大山兼司


多喜二文学碑、生地大館市に完成

1903年(明治36年)10月13日。小林多喜二 が秋田県北秋田郡下川沿村川口(現大館市)に生まれた 日である。多喜二が生きていれば93回目の誕生日に なった1996年10月13日。生地大館市に立派な文学 碑か完成し、除幕式が行われた。
 当日は、夜来の雨がうそのように晴れ上がり、建立地 大館郷土博物館園庭の背後にある獅子ヶ森の松の緑がひ ときわ鮮やかであった。
 地元大館市はもちろん、全国から集まった150名ほ どの人々が見守る中、建立の会会長石田真さんによる式 辞に続き、石田会長、小林周副会長、多喜二のいとこ木 村勇二さん、母セキさんの実家の現当主木村勇作さんの 手によって除幕が行われ、秋の陽に青白く輝く碑は姿を 現した。高さ1.7m、幅1.8m、厚さ75cm、中国産黒みかげ石の本体は、見る人を圧倒 するような迫力はないが、何とも言えないような現代的 センスを感じさせる。その形状は見る人によってどんな 発想も自由だが、実行委員長伊多波さんの説明によると 「蟹工船」に出てくるカムサッ力の海の波頭のようであ るし、怒りの握りこぶしのようでもある。又、先端のと んがりは未来へ向かっての前進を表していると言っても よいだろう。そして碑の前には、松田解子さんが情熱を こめて一字一字書いた題額「小林多喜二文学碑」が置か れている。碑文には、「一九三一・一・二五」の日付の ある、多喜二自筆の「年譜」の冒頭の部分が刻まれた。
  「ぼくは1903年秋田の田舎に生れた。母は旧暦8 月23日だと云っているが、村役場の帳面には12月 1日となっている。ゴーゴリーの主人公になりそうな、 この上もなくのんびりした村長さんでもいたらしい。父 は自作兼小作農で、母は旦雇の娘だった。農閑期には2 人で近所に建っている土工のトロッコ押しに出かけたり したそうだ。切り立った崖鼻の鋭いカーヴを、ブレーキ を締めながら疾走した時の事を、母は時々ぼくに話す」
 そして碑の裏面には、多喜二の略歴を書いた金属パネ ルがはめこんである。
 小畑大館市長の祝辞の後、実行委員長伊多波さんの事 業報告があり、碑文に刻まれた「年譜」の全文が、大館 市民劇場の瀬尾英子さんの表情豊かな声で朗読された。 次いで大館市の女性合唱「コールO・M・G」による献 唱(「小林多喜二追悼の歌」、「母」)があり、その澄んだ 歌声が、前途豊かな若き作家非業の死を悼むかのように、 秋空に吸われていった。最後に、女性ロータリークラブ とでもいうべき国際ソロプチミスト大館支部の会員によっ てどうだんの木が記念植樹され、11時から始まった式 は45分ほどで終わった。
 午後からは、会場を秋北ホテルに移して祝賀会が行わ れた。その中で、講話「小林多喜二の思い出」と題して マイクの前に立った松田解子さんは、91歳の高齢を 心配してすすめられた椅子も断って、30分の持ち時間 一ぱいに、60年以上も昔のプロレタリア文学運動や多 喜二の思い出を、つい昨日の事のように生き生きと語っ た。
  「1930年の秋、新宿の喫茶店『白十字』で初めて 多喜二と会った。作家同盟の座談会だったと思うが、集 まったのは20人ほどで、たまたま女は私だけだった。 会が終るとみんなは、警察にでも引っぱられるといけな いので、そそくさと思い思いの方角に急いだ。しかし、 上京して間のなかった多喜二は、たまたま通りかかった 東京のチンドン屋を『オッ』と言って、立ちどまってし ばらく眺めていた。その田舎者ぶりを少しも隠さない素 直な様子と探求心に、私は『三・一五』の人間像の彫り の深さを思い浮かべ、わずか24歳でこの名作をもの にした多喜二の天才と日常ふだんの努力のIたんを見る 気がした。またある時、横浜の講演会に向かうハイヤー の中で、多喜二、江口渙、大宅壮一らと一緒になった。 話題は多喜二作品中の女性像のことになり、発展して女 性問題や性の問題も話し合われた。その中で多喜二は、 先輩である江口や大宅に少しも臆することなく、女性論、 科学的立場からの性の問題について堂々と論陣を張って いた。まだ遊廓などが一般的であった時代に、タキさん という1人の女性を一個の人格として愛し続けた多喜二 の面目躍如たるものがあった。
            多喜二は自分を育てた小樽をいかに愛していたか、又 ルーツとしての大館がいかにその作品に投影されている かは、その作品を読めばよくわかる。働きづめであった 両親から受けついだ困難に遭ってもくじけないそのねば り強さ。努力してあれだけの仕事をやりとげた生き方、 人間性に私たちは今でも励まされる。私も東京に帰った ら、新しい世の中の実現を願った多喜二の遺志を受けつ いで、選挙戦でがんばりぬく」
 松田さんは疲れも見せず、その夜も民主主義文学同盟 大館支部主催の集いに参加して、働く者、虐げられてい る者の立場に立って、そのハートをこそ書くべきである と、私たちを叱咤激励してくれた。
 生地大館市で、同盟支部が中心となって「多喜二記念 の集い」を重ねる中で、「大館にも立派な文学碑を」の 声が高まり、没後60年の1993年から具体化が進ん だ。途中用地問題で難航したこともあった。しかし、1687件、15,565,324円(1996年10月14日) に及ぶ寄付をはじめ、全国の心ある人々からの物心両面 にわたる支援の下、この大事業は一つの到達点を迎えた。 この間、同盟各支部からの連帯と支援は、どれだけ私達 の励ましになったかわからない。この誌上をお借りして、 あつく御礼申し上げると共に、この文学碑を全国各地の 人々に見ていただくことを切に願っている。
 
おおやまけんじ:大館市小林多喜二文学碑建立の会。民主主義文学会大館支部長.。記録第2集『読本・秋田と小林多喜二』に「多喜二文学碑、生地大館市に完成」エッセイ「大館市多喜二の集い10周年を迎えて」を執筆。記録第3集『小林多喜二・生地からの発信』に「木村勇二(多喜二の従弟)さんを訪ねて」「初期の頃の思い出から」を執筆。→参考:ひと「小林多喜二の生誕地ですべての作品を読もうと燃える大山兼司さん
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