児玉金友

火を継ぐ

私が、合川町の大野台にいた頃、大館から鷹巣に向かうバスで、偶然「下川沿」という言葉を耳にして、ハッと多喜二を思い出した。
「松の木のある家」、松の木、松の木と……、その家をバスの窓から発見し思わず、声をあげてしまった。
また、下川沿駅ホームの近くの畑に江口渙さんの筆による石碑が建立されたことを知り、それを列車で見つけたときである。2回とも
心の底からふるえるように感動したことを今もはっきり覚えている。

60年代のはじめ、能代で民青同盟の活動をするようになり、民青の若い仲間に多喜二を語り、読むことを勧めた。多くの青年にもっ
と多喜二を知ってもらいたいと思っていたやさきに、秋田に江口渙さんがくるとを知り、能代でもと、多喜二祭を計画した。多分、秋
田の多喜二祭の翌日であったと思うが、能代の中央公民館に、江口渙を迎え講演会を行った。「一九二八年三月十五日」の一節
を民青の若いカップルに朗読してもらったり、合唱を組み入れたりして、それなりに工夫もした。集会は、北秋田郡などからの参加も
あり当時としてはよく集まったと思っている。今ではなつかしい思い出である。

多喜二は、日本共産党員作家であるがゆえに虐殺された。しかし文字通り命を賭して闘った多喜二の正義とロマンに満ちた短い生
涯に光が当てられ郵便切手にもなった。朝日新聞は20世紀の十代ニュースの一つとして多喜二の拷問死をとりあげている。多喜二
等の活動は筆舌に尽くし難い困難を極めたが、社会進歩のために果たした不屈の先進的な役割として評価されている事に歴史の
大きな変化・本流を見ることができる。

多喜二の絶筆となった「地区の人々」、遺稿となった「転形期の人々」で完結を見なかった闘いの火を継ぐことが、秋田の党と民主
的文学運動にたずさわる人々に課せられた課題ではなかろうか。

多喜二生家跡地 多喜二生家跡にある多喜二も登ったという松の木 多喜二生誕の地碑 下川沿駅構内から見える場所にあった小林多喜二生誕の地碑
こだまかねとも:『読本・秋田と小林多喜二』197~198pに収載。『読本・秋田と小林多喜二第3集』に詩「新し二月-多喜二の火を継ぐもの」を執筆
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