<いろいろ情報>
<ゴキブリ退治>
■ホウ酸250g、砂糖18g、小麦粉70gに牛乳6cc、擦り下ろした玉葱170gを加えて、混ぜ合わせ直径3cm位の平たい団子を作る。よく乾燥させて、押し入れや水回りなどゴキブリの出そうな所に置く。ほぼ完全に退治できる。
<参考リンク表>
■
「図書館員のコンピュータ基礎講座」急激なコンピュータ化の波にあえぐ図書館員による、同じ思いをしている図書館員または、これから荒波にもまれるやも知れない図書館員のためのコンピュータに関する知識・知恵を掲載するためのもの(20160504)
<仙台市と周辺の安い店>
<仙台市と周辺の安い店のリスト>おすすめの店の場所・内容などのその詳しい紹介は
別ウィンドへ。私のおすすめ度は☆印の5段階評価
■青葉区
○[仙台朝市☆☆☆☆]○[魚市☆☆☆☆]○[八百ふじ宮町店☆☆]
■宮城野区
○[杜の市場☆☆☆]○[伊藤豆屋☆☆☆☆]○[ピポット☆☆☆]
■若林区
○[キャロット☆☆☆☆]○[八百ふじ保春院前丁店☆☆]○[若林青果☆☆☆☆]○[木皿酒店☆☆☆]○[むらぬし☆☆☆]
■太白区
○[まるげん☆☆☆]○[ビッグハウス大野田店☆☆☆]○[鮮ど太助市☆☆☆]○[ファミリーストア匠☆☆☆☆]○[主婦の店さいち☆☆]
※その他、ドンキホーテ[☆☆☆]、つかさ屋[☆☆☆]、イオンザビッグ[☆☆☆]のチェーン店
■名取市
○[トライアル名取美田園店☆☆☆☆]○[ディリーポート新鮮館中田店☆☆☆]○[イオンザビッグ名取店☆☆☆]
■多賀城市
○[ミラックマツヤ多賀城店☆☆☆☆☆]○[イオンザビッグ鶴ヶ谷店☆☆☆]
※他に飲食店として[半田屋☆☆☆☆](各所)、衣料店はサンキ[☆☆☆]、しまむら[☆☆☆]の他、[メルシー名取店☆☆☆☆☆](名取市)がある
(20151019、改定20151023)
<アンパンの食べ方>
■「このアンパン、なかなか餡子が出てこないや」は、間違っている。アンパンは、まず2つに割ってから餡とともに食べ始めるもの。(20151008)
<鳳凰は、雌雄2羽の鳥だった>
■ある時、テレビで「開運! 何でも鑑定団」を見ていたら、中島誠之助氏が、ある陶磁器を鑑定していて、器の裏表に鳥が彫刻されていることで、雄の「鳳」と雌の「凰」が彫られている、ということを解説していた。
それで、調べてみると、確かに「鳳」は雄、「凰」は雌とのことである。
これには、ちょっとびっくりした。長い間、鳳凰は鳳凰という鳥のことだと思っていた。
また、中学生の時、生徒会生活部で「鸞」という雑誌を編集して出していたのだが、この鸞(らん)も鳳凰のことだったのも初めて知った。(20080818)
<2014年のクリスマスケーキ>

■食べ物ブログみたいになったが、2014年のクリスマスケーキ。代官山・kawagoe tatsuya。上面に散らされた金粉がおしゃれ。
<アンデスメロン>

■2014年夏のこと。会社の花壇が空いていたので、7月頃、食べ終えたアンデスメロンの種を植えた。すると多くの芽が出たのでそのうちの3本を残した。毎日の水遣りで長く茎が延びた。盆休みにも水を遣りに行った。種を植えた時期からすると、花の観賞だけで終わるだろうと思っていたが、次々に実ってきたので驚いた。最初の実を発見してから2ヶ月が経過した。現在、実は少なくとも10個ある。葉は少し枯れてきているが、まだ新しい花が生まれ続けている。9月26日に一番大きなメロンを収穫してみた。切ってみると甘みは少ないが何とか食べることができる。
それで、一夜漬けにした。それはそれでよかったのだが、空腹時に食べて気分が最悪になった。広瀬川の河川敷公園のベンチに出かけてしばらく横になり、凌いだ。
<ちょっとした話題>
■表裏気にせずに挿せるUSB
表裏気にせずに挿せるUSBの新コネクタ「Type-C」規格が策定 (2013/12/5)
とのことだが、コネクターの一部に色をつけるのは生産工程ライン上、複雑になる。
目印になる突起を差し込み口の一方に付けることは簡単だが
受けになる機器の方向が一定でないのでそれでは解決しない。
それで、購入後、コネクターの裏表に100円ショップで販売している別色のシールを貼り、
一方、機器の方にも同色シールを貼っておくと、
100%間違うことなく差せる。私はそうしている。
<ちょっとした話題>
■シカゴの地名の由来
現在のシカゴの地に住んでいたアメリカインディアンが、たまねぎのことを「シカゴ」と呼んでいたことから、フランス人のジャック・マルケットがシカゴと名付けた。17世紀の話。
<十二月の二十何日の話>
■「十二月の二十何日の話」 小林多喜二
雪の多い秋田の田舎で、学校というものを全然知らないで育った私の母は、 子供に対して決して沢山の「お話をしてくれた」あの母ではなかった。
忙がしいことも忙がしかったのだろう。
――ところが、たった一つ印象に残っている話がある。
私の母は毎年十二月の二十何日かには、きまって「おこわ」(赤飯のこと)を 作って、その日になって沢山雪が降ってくれると喜んだ。 「これで安心した!」という。
しかし、せっかく「おこわ」を作っても、 雪の降らない年があると、暗い顔をした。――母はいつか(忘れたが)その事の由来を話してくれた。
昔々、母の生れた村に沢山の子供を抱えた貧乏な小作が住んでいた。だんだん食えなくなって、本当に食えなくなってしまった。
お父さんは毎日々々、自分では一粒の飯も食わないで、子供たちにばかり食わしてきたのだが、 それも とうとう そのどんづまりまできてしまった。もう子供たちは二日何んにもたべていない。
お父さんはとうとう「神さま、私はこの十何日のうち一粒のごはんもたべないでやってきました。それだのに子供さえもう死にそうです。私は決心をしました。今夜子供たちを助けるために地主さんのところへ盗みをしに参ります。
」それが十二月の二十何日で、お父さんが地主の土蔵から米俵を背負って出てくると、 神さまの助けか、雪がにわかに降り出してきて、歩くすぐその後からお父さんの足跡を消してくれたんだそうです。
話というのはこれだけです。
それがどういういきさつをとって、村の習慣になったか知らないが、 今でもその村の貧乏な人たちは十二月の二十何日に「おこわ」をたいて、 雪の降るのを待っているそうです。
<海沿いの道を走る>
■海沿いの道をとにかく最も海岸に近い場所を走る。
行き止まりになれば引き返す(これを忠実に実行すると結構無駄な走りが頻発して、岸壁に出てしまうという)という走り方をした動画がある。
ご苦労さま。
いい趣味してますね。
ところが下北半島の西海岸を走っていて、ある場所で、民家の敷地内を迂回してしまった映像がアップされた。
それを見て、都会に出ていたその家の若者が「どこかで見た風景と思ったら、これ実家じゃねえか……。
削除するように地権者である親に連絡する」という風のことをその人のページに書き込んでいる。
これについては賛否両論あるだろうが、こういう心の狭さはいかがなものか? 都会の住宅地で、一目で個人の敷地内と分かる場所に入り込んだのならまだしも、地方の開放的な敷地を通過したとしても、それがどうしたというのが、私の考え。
地権者である親は「お前、そんなことが目くじらをたてることか!いい大人になってそんなことでどうする」と諭してくれることを期待する。
それを子どもと一緒になって、「映像を削除しろ、訴えるぞ」なんぞいうのは世も末。
<産地直売所の工夫>
■産地直売所の工夫。
観光地を訪れた帰りに、土産にとか、その週の食材購入に、産地直売所に立ち寄ることも多い。
産地直売所は各地にあるが、その中で経営的に成功しているのは1割程度で、4割がまあまあで、残りの5割がかろうじて存続という状況であるともいわれている。
しかし一方で、直売所はもっと数があってもいいという声もある。
そこで、客の乗り降りする人の通行量の多い駅舎とか、すぐ近くの場所での販売が可能ならば行なう。
また産直所がない地域では、無人販売をしている人に声をかけて、誰か有志が一箇所に集めて、管理人となれば、新規の直売所もできるかも知れない。
その場合、管理者が見回り、各ブースで客は自分でコイン入れに代金を入れて購入する。
手数は20%程度。
さて、産地直売所の課題とはどのようなものだろうか。
●客にとっては、新鮮で、安全で、美味しく、廉価であると嬉しい。
また近所のスーパーでは販売されていない珍しい野菜があるのもいい。
客は、また購買者と しての目を肥えさせる努力をしたい。
多少見た目が悪いものも購入する。
野菜そのものや料理の素材としての知識を増やすこと。
さらに産直所の人にいいものは 良かったと率直に褒めること。
もちろん、店や生産者の向上・改善になることには意見も出したいが、少々のことがあってもクレームはいわないことも必要。
●直売所はといえば、客に評判がよく、トラブルがなく、出荷者ともうまくいって、そのうえで安定的に経営できればそれにこしたことはない。
そのために立地 が良く、駐車場スペースが十分で、地域相対的に廉価、商品種類が豊富、果実・魚介類など農産物以外も取り扱っていて総合的に集客力があること、販売サポー トがいいこと、従業員も創意工夫があり、商品知識が高く、客対応も良いこと、出荷する人に対して販売手数料ができるだけ低くおさえられること、などが必要 になる。
珍しい商品、低農薬など、品質の良い農産物の供給ができれば、高価格での販売も可能である。
店側も出荷者に安売り競争を防止とか一定程度の規制をして、納得してもらう。
農家の意識を変えることで互いの信頼関係を維持・発展させることが必要。
農産 物のような価格の安いものや鮮度が売りなものは、店舗内で、見た目の商品が少なくなると売りにくくなる。
営業時間の後半には完売のために努力もしたい。
○野菜に詳しく、弁の立つ就業者の男性、料理に詳しい女性を配置して、積極的に客に説明をして売り上げに貢献する。
○鮮度が落ちた野菜は値引き、というのはやらずに撤去する。
同じ商品を後から出す場合、値引きは前の人と同等か高価格をつけさせる。
○ジューサー・ミキサーコーナーの設置してみる。
野菜もバナナとセットすれば美味しくなる。
ほかにポン菓子実演の設置。
○補充システムの合理化、商品を生産現場近くまで受け取りに出向く取り組みは特殊な地域にしか可能ではない。
また朝取りに比べて質が劣るので。
また日中採 取の野菜はしおれやすいので有効ではないこともある。
午後に出した野菜が売れ残るのは避けたい。
「欲しい物、店への要望」を来客した人に掲示板に直接書いてもらい公開する。
○できるだけ試食を行う。
○スーパーには売られていない完熟のトマトなどの他、その直売所独自の珍しい商品も販売する。
●出荷者は、高い収益が得られ、生産の意欲が満たされることが必要。
出荷する者にとっては、地域に何箇所かの直売店がある場合、「ここに出せば売れる」と いうのが関心事。
同時に珍しい商品の開拓、包装の工夫、商品理解の工夫など、出荷する農家自身にも熱意が必要。
○泥つき野菜を清潔な梱包で販売。
○小さなトマトをスリム葱用細長袋で売るなど。
○林檎・ナスなどを全て同じ量の袋売りでなく、1・3・4・6個という風に量目をいろいろにして購入しやすいように売る。
○里芋は親イモ付きで、生姜は固まりのまま、芽キャベツは塔状のままとかも。
○ホウレンソウ、アスパラなど葉物野菜の根つき販売。
○プチトマト・パプリカは、赤色と黄色を混入して袋詰めする。
○青唐辛子には一本だけ赤唐辛子を入れてみる。
○「天ぷら野菜セット」など、とにかくいろいろな野菜組み合わせのセット販売する。
○ひとつの種類については大きさをそろえて、見栄え良くしないと売れ残ってしまうということもある。
○わらびと一緒にアク抜きの灰をサービスするか、あるいは販売する。
○大根・胡瓜などの漬物も、同じ梱包で販売。
○キャベツなど売り場に畑を再現して販売。
あるいは直売所の横の本物の畑で直接展示販売。
すこぶる新鮮さが保たれる。
○鉢植え野菜の販売=ピーマン・ナスなど。
○野菜の水分が抜けないように、2立ペットボトルを半分に切ってその中に入れて販売。
あるいは水を張ったコンテナで葉物・クレソンなどを売る。
○平棚も設置するが、統一の大きさ・色のコンテナを用意して販売。
段重ねもできてスペースが有効利用できる。
○100均にある安いプラスチック容器に入れて販売。
容器の魅力もあるか。
○ブロッコリー・人参・葱・カリフラワー・生姜・紫蘇など、傷物・余り物を乾燥野菜に加工販売。
<番組企画1 「分野の達人」 >
●番組企画1 「分野の達人」 世の中にはいろいろな職業があります。
その職種ならではの「へぇ~、そうなのか」という知識・薀蓄・裏側の情報があります。
これをテーマにして問題と映像を作成すれば、人気の番組になると思います。
各職種の人、周辺の人を回答者にしたクイズ番組をやりませんか? それはその分野に属している人たちには自負心を掻き立てられ、 全く他業種の人には大いに興味を持って迎えられると思います。
「パイロット」「図書館司書」「カメラマン」「編集者」「警察官」「声優」 「ツアーコンダクター」「力士」「パン屋」「モデル」「翻訳家」「ホテルマン」 「歯科医」「動物飼育係」「市場人」「鉄道マン」「漁師」「車整備士」 「刑務所看守」「溶接工」「料理人」「ガススタンドマン」「船乗り」「活花教授」 「エレベーター技術者」「宇宙飛行士」などです。
●番組企画2 「趣味の達人」 インタネットを見ていると世の中にはいろいろな趣味があり、発信されて います。
その趣味ならではの「へぇ~、そうなのか」という知識・薀蓄があります。
問題と映像を作成すれば、人気の番組になると思います。
各趣味にのめりこんでいる人を回答者にするクイズ番組をやりませんか? それはその趣味を持っている人たちには熱狂的に歓迎され、それを知らなかった 多くの人にも興味を持って迎えられると思います。
「寅さん映画の達人」「ウルトラマンの達人」「ゴルゴ13の達人」「レモンハートの達人」 「ガラスの仮面の達人」「廃線の達人」「鉄道模型の達人」「世界遺産の達人」 「城郭の達人」「ラーメンの達人」「おみやげの達人」「野菜の達人」「釣りの達人」 「温泉の達人」「国道の達人」「ソウルの達人」「台湾の達人」「旅館の達人」「ゆるキャラの達人」 「コミック業界の達人」などです。
<東日本大震災>
■地震に備える
■だれでも地震が起きたあと、「来ると思った」とか、「だから俺が地震雲が出ていると言っていただろう」とか主張する。
そこで「4年以内に地震が来る」などと言っておけば、本当に来た場合、「ほら俺の言った通りだろう」と威張ることができるし、来なかったら知らぬ顔。
地震予知はまだそんな段階。
それでも毎年数センチ移動とか、隆起とかの事実はあるのだから地殻が元に戻ろうとするのは事実。
いつかは起こるだろう。
それなら今、必要なことは起こったときの対応。
想定以上のことの地震対策を政府・行政で本当に最大限取り組むことではないか? タンスが倒れないような措置が必要なら徹底してやる。
これで数百人が助かる。
倒壊した家屋から脱出するためのバールが有効なら家庭に常備する。
これでも数百人が助かる。
町内会の集会所などに、備蓄食料・水・灯油石油ストーブ・必要日用品・発電機など用意する。
これで数万人が助かる。
航空自衛隊・警察・消防のヘリコプターを防災運用する。
道路確保とガソリンの供給を考える。
というか、これくらいのことをすかさず関東圏・東南海地方で徹底しない、発表して行かない政府って馬鹿なの?
<沼津市内浦三津>
■沼津市の内浦三津には井上靖の母・八重のすぐ下の妹・きくえが養女になっていた松本家がある。
きくえがこの家の養女になったのは、八重やきくえの母たつの姉がここに嫁していたためである。
つまり姪が伯母さん夫婦の子どもになったということで、このような養子縁組は昔はよくあった。
「夏草冬濤」の終わりで洪作たちは伊豆行きの船で西伊豆の土肥へ向かう。
その時、狩野川の御成橋から船に乗り、江浦を経て、最初に降り立ち、一泊したのは重寺であった。
沼津市内からは国道414号線を南下して、口野放水路交差点の突き当りを右折して県道17号線に入り、ほどなくして到着する重寺までは市街地からは今では車だとおよそ30分ほどの距離か。
三津はこの重寺の北に隣接する。
1955年に沼津市に編入される前に内浦村は、明治期に君沢郡(のち田方郡)三津村、長浜村、重寺村、小海村、重須村が合併して発足した。
しかし三津はなぜ「みつ」でなくて「みと」なのだろうか?そして名前からすれば、3つの入江か港が存在する地であろう
。地図をみると3箇所の陸の窪みが見えなくもないが「沼津市史」にその地名由来の記述はあるのだろうか。
(写真1は三津の街並み) この三津には、洪作少年は長岡から現在の県道130号線で徒歩で三津の町に入った。
その手前、今は新三津坂トンネルが通っているが当時は旧道の三津坂隧道を抜ける峠越えの道だった。
トンネルを過ぎてこの道を下る途中の場所で三津の街並みと内浦湾の光景が見えてくる。
常々山の景色しか見ていない、いろいろな場所を訪れたことの少ない少年にとって「今まで彼が知っている場所では、ここが一番美しいところではないかと思った。
あるいは日本で一番美しいところかもしれない」」と思わせたのは当然だったかもしれない。
この「日本で一番美しいところかもしれない-井上靖」というフレーズはイザベラバードが「日本奥地紀行」で山形県置賜の地を評して「東洋のアルカディア」と言ったように、宿泊施設や伊豆三津シーパラダイス、淡島などのあるこの地の絶好の観光用キャッチフレーズになる。
井上靖はこの景色だけではなくて、松本家(「しろばんば」では松村家)に歓迎されたことや、すこぶる快適な夏休みを過ごしたことで上記のような感想を持ったに違いない。
また井上靖は「学生時代、ひと夏をここで過ごしたい」と言っていたという。
松本家は森に囲まれた氏神の横の道を登った寺への坂の途中にある(写真2-学習研究社「現代日本文学アルバム15井上靖」より) ところで、井上靖も通った旧道の三津坂隧道は現在通行不能だが、地元の人の力でトンネルの大改修できないだろうものか。
ウェブ上で幾人の人が探索しているこの隧道は歴史のあるものである。
路面はなんとかなったとしても、少し費用をかけて天井の改修をしないと当局の通行許可を取るのは難しいだろうが。
<提案:車の排気口パイプ>
■北海道中標津町で吹雪に遭い、死亡した。北海道の冬は、夏とは大違い。
もう冬山と同じ。
今回みたいに猛吹雪だと、家まで30mでさえも遭難する。
内地の人には想像できない。
だから雪国人は、冬期は常時燃料は満タンにしておく。
マフラー排気口にクリップでセットして、 排気を車外の高い位置に伸ばせる器具を アイリスオオヤマあたりで作って販売してくれないかな。
俺は手製のを用意しているが強度と排気口のコネクターが 弱い。
15000円くらいしても命の重さに比べれば安いもの。
それにしても中標津町あたりでなんでこんなこと やってないんだろう。
俺の手製の洗濯機の排水パイプは短かいので、改良が必要。
排出の先端には赤い旗も必要だし、雪に立てる棒も必要だし。
また冠水した場所もこのパイプを使って通過できるようにするとか、 前後に蓋ができて、水の事故の時、浮き輪になるとか、とにかく 非常用に使える物を1本常備しておくと安心だけどな。
それにしても中標津の一家は可哀想だった。
高校生もいたのに。
しかし一酸化炭素中毒は気が付くと 体に力が入らず、意識も朦朧とするので、早めの対応が必要。
それには、学校教育が一番だと思う。
<ショッツル鍋>
■秋田の郷土料理ショッツル鍋は「塩魚汁鍋」と表記する。
ハタハタを発酵させた魚醤であるが、おなじような魚醤はベトナムでヌクマム、能登半島では「いしり」というのはよく知られている。
ところでその名前の由来だが、「ショッ」というのは「塩」と予想できるが、なぜ「ツル」なの?と思っていたら、「秋田魁新報」紙の1938.3.9発行夕刊で、前新屋町長仙葉善治氏がこれについて触れていた。
それによると、江戸期、将軍家は正月2日、千代田城年賀で大名に鶴の吸い物を供した。
秋田佐竹家もこれにならい当時存在していたこの魚醤を鶴の吸物と称して家臣に振る舞いショッツル(塩+鶴)と称したからというのである。
今更ながら、驚き。
<ウエブ小説>
■キャッチコピーー=「優しい流れにほっこりした」
■都会に住む50代の男がもう二度と戻ることはないだろう故郷行橋を訪れる。
その一人の帰郷人のために、互いに見ず知らずの町在住のSNS人が協力して 青春の思い出をたどる彼の行動を見守り、サポートして、有意義な正月休みを過ごすある冬の物語。
<メダルをかじる>
■ノーベル賞を受賞した山中伸弥教授に「メダルをかじってもらえますか」と 要求した阿呆記者のことが話題になっている。
金=ゴールドを齧るのは、小判が本物か偽物かを 見分けるため。
主に江戸時代の悪徳商人の行為のイメージ。
確かに純度の高い金とそうでないものは歯でかんだ時に 微妙な抵抗の違いで判断できる(ようになる)。
人間の感覚の凄さがそこにある。
そういうわけで、金をかじるのは極めて下品な行為。
非難したくないが、あのウーパールーパーに似たマラソンの高橋尚子さんが メダルをかじっている様子を見て、愕然としたことを思い出す。
<■南国土佐を後にして>
■2012年11月3日、四国高知のはりまや橋でおこなわれた「南国土佐を後にして」歌碑の除幕式後のセレモニーで歌手のペギー葉山さんが挨拶をした。
そのあと、「学生時代」・「ドレミのうた」・「南国土佐を後にして」を歌ったhttp://www.youtube.com/watch?v=HaG6uAGRzNs&feature=player_embedded 。
YouTube上での収録音声が少し乱れているが、臨場感が伝わってくる20分18秒の記録。
2012.11.5.2:21時点で53回の再生。
芸能生活60周年というペギー葉山さんの声はハリがある。
私は「学生時代」が大好き。
この情報提供は、ブログ「土佐のおんちゃんの田舎暮らし奮闘記」http://silver.ap.teacup.com/onchan/から。
歌碑は民間の「南国土佐の歌碑を建てる会」が募金活動を行い、1600万円の予算で建設したという。
<■百万石あんころ>
■みのやの「百万石あんころ」を戴いたので食べた。
20個入り525円。
金沢らしく上品な甘さで、伝統を感じる。
この店はJR西金沢駅前にあり、当時私が学生時代前半に住んでいた野町から北鉄石川線で 西泉の次の駅前でもある。
だが当時はそちらの方には行くことはなかった。
この岐阜が出自であろう菓匠みのやでは、あんころのほか、きんつば、羽二重餅、ことじ燈籠などがある
。 伝統の菓子であろうが、新菓子開拓でさらなる銘菓を望みたい。
菓匠みのや:石川県金沢市西金沢1‐66‐1。
<■曹洞宗長澤山秋月院>
■曹洞宗長澤山秋月院。
聖マリアンナ医大そばの小さな台地に曹洞宗長澤山秋月院がある。
ここに天正(16世紀後半)の頃、大木主馬之助という諸国巡礼の道心者が住みついて山麓に庵を営んだ。
その後、僧坊を経て寺院とした。
一方、16世紀後半の天文年間、小田原北条氏家臣片山弥兵衛・図書具治(具冶とも)親子が宮前の平村に帰郷後、当時の下菅生村長沢に移り住んだ。
弥兵衛が文禄年間に、図書具治が寛永年間(1627年)に死没してこの長澤山に葬むられた。
「秋月」の名は片山図書具治の戒名に因んでいる。
その後、堂宇は幾度か災禍に遭い、現本堂は昭和50年の建立のもの。
本尊は準提(准胝)観世音菩薩。
境内には子育地蔵尊も祀られている。
現住所は川崎市宮前区菅生2-28-1。
なお区名の「宮前」というのは田園都市線宮崎台駅近くにある馬絹神社(旧女体権現社)に由来する。
写真1は山門、2は本堂、3は本堂のアップ。
<彼岸花>
■よく見ている「土佐のおんちゃんの田舎暮らし」のホームページによると、高知でも墓の周辺には彼岸花が見られるという。
昔は土葬が主であったので、根に毒がある彼岸花を植えて肉食のモグラから遺体を守ったことによる。
彼岸花は曼珠沙華、死人花、地獄花、幽霊花、剃刀花、狐花、捨子花など、各地に千もの呼称があるという。
曼珠沙華といえば、岡山出身の夭折歌人・木下利玄の「曼珠沙華一むら燃えて秋陽つよしそこ過ぎてゐるしづかなる径」という歌を習ったね。
ちなみに彼岸花を高知では死霊といい、我が故郷北九州では蛇花という。
木下利玄のもうひとつ有名な歌は「牡丹花は咲き定まりて静かなり花の占めたる位置のたしかさ」。
<■郡長正>
■会津若松市内の天寧寺には、広い境内の一角、木々に包まれて萱野一族の墓所に、郡長正の墓というのがある。
観光用の案内板には「萱野権兵衛父子の墓」として、 「父権兵衛は、明治戊辰戦争の時、会津藩の国家老で事実上の責任者として激務にあたり、その後敗戦処理に際しては、城明け渡し、藩主父子の除名嘆願などに力を尽し、自ら進んでその責任をとり自害した。
子郡長正は、権兵衛の次男で明治3年小笠原藩(福岡県)の育徳館に留学し教育を受けた。
ある日長正は郷愁を覚え母へ手紙を書いた。
後に届いた母からの戒めの手紙を落として、小笠原藩士の子弟に大衆の面前でののしられた。
長正は会津武士の面目を保つために切腹して屈辱にこたえた。
ときに16歳であった」と説明されている。
写真はその墓所。
左が長正の墓。
墓石の横には、石に彫られた説明書きがあり、それには、 「会津萱野家の始祖は萱野権兵衛長則と称し、加藤嘉明の上級家臣として国替えにより会津に移ったが、嘉明の嫡子明成が石見に減封された後、会津藩主として高遠藩から最上を経て入府した保科正之に召しかかえられた。
長則は寛文六年(一六六六)八十余歳で没しここ天寧寺に葬られた。
子孫も代々会津藩の興隆に尽くし、天寧寺が萱野家の菩提寺となった。
特筆すべきは九代権兵衛長修とその二男長正である。
長修は、あの凄惨を極めた戊辰戦争の全責任を一身に負い藩侯と全藩士に代わり、明治二年五月十八日、江戸の飯野藩邸において従容として切腹した。
享年四十二歳、知行千五百石の家老であった。
郡長正は戊辰戦争後の明治三年、会津の教学復興のために選ばれた藩内の少年七名の一人として現福岡県豊津町の小笠原藩校育徳館に留学した。
長正は最年少ながら文武ともに秀でていたが、とある事情により会津武士道を汚したとして明治四年五月一日、異郷の地において自刃して果てた。
時に齢十六歳であった。
小笠原藩は長正の死を悼み会津の方角に向けて墓を立てその霊を弔った。
育徳館の後身である福岡県立豊津高等学校は昭和三十一年十月、会津の石二基を配した郡長正記念庭園を校内に築造し、今日においても郡長正精神を顕彰している。
以って全国高校教育の範とすべきである。
豊津町では毎年命日に当たる五月一日に郡長正墓前祭を盛大に挙行しており、会津士魂会としても感謝に堪えない。
ここに会津士魂会は、東京都在住の篤志家、天生目(法姓平子)義清氏の御芳志と会津士魂の伝授の心に誠意を捧げて、観世音菩薩を建立し、萱野家ご一同に対し深甚なる敬意を払い、その霊を祀る次第である。
平成十五年五月十八日 会津士魂会」 とあります。
豊津高校の卒業生として「感謝に堪えない」という言葉はとても嬉しい。写真はみやこ町豊津にある郡長正の墓所。
<■フリーマーケット>
■韓国釜山で2012年5月に、車のトランクを利用してのフリーマーケットがデパートの大型駐車場で開かれ、約500台が参加した。このイベントの発祥地は雰囲気を考えるとどうもアメリカのようにも思えるが、ともかくいいアイデアである。
これまで日本各地でも「軽四輪の市」というのはあったが、軽四輪を所有している人は比率としてはそれほど多くはない。普通、所有している乗用車で、後ろがハッチバックかトランクで開く車であれば参加できるとなると、出品者の幅が大きく広がるだろう。
もちろん、販売するものは、通常のフリーマーケットに出す不用品の類を基本として、それだけではなく同時併催ということで、農産物、魚介類、山村加工品など、多種多様なものにすれば、単なるフリーマーケットよりも、さらに売る人、買う人の層が厚くなり、イベントとしても豊かになるはず。さらに、営業中のリサイクル店の出品、その他いろいろな業種の宣伝活動としての参加も認めることにする。
参加料を一定程度徴収すれば、場所使用料、宣伝、当日の人件費などは捻出できるだろう。
赤字にさえならなければ、毎月1回とか、シーズン毎の継続開催が可能。抽選とか、グルメの屋台とかも加えると楽しいイベントになるだろう。
イベント泣かせの雨天という場合でも少雨なら開催できるかも。
出品者のブースをランダムにするか、同じ類をブロックで分けるかなどのことや、トイレの設置、違法販売、各種犯罪、場内事故、交通整理などに注意することはあり、それらを含めたノウハウは蓄積していかねばならない。
大きな駐車場か広場があればできるけれど、ほとんどの人が車で来ることを考えれば、かなり郊外でも開催は可能だと思われる。
<■レンタサイクル>
■香川県の高松駅を降りると、何か違う町の雰囲気を感じる。そう、自転車がたくさん走っているのだ。
この街は、高松平野に位置していて全体的に平坦地といっていいほど極めて緩やかな勾配で占められている。そのため市民の足として自転車が大活躍している。
放置自転車対策と生活自転車総数の抑制のため2001年から高松市は、市営でレンタサイクルを24時間100円で貸し出ししている。2011年からは利用者の利便性と極力路上駐輪を避けるため24時間内なら何度でも借りることができるようにした。
高松駅のほか、市役所、瓦町駅、栗林公園駅前、片原町駅前など市内主要7箇所に貸出ポートがあって、ここから借りて、好きな所に戻せる。営業時間は朝7時~22時。高松市の場合、自転車にICタグを装着しているなど管理は先進的ではある。
電子化が経済的に難しいなら、自転車に観光ナンバープレートを付けて管理するもいい。
各地の観光地で、利用形態・利用料金を検討して、こういう風に廉価なレンタサイクルの活用はどうだろう。
もちろん多くの地域でレンタサイクルがある。しかし東京のある地域では1日2000円、奈良飛鳥で1日1000円とかいかがなものかと思われる利用料金もある。管理人件費の問題もあるが、放置自転車再利用、シルバー人材の活用などでできるだけ廉価で運用したい。地域によっては、電動アシスト付きの自転車、原付、さらに自動車というのも考えられる。レンタカーというのはもっと気軽に利用できていい。もちろんこれらのことは地域の公共交通機関、タクシーなどの営業妨害にならないように考慮する課題もある。
高松市のレンタサイクルについての情報はhttp://www.city.takamatsu.kagawa.jp/18197.html。
情報バンク
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