村上耕三

清々しく真率な多喜二祭

小林多喜二生誕碑が下川沿駅脇に建立されていたことも知らずにいた私が、たまたま1967年の多喜二祭(第6回)に参加して会場が異様な熱気でムンムンした雰囲気に包まれていることに驚かされたことを今さらのように鮮烈に思い出します。
講演者の鹿地亘とは何者かも知らず、ただ、めずらしい名前の人だなくらいで話を聞いていましたが、キャノン機関のことなど自身の体験を通して工告発されていくにつれ、まさに「信念のためには死にます」と言い遺そうとした人の落ち着きとすごみを感じさせられました。
私はこの時の多喜祭がきっかけとなって、松本清張の「日本の黒い霧」他一連の作品に関心を持つようになり自分でも少しは文学の創造あるいは実践運動にかかわり、人間の生き方に対するこだわりを深めるようになってきました。
この間。第25回目に多喜二祭を迎えるまで、私自身毎回にように多喜二の文学やその生涯についてあたらしい発見やあたらしい出会いを実感することができ、まさに今年は多喜二が何を語るのか、また多喜二に何を問いかけていくべきか大いに期待し自らを励ますことも愉しい限りです。
これまで20数回を積み重ねてきた多喜二祭は、一回いっかい、多喜二の文学と生涯を現代にどう学びとっていくかということにあり、すぐれて現代のテーマを問い続けるところにありました。
多喜二祭の歴史と伝統は、今や時代の変化のきざしをどのようにつかみだしていくかというところに大きな意義を持つようになってきたと思います。
近年各地でさまざまの「文学祭」が催されるようになってきましたが、多喜二祭の持つ、時代の変化に問いかけ、とりわけ実践的課題を引き出していくという時代精神とこれほど緊張感のある関係を持続してきたようなものは少ないとように思います。
多喜二祭はこうした特色をもつものであることから、常に新しい多喜二が語られる-新しい語り口と、働き手を持っているという言葉の通り、今後回を数えるごとに、一層清新な内容となって注目されていくことでしょう。
さあ、大いに多喜二に問いかけ、学ぼう。時代が大きく変化する今こそ各層、各分野から自在に多喜二に語りかけ、働きかけていこう。1990.4


むらかみこうぞう:日本民主主義文学会会員。『秋田県多喜二祭の記録1962-1983』27~36ページに「多喜二文学における「人を殺す犬」の評価について」を執筆。『読本・秋田と小林多喜二』229~230ページにエッセイ「清々しく真率な多喜二祭」を執筆。
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