野上百合


多喜二と赤い旗
東京は千代田区のまんなかを夏の夜中に一人スタスタと日本共産党の地区委員会めざして歩く。光と頭上の橋に惑わされる。方向オンチは結局、同じところをグルグルまわってしまう。
手にもつカバンの中には書類がいっぱい。恐いのは警察官とトロツキスト。派出所の前を通る。ふと、多喜二の死の姿と「一九二八・三・一五」の拷問の場面を思いだす。
ももにうたれたくぎの痛さに彼だって耐えた。私にできないことはない。その思いだけで、後ろから聞こえる足音を気にしながら歩く。
長い髪の二十歳の娘だった。
二十一歳・夏の暑い盛り。都議選と参院選とが重なった。党支部がうまく動かない。人間関係のからまわり。ふと私の手を離れた民青の同志たちはどうしているんだろうかと里心が出る。
多くの同志がいるのに心はひとり。多喜二の「東倶知安行」を思い出す。
多喜二だってやったこと。私にできないはずはない……。
十円玉を山のようにもって、公衆電話に入りこむ。おちこみと喜びを味わう。汗がしたたり落ちる。
かげろうが立つ道路を、票を持って地区の事務所に向う。足から力が抜け、道路に倒れこむ。
幼なくて、人を信頼できなかった夏。
あの夏からもう十五年。多喜二はいつも私のそばにいる。
多喜二と歩んで十七年。
長い、実にいろいろなことがあった人生。
今まで私を支えてきたのは多喜二と心の中にはためく赤い旗。

のがみゆり:<『読本・秋田と小林多喜二』(2001・「秋田と小林多喜二」刊行会)236p。著者は、日本民主主義文学会会員(秋田支部)。秋田市雄和町>
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