二へのレクイエム」(シュガー・ケイ詞・曲)
11月12〜13日○中国小林多喜二国際シンポジウム(於中国河北大学)
■2006(平成18)年
2月○映画『時代を撃て・多喜二』(監督・池田博穂)
8月5日○『多喜二と生地』(秋田ほんこの会刊・通巻82号)
■2007(平成19)年
2月7日○第1回大阪多喜二祭(於アピオ大阪、講演・島村輝)
秋○upto25「蟹工船」読書エッセーコンテスト(締切11月15日、小樽樽商科大学、白樺文学館・多喜二ライブラリー共催)
■2008(平成20)年
2月10日○『私たちはいかに「蟹工船」を読んだか』小林多喜二「蟹工船」エッセーコンテスト入賞作品集(白樺文学館・多喜二ライブラリー刊)
2月26日○小林多喜二没後75周年第20回杉並・中野・渋谷多喜二祭(於東京・杉並公会堂、講演・不破哲三)
3月15日○没後75年生誕105年「多喜二の文学を語る集い」(於東京・池袋、講演・祖父江昭二、朴眞秀)
5月2日○「読売新聞」夕刊「『蟹工船』悲しき再脚光」記事掲載(『蟹工船』ブーム始まる)
9月7日○第1回伊勢崎多喜二祭(於伊勢崎市文化会館、講演・平山知子)
9月16日〜18日○オックスフォード小林多喜二記念シンポジウム(於イギリス、オックスフォード大学)
■2009(平成21)年
5月15日〜24日○劇団俳優座「蟹工船」公演(脚本・演出・安川修1、於東京・俳優座
10月○井上ひさし『組曲虐殺』(こまつ座・ホリプロ初演)/12月11日付○「タキさん(旧姓田口)101歳で死去」秋田魁のスクープ(12月28日田口タキ逝去の報)
■2010(平成22)年
2月24日○NHK歴史ヒストリア「小林多喜二」放映
3月26日〜30日○東京芸術座・創立50周年記念公演「蟹工船〔1968年初演時の村山知義演出による〕(脚色=大垣肇、演出=印南貞人・川池丈司、於東京芸術劇場中ホール)
11月○神奈川県七沢温泉・福元館の多喜二が滞在した離れ修復保存工事完成
■2012(平成24)年
2月21日〜23日○小樽小林多喜二国際シンポジウム(於小樽商科大学)
3月16〜19日○秋田県多喜二祭50周年記念「多喜二展」(アトリオン)
■2013(平成25)年
11月13日○NHKラジオ深夜便「小林多喜二」(澤地久枝)
■2014(平成26)年
11月3日○2014年・全国の多喜二祭講演録『闇があるから光がある―新時代を拓く小林多喜二』学習の友社から刊行
■2015(平成27)年
2月21日○大館市下川沿公民館改築落成に伴い、入り口正面に多喜二初版本を含む「多喜二コーナー」オープン多喜二の遺体を遺族が囲む新しい写真を発見(東京・貴司山治遺族宅にて)
■2016(平成28)年
1月○山田火砂子監督による、三浦綾子原作「母」の映画化決定(現代プロダクション)

出典:秋田県多喜二祭の記録第3集「小林多喜二・生地からの発信」(秋田県多喜二祭実行委員会・2016)

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